「ビデオ・ザ・ワールド」休刊に寄せて
「ビデオ・ザ・ワールド」(コアマガジン)が休刊しました。その話は昨年末から聞いてはいたのですが、本来なら8月号まで発売される予定だったといいます(その後、誌名だけ残して外部編集に引き継ぐ予定もあったらしい)。しかし、急遽この6月号で休刊となってしまいました。そのため、この号では休刊号にも関わらず、歴史を振り返るような企画もなく、連載の中には「あと二回」といった表記もあったりして、突然の休刊だったことがわかります。どうやら4月19日に発行元のコアマガジンの「ニャン2倶楽部」編集部、「コミックメガストア」編集部の家宅捜索の影響のようですが、30年の歴史を持つ雑誌の終幕としては、あまりにもあっけないものでした。
カンパニー松尾監督はTwitterで「時代の流れとはいえ、唯一批評性があっただけに残念です。悔しいです。ワールドが一つの指針であり、ワールドに評価されたくて撮ってた時期もありました。無念です」とつぶやき、長年執筆していた東良美季さんはBlogで「僕というモノカキを作ってくれたのは、この『ビデオ・ザ・ワールド』だと思っている。」と語っています。
僕らアダルト系ライターにとっても、「ビデオ・ザ・ワールド」は特別な雑誌でした。特に90年代前半のオルタナティブAVムーブメントにおいては、女優ではなく、あくまでも作品を批評するという「ビデオ・ザ・ワールド」の編集姿勢は大きな役割を果たしました。「ワールド」で評価されている作品は必ず見なければ、と思いましたし、「ワールド」で注目された監督はチェックしました。そして何よりも、「ワールド」で書きたい、それがすべてのAVライターの夢だったといっても過言ではないでしょう。
そして僕は幸運にも、その夢を叶えることが出来ました。レギュラーではなかったけれど、単発の記事をずいぶん書かせてもらいました。ただ、不思議なことに僕は最初に「ワールド」に書かせてもらった原稿を覚えていないのです。あれだけ憧れた雑誌だったのですから、嬉しくて印象も深いはずなのに。
それは、もしかすると書かせてもらえた頃には、僕の心は「ワールド」から少し離れてしまっていたからなのかもしれません。たぶん最初に書かせてもらったのは90年代後半です。その頃のAV業界は、セルメーカー(当時はインディーズと言いました)が勢力を増していき、業界に大きな変動が起きていました。それでも「ワールド」はあくまでも従来のレンタル(ビデ倫)系メーカーを中心に扱っていました。同じ発行元に「ビデオメイトデラックス」というセルAVをメインとした雑誌があったため棲み分けが必要だったのでしょう。しかし、90年代末から00年代にかけて、AV業界の中心はあきらかにセルメーカーへと移っていたのです。
勢いのある若いセルメーカーによるAVは、確かにそれまでの「ワールド」が批評のポイントとしていた「作品性」には欠ける部分がありました。「抜けてナンボ」という即物性が強すぎたため、批評しにくいということもあったでしょう。でも、その時に面白かったのは、やはりセルメーカーの作品だったのです。
00年代以降、「ワールド」はどんどん時代と離れていったような気がします。かつては業界の注目を集めた年間ベスト作品を選ぶ「リアルベスト10」がその象徴です。確かに作品としては優れているのかもしれませんが、その年を象徴するとは言い難いタイトルばかりが選ばれるようになっていきました。
僕はよく「ビデオ・ザ・ワールド」はAV界の「ミュージックマガジン」だ、と言っていました。「ミュージック・マガジン」の年間ベストと、「ワールド」の年間ベストはよく似ているのです。つまり、「ミュージック・マガジン」が00年代のベスト・ワンに選んだアルバムがボブ・ディランの「Modern Times」だったというような……。
もちろん以前から「ワールド」が評価する作品は、いわゆる売れ線とはかけ離れていました。「『ワールド』で褒められたら売れない」なんて話をメーカーから聞いたこともあるくらいです。しかし、90年代前半までの年間ベストは、まだ時代の空気とシンクロしていたように思えるのです。以降、それが乖離して行ったのは「ワールド」の指向がAV業界の動きと大きくズレていってしまったということでしょう。
90年代には数多くAV誌が乱立していましたが、ここ数年は次々に休刊のニュースが入って来ました。2009年に「オレンジ通信」が休刊、2010年には「ビデオメイトデラックス」「ベストビデオ」が休刊、そして2012年には「NAO DVD」が創刊7年目にして休刊しています。気がつけばAV雑誌で残っているのは「ビデオ・ザ・ワールド」「DMM」「ベストビデオスーパードキュメント」「月刊ソフトオンデマンド」だけになっていました。そして遂に「ワールド」が休刊です。
ただ、よくここまでもったなというのが正直な感想です。だって他誌がDVD付きで290円という時代にDVD無しで880円ですよ。しかも年々薄くなっていたのです。休刊号はわずか90ページです。いったいどんな人が読者なのだろう。書いていて、僕も不思議に思っていたほどです。
実際は「ワールド」の誌面の大半は無修正AVの記事が占めていました。そのため、裏ビデオ屋がオススメ作品の記事を店内に貼るために買っているという説もありましたが、確かにそこに頼っているだけでは部数も相当限られてしまうでしょうしね(笑)。
「ワールド」は時代とズレてしまったと書きました。ここ十年くらいの「ワールド」の誌面からは、その時、どんな女の子が売れていて、どんな作品が受けていたのかを読み取ることはできません。しかし、AV業界に起きた事件……、例えば2007年に起きたビデ倫摘発から始まる一連の出来事や裁判の経過などを取り上げるAV誌は他にはありませんでした。現在残っているAV誌は広報誌的な性格が強いものなので、ネガティブな事件には、ほとんど触れることが出来ないのです。やはり「ワールド」は貴重な資料でもありました。批評性とジャーナリスティックな面を持った唯一のAV誌だったのです。AV業界にとっては、売れ線の女優・作品を扱う雑誌と、「ワールド」のような雑誌の両方があってこそ健全な状況だったと思います。
そういう意味でも、「ワールド」がその歴史を総括した最終号を出すことなく、突然死を迎えてしまったのは残念でなりません。
「ビデオ・ザ・ワールド」創刊号を見てみましょう。当初は隔月刊で1983年11月号が創刊号となっています(休刊号には84年1月号が創刊号と書かれていますが……)。大人気だった「写真時代」のビデオ版というのがコンセプトだったらしく、なるほど誌面も「写真時代」色がかなり強く感じられます。
表紙は北原佐和子で巻頭グラビアは木元ゆう子とアイドル路線。続いて岡本かおり、青木琴美、そして伝説のAV「ミス本番 裕美子19才」の田所裕美子のヌードグラビアが続きます。
日本初の3Dアダルトビデオ「3D浣腸 THE ターザン」の制作者インタビュー、最終号まで続いた名物レビュー「チャンネル'84」、トイレ盗撮ビデオ、アメリカポルノビデオなどの記事もありますが、誌面の半分以上を占めるのはエイズのレポートや麻薬のルポ、死体写真に島田洋八インタビューなど、AVとは関係のない記事ばかりです。1983年という時代は、まだそれだけで一冊の雑誌が作れるほどビデオソフトの数が無かったのです。
またこの時期にはAV=アダルトビデオという言葉はなく、ポルノビデオと呼ばれていたのですね。「最新ポルノテープ10本お買い上げの方にビデオデッキ1台プレゼント! 15万円」なんて広告も時代を感じさせます。
ここから30年。長い長い歴史です。VHSやベータのビデオが一本1~2万円、しかも収録時間は30分だったAVが、今や携帯電話やスマートフォンで無修正動画を好きなだけ無料で見られるようになっています。アダルトメディアのあり方も、そしてそこで活躍する女の子の意識も当時とは大きく変化しています。
AV雑誌が消えて行くのは、時代の流れとして当然のことだということも十分わかっています。紙の雑誌に思い入れを持つのは、もはやノスタルジーでしかないのかもしれません。だからこそ、「ビデオ・ザ・ワールド」が担っていた、あるいは本来担うべきだった役割を、何らかの形で受け継いでいきたいなとも思います。
ご苦労様でした、「ビデオ・ザ・ワールド」。長い間、ありがとうございました。
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