土は生きている
2025年03月19日
土は何もかも栄養分があり、完璧である。
野菜の種がちゃんとできないのは、土の中の微生物の働きができていないからである。
このように言われているのは、自然農法の今橋さんです。今橋さんは20年間、イギリスで無農薬無肥料での栽培を続けてきました。最初、誰もが作物は育たないだろうと言われていた粘土質の土で見事に野菜を育てていたのです。
今橋さんは、肥料を入れ続けると、作物は肥料に依存するようになる。無農薬、無肥料の自然農法だと、作物自体が微生物の助けにより、リンやカルシウムなどの栄養を自然に取り入れると言われます。
ある日、虫が大量発生したことがあるそうです。トマトの茎に一本につき200匹から500匹のアブラムシが付いていたそうです。その時に今橋さんは農薬を使わずに、土とトマトに感謝の言葉をかけ続けたら、害虫がいなくなったと言われました。
このことが示すように、土には意思や感情があるというのです。そして、その土を信じることが大切だと言います。害虫をどうしようとか、野菜たちに発生した病気なども気にしないというのです。育ててくれている土がどうにかしてくれるという信頼関係ができているのです。土には意識があるので、土に対して悪口を言わず感謝すると土は答えてくれるということです。
このように土を喜ばせ、自家栽培の種を取っておくことを推奨しています。そこで取れた作物の種を採って、それをまたそこに植えるといい作物ができるそうです。よく、同じところに同じ作物を植える連作はよくないと言われますが、連作でもOKだそうです。
また、農薬を使わないので、草もたくさん生えます。土いじりをして花や野菜を育てている人が天敵だと思うのは雑草です。
私も野菜を僅かばかりですが、育てているので、雑草を取るのはたいへんです。それでも雑草が年々変化していて、去年の雑草とは違うなと思うことがしばしばあります。それも土の浄化の一つのようです。
土には今まで入れてきた肥料や農薬が入っていて、それを浄化するために雑草が生えているのです。
雑草には種類が違うと申しましたが、雑草の生える種類がステージ1からステージ4まであるそうです。最初のステージ1の前に、土には地下茎などの連なった、厄介なものがあり、それをまず引っこ抜きます。そしてステージ1ではセイタカアワダチソウやススキスギナなどがあるのですが、その時はひえやあわ、そばなどの雑穀米が育てるのに適していると言われます。ステージ2では、ギシギシや白クローバーなどがあり、その時は枝豆に適していると言います。ステージ3ではつゆ草などが生えてきて、やっと大根やキュウリなどが撮れます。最後のステージ4ではホトケノザやハコベ、オオイヌフグリが生えてきてその時はなんでも作物が育つようです。
あまり雑草が多くて作物に影響があるときは切って作物の周りに置くと天然の肥料となります。土が乾かないようにもできます。
この様に雑草も天敵ではないのです。
今、令和の米騒動の後、キャベツなどが高くなり、野菜の値段が上がってきています。
食料自給率が38パーセントほどの日本としては、この自然農法のように無農薬、無肥料で、また自家栽培の種を採るということをすると、何とか食糧難に備えることができるのではないかと思っています。皆さんも土に感謝して少しでも野菜等を作ってみませんか?
野菜の種がちゃんとできないのは、土の中の微生物の働きができていないからである。
このように言われているのは、自然農法の今橋さんです。今橋さんは20年間、イギリスで無農薬無肥料での栽培を続けてきました。最初、誰もが作物は育たないだろうと言われていた粘土質の土で見事に野菜を育てていたのです。
今橋さんは、肥料を入れ続けると、作物は肥料に依存するようになる。無農薬、無肥料の自然農法だと、作物自体が微生物の助けにより、リンやカルシウムなどの栄養を自然に取り入れると言われます。
ある日、虫が大量発生したことがあるそうです。トマトの茎に一本につき200匹から500匹のアブラムシが付いていたそうです。その時に今橋さんは農薬を使わずに、土とトマトに感謝の言葉をかけ続けたら、害虫がいなくなったと言われました。
このことが示すように、土には意思や感情があるというのです。そして、その土を信じることが大切だと言います。害虫をどうしようとか、野菜たちに発生した病気なども気にしないというのです。育ててくれている土がどうにかしてくれるという信頼関係ができているのです。土には意識があるので、土に対して悪口を言わず感謝すると土は答えてくれるということです。
このように土を喜ばせ、自家栽培の種を取っておくことを推奨しています。そこで取れた作物の種を採って、それをまたそこに植えるといい作物ができるそうです。よく、同じところに同じ作物を植える連作はよくないと言われますが、連作でもOKだそうです。
また、農薬を使わないので、草もたくさん生えます。土いじりをして花や野菜を育てている人が天敵だと思うのは雑草です。
私も野菜を僅かばかりですが、育てているので、雑草を取るのはたいへんです。それでも雑草が年々変化していて、去年の雑草とは違うなと思うことがしばしばあります。それも土の浄化の一つのようです。
土には今まで入れてきた肥料や農薬が入っていて、それを浄化するために雑草が生えているのです。
雑草には種類が違うと申しましたが、雑草の生える種類がステージ1からステージ4まであるそうです。最初のステージ1の前に、土には地下茎などの連なった、厄介なものがあり、それをまず引っこ抜きます。そしてステージ1ではセイタカアワダチソウやススキスギナなどがあるのですが、その時はひえやあわ、そばなどの雑穀米が育てるのに適していると言われます。ステージ2では、ギシギシや白クローバーなどがあり、その時は枝豆に適していると言います。ステージ3ではつゆ草などが生えてきて、やっと大根やキュウリなどが撮れます。最後のステージ4ではホトケノザやハコベ、オオイヌフグリが生えてきてその時はなんでも作物が育つようです。
あまり雑草が多くて作物に影響があるときは切って作物の周りに置くと天然の肥料となります。土が乾かないようにもできます。
この様に雑草も天敵ではないのです。
今、令和の米騒動の後、キャベツなどが高くなり、野菜の値段が上がってきています。
食料自給率が38パーセントほどの日本としては、この自然農法のように無農薬、無肥料で、また自家栽培の種を採るということをすると、何とか食糧難に備えることができるのではないかと思っています。皆さんも土に感謝して少しでも野菜等を作ってみませんか?

Posted by りんごリーダー at
22:27
│Comments(0)
外国語を学ぶ
2025年03月02日
最近知ったユーチューバーのカズマ(Kazu)さんは、13か国(英語、スペイン語、フランス語、ロシア語、アラビア語、中国語、韓国語など)以上の言語を話すことができます。あいさつ程度なら30か国ほど話せると言っていました。
彼の両親は日本人で、名古屋に住んでいるそうです。彼は特に語学学校に通っているわけではなく、また多くの外国に行ったわけでもなく、独学で学習しています。
高校の時にスペインに半年間、留学してその時にスペイン語を話せるようになったそうですが、高校卒業後から今現在(24歳)までに10か国以上の言語を習得したのです。
私たち日本人は、中学校から英語を学び(最近は小学校から)、かなり多くの時間を英語のために勉強するのですが、私を含めほとんどの人が話せません。なぜ話せないのでしょうか?
それは彼の勉強の仕方を知ることでわかります。
カズマさんと英会話学習のタロサックさんとの対談で、彼の勉強の方法を説明しています。
外国語学習をルーティン化しています。まず、外国語学習を朝の3時間、同じ時間に同じ量ほどを学んでいるそうで、学び方は絶対に文法から入らないということです。文法から入ると文法が邪魔してしまうそうです。そうではなく、単語も一つ一つ覚えるのではなく、文章のフレーズとしてとらえて覚えてしまうようです。後で単語が分かって来るそうです。
最初はヒアリングからで、その後、会話をなるべく話すといいと言っていました。
彼は、会話を話すのにOmeTVという動画サイトで、いろんな国の知らない人たちと会話しています。まず英語で話しかけます。そういう動画に出る人は最低でも英語は話せます。そして、カズマが日本人だと知ると、何人かは片言の日本語を話します。その後カズマがその外国人の母国を教えてもらい、その人の母国語で話すと、皆、びっくりします。なぜなら、日本人が自分の国の言葉を話すなんて思ってもいないからです。そういう外国人のびっくりした顔が面白くて、いくつか動画を見入ってしまいました。
カズマは、言葉は人をつなぐ力だと言います。本当にそう思います。言葉が通じないために、その国の人の気持ちがわからず、争いが起こってしまうものです。言葉が通じると、その人たちの気持ちがわかり、その人たちと戦争をしたいとは思いませんよね!
その人の母国語で話したら、その人の心に繋がるとわかっているのです。
日本人が英語もまともに話せないのは、日本の英語学習方法に誤りがあると思っています。
誰でも自分の国の言葉は小さいころから耳で聞いてそのうちに簡単な言葉をしゃべっていくのです。日本の英語学習においては、最近は変わってきたのかもしれませんが、私が中学校の時、文法からでした。そうなると英語を聞いたとしても、それを日本語に訳して、日本語で考え、それをまた英語に変えてやっと話すのです。非常に無駄なやり方です。
でも、イメージでとらえたら、どうでしょうか?例えばりんごという果物はappleというのですが、それをイメージで脳に描くとりんご=appleになりappleと自然に出てくるのです。そして日本語に訳するのではなく、英語で考えて英語で話すと自然と英語能力も上がってくるものです。その時にフレーズでとらえて話すと簡単なのです。
彼の語学学習方法などを取り入れた勉強をしていくと日本人もほとんどが英語を話せるようになることでしょう。ただ日本人としては、日本語は素晴らしい言葉なので、日本語もきちんと話せるようになることが大切です。
彼の両親は日本人で、名古屋に住んでいるそうです。彼は特に語学学校に通っているわけではなく、また多くの外国に行ったわけでもなく、独学で学習しています。
高校の時にスペインに半年間、留学してその時にスペイン語を話せるようになったそうですが、高校卒業後から今現在(24歳)までに10か国以上の言語を習得したのです。
私たち日本人は、中学校から英語を学び(最近は小学校から)、かなり多くの時間を英語のために勉強するのですが、私を含めほとんどの人が話せません。なぜ話せないのでしょうか?
それは彼の勉強の仕方を知ることでわかります。
カズマさんと英会話学習のタロサックさんとの対談で、彼の勉強の方法を説明しています。
外国語学習をルーティン化しています。まず、外国語学習を朝の3時間、同じ時間に同じ量ほどを学んでいるそうで、学び方は絶対に文法から入らないということです。文法から入ると文法が邪魔してしまうそうです。そうではなく、単語も一つ一つ覚えるのではなく、文章のフレーズとしてとらえて覚えてしまうようです。後で単語が分かって来るそうです。
最初はヒアリングからで、その後、会話をなるべく話すといいと言っていました。
彼は、会話を話すのにOmeTVという動画サイトで、いろんな国の知らない人たちと会話しています。まず英語で話しかけます。そういう動画に出る人は最低でも英語は話せます。そして、カズマが日本人だと知ると、何人かは片言の日本語を話します。その後カズマがその外国人の母国を教えてもらい、その人の母国語で話すと、皆、びっくりします。なぜなら、日本人が自分の国の言葉を話すなんて思ってもいないからです。そういう外国人のびっくりした顔が面白くて、いくつか動画を見入ってしまいました。
カズマは、言葉は人をつなぐ力だと言います。本当にそう思います。言葉が通じないために、その国の人の気持ちがわからず、争いが起こってしまうものです。言葉が通じると、その人たちの気持ちがわかり、その人たちと戦争をしたいとは思いませんよね!
その人の母国語で話したら、その人の心に繋がるとわかっているのです。
日本人が英語もまともに話せないのは、日本の英語学習方法に誤りがあると思っています。
誰でも自分の国の言葉は小さいころから耳で聞いてそのうちに簡単な言葉をしゃべっていくのです。日本の英語学習においては、最近は変わってきたのかもしれませんが、私が中学校の時、文法からでした。そうなると英語を聞いたとしても、それを日本語に訳して、日本語で考え、それをまた英語に変えてやっと話すのです。非常に無駄なやり方です。
でも、イメージでとらえたら、どうでしょうか?例えばりんごという果物はappleというのですが、それをイメージで脳に描くとりんご=appleになりappleと自然に出てくるのです。そして日本語に訳するのではなく、英語で考えて英語で話すと自然と英語能力も上がってくるものです。その時にフレーズでとらえて話すと簡単なのです。
彼の語学学習方法などを取り入れた勉強をしていくと日本人もほとんどが英語を話せるようになることでしょう。ただ日本人としては、日本語は素晴らしい言葉なので、日本語もきちんと話せるようになることが大切です。

Posted by りんごリーダー at
17:11
│Comments(0)
日本の成り立ち(後編)
2025年02月10日
日本の縄文人は弥生時代に大陸から来た人々から追われてしまった。と前編で書きましたが、日本人は弥生人とその後来る古墳時代の人々との、混血であるとある人が語っています。
私の知り合いに、歯医者(女医)さんとそのご主人で歯科技工士の方がいます。そのご主人が言うには、弥生人と縄文人の系統の人々の歯の形に特徴があり、弥生系か縄文系か歯を見ただけでわかるとおっしゃっていました。顔の形も弥生系は目が細くほっそり形で、縄文系は眉が太くがっしりした顔つきだと言われますね。
系統はそのようにあるのですが、うまくその三種類の人々が混ざっていって時代が作られたのであろうと思われます。
神代の話になるのですが、日本の最高神とされるアマテラスオオミカミとその弟だとされているツクヨミノミコト、それからスサノオノミコトという三貴神がいらっしゃいます。ともにイザナミが産んだとされ、アマテラスは太陽、ツクヨミは月である夜、スサノオは海原を統治するよう命じられたとされます。
それぞれアマテラスは伊勢神宮、スサノオは出雲大社で祀られており、二つの派閥に分かれていましたが、それにツクヨミの派閥が存在します。この三すくみで日本が成り立っているのです。三つ巴という神紋があるのですが、それを表しているのではないかと推察しています。また神社のしめ縄も二束でよっているのではなく、もう一つ束ねてしめ縄が作られるのです。そのあたりもこの三つの勢力をうまく表現しているのではないかと思っているのは言い過ぎでしょうか?
三貴神のことは今回のつうしんでは省きますが、九州王朝を信じている私としては、九州に邪馬台国があり、他の多くの国(伊都国や狗奴国、他)があり、その時代はウガヤフキアエズ朝として栄えていたのではないかと思っています。
そして、紀元前660年に九州の宮崎から旅立ち、紀伊半島に降りてナガスネヒコと戦った神武天皇が大和王朝を設立しました。この神武天皇が初代であり、現天皇はそれから数えて126代目となるのです。アマテラスの子孫であり父子相続で現代まで引き継がれています。2600年以上続いている国は日本のみであり、ゆえに世界最古の国となっているのです。
天皇の2代目から9代目までは名前が残っているのですが、実体的な活躍がないとして欠史8代としおっしゃられる方がいます。ただ九州にはその天皇たちの痕跡がいろんな神社に残っているのです。大和王朝がこのウガヤフキアエズ朝を消し去るためにそのようなことを言っておられるのだろうと思います。また九州王朝だけではなく、富士王朝や出雲王朝、飛騨王朝など皆、消し去られたと思われます。
その後、飛鳥時代へとなり、推古天皇の摂政としての聖徳太子が生まれます。聖徳太子にしても今やいなかったのではないかと言われますが、彼の政治の功績はいまだに語り継がれているのです。いなかったという説はありえません。そのころ物部氏を倒した蘇我氏が政治権力を担っていたのですが、中大兄皇子の側近であった藤原氏からやられてしまいました。
中大兄皇子は天智天皇となり、その後、弟だと言われている天武天皇が引き継ぎました。
この天智天皇の時に大化の改新が行われ、天武天皇が「天皇」を称号、「日本」を国号としたのです。天智天皇が大化の改新を行ったと言われますが、聖徳太子やその息子たちが考えていた構想であると私は思っています。聖徳太子やその息子たちは藤原氏の陰謀でやられてしまったのです。(長屋王の変)
その奈良時代から平安時代へとなり、紫式部の源氏物語にあるような貴族黄金時代が続いていきます。そして平家、源氏という武士が台頭してきて、源氏が勝ち、北条氏と共に鎌倉時代を築きます。その後、足利氏の室町時代となり、戦国時代へ突入していきます。
戦国時代は、大河ドラマでもよく取り上げられ、皆さんもご存じの戦国武将たちが活躍した時代でした。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が日本を統一し、平和な縄文時代を思わせる江戸時代が2百数十年続きました。江戸時代がいい時代であったと言われるのは、外国の人たちも認めています。また、日本が鎖国政策をしたのは、海外でアジアの国やアフリカの国が植民地化されていったことにたいして、日本を守るためであったようです。列強国たちは、国を植民地化するのに最初にキリスト教の普及をしていき、その後、現地の土着信仰を禁じ植民地としていったのです。
秀吉がキリスト教団弾圧をしたのはそのためであり、それを引き継ぐように家康が鎖国政策を
行ったものでした。日本が植民地にならなかったのは、その頃が戦国時代であり、鉄砲などすぐにマネして大量に作っていったからです。戦国武将たちが協力して日本を守ったのです。
私の知り合いに、歯医者(女医)さんとそのご主人で歯科技工士の方がいます。そのご主人が言うには、弥生人と縄文人の系統の人々の歯の形に特徴があり、弥生系か縄文系か歯を見ただけでわかるとおっしゃっていました。顔の形も弥生系は目が細くほっそり形で、縄文系は眉が太くがっしりした顔つきだと言われますね。
系統はそのようにあるのですが、うまくその三種類の人々が混ざっていって時代が作られたのであろうと思われます。
神代の話になるのですが、日本の最高神とされるアマテラスオオミカミとその弟だとされているツクヨミノミコト、それからスサノオノミコトという三貴神がいらっしゃいます。ともにイザナミが産んだとされ、アマテラスは太陽、ツクヨミは月である夜、スサノオは海原を統治するよう命じられたとされます。
それぞれアマテラスは伊勢神宮、スサノオは出雲大社で祀られており、二つの派閥に分かれていましたが、それにツクヨミの派閥が存在します。この三すくみで日本が成り立っているのです。三つ巴という神紋があるのですが、それを表しているのではないかと推察しています。また神社のしめ縄も二束でよっているのではなく、もう一つ束ねてしめ縄が作られるのです。そのあたりもこの三つの勢力をうまく表現しているのではないかと思っているのは言い過ぎでしょうか?
三貴神のことは今回のつうしんでは省きますが、九州王朝を信じている私としては、九州に邪馬台国があり、他の多くの国(伊都国や狗奴国、他)があり、その時代はウガヤフキアエズ朝として栄えていたのではないかと思っています。
そして、紀元前660年に九州の宮崎から旅立ち、紀伊半島に降りてナガスネヒコと戦った神武天皇が大和王朝を設立しました。この神武天皇が初代であり、現天皇はそれから数えて126代目となるのです。アマテラスの子孫であり父子相続で現代まで引き継がれています。2600年以上続いている国は日本のみであり、ゆえに世界最古の国となっているのです。
天皇の2代目から9代目までは名前が残っているのですが、実体的な活躍がないとして欠史8代としおっしゃられる方がいます。ただ九州にはその天皇たちの痕跡がいろんな神社に残っているのです。大和王朝がこのウガヤフキアエズ朝を消し去るためにそのようなことを言っておられるのだろうと思います。また九州王朝だけではなく、富士王朝や出雲王朝、飛騨王朝など皆、消し去られたと思われます。
その後、飛鳥時代へとなり、推古天皇の摂政としての聖徳太子が生まれます。聖徳太子にしても今やいなかったのではないかと言われますが、彼の政治の功績はいまだに語り継がれているのです。いなかったという説はありえません。そのころ物部氏を倒した蘇我氏が政治権力を担っていたのですが、中大兄皇子の側近であった藤原氏からやられてしまいました。
中大兄皇子は天智天皇となり、その後、弟だと言われている天武天皇が引き継ぎました。
この天智天皇の時に大化の改新が行われ、天武天皇が「天皇」を称号、「日本」を国号としたのです。天智天皇が大化の改新を行ったと言われますが、聖徳太子やその息子たちが考えていた構想であると私は思っています。聖徳太子やその息子たちは藤原氏の陰謀でやられてしまったのです。(長屋王の変)
その奈良時代から平安時代へとなり、紫式部の源氏物語にあるような貴族黄金時代が続いていきます。そして平家、源氏という武士が台頭してきて、源氏が勝ち、北条氏と共に鎌倉時代を築きます。その後、足利氏の室町時代となり、戦国時代へ突入していきます。
戦国時代は、大河ドラマでもよく取り上げられ、皆さんもご存じの戦国武将たちが活躍した時代でした。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が日本を統一し、平和な縄文時代を思わせる江戸時代が2百数十年続きました。江戸時代がいい時代であったと言われるのは、外国の人たちも認めています。また、日本が鎖国政策をしたのは、海外でアジアの国やアフリカの国が植民地化されていったことにたいして、日本を守るためであったようです。列強国たちは、国を植民地化するのに最初にキリスト教の普及をしていき、その後、現地の土着信仰を禁じ植民地としていったのです。
秀吉がキリスト教団弾圧をしたのはそのためであり、それを引き継ぐように家康が鎖国政策を
行ったものでした。日本が植民地にならなかったのは、その頃が戦国時代であり、鉄砲などすぐにマネして大量に作っていったからです。戦国武将たちが協力して日本を守ったのです。

Posted by りんごリーダー at
11:02
│Comments(0)
日本の畳文化
2025年01月28日
以前テレビで、脱サラして一人農家を5年間されてらっしゃる方が放映されていました。
その方はご自分で昔ながらの日本家屋を造り、その中に畳を造るという場面がありました。
畳表はいぐさでできており、今現在、日本のいぐさの約9割を、熊本県の八代で作っています。その番組では、いぐさの収穫の時に八代まで出向き、いぐさを実際に刈り取る作業もされていました。
八代のいぐさ農家は、ピーク時の1割にも満たなく減ってきているそうです。もちろんそれは日本人の生活が洋式化され、多くの新築の家が畳ではなく、板張りばかりの部屋になってきているからです。また安い外国のいぐさが大量に輸入され、日本のいぐさが使われなくなってしまったということが原因のようです。日本のいぐさは高い価格ですがとても品質がいいものです。
また、これはその番組にはなかったのですが、いぐさ農家の人たちの中には、その家の大黒柱が自殺されるという家庭がたくさんあったそうです。これはうわさとして聞いたことですが、保険金目当てに自殺されたそうで、私たち熊本県民としては痛ましいなあと思います。日本古来の建築が守られていったならば、そういう悲惨なこともなかったのではないかと思います。
私は、昔ながらの畳のある日本家屋が好きです。もし家を建てるとしたら、県の間伐材などを使った和式の家を建てると思います。それは、高温多湿の日本には、日本にあった木材や、白壁、畳が何といっても住みやすいのです。日本の風土には日本のものをという考えです。
今は公営住宅に住んでいます。居間と、寝る部屋は、畳の和室で、キッチンには椅子が置いてありますが、ソファーは置いていません。狭い部屋がますます狭くなるので、居間に卓上テーブルが置いてあるのみです。
畳は足も伸ばせるし、何といってもごろんと横になることができます。それから布団で寝ていますが、布団生活は布団の上げ下ろしをしなければならないので、足腰を使い健康にいいのです。昔から日本人が健康で長生きだったのは、食べ物もいいのですが、立ったりしゃがんだりする日本式の建築様式も関係があると思います。今では洋式で食べ物もジャンクフードばかり食べているので長生きはできそうにありません。
ところで、欧米では逆に日本の美や生活にあこがれ、畳を二畳程、敷いて布団で睡眠をとる人たちも増えてきていると聞きます。ぜひ日本文化が世界に広がってほしいと思います。
畳はダニが発生しやすいと言われますが、ダニはどこにでもいるもので少しのダニなどきにしないといいのです。あまり除菌除菌など言っていると体の弱い子に育ち、抵抗力がなくなるのです。子供は土や砂など大いに触れて、元気に走り回ったり遊んだりすると健康な子に育つと思います。
新しいいぐさの香りはなんともいえずいいものです。新しい畳の香りをかぐと昔の懐かしい思い出が蘇ります。しかし若い人の中にはいぐさの匂いが臭いと感じる人もいるようです。それは畳のない生活となり、小さいころにその香りを嗅いだ事がないのです。そういう話を聞くと残念でなりません。
私たちは、日本の子供たちに、日本文化を継承していってもらうよう努めなければならないと思いました。
その方はご自分で昔ながらの日本家屋を造り、その中に畳を造るという場面がありました。
畳表はいぐさでできており、今現在、日本のいぐさの約9割を、熊本県の八代で作っています。その番組では、いぐさの収穫の時に八代まで出向き、いぐさを実際に刈り取る作業もされていました。
八代のいぐさ農家は、ピーク時の1割にも満たなく減ってきているそうです。もちろんそれは日本人の生活が洋式化され、多くの新築の家が畳ではなく、板張りばかりの部屋になってきているからです。また安い外国のいぐさが大量に輸入され、日本のいぐさが使われなくなってしまったということが原因のようです。日本のいぐさは高い価格ですがとても品質がいいものです。
また、これはその番組にはなかったのですが、いぐさ農家の人たちの中には、その家の大黒柱が自殺されるという家庭がたくさんあったそうです。これはうわさとして聞いたことですが、保険金目当てに自殺されたそうで、私たち熊本県民としては痛ましいなあと思います。日本古来の建築が守られていったならば、そういう悲惨なこともなかったのではないかと思います。
私は、昔ながらの畳のある日本家屋が好きです。もし家を建てるとしたら、県の間伐材などを使った和式の家を建てると思います。それは、高温多湿の日本には、日本にあった木材や、白壁、畳が何といっても住みやすいのです。日本の風土には日本のものをという考えです。
今は公営住宅に住んでいます。居間と、寝る部屋は、畳の和室で、キッチンには椅子が置いてありますが、ソファーは置いていません。狭い部屋がますます狭くなるので、居間に卓上テーブルが置いてあるのみです。
畳は足も伸ばせるし、何といってもごろんと横になることができます。それから布団で寝ていますが、布団生活は布団の上げ下ろしをしなければならないので、足腰を使い健康にいいのです。昔から日本人が健康で長生きだったのは、食べ物もいいのですが、立ったりしゃがんだりする日本式の建築様式も関係があると思います。今では洋式で食べ物もジャンクフードばかり食べているので長生きはできそうにありません。
ところで、欧米では逆に日本の美や生活にあこがれ、畳を二畳程、敷いて布団で睡眠をとる人たちも増えてきていると聞きます。ぜひ日本文化が世界に広がってほしいと思います。
畳はダニが発生しやすいと言われますが、ダニはどこにでもいるもので少しのダニなどきにしないといいのです。あまり除菌除菌など言っていると体の弱い子に育ち、抵抗力がなくなるのです。子供は土や砂など大いに触れて、元気に走り回ったり遊んだりすると健康な子に育つと思います。
新しいいぐさの香りはなんともいえずいいものです。新しい畳の香りをかぐと昔の懐かしい思い出が蘇ります。しかし若い人の中にはいぐさの匂いが臭いと感じる人もいるようです。それは畳のない生活となり、小さいころにその香りを嗅いだ事がないのです。そういう話を聞くと残念でなりません。
私たちは、日本の子供たちに、日本文化を継承していってもらうよう努めなければならないと思いました。

Posted by りんごリーダー at
10:59
│Comments(0)
日本の成り立ち(前編)
2025年01月16日
私たちが住む日本はどのように誕生し、どのような人々が住んでいたのでしょうか?
歴史的に数千年以上前の話になりますが、日本のことを紐解いていきたいと思います。
社会の教科書では、縄文時代という1万年以上も前に、日本人は原始的な形でこの日本に住んでいたと書かれています。狩りなどの狩猟をして、木の実や貝を食べて、竪穴住宅などに住み、縄文土器という世界で一番古い土器を製造していた、ということぐらいしか書いてありません。本当にそれだけだったのでしょうか?その後大陸から弥生人たちが稲作を伝え、日本に定住していったと言われます。
縄文時代は一万年ほど続いたと言われますが、その時に人を殺めるための武器が一切なかったそうです。縄文時代は武器が見つかっておらず、またその時代の白骨化した埋葬された人々を見ると武器による死体が一切なかったようなのです。それほど平和に皆さん暮らしていました。
以前話したショウゲンさんの証言においても、ブンジュ村が今、現在平和なのは縄文時代とかかわりがあるのです。そこの村長のおじいさんが霊能者であり、日本の縄文時代の人と夢で会話していたと言われます。不思議な話ですが、本当にそうだったのではないかと思います。
その時代は本当に平和であったということです。弥生系の方たちが来ると、土地を奪い、縄文人たちは争うことを好まないので、東北や南に追いやられてしまったようです。また他人があまり住まない山岳地方なども住む場所を求めて行ったようです。
その方たちは蝦夷などや熊襲、あるいはサンカと呼ばれる方たちなのだろうと思われます。縄文人たちは争いを好まないのですが、歴史の記述は、争って日本を征服した人たちに都合のいい歴史なので、そういう人たちは悪者のように言われたりしています。
縄文時代前期は平和であったのですが、7300年ぐらい前に鹿児島の屋久島の近くの海底火山が大爆発しました。鬼海カルデラというところです。火山の大爆発は灰が上空に広がり、多くの土地に灰が積もり、灰で上空がおおわれて日が照らず、農作物が採れなくなります。それで、日本人は海外に住むところを求めて散らばりました。今でいう、ネイティブアメリカンやチベット人たちは日本人に顔も似ていて、遺伝子が似ているのだろうと思います。そして、数十年後か数百年後に日本に戻ってきています。
陰謀論だとしてよく言われていることですが、中東のユダヤ人も日本人と同じ祖先を持つと言われます。シュメール人は日本人であったという説もあります。そして失われたユダヤの十種族と言われている方たちが日本に帰ってきたのだろうと推察できます。
ユダヤ人たちは、カナンの地、つまり東にある日本の地へと、東に東に移動してきたのです。契約の箱とかいろいろ言われますが、それは日本の神社の神輿にそっくりなものです。
そういう方たちが、日本に来て神社を作っていったのは間違いありません。
縄文時代のことを書きましたが、それ以前はどうだったのでしょう?
歴史教科書には載っていませんが、太平洋や大西洋には昔、大きな大陸があったと言われています。沖縄の先の海底には明らかに人工物でできたと思われる神殿や、大きな階段、あるいはピラミッドなどが眠っているのです。
太平洋にはムー大陸、大西洋にはアトランティス大陸という伝説の大陸がありました。そして、アトランティスでは化学が発展していて、多くの争いがあったようです。ムー大陸もいろんな種族がいて最後には大陸沈下という壮大な悲惨な歴史がありました。そのムー大陸に住んでいた、レムリア人という人種がムー大陸の端にある日本に上陸してきたのだろうと思われます。レムリア人は愛と調和を好む人種でした。そういう人たちが縄文の時代を作っていったのです。
歴史的に数千年以上前の話になりますが、日本のことを紐解いていきたいと思います。
社会の教科書では、縄文時代という1万年以上も前に、日本人は原始的な形でこの日本に住んでいたと書かれています。狩りなどの狩猟をして、木の実や貝を食べて、竪穴住宅などに住み、縄文土器という世界で一番古い土器を製造していた、ということぐらいしか書いてありません。本当にそれだけだったのでしょうか?その後大陸から弥生人たちが稲作を伝え、日本に定住していったと言われます。
縄文時代は一万年ほど続いたと言われますが、その時に人を殺めるための武器が一切なかったそうです。縄文時代は武器が見つかっておらず、またその時代の白骨化した埋葬された人々を見ると武器による死体が一切なかったようなのです。それほど平和に皆さん暮らしていました。
以前話したショウゲンさんの証言においても、ブンジュ村が今、現在平和なのは縄文時代とかかわりがあるのです。そこの村長のおじいさんが霊能者であり、日本の縄文時代の人と夢で会話していたと言われます。不思議な話ですが、本当にそうだったのではないかと思います。
その時代は本当に平和であったということです。弥生系の方たちが来ると、土地を奪い、縄文人たちは争うことを好まないので、東北や南に追いやられてしまったようです。また他人があまり住まない山岳地方なども住む場所を求めて行ったようです。
その方たちは蝦夷などや熊襲、あるいはサンカと呼ばれる方たちなのだろうと思われます。縄文人たちは争いを好まないのですが、歴史の記述は、争って日本を征服した人たちに都合のいい歴史なので、そういう人たちは悪者のように言われたりしています。
縄文時代前期は平和であったのですが、7300年ぐらい前に鹿児島の屋久島の近くの海底火山が大爆発しました。鬼海カルデラというところです。火山の大爆発は灰が上空に広がり、多くの土地に灰が積もり、灰で上空がおおわれて日が照らず、農作物が採れなくなります。それで、日本人は海外に住むところを求めて散らばりました。今でいう、ネイティブアメリカンやチベット人たちは日本人に顔も似ていて、遺伝子が似ているのだろうと思います。そして、数十年後か数百年後に日本に戻ってきています。
陰謀論だとしてよく言われていることですが、中東のユダヤ人も日本人と同じ祖先を持つと言われます。シュメール人は日本人であったという説もあります。そして失われたユダヤの十種族と言われている方たちが日本に帰ってきたのだろうと推察できます。
ユダヤ人たちは、カナンの地、つまり東にある日本の地へと、東に東に移動してきたのです。契約の箱とかいろいろ言われますが、それは日本の神社の神輿にそっくりなものです。
そういう方たちが、日本に来て神社を作っていったのは間違いありません。
縄文時代のことを書きましたが、それ以前はどうだったのでしょう?
歴史教科書には載っていませんが、太平洋や大西洋には昔、大きな大陸があったと言われています。沖縄の先の海底には明らかに人工物でできたと思われる神殿や、大きな階段、あるいはピラミッドなどが眠っているのです。
太平洋にはムー大陸、大西洋にはアトランティス大陸という伝説の大陸がありました。そして、アトランティスでは化学が発展していて、多くの争いがあったようです。ムー大陸もいろんな種族がいて最後には大陸沈下という壮大な悲惨な歴史がありました。そのムー大陸に住んでいた、レムリア人という人種がムー大陸の端にある日本に上陸してきたのだろうと思われます。レムリア人は愛と調和を好む人種でした。そういう人たちが縄文の時代を作っていったのです。

Posted by りんごリーダー at
15:43
│Comments(0)
幸せになると決める
2024年12月19日
最近、原田メソッドというオンライン授業を視聴しました。
原田メソッドとは、原田教育研究所の原田隆史という教育者が、長年培ってきた目標達成のためのメンタルトレーニングやコーチングなどのツールを教えているものです。
あの有名な大谷選手もこの原田メソッドを採用して、世界で通じる大リーガーの有名選手となったのです。他にも数多くの有名人がこのメソッドを採用しているようです。
このオンライン授業で原田氏が最も重要だと思われていることが「決める」ということではないかと思いました。何を決めるのか?
もちろん成功するために目標などを決めるのですが、得てして、人はそんなのはどうせ無理だとか出来っこない、と思いがちですが、そうではないのです。
こんなマイナス思考から脱却して、プラス思考となるように決めるのです。人は皆さん誰でも幸せになりたいと思っているものですが、ただ幸せが運命が向こうからやってくるという棚ぼた式ではなく、自分で「幸せになる」と決めてしまうのです。
そのために、自分が幸せではないのを誰々のせいにしたり、社会のせいにしたりするように外に責任を求めるのではなく、自分にベクトルをむけるような「主体変容」となることです。
自分が幸せになるためにはどうしたらいいのか?そのためのメソッドです。
ただ目標を設定しようとしても、何を目標としたらいいのか、わからない方が多いと思います。そのためには、自分が何に向いているのか、何が好きなのか見極めなければなりません。
そして、その目標が達成されたら、誰が喜ぶのか?誰の笑顔を見たいのか?
母さんの笑顔が見たい!とか、恋人の笑顔が見たい!とか、○○(子供や友人の名前)の笑顔を見たいとか具体的に思い浮かべて、そうなるように行動するのです。
例えば、料理が好きであれば、家族の笑顔が見たくていろんな料理を研究したり、もっと多くの方に食べてもらいたいならお店を開いたり、料理研究家になってもいいのです。
コスプレが好きな人は自分でコスプレ用の衣装を作ったりして、それを着て多くの人に見てもらうことが生きがいとなることでしょう。あるいは虫が好きであれば、虫取りをしたり写真を撮ったりして虫の研究はもちろん、虫をペットのように飼ってもいいでしょう。
かけっこで一番になって、親を喜ばせたかったら、自分の体づくりをして、毎日練習をし、メンタルトレーニングを受けたりすることでしょう。
原田メソッドではこのような目的、目標を定めるための4つの観点や、毎日を反省する日誌などいくつか項目があるのですが、それらをする前に、原点となる、この幸せになるために行動をすることが大切だと思いました。
ただ、いろんな目標があってもそれをこの人生で全部かなえることはできません。いろんな選択肢の中から、これだという自分に合った目標を探し、絞ることが大切だと言われます。
その時に周りから言われたとか、親が決めたこととかは無視して、自分で自分の目標を見つけ、どんなことになっても自分で責任を取ることが大事だと教えています。
原田メソッドとは、原田教育研究所の原田隆史という教育者が、長年培ってきた目標達成のためのメンタルトレーニングやコーチングなどのツールを教えているものです。
あの有名な大谷選手もこの原田メソッドを採用して、世界で通じる大リーガーの有名選手となったのです。他にも数多くの有名人がこのメソッドを採用しているようです。
このオンライン授業で原田氏が最も重要だと思われていることが「決める」ということではないかと思いました。何を決めるのか?
もちろん成功するために目標などを決めるのですが、得てして、人はそんなのはどうせ無理だとか出来っこない、と思いがちですが、そうではないのです。
こんなマイナス思考から脱却して、プラス思考となるように決めるのです。人は皆さん誰でも幸せになりたいと思っているものですが、ただ幸せが運命が向こうからやってくるという棚ぼた式ではなく、自分で「幸せになる」と決めてしまうのです。
そのために、自分が幸せではないのを誰々のせいにしたり、社会のせいにしたりするように外に責任を求めるのではなく、自分にベクトルをむけるような「主体変容」となることです。
自分が幸せになるためにはどうしたらいいのか?そのためのメソッドです。
ただ目標を設定しようとしても、何を目標としたらいいのか、わからない方が多いと思います。そのためには、自分が何に向いているのか、何が好きなのか見極めなければなりません。
そして、その目標が達成されたら、誰が喜ぶのか?誰の笑顔を見たいのか?
母さんの笑顔が見たい!とか、恋人の笑顔が見たい!とか、○○(子供や友人の名前)の笑顔を見たいとか具体的に思い浮かべて、そうなるように行動するのです。
例えば、料理が好きであれば、家族の笑顔が見たくていろんな料理を研究したり、もっと多くの方に食べてもらいたいならお店を開いたり、料理研究家になってもいいのです。
コスプレが好きな人は自分でコスプレ用の衣装を作ったりして、それを着て多くの人に見てもらうことが生きがいとなることでしょう。あるいは虫が好きであれば、虫取りをしたり写真を撮ったりして虫の研究はもちろん、虫をペットのように飼ってもいいでしょう。
かけっこで一番になって、親を喜ばせたかったら、自分の体づくりをして、毎日練習をし、メンタルトレーニングを受けたりすることでしょう。
原田メソッドではこのような目的、目標を定めるための4つの観点や、毎日を反省する日誌などいくつか項目があるのですが、それらをする前に、原点となる、この幸せになるために行動をすることが大切だと思いました。
ただ、いろんな目標があってもそれをこの人生で全部かなえることはできません。いろんな選択肢の中から、これだという自分に合った目標を探し、絞ることが大切だと言われます。
その時に周りから言われたとか、親が決めたこととかは無視して、自分で自分の目標を見つけ、どんなことになっても自分で責任を取ることが大事だと教えています。

Posted by りんごリーダー at
14:20
│Comments(0)
折り紙の文化
2024年12月02日
今年、米国の日本人学生が制作した「Origami」は、学生アカデミー賞のアニメーション部門で銀賞に輝きました。
制作者は金森慧さんという学生で、デジタルハリウッド大学の卒業制作作品として、折り紙を題材にした動画を製作しました。とても神秘的な素敵な作品となっています。今なら「Origami」と入力するとYouTubeで公開中されていて鑑賞できます。
折り紙は皆さんご存じのように四角い紙をはさみを使わずに折っていって、立体的な作品を作るものです。小さいころから幼稚園や保育園で折り紙作りをしているし、小学生などはよく折り紙を折って楽しんでいます。
折り紙の中で、特に有名なのは、折り鶴で、私たちほどの年齢より下の人たちは、ほとんどの人が折れます。なぜ折れるのかというと、修学旅行などで千羽鶴を折って平和公園などにささげるからです。みんなで協力しないと千羽の折り鶴を折ることはなかなか難しいので、生徒全員が協力して折るからです。
紀元600年代ごろに紙の技術が日本に入ってきました。その紙を独自に改良し、薄くて丈夫な和紙を作ることができました。それを使って神にささげる儀式的な折形となったり、大事な手紙や贈り物を紙で折ったものを包み紙として、使用したりしていたようです。それから折り紙が生まれました。平安時代には、貴族たちの遊び物としても折られていたようです。
江戸時代になると、「秘伝千羽鶴折形」という本が出ましたが、それは折り鶴のつなぎ折り「連鶴」を49通り紹介しています。折り紙が昔から親しまれていたことが分かります。それを一度垣間見したことがありますが、よくこんな折り鶴をつないでできるなと感心したものです。羽の先が他の羽とつながっていて、とても複雑なものでした。近代に入ると、折り紙の本がたくさん出て、花や、紙飛行機、風船、生き物や兜など多彩なものが折り紙として作られています。
折り紙は、一枚の二次元的な紙から三次元的な立体の形を作るというものですが、それを折ることで集中力や空間的な理解力、また発想力なども身に付きます。一枚の大きな紙を折っていって昆虫や恐竜などを見事に作り出す、強者たちもいます。どんなふうに折っているのだろうかとそれをばらしてみると、たくさんの折り目が付いていてとても複雑なものです。
折り鶴なども紙をばらしてみてみると、その設計図が浮かび上がってきます。その通りに折れるといいのですが、なかなか折れるものではないので、やはり大人や仲間たちから折り方を見よう見まねで習ってから折るほうが身につくようです。
これらの折り紙の文化は単に遊び物としてとらえるだけではなく、今や宇宙工学にも応用されています。折り紙技術は大きいものを小さく折りたためるという利点があり、それを利用して、宇宙のスターシェードとして活躍しているのです。こういう宇宙工学や、昆虫などの生き物の構造を工学に利用したバイオ二クスと言われる生体工学の分野でも研究が進んでいるようです。
この日本を発祥とした折り紙文化は今や世界中で「Origami」として親しまれて、多くの人たちが折り紙等を使って楽しんでいる現実があります。
私たち日本人は小さいころから慣れ親しんだものですが、大人になると子供の遊びだとして自然に作らなくなります。しかし、老後になるとボケ防止として折り紙をする人たちもいます。誰でもが親しんでいる折り紙、日本の伝承文化としてずっと残していけたらと願います。
制作者は金森慧さんという学生で、デジタルハリウッド大学の卒業制作作品として、折り紙を題材にした動画を製作しました。とても神秘的な素敵な作品となっています。今なら「Origami」と入力するとYouTubeで公開中されていて鑑賞できます。
折り紙は皆さんご存じのように四角い紙をはさみを使わずに折っていって、立体的な作品を作るものです。小さいころから幼稚園や保育園で折り紙作りをしているし、小学生などはよく折り紙を折って楽しんでいます。
折り紙の中で、特に有名なのは、折り鶴で、私たちほどの年齢より下の人たちは、ほとんどの人が折れます。なぜ折れるのかというと、修学旅行などで千羽鶴を折って平和公園などにささげるからです。みんなで協力しないと千羽の折り鶴を折ることはなかなか難しいので、生徒全員が協力して折るからです。
紀元600年代ごろに紙の技術が日本に入ってきました。その紙を独自に改良し、薄くて丈夫な和紙を作ることができました。それを使って神にささげる儀式的な折形となったり、大事な手紙や贈り物を紙で折ったものを包み紙として、使用したりしていたようです。それから折り紙が生まれました。平安時代には、貴族たちの遊び物としても折られていたようです。
江戸時代になると、「秘伝千羽鶴折形」という本が出ましたが、それは折り鶴のつなぎ折り「連鶴」を49通り紹介しています。折り紙が昔から親しまれていたことが分かります。それを一度垣間見したことがありますが、よくこんな折り鶴をつないでできるなと感心したものです。羽の先が他の羽とつながっていて、とても複雑なものでした。近代に入ると、折り紙の本がたくさん出て、花や、紙飛行機、風船、生き物や兜など多彩なものが折り紙として作られています。
折り紙は、一枚の二次元的な紙から三次元的な立体の形を作るというものですが、それを折ることで集中力や空間的な理解力、また発想力なども身に付きます。一枚の大きな紙を折っていって昆虫や恐竜などを見事に作り出す、強者たちもいます。どんなふうに折っているのだろうかとそれをばらしてみると、たくさんの折り目が付いていてとても複雑なものです。
折り鶴なども紙をばらしてみてみると、その設計図が浮かび上がってきます。その通りに折れるといいのですが、なかなか折れるものではないので、やはり大人や仲間たちから折り方を見よう見まねで習ってから折るほうが身につくようです。
これらの折り紙の文化は単に遊び物としてとらえるだけではなく、今や宇宙工学にも応用されています。折り紙技術は大きいものを小さく折りたためるという利点があり、それを利用して、宇宙のスターシェードとして活躍しているのです。こういう宇宙工学や、昆虫などの生き物の構造を工学に利用したバイオ二クスと言われる生体工学の分野でも研究が進んでいるようです。
この日本を発祥とした折り紙文化は今や世界中で「Origami」として親しまれて、多くの人たちが折り紙等を使って楽しんでいる現実があります。
私たち日本人は小さいころから慣れ親しんだものですが、大人になると子供の遊びだとして自然に作らなくなります。しかし、老後になるとボケ防止として折り紙をする人たちもいます。誰でもが親しんでいる折り紙、日本の伝承文化としてずっと残していけたらと願います。

Posted by りんごリーダー at
22:44
│Comments(0)
おむすびに隠された意味
2024年11月13日
現在のNHKの朝ドラは「おむすび」というタイトルで、若い高校生がギャルや書道部を経験し栄養士となっていく物語です。タイトルにあるように時々、おむすびを食べる場面が出てきます。
おむすびは握り飯のことであり、おにぎりとほぼ同等に使われています。関東でおにぎり、関西でおむすびと使われることが多いそうです。全国的におにぎりのほうが使われているようです。形は丸や三角、あるいは俵型などありますね。中に具材を入れて、周りにのりを巻いたりします。あるいはふりかけなどをご飯に混ぜて握ったりします。一番シンプルなのは、具材を入れずにただ単に塩で握った塩むすびなどありますね。中の具材は、梅干しや昆布、シャケなどいろいろあります。その具材も地方によってさまざまで、地方独自のご当地おむすびがあるそうです。いろいろなおむすびはおいしそうですね。塩むすびに関しては、以前放映されていた、山下清物語で、主人公が塩むすびをよく食べていたのを思い出しました。
おむすびを思い浮かべる時、三角型を思い浮かべるのは、コンビニで三角おにぎりが主流だからです。三角形はとがっている部分に神が下りてくる、という意味もあるそうです。私の母はよく俵型にのりを巻いていました。いずれにしろ、日本のソウルフードであり、はしを使わずに簡単に食べられるファーストフード的なものです。そして、母親が愛情をこめて握るおむすびは格段においしいものです。最近ではおむすび屋さんも増えてきましたね。
私は、このおむすびが、外国でも流行るのではないかと随分前から思っていました。若い子の外人さんがおむすびにあこがれて、日本に修行に来て、自国でお店を開いたりしています。これからどんどん、ファーストフードとして外国でもおむすびが流行っていくことでしょう。
ただ、外人さんには、日本人が牛乳を飲むとお腹をこわしたりするように、のりなどの海産物を消化させる消化機能がない人が多いそうで、佃煮ののりを食べてお腹をこわしたりするそうです。なので、残念ながら、海苔巻きのおむすびは苦手な方も多いようですね。
おむすびという言葉を聞くと、「結び」という漢字を思い浮かべます。おむすびは右と左の二つの手で握るのですが、米粒をひとつひとつ結んでいくという意味もあるようです。「結び」も日本文化の中で深い意味があり、人と人を結んだりする縁起の良いものです。また「産霊(むすび)」という言葉があります。それは天地万物を生成する意味があり、生命を産み出し、すべての生き物の繁栄を促し、楽しく生きることを実施するという意味があるそうです。
造化三神と言われる、日本神道系の最高神は、天之御中主(アメノミナカヌシ)を中心に高皇産霊神(タカミムスビノカミ)と神産霊神(カミムスビノカミ)の三柱です。
この造化三神には、ムスビが付いているのです。接頭辞のオがついて、オムスビとなっています。ムスビが付く二柱の神様は先ほどのべたように生命を産み出し、繁栄を願う神様なのです。昔から気軽に食べられていたおむすびにそんな深い意味があるとは、ほとんどの方が気付かれないことでしょう。最近、米の値段が爆上がりしましたが、米は日本人にとって、日本人の身体を作り生命を育む大切なものです。おかずを減らしてでも、米を食べてほしいものです。そしておむすびをたくさん食べて元気になり、子孫繁栄を願い平和と繁栄を願うといいと思います。
おむすびは握り飯のことであり、おにぎりとほぼ同等に使われています。関東でおにぎり、関西でおむすびと使われることが多いそうです。全国的におにぎりのほうが使われているようです。形は丸や三角、あるいは俵型などありますね。中に具材を入れて、周りにのりを巻いたりします。あるいはふりかけなどをご飯に混ぜて握ったりします。一番シンプルなのは、具材を入れずにただ単に塩で握った塩むすびなどありますね。中の具材は、梅干しや昆布、シャケなどいろいろあります。その具材も地方によってさまざまで、地方独自のご当地おむすびがあるそうです。いろいろなおむすびはおいしそうですね。塩むすびに関しては、以前放映されていた、山下清物語で、主人公が塩むすびをよく食べていたのを思い出しました。
おむすびを思い浮かべる時、三角型を思い浮かべるのは、コンビニで三角おにぎりが主流だからです。三角形はとがっている部分に神が下りてくる、という意味もあるそうです。私の母はよく俵型にのりを巻いていました。いずれにしろ、日本のソウルフードであり、はしを使わずに簡単に食べられるファーストフード的なものです。そして、母親が愛情をこめて握るおむすびは格段においしいものです。最近ではおむすび屋さんも増えてきましたね。
私は、このおむすびが、外国でも流行るのではないかと随分前から思っていました。若い子の外人さんがおむすびにあこがれて、日本に修行に来て、自国でお店を開いたりしています。これからどんどん、ファーストフードとして外国でもおむすびが流行っていくことでしょう。
ただ、外人さんには、日本人が牛乳を飲むとお腹をこわしたりするように、のりなどの海産物を消化させる消化機能がない人が多いそうで、佃煮ののりを食べてお腹をこわしたりするそうです。なので、残念ながら、海苔巻きのおむすびは苦手な方も多いようですね。
おむすびという言葉を聞くと、「結び」という漢字を思い浮かべます。おむすびは右と左の二つの手で握るのですが、米粒をひとつひとつ結んでいくという意味もあるようです。「結び」も日本文化の中で深い意味があり、人と人を結んだりする縁起の良いものです。また「産霊(むすび)」という言葉があります。それは天地万物を生成する意味があり、生命を産み出し、すべての生き物の繁栄を促し、楽しく生きることを実施するという意味があるそうです。
造化三神と言われる、日本神道系の最高神は、天之御中主(アメノミナカヌシ)を中心に高皇産霊神(タカミムスビノカミ)と神産霊神(カミムスビノカミ)の三柱です。
この造化三神には、ムスビが付いているのです。接頭辞のオがついて、オムスビとなっています。ムスビが付く二柱の神様は先ほどのべたように生命を産み出し、繁栄を願う神様なのです。昔から気軽に食べられていたおむすびにそんな深い意味があるとは、ほとんどの方が気付かれないことでしょう。最近、米の値段が爆上がりしましたが、米は日本人にとって、日本人の身体を作り生命を育む大切なものです。おかずを減らしてでも、米を食べてほしいものです。そしておむすびをたくさん食べて元気になり、子孫繁栄を願い平和と繁栄を願うといいと思います。

Posted by りんごリーダー at
21:14
│Comments(0)
竹の活用
2024年10月31日
今、多くの竹林が放逐されていて、荒れているところが多いと聞きます。また竹は手入れを怠ると、木の間に入り込み、竹林と化していきます。竹ははびこるのが早いのですが、根が浅いので土砂災害にも繋がると言われます。
以前、竹は日本にとって重要な産物でした。籠のような竹細工はもちろんのこと、竹垣や、竹ぼうき、白壁の中に竹を入れて長持ちさせたりしていました。
ところが、プラスチックの安い製品が出回ると、面倒な竹製品を作るよりは、そちらに移行していったもので、竹が厄介者になっていったのです。
熊本では、チカケンと言われる青年たちが中心になって作る、竹あかりなどがあります。竹を切ってきて穴を開けて、灯篭にして、竹あかりなどのイベントをしているのです。熊本のみならず、他県でもイベントに出展したり、海外にもその竹あかりのイベントが催しされたりしているようです。チカケンたちが放逐された竹を何とかしたいという試みでした。
春先に竹の子を取って料理にしますね。竹は伸びるのが早いので、すぐに食べられなくなるぐらいに大きくなってしまいます。だから筍(たけのこ)は竹かんむりに旬(しゅん)と書くのです。春の味覚としてはおいしいものですが、竹の子以外にはあまり食べられませんね。
また、「ガイアの夜明け」の話ですが、前回放送されたのは竹のことでした。
この番組では、竹の子としては食べられない幼竹(筍が少し大きくなって1メートルぐらいの竹)を集めて、日本産のメンマを作るという話です。今、日本はラーメンブームですが、そのラーメンに欠かせないのがメンマです。そのメンマのほとんどが中国産です。それを日本産のメンマに変えようとする試みです。番組で、その日本産のメンマを食べた人たちが皆、シャキシャキとしておいしいと言っていました。幼竹を生かすことができたら、放逐の竹林が減るものです。
またこの番組では、竹筋コンクリートのプロジェクトも紹介されていました。この竹筋は戦時中に使われていた技術のようです。戦時中は鉄が貴重で飛行機等に使われていたため、コンクリートに鉄筋を使うことができなかったようです。その鉄に代わり竹が使われていたということです。
今でもその当時、作られた橋に竹筋が使われ、十分に保たれているのです。ただ、竹の強度は鉄の半分くらいなので、今の建築基準では使われないそうです。
このプロジェクトは、まだ始まったばかりです。コンクリートに細く切った竹を入れて、コンクリートの強度を測定したりしています。竹筋を曲げてU字抗に入れていきます。建設や土木的なものにこれから使われていくことでしょう。そして、鉄筋に代わって、竹筋に変えていったところ、CO2がかなり低くなったということでした。
竹は、他にも炭にして竹炭を作ったりします。それは木炭に代わって、消臭剤や、虫よけ材として使われるのです。あと、竹の繊維を使った布製品などができています。それでシャツなどの洋服を作っています。まだまだ利用が少ないものですが、これから先を見据えた竹の利用となるようです。
こういう厄介な竹をどうにかしたいと思う日本人がいるものです。厄介者を有効にする人たち、そういう人たちの知恵と努力で、日本の将来は明るいと感じるものです。
以前、竹は日本にとって重要な産物でした。籠のような竹細工はもちろんのこと、竹垣や、竹ぼうき、白壁の中に竹を入れて長持ちさせたりしていました。
ところが、プラスチックの安い製品が出回ると、面倒な竹製品を作るよりは、そちらに移行していったもので、竹が厄介者になっていったのです。
熊本では、チカケンと言われる青年たちが中心になって作る、竹あかりなどがあります。竹を切ってきて穴を開けて、灯篭にして、竹あかりなどのイベントをしているのです。熊本のみならず、他県でもイベントに出展したり、海外にもその竹あかりのイベントが催しされたりしているようです。チカケンたちが放逐された竹を何とかしたいという試みでした。
春先に竹の子を取って料理にしますね。竹は伸びるのが早いので、すぐに食べられなくなるぐらいに大きくなってしまいます。だから筍(たけのこ)は竹かんむりに旬(しゅん)と書くのです。春の味覚としてはおいしいものですが、竹の子以外にはあまり食べられませんね。
また、「ガイアの夜明け」の話ですが、前回放送されたのは竹のことでした。
この番組では、竹の子としては食べられない幼竹(筍が少し大きくなって1メートルぐらいの竹)を集めて、日本産のメンマを作るという話です。今、日本はラーメンブームですが、そのラーメンに欠かせないのがメンマです。そのメンマのほとんどが中国産です。それを日本産のメンマに変えようとする試みです。番組で、その日本産のメンマを食べた人たちが皆、シャキシャキとしておいしいと言っていました。幼竹を生かすことができたら、放逐の竹林が減るものです。
またこの番組では、竹筋コンクリートのプロジェクトも紹介されていました。この竹筋は戦時中に使われていた技術のようです。戦時中は鉄が貴重で飛行機等に使われていたため、コンクリートに鉄筋を使うことができなかったようです。その鉄に代わり竹が使われていたということです。
今でもその当時、作られた橋に竹筋が使われ、十分に保たれているのです。ただ、竹の強度は鉄の半分くらいなので、今の建築基準では使われないそうです。
このプロジェクトは、まだ始まったばかりです。コンクリートに細く切った竹を入れて、コンクリートの強度を測定したりしています。竹筋を曲げてU字抗に入れていきます。建設や土木的なものにこれから使われていくことでしょう。そして、鉄筋に代わって、竹筋に変えていったところ、CO2がかなり低くなったということでした。
竹は、他にも炭にして竹炭を作ったりします。それは木炭に代わって、消臭剤や、虫よけ材として使われるのです。あと、竹の繊維を使った布製品などができています。それでシャツなどの洋服を作っています。まだまだ利用が少ないものですが、これから先を見据えた竹の利用となるようです。
こういう厄介な竹をどうにかしたいと思う日本人がいるものです。厄介者を有効にする人たち、そういう人たちの知恵と努力で、日本の将来は明るいと感じるものです。

Posted by りんごリーダー at
13:01
│Comments(0)
お天道様が見ている
2024年10月17日
以前、随分前のことですが、「風の画家」として知られる中島潔の講演会を聴きに行きました。その講演会の主題が「お天道様(てんとうさま)が見ている・・地獄絵に込めた思い」というものでした。
中島氏は、「みんなのうた」の曲のイラスト画家として有名です。とてもかわいい女の子や男の子の童の絵を見たら、誰でも見たことがあると思えるような絵です。
家が貧しかったので、絵は独学で学んだと言われました。印刷屋などで働き、フランスに行った時は、美術学校にもぐりで講座を受けていて、あとで公認になったそうです。
その中島氏は今では有名なかわいいイラストや髪が風邪にたなびく美少女の絵、あるいは源氏物語の絵(五十四帖分)などを描いていらっしゃいました。六十代のころには、清水寺の襖絵46枚分を寄贈されました。その中には「大漁」と名付けられた、大漁のイワシの絵の中に女の子が佇む絵などがありました。この絵は襖5,6枚分ほどある大きな絵です。どれだけ精力的に描かれていたかわかります。
このように皆から愛されるような絵を描きつづられましたが、七十代に入り、地獄絵に挑戦されました。地獄絵を描かれることになったきっかけは、この日本にあまりにも残虐的な事件が多くなったのを知って危惧を覚えたからだそうです。
人は他人が見ていないところで、自分勝手なふるまいをしてしまいがちです。それが人に迷惑をかけないのならいいのですが、他人をいじめたり、子供に虐待をして、果てには殺してしまったりしたら、あまりにも残虐きわまりません。
昔は、親や大人から、悪いことをしたら、「お天道様がちゃんと見ていて地獄に堕ちるぞ!」とか、「ばち(罰)が当たるぞ!」などと言って、誰も見ていないところでも悪さができないようにいさめていたのです。それが今では、そういう言葉は死語となり、ほとんど聞かなくなりました。地獄に堕ちるなどと言ってもそんなことを信じない人が多くなったのです。
昔は、あの世に地獄というものが存在し、悪いことをするとそこに堕ちて、恐ろしい目に合うことをみんな知っていたのです。そして日頃、地獄に堕ちないようにふるまうものでした。地獄に堕ちたくないという気持ちは誰にでもあります。最近では「ばちが当たる」などと言わなくなったため、恐れを抱かなくなったのではないかと思うようになりました。
ある番組で、彼の地獄絵を子供たちが見る場面がありました。最初はみんな怖がっていたのですが、あとから人の道に反することはできないと思うようになったと言っていました。やはりわが身はかわいいので、痛い思いはしたくないのでしょう。
地獄に堕ちで誰も救われないかというと、そうでもないのです。地獄の中で自分が生きていた時のことを反省したりすると救われて、成仏していきます。この地獄絵の最後には地蔵菩薩が描かかれていて、その地蔵菩薩が反省をした方たちを救っていくという場面があります。
悪いことをしたとしても反省していくと皆救われるのですね。
この中島氏は地蔵菩薩になんとなく似ていて、そのような方なのではないかと思ったものです。
中島氏は、「みんなのうた」の曲のイラスト画家として有名です。とてもかわいい女の子や男の子の童の絵を見たら、誰でも見たことがあると思えるような絵です。
家が貧しかったので、絵は独学で学んだと言われました。印刷屋などで働き、フランスに行った時は、美術学校にもぐりで講座を受けていて、あとで公認になったそうです。
その中島氏は今では有名なかわいいイラストや髪が風邪にたなびく美少女の絵、あるいは源氏物語の絵(五十四帖分)などを描いていらっしゃいました。六十代のころには、清水寺の襖絵46枚分を寄贈されました。その中には「大漁」と名付けられた、大漁のイワシの絵の中に女の子が佇む絵などがありました。この絵は襖5,6枚分ほどある大きな絵です。どれだけ精力的に描かれていたかわかります。
このように皆から愛されるような絵を描きつづられましたが、七十代に入り、地獄絵に挑戦されました。地獄絵を描かれることになったきっかけは、この日本にあまりにも残虐的な事件が多くなったのを知って危惧を覚えたからだそうです。
人は他人が見ていないところで、自分勝手なふるまいをしてしまいがちです。それが人に迷惑をかけないのならいいのですが、他人をいじめたり、子供に虐待をして、果てには殺してしまったりしたら、あまりにも残虐きわまりません。
昔は、親や大人から、悪いことをしたら、「お天道様がちゃんと見ていて地獄に堕ちるぞ!」とか、「ばち(罰)が当たるぞ!」などと言って、誰も見ていないところでも悪さができないようにいさめていたのです。それが今では、そういう言葉は死語となり、ほとんど聞かなくなりました。地獄に堕ちるなどと言ってもそんなことを信じない人が多くなったのです。
昔は、あの世に地獄というものが存在し、悪いことをするとそこに堕ちて、恐ろしい目に合うことをみんな知っていたのです。そして日頃、地獄に堕ちないようにふるまうものでした。地獄に堕ちたくないという気持ちは誰にでもあります。最近では「ばちが当たる」などと言わなくなったため、恐れを抱かなくなったのではないかと思うようになりました。
ある番組で、彼の地獄絵を子供たちが見る場面がありました。最初はみんな怖がっていたのですが、あとから人の道に反することはできないと思うようになったと言っていました。やはりわが身はかわいいので、痛い思いはしたくないのでしょう。
地獄に堕ちで誰も救われないかというと、そうでもないのです。地獄の中で自分が生きていた時のことを反省したりすると救われて、成仏していきます。この地獄絵の最後には地蔵菩薩が描かかれていて、その地蔵菩薩が反省をした方たちを救っていくという場面があります。
悪いことをしたとしても反省していくと皆救われるのですね。
この中島氏は地蔵菩薩になんとなく似ていて、そのような方なのではないかと思ったものです。

Posted by りんごリーダー at
15:47
│Comments(0)
日本製品のすごさ
2024年10月03日
先日、テレビ東京の「ガイアの夜明け」を見ていると、今現在、タイなどの東南アジアで、日本の中古品が爆売れだそうで、日本中古品売り場では、どこでも大盛況だと紹介されていました。
何故、そのようなことになったのでしょうか?
タイなどの親日国では、コロナ騒動以前から、日本に対しての憧れがあり、日本に観光する方も多かったようです。ところがコロナ騒動で、日本が(というか、ほとんど全世界が)観光客を入れない方針がとられていて、好きな日本に行くことができなかったものです。その分、日本製品に対するあこがれに変わり、日本製の新品は高くても中古品だと買えるということで、日本の中古品が大人気だということです。
最近は円安もあって、外国で日本製品が安くなったこともあるようですが、日本のアニメや漫画の影響で、日本で使われている製品にも関心が移りました。またガンダムなどのフィギュア、あるいはぬいぐるみ、昔ながらのこけしなどでも売れるそうです。
その番組で日本の中古会社を経営している方が言うには、日本製品は、特に昔からの日本の電気製品など、丈夫で壊れることが少なく、また日本人が製品をていねいに使っているので、きれいな状態が多いということでした。
日本の技術は戦前から優れていて、丁寧に仕事をするし、伝統文化を守っていることもあり、また車に対してもほとんど壊れません。外国製品とはかけ離れています。以前より、「物作り日本」などと呼ばれていますね。
例えば新幹線にしてもその速さはもとより、今まで一度も事故があったことがありません。熊本地震の折に脱線したのは技術のせいではなく、天災ゆえのことで仕方がないものです。
日本製品はすごいのに、日本自体が平成の30年間ほどの間、経済が停滞しており、いろんなものにお金をかけられなくなりました。円高の影響もあり、国内で生産するより安くするために、外国に工場を作り、現地人を雇って生産するような方針となりました。安い製品は作られるようになりましたが、その分、製品に使われるものが安物となり、壊れやすくなってきました。
戦前からある、ナショナルやシャープ、三菱、ソニーなどの製品は、ブランド化され日本人自体が高くて買えなくなってきましたし、安い百円ショップなどの台頭で、品質があまりよくなくても手に入るようになり、壊れやすい製品となり下がっています。
それなのに、今は日本人が使っていた、日本製の製品が爆売れなのです。熊などのはく製や壊れている扇風機などでも、オブジェとして、ドバイなどで高く売れているそうです。
日本人は何事も丁寧に仕事をするので、日本製が愛されるのでしょうね。例えば、航空会社の荷物預かりにしても、職員はスーツケースを一つ一つ丁寧に置くそうです、外国では投げることが多いと聞きます。それで中身がぐちゃぐちゃとなり、スーツケースは壊れかかり、ひどい時はスーツケースがどこかよその飛行機に運ばれたとか、あるいは誰かが盗んでしまったなども聞きます。ひどいですね。日本ではありえません。
日本人の国民性が日本のモノづくりにしても発揮されているし、日本のユーザーもていねいに扱うのでしょう。日本製品が愛されることで、日本人として、誇りに思うものです。
私たちも日本製品をもっと見直すべきだと感じる番組でした。
何故、そのようなことになったのでしょうか?
タイなどの親日国では、コロナ騒動以前から、日本に対しての憧れがあり、日本に観光する方も多かったようです。ところがコロナ騒動で、日本が(というか、ほとんど全世界が)観光客を入れない方針がとられていて、好きな日本に行くことができなかったものです。その分、日本製品に対するあこがれに変わり、日本製の新品は高くても中古品だと買えるということで、日本の中古品が大人気だということです。
最近は円安もあって、外国で日本製品が安くなったこともあるようですが、日本のアニメや漫画の影響で、日本で使われている製品にも関心が移りました。またガンダムなどのフィギュア、あるいはぬいぐるみ、昔ながらのこけしなどでも売れるそうです。
その番組で日本の中古会社を経営している方が言うには、日本製品は、特に昔からの日本の電気製品など、丈夫で壊れることが少なく、また日本人が製品をていねいに使っているので、きれいな状態が多いということでした。
日本の技術は戦前から優れていて、丁寧に仕事をするし、伝統文化を守っていることもあり、また車に対してもほとんど壊れません。外国製品とはかけ離れています。以前より、「物作り日本」などと呼ばれていますね。
例えば新幹線にしてもその速さはもとより、今まで一度も事故があったことがありません。熊本地震の折に脱線したのは技術のせいではなく、天災ゆえのことで仕方がないものです。
日本製品はすごいのに、日本自体が平成の30年間ほどの間、経済が停滞しており、いろんなものにお金をかけられなくなりました。円高の影響もあり、国内で生産するより安くするために、外国に工場を作り、現地人を雇って生産するような方針となりました。安い製品は作られるようになりましたが、その分、製品に使われるものが安物となり、壊れやすくなってきました。
戦前からある、ナショナルやシャープ、三菱、ソニーなどの製品は、ブランド化され日本人自体が高くて買えなくなってきましたし、安い百円ショップなどの台頭で、品質があまりよくなくても手に入るようになり、壊れやすい製品となり下がっています。
それなのに、今は日本人が使っていた、日本製の製品が爆売れなのです。熊などのはく製や壊れている扇風機などでも、オブジェとして、ドバイなどで高く売れているそうです。
日本人は何事も丁寧に仕事をするので、日本製が愛されるのでしょうね。例えば、航空会社の荷物預かりにしても、職員はスーツケースを一つ一つ丁寧に置くそうです、外国では投げることが多いと聞きます。それで中身がぐちゃぐちゃとなり、スーツケースは壊れかかり、ひどい時はスーツケースがどこかよその飛行機に運ばれたとか、あるいは誰かが盗んでしまったなども聞きます。ひどいですね。日本ではありえません。
日本人の国民性が日本のモノづくりにしても発揮されているし、日本のユーザーもていねいに扱うのでしょう。日本製品が愛されることで、日本人として、誇りに思うものです。
私たちも日本製品をもっと見直すべきだと感じる番組でした。

Posted by りんごリーダー at
15:07
│Comments(0)
酵素の力
2024年09月19日
毎日、暑い日が続いていますが、皆さん夏バテをされていませんか?
半年ほど前から、生協を取っているのですが、その配達員が、汗だくで我が家に食品等を届けてくれました。夏バテしそうな感じでしたので、熱中症予防には梅干しと水がいいですよと、アドバイスしました。二週間後にその配達員に梅干し食べていますか?と尋ねたところ、「食べています。体の調子がとてもいいですよ!」と言ってくれました。
梅干しには、クエン酸と塩分、それから梅のエキスが詰まっているものです。夏は汗が大量に出るのでその食品が最高なのです。昔からの日本の知恵です。
日本には、梅干し以外にも、数々の漬物、味噌汁、日本酒など酵素が十分に入っている発酵食品がたくさんあります。酵素は塩や砂糖漬けした発酵食品に入っています。だから、砂糖漬けのジャムやパンなどにも酵素が入っているのです。塩漬けや砂糖漬けは食品を長持ちさせるためにも必要なものです。日本では昔、冷蔵庫がない時代、そのようにして食品を保存していました。
酵素とは、主にタンパク質でできていて、生き物が生きていくうえで、消化、吸収、代謝などを促進するものです。私たちの体の中には約5000種類の酵素があると言われていて、代表的なものに、アミラーゼやぺプチンなどがあります。それらの酵素には食べ物を分解して体に吸収しやすいようにする消化酵素と、体に吸収された栄養素を体の細胞など、隅々にまで届ける代謝酵素の二つに分類されるようです。
先日、奈良県のペンションに泊まったところ、そこのおかみさんが栄養士で桜井天然酵素研究会の代表をされている方でした。そのペンションの朝食のパンやジャム、ドレッシングはすべて手作りだそうで、とてもおいしく、おかげで夏バテもせずに旅を楽しむことができました。
昨今の市販ドレッシングやジャム、それからお菓子や食品化合物などは化学添加物てんこ盛りで体に悪いものばかりです。食品を長持ちさせるのに保存料などたっぷりと使ってあります。また、色彩をきれいに見せるために着色料や、何かわからないアミノ酸など体にいらないものばかりです。そういう食品を食べ続けると、病気になってしまいます。それに比べて塩や砂糖など天然のものを使った食品は体の喜ぶ食品となっているのです。
日本の医療界は塩分を控えるようにと言われますが、天然の塩は体に必要なものです。天然の塩には塩化ナトリウム以外にマグネシウムなどミネラルがたっぷりです。自然のものを使った漬物から酵素という体の喜ぶものがたっぷり入っています。塩分が少ないとおいしくないですね。
酵素の作り方ですが、例えば、パイナップルなどの果物をむいて角切りにして砂糖をたくさん加えると、数日後にはそこから水分が出てきます。その中に酵素が入っているので、そのエキスを水や炭酸で割って飲むのです。また、漬物であれば、キュウリや白菜などに塩を振ってつけておくとやはり水分が出てきます。その水分の中に入っているのです。
酵素は熱に弱いので、例えば味噌汁など焚き過ぎると酵素が壊れるので、気をつけましょう。
そのあたりに気を付け、発酵食品をたっぷりとって、まだまだ続く厳しい残暑を乗り越えていきましょう。
半年ほど前から、生協を取っているのですが、その配達員が、汗だくで我が家に食品等を届けてくれました。夏バテしそうな感じでしたので、熱中症予防には梅干しと水がいいですよと、アドバイスしました。二週間後にその配達員に梅干し食べていますか?と尋ねたところ、「食べています。体の調子がとてもいいですよ!」と言ってくれました。
梅干しには、クエン酸と塩分、それから梅のエキスが詰まっているものです。夏は汗が大量に出るのでその食品が最高なのです。昔からの日本の知恵です。
日本には、梅干し以外にも、数々の漬物、味噌汁、日本酒など酵素が十分に入っている発酵食品がたくさんあります。酵素は塩や砂糖漬けした発酵食品に入っています。だから、砂糖漬けのジャムやパンなどにも酵素が入っているのです。塩漬けや砂糖漬けは食品を長持ちさせるためにも必要なものです。日本では昔、冷蔵庫がない時代、そのようにして食品を保存していました。
酵素とは、主にタンパク質でできていて、生き物が生きていくうえで、消化、吸収、代謝などを促進するものです。私たちの体の中には約5000種類の酵素があると言われていて、代表的なものに、アミラーゼやぺプチンなどがあります。それらの酵素には食べ物を分解して体に吸収しやすいようにする消化酵素と、体に吸収された栄養素を体の細胞など、隅々にまで届ける代謝酵素の二つに分類されるようです。
先日、奈良県のペンションに泊まったところ、そこのおかみさんが栄養士で桜井天然酵素研究会の代表をされている方でした。そのペンションの朝食のパンやジャム、ドレッシングはすべて手作りだそうで、とてもおいしく、おかげで夏バテもせずに旅を楽しむことができました。
昨今の市販ドレッシングやジャム、それからお菓子や食品化合物などは化学添加物てんこ盛りで体に悪いものばかりです。食品を長持ちさせるのに保存料などたっぷりと使ってあります。また、色彩をきれいに見せるために着色料や、何かわからないアミノ酸など体にいらないものばかりです。そういう食品を食べ続けると、病気になってしまいます。それに比べて塩や砂糖など天然のものを使った食品は体の喜ぶ食品となっているのです。
日本の医療界は塩分を控えるようにと言われますが、天然の塩は体に必要なものです。天然の塩には塩化ナトリウム以外にマグネシウムなどミネラルがたっぷりです。自然のものを使った漬物から酵素という体の喜ぶものがたっぷり入っています。塩分が少ないとおいしくないですね。
酵素の作り方ですが、例えば、パイナップルなどの果物をむいて角切りにして砂糖をたくさん加えると、数日後にはそこから水分が出てきます。その中に酵素が入っているので、そのエキスを水や炭酸で割って飲むのです。また、漬物であれば、キュウリや白菜などに塩を振ってつけておくとやはり水分が出てきます。その水分の中に入っているのです。
酵素は熱に弱いので、例えば味噌汁など焚き過ぎると酵素が壊れるので、気をつけましょう。
そのあたりに気を付け、発酵食品をたっぷりとって、まだまだ続く厳しい残暑を乗り越えていきましょう。

Posted by りんごリーダー at
20:24
│Comments(0)
君が代に秘める言霊
2024年09月05日
先日パリオリンピックが終わりました。(今は、パラリンピックが行われています。)
日本勢は大活躍して、金の数だけではなんと世界三位の成績となりました。(一位はアメリカ、二位は中国)
その金の数は20個です。なので、日本の国歌が20回会場に響いたことになります。
金をとった体操ニッポンは、途中4位だったのですが、最後、鉄棒で中国に逆転して金を勝ち取りました。私はオリンピックにそう興味はなく、ただ体操はスポーツニュースにて見ました。
歓喜きわまる日本勢に対して、国旗掲揚と国歌演奏となりました。その時、多くの観客が静かな国歌にその荘厳さに驚いたそうです。誰一人として、話すものもおらず、その国歌を不思議な思いで聞いていたそうです。日本選手や関係者のみならず、観客の人々からも涙があふれたと言います。先日あとりえつうしんに書きましたが、まさに心の琴線に触れたということです。
何故、この国歌に対してこれほどの心打つものが多かったのでしょうか?
他の国歌は、国民を鼓舞するもので、多くが戦場に行くためのものだそうです。フランス国歌はフランス革命のときのことを歌詞にしてあるそうです。アメリカも独立戦争のことですね。
このようにオリンピックという国同士の戦いに行くために存在していて、多くはアップテンポの曲ですが、日本国歌だけは、スローな荘厳な曲なのです。そしてその歌詞は平和を願う日本国民を象徴するような内容なのです。
君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまでに
この短い歌詞の中に平和を愛する言霊が含まれています。この意味は、君を天皇とするのか、愛する人とするのかは戦前戦後で意味が変わってきますが、その愛すべき人が千代に八千代にずっとずっと永遠に、小さな石が大きな岩になって苔ができるまでの長―い時間、平和で幸せでありますようにと祈る内容です。
この君が代は古今和歌集の中の「和が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまでに」という詠み人しらずの歌から採用されています。この歌は広く物語や御伽草子、小唄、歌舞伎、浄瑠璃など多義に引用されているようです。
国歌として曲がつけられたのは、明治時代の初期のことです。最初フェントンという外国人が作曲しましたが、日本人に合っていないということで、日本人の作曲家、林廣守が日本の雅楽を取り入れた音に書き換えられたそうです。法的に国歌として認められたのは、意外と近年であり、1999年に定められました。
この君が代斉唱と、国旗掲揚に関しては、戦後、日教組たちが反対運動をしていました。なぜこれだけ素晴らしいものを、反対運動していたかというと、日教組は、戦後GHQの意向に沿って作られたものだからです。GHQは、日本の精神性を破滅するように仕向けられたもので、国歌も本当は無くしかったのでしょうね。
それでも、残り続け、世界の人々からも興味を持たれたこの国歌、君が代を基に日本を調べ、この国が平和を愛する種族であり、戦争も植民地を開放するために日本が戦ったことがわかることでしょう。そしてあの戦争で、日本は負け、アメリカ中心の世界となり、日本は世界に戦争を仕掛けた国であり、戦線的、攻撃的な国民であると植え付けられました。
ただ今は、戦争ばかりするアメリカに対して世界中で嫌気がさされています。アメリカが経済的にも落ち込んでいる中、それに追従するように日本も経済的に落ち込んでいますが、この国歌をもって平和を愛し和を尊ぶ日本に対して、見る目が変わってくれるのではないかと期待します。
日本勢は大活躍して、金の数だけではなんと世界三位の成績となりました。(一位はアメリカ、二位は中国)
その金の数は20個です。なので、日本の国歌が20回会場に響いたことになります。
金をとった体操ニッポンは、途中4位だったのですが、最後、鉄棒で中国に逆転して金を勝ち取りました。私はオリンピックにそう興味はなく、ただ体操はスポーツニュースにて見ました。
歓喜きわまる日本勢に対して、国旗掲揚と国歌演奏となりました。その時、多くの観客が静かな国歌にその荘厳さに驚いたそうです。誰一人として、話すものもおらず、その国歌を不思議な思いで聞いていたそうです。日本選手や関係者のみならず、観客の人々からも涙があふれたと言います。先日あとりえつうしんに書きましたが、まさに心の琴線に触れたということです。
何故、この国歌に対してこれほどの心打つものが多かったのでしょうか?
他の国歌は、国民を鼓舞するもので、多くが戦場に行くためのものだそうです。フランス国歌はフランス革命のときのことを歌詞にしてあるそうです。アメリカも独立戦争のことですね。
このようにオリンピックという国同士の戦いに行くために存在していて、多くはアップテンポの曲ですが、日本国歌だけは、スローな荘厳な曲なのです。そしてその歌詞は平和を願う日本国民を象徴するような内容なのです。
君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまでに
この短い歌詞の中に平和を愛する言霊が含まれています。この意味は、君を天皇とするのか、愛する人とするのかは戦前戦後で意味が変わってきますが、その愛すべき人が千代に八千代にずっとずっと永遠に、小さな石が大きな岩になって苔ができるまでの長―い時間、平和で幸せでありますようにと祈る内容です。
この君が代は古今和歌集の中の「和が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまでに」という詠み人しらずの歌から採用されています。この歌は広く物語や御伽草子、小唄、歌舞伎、浄瑠璃など多義に引用されているようです。
国歌として曲がつけられたのは、明治時代の初期のことです。最初フェントンという外国人が作曲しましたが、日本人に合っていないということで、日本人の作曲家、林廣守が日本の雅楽を取り入れた音に書き換えられたそうです。法的に国歌として認められたのは、意外と近年であり、1999年に定められました。
この君が代斉唱と、国旗掲揚に関しては、戦後、日教組たちが反対運動をしていました。なぜこれだけ素晴らしいものを、反対運動していたかというと、日教組は、戦後GHQの意向に沿って作られたものだからです。GHQは、日本の精神性を破滅するように仕向けられたもので、国歌も本当は無くしかったのでしょうね。
それでも、残り続け、世界の人々からも興味を持たれたこの国歌、君が代を基に日本を調べ、この国が平和を愛する種族であり、戦争も植民地を開放するために日本が戦ったことがわかることでしょう。そしてあの戦争で、日本は負け、アメリカ中心の世界となり、日本は世界に戦争を仕掛けた国であり、戦線的、攻撃的な国民であると植え付けられました。
ただ今は、戦争ばかりするアメリカに対して世界中で嫌気がさされています。アメリカが経済的にも落ち込んでいる中、それに追従するように日本も経済的に落ち込んでいますが、この国歌をもって平和を愛し和を尊ぶ日本に対して、見る目が変わってくれるのではないかと期待します。

Posted by りんごリーダー at
16:08
│Comments(0)
想いを込めるとは?
2024年08月22日
現在13歳の天才バイオリストの吉村ひまりさんをご存じでしょうか?
小さいころから、出場した国内外のコンクールは優勝ばかりで、審査員が関心するほどのすごい演奏家です。どうしてこんなに小さい子供が?と思わせるほどです。
YouTubeなどで、聴かれるとわかりますが、子供とはいえ、プロのバイオリストとして、活躍しています。お母さんがプロのバイオリストであり、お父さんは、ミュージシャンとし活躍していて、その娘として生まれてきました。生まれた環境も優れていますね。
ひまりさんの演奏は審査員が涙するほど大人顔負けの演奏です。
何故そのようにひくことができるのか?もちろん小さいころからのたゆまぬ努力と練習はありますが、彼女は、聴かれるお客さんのことを想って心を込めて演奏しているようです。例えばカルメンの曲などはそのカルメンになりきり演奏するそうです。だから聴くと感動するほど、素晴らしいのです。ただ単にバイオリンを演奏しているわけではないのです。
このように想いを込めるとはどういうことなのでしょうか?
料理などを作るとき、おいしくなれと想いを込めて作るとおいしくなるようです。お母さんが子供や旦那においしいと思ってもらえるように心をこめると、おいしいようです。コーヒーを入れる際にもスプーンでおいしくなれと想いながら混ぜると本当においしいのです。
反対に、その時の気持ちが落ち込んでいたり、頭にきていたりするとその料理がまずくなるようです。旦那と喧嘩した後とか、子供が言うことを聞かずにイライラした状態で作るとおいしくなくなります。同じ材料、調味料を使っても、いい想いを込めるか込めないかで、味が違ってくるのです。一流の料理人も食べる人のことを考えて、気持ちを込めて作っているのでしょう。
編み物などに対しても一緒です。一針、一針想いを込めて編んでいくと、それを着る人やつける方が幸せになっていくように思います。
絵を描くものとして、絵を描くことに対しても一緒です。ただ描いているだけではなく、見る人たちの幸せを願って描くと、見る人もかなり引き付けられるものです。絵が上手い下手ということではなく、心をどれだけ込められるのか、それでいい絵の判断ができそうです。
絵にいい波動が乗っかってくるという感じでしょうか?そんな絵を飾ると、その部屋の場も浄化されるし、なんとなく心地良さが伝わるものなのです。
私など、まだまだで、ただ描いているような感じなので、人を引き付けるようになっていません。それでも、人が見て癒されるな、とか気持ちがいいなとかいう絵を、想いを込めて描いていきたいと思っています。
このように芸術家や作家、音楽家などは、どれだけ人のことを想いながら作ったり、演奏したりできるのかによって、一流であるのかそうでないのか分かれるように思われます。
小さいころから、出場した国内外のコンクールは優勝ばかりで、審査員が関心するほどのすごい演奏家です。どうしてこんなに小さい子供が?と思わせるほどです。
YouTubeなどで、聴かれるとわかりますが、子供とはいえ、プロのバイオリストとして、活躍しています。お母さんがプロのバイオリストであり、お父さんは、ミュージシャンとし活躍していて、その娘として生まれてきました。生まれた環境も優れていますね。
ひまりさんの演奏は審査員が涙するほど大人顔負けの演奏です。
何故そのようにひくことができるのか?もちろん小さいころからのたゆまぬ努力と練習はありますが、彼女は、聴かれるお客さんのことを想って心を込めて演奏しているようです。例えばカルメンの曲などはそのカルメンになりきり演奏するそうです。だから聴くと感動するほど、素晴らしいのです。ただ単にバイオリンを演奏しているわけではないのです。
このように想いを込めるとはどういうことなのでしょうか?
料理などを作るとき、おいしくなれと想いを込めて作るとおいしくなるようです。お母さんが子供や旦那においしいと思ってもらえるように心をこめると、おいしいようです。コーヒーを入れる際にもスプーンでおいしくなれと想いながら混ぜると本当においしいのです。
反対に、その時の気持ちが落ち込んでいたり、頭にきていたりするとその料理がまずくなるようです。旦那と喧嘩した後とか、子供が言うことを聞かずにイライラした状態で作るとおいしくなくなります。同じ材料、調味料を使っても、いい想いを込めるか込めないかで、味が違ってくるのです。一流の料理人も食べる人のことを考えて、気持ちを込めて作っているのでしょう。
編み物などに対しても一緒です。一針、一針想いを込めて編んでいくと、それを着る人やつける方が幸せになっていくように思います。
絵を描くものとして、絵を描くことに対しても一緒です。ただ描いているだけではなく、見る人たちの幸せを願って描くと、見る人もかなり引き付けられるものです。絵が上手い下手ということではなく、心をどれだけ込められるのか、それでいい絵の判断ができそうです。
絵にいい波動が乗っかってくるという感じでしょうか?そんな絵を飾ると、その部屋の場も浄化されるし、なんとなく心地良さが伝わるものなのです。
私など、まだまだで、ただ描いているような感じなので、人を引き付けるようになっていません。それでも、人が見て癒されるな、とか気持ちがいいなとかいう絵を、想いを込めて描いていきたいと思っています。
このように芸術家や作家、音楽家などは、どれだけ人のことを想いながら作ったり、演奏したりできるのかによって、一流であるのかそうでないのか分かれるように思われます。

Posted by りんごリーダー at
14:42
│Comments(0)
心の琴線(きんせん)に触れる
2024年08月01日
以前紹介した、アフリカのブンジュ村で修行をされていたペンキ画家のショウゲンさんの話です。
ショウゲンさんはブンジュ村で修行を一年半ほどしてから、日本に帰ってきて、ペンキアートを描いて、販売をされています。その傍ら、小学校などでペンキアートの共同制作なる壁画などを指導しています。
ある小学校での話です。その学校に一人の女の子がクラスメートになじめず、保健室登校をしていました。ペンキアートは赤、青、黄色、緑、白、黒の6色のペンキを使って、色を混ぜたりしながら描いていきます。授業時間の一時間(45分)を使って、子供たちに自由に好きな絵を描いてもらいます。その女の子は、青い色に緑を足して混ぜていました。
他の子たちはどんどん描いていくのに、その女の子は、色を混ぜるだけで描こうとしません。
描かないのかなと思っていたら、40分経ってから女の子は描き始めました。それは他の子供たちの描いた絵の周りをずっとその青色で塗っていくのです。終わってから、ショウゲンがその女の子に、どうして、皆の絵の周りを塗ったの?と尋ねたところ、彼女はこう言いました。
「皆の絵の周りを塗ることで、クラスの皆と繋がりたかった・・」
その言葉を聞いて、ショウゲンは涙が湧き上がってきたそうです。彼女の言葉を聞いて、彼の心の琴線に触れたのだろうと思います。孤独な彼女の優しい気持ちに触れて感動したのだろうと思われます。
心の琴線に触れるとは、心の奥底に隠れている感情(心の琴の糸)に触れる事であり、ある出来事にいたく感動して、何かわからずとも涙があふれてくるようなことです。私の友人が放浪の画家である山下清の個展を見に行った時のことを話してくれました。何かわからないけれど、涙があふれてきたと。彼女は、山下清の絵の中に、彼女の心の奥底に潜む何かを見出したのでしょう。そして彼女の心の琴線に触れたのであろうと思われます。
そういうことはめったにないことなのですが、その時に感動した体験は決して忘れないだろうと思います。私も何度かそういう心の琴線に触れて涙したことがあります。何か人のやさしさに触れると、頭で考えるのではなく、心の奥底の感情に触れるのだと思われます。
シュールレアリスム(超現実主義)の画家であるマグリットの絵の中に「心の琴線」という題名の絵があります。広大な風景の中に大きなガラスのグラスがあり、そのグラスの上に真っ白な雲が描かれているのです。そのグラスがふんわりした雲を支えているような絵です。その絵の題名を見て「心の琴線」という言葉を知ったのですが、何か壊れそうなガラスが雲という自由に姿が変わっていくものを支えているという、普段ではありえない絵です。そのような現実には起こりえない絵のことをシュールレアリスムと言います。ずいぶん前の記憶ですが、何故か心に残っています。マグリットの絵は優しい絵が多いものです。マグリットにも何か心の琴線に触れる出来事があったのでしょう。
皆さんもこういう心の琴線に触れるような体験をすることで、何かを思い出し、優しい人格となっていくものと思います。
ショウゲンさんはブンジュ村で修行を一年半ほどしてから、日本に帰ってきて、ペンキアートを描いて、販売をされています。その傍ら、小学校などでペンキアートの共同制作なる壁画などを指導しています。
ある小学校での話です。その学校に一人の女の子がクラスメートになじめず、保健室登校をしていました。ペンキアートは赤、青、黄色、緑、白、黒の6色のペンキを使って、色を混ぜたりしながら描いていきます。授業時間の一時間(45分)を使って、子供たちに自由に好きな絵を描いてもらいます。その女の子は、青い色に緑を足して混ぜていました。
他の子たちはどんどん描いていくのに、その女の子は、色を混ぜるだけで描こうとしません。
描かないのかなと思っていたら、40分経ってから女の子は描き始めました。それは他の子供たちの描いた絵の周りをずっとその青色で塗っていくのです。終わってから、ショウゲンがその女の子に、どうして、皆の絵の周りを塗ったの?と尋ねたところ、彼女はこう言いました。
「皆の絵の周りを塗ることで、クラスの皆と繋がりたかった・・」
その言葉を聞いて、ショウゲンは涙が湧き上がってきたそうです。彼女の言葉を聞いて、彼の心の琴線に触れたのだろうと思います。孤独な彼女の優しい気持ちに触れて感動したのだろうと思われます。
心の琴線に触れるとは、心の奥底に隠れている感情(心の琴の糸)に触れる事であり、ある出来事にいたく感動して、何かわからずとも涙があふれてくるようなことです。私の友人が放浪の画家である山下清の個展を見に行った時のことを話してくれました。何かわからないけれど、涙があふれてきたと。彼女は、山下清の絵の中に、彼女の心の奥底に潜む何かを見出したのでしょう。そして彼女の心の琴線に触れたのであろうと思われます。
そういうことはめったにないことなのですが、その時に感動した体験は決して忘れないだろうと思います。私も何度かそういう心の琴線に触れて涙したことがあります。何か人のやさしさに触れると、頭で考えるのではなく、心の奥底の感情に触れるのだと思われます。
シュールレアリスム(超現実主義)の画家であるマグリットの絵の中に「心の琴線」という題名の絵があります。広大な風景の中に大きなガラスのグラスがあり、そのグラスの上に真っ白な雲が描かれているのです。そのグラスがふんわりした雲を支えているような絵です。その絵の題名を見て「心の琴線」という言葉を知ったのですが、何か壊れそうなガラスが雲という自由に姿が変わっていくものを支えているという、普段ではありえない絵です。そのような現実には起こりえない絵のことをシュールレアリスムと言います。ずいぶん前の記憶ですが、何故か心に残っています。マグリットの絵は優しい絵が多いものです。マグリットにも何か心の琴線に触れる出来事があったのでしょう。
皆さんもこういう心の琴線に触れるような体験をすることで、何かを思い出し、優しい人格となっていくものと思います。

Posted by りんごリーダー at
15:11
│Comments(0)
時間のとらえ方・・チャンスは未来からやってくる
2024年07月18日
皆さんは、時間をどういう風にとらえていますか?
辻耀子さんというレイキの理事長さんが、時間について動画で言っていらっしゃいました。時間には過去から現在を通って、未来につながるというとらえ方と、時間が未来からやってくるというとらえ方があるようです。そのように未来から時間がやってくるというとらえ方があると聞き、私は目が覚めたようになったものです。私だけではなく多くの人が時間は過去からずっとつながって、未来に一本の流れのように考えている人が多いと思います。
時計は、デジタルとアナログ時計が、あると思いますが、デジタルは数字がどんどん変わるだけですが、アナログ時計は、時計の針が右回りにどんどんと進んでいくようになっていますね。そしてどちらも12時が過ぎるとまた1から戻るのですが、12を二回廻って24時を過ぎると1日が過ぎるのです。そしてまた一日がたち、日々日数を重ねるごとに、どんどんと歳が過ぎていっているのです。そうやって過去から未来に流れているのだと思うのが常識的な世界です。
ところが、昔日本人が使っていた和時計の仕組みは、まったく違います。アナログ時計のように円盤があるのですが、頂点に針が固定されており、周りの盤が左回りに回っているそうです。自分をその頂点と考えると、時間がどんどんと過ぎていく考え方です。つまり、自分が中心となり、時間のほうが未来から過去へと流れていくものです。江戸時代以前の人々の時間のとらえ方は、未来がやってくるという考え方だったのだな・・と思いました。
和時計のようなとらえ方をするとどうでしょうか?今が大切となるのです。「ただ今」という考え方があのですが、その時その時を大切に生きて、過去を悩まず、未来に気に囚われない生き方を指しています。
未来はどのようになるのか、予知能力のある霊能者にはわかるのかもしれませんが、普通の人はわからないものです。ただ、今を大切に生きていると、チャンスが来た時にきちんととらえることができるものです。よく幸運の女神は前髪しかないといわれますね。それはチャンスが来た時にすぐに前髪をぐっとつかまないといけないというたとえです。後で気が付いて、後ろ髪をつかもうとしても髪の毛がないのでつかめないというものです。
ぼーっとした生き方をしていたり、過去をあれこれ悔やんだり、未来をあれこれ心配したりしながら過ごしてしまうと、そのチャンスをみすみす見逃してしまうものです。
そして、ただ今を楽しくワクワクな状態で過ごしていると、チャンスが分かるのです。
時間が過去から現在を通り未来へというようなとらえ方をせずに、チャンスある未来がやってくるという考え方をして楽しみながら待っていると、そのチャンスがつかめて、幸運となるのです。
時間をそのように「ただ今」を大切にして、過去を悔やみ未来に心配しないように過ごしていきたいものです。
辻耀子さんというレイキの理事長さんが、時間について動画で言っていらっしゃいました。時間には過去から現在を通って、未来につながるというとらえ方と、時間が未来からやってくるというとらえ方があるようです。そのように未来から時間がやってくるというとらえ方があると聞き、私は目が覚めたようになったものです。私だけではなく多くの人が時間は過去からずっとつながって、未来に一本の流れのように考えている人が多いと思います。
時計は、デジタルとアナログ時計が、あると思いますが、デジタルは数字がどんどん変わるだけですが、アナログ時計は、時計の針が右回りにどんどんと進んでいくようになっていますね。そしてどちらも12時が過ぎるとまた1から戻るのですが、12を二回廻って24時を過ぎると1日が過ぎるのです。そしてまた一日がたち、日々日数を重ねるごとに、どんどんと歳が過ぎていっているのです。そうやって過去から未来に流れているのだと思うのが常識的な世界です。
ところが、昔日本人が使っていた和時計の仕組みは、まったく違います。アナログ時計のように円盤があるのですが、頂点に針が固定されており、周りの盤が左回りに回っているそうです。自分をその頂点と考えると、時間がどんどんと過ぎていく考え方です。つまり、自分が中心となり、時間のほうが未来から過去へと流れていくものです。江戸時代以前の人々の時間のとらえ方は、未来がやってくるという考え方だったのだな・・と思いました。
和時計のようなとらえ方をするとどうでしょうか?今が大切となるのです。「ただ今」という考え方があのですが、その時その時を大切に生きて、過去を悩まず、未来に気に囚われない生き方を指しています。
未来はどのようになるのか、予知能力のある霊能者にはわかるのかもしれませんが、普通の人はわからないものです。ただ、今を大切に生きていると、チャンスが来た時にきちんととらえることができるものです。よく幸運の女神は前髪しかないといわれますね。それはチャンスが来た時にすぐに前髪をぐっとつかまないといけないというたとえです。後で気が付いて、後ろ髪をつかもうとしても髪の毛がないのでつかめないというものです。
ぼーっとした生き方をしていたり、過去をあれこれ悔やんだり、未来をあれこれ心配したりしながら過ごしてしまうと、そのチャンスをみすみす見逃してしまうものです。
そして、ただ今を楽しくワクワクな状態で過ごしていると、チャンスが分かるのです。
時間が過去から現在を通り未来へというようなとらえ方をせずに、チャンスある未来がやってくるという考え方をして楽しみながら待っていると、そのチャンスがつかめて、幸運となるのです。
時間をそのように「ただ今」を大切にして、過去を悔やみ未来に心配しないように過ごしていきたいものです。
Posted by りんごリーダー at
15:01
│Comments(1)
胎内記憶とは?
2024年07月05日
最近、絵本作家ののぶみ氏が、が出版されている、「胎内記憶図鑑」が人気のようです。
のぶみ氏は、10000人以上の子供たちに聞いた話を基に、「このママにきーめた!」という話や、おなかにいた時より前のお空の話を絵本として、描いているようです。
胎内記憶とは、赤ちゃんがお母さんのお腹にいた時の話であり、池川明先生という産婦人科の先生が有名です。
池上先生は、お母さんや保育園、幼稚園に協力をあおぎ、3500人の子供たちに聞いたアンケートを基に研究されていらっしゃる方です。胎内記憶を持っている子供は3分の1ぐらいであり、だいたい言葉を発する2~3歳ぐらいの子供たちです。その後4歳ぐらいから記憶が薄れていくようで、大人になったらほとんどの人が覚えていません。まれに覚えている人がいますが、その人たちは霊感がある人たちが多いように思えます。
胎内記憶は、おなかの中にいる時の体験が主なもので、おなかの中は暗いけれど、暖かかったなどと子供たちは話すそうです。そしてそれよりも前の記憶を話していくそうです。
のぶみ氏の絵本では、雲の上のことが描かれています。そこでは、白いひげを生やした神様がいるということや、雲の上に学校があって、生まれた後のことを学習しているそうです。
また大きなモニターがあって、そこにママの候補があるのですが、そのモニターから選んできているそうです。そして生まれる前に記憶を消すような薬を飲んで、虹色の滑り台を滑ってお母さんのおなかに魂として入ると言われます。
この絵本を読むと、絵本なだけに、ただ単に絵空事だろうと思われる方も多いと思われますが、私は真実のことだとすぐに思いました。それには私の体験があるのです。もちろん私は霊感もなく、そんな記憶はないのですが、20年ほど前に教えていた、子供アトリエでその時来ていた子供の一人である、4年生ぐらいの男の子が私に語ってくれた話があるのです。
彼が言うには、生まれる前に雲の上にいたことや、そこは天国的で、女の人たちがコーラスで歌を歌っていたこと、お母さんは6人ぐらいの候補がいてルーレットで選んだこと、エレベーターに乗ってその後、お母さんのお腹に入っていったことなどを話してくれました。
エレベーターに乗る前に知っている子がいたの?と聞くと、今、妹として一緒に生活をしている子がいたことを話してくれました。私はその時「生きがいの創造」として有名な、飯田史彦氏の本を読んでいて、前世のことを子供たちが話ていることなど知っていたので、すぐに彼の話が本当であると思いました。そして、そういう話を分かってくれる人は少ないので、あまり人には話さないほうがいいよ・・といったものです。その当時は、胎内記憶などの言葉もなかったし、霊的なことがタブー視されていたからです。
昔から、胎内記憶を持った子供はいたものです。記憶をなくす薬を飲まなかったのかもしれません。ただ、お母さんたちは、そんな話を聞いても何を馬鹿なことを言っているの?と相手にしなかった人が多いのです。
ただこのような絵本や池上先生の本などから、多くの子に胎内記憶があり、ほとんどの子供がおかあさんを選んできていることが分かります。以前、「親ガチャ」と言われたようにひどい親の元に育った子供が、ガチャポンのように偶然に、ひどい親に当たったという言葉がありました。そうではなく、そういうひどい環境でも立派に生きるように課題を持ってきたにすぎないので、親ガチャなる言葉は存在しないと思ったものです。
2021年が過ぎて風の時代が訪れたと言われ、それまでの物質主義から精神面重視の時代に入ったと言われます。そしてこの胎内記憶のように目に見えないスピリチュアル的なことが公にされてきているのです。これからもどんどん、スピリチュアルなことが公にされてくる時代がやってきたということです。
のぶみ氏は、10000人以上の子供たちに聞いた話を基に、「このママにきーめた!」という話や、おなかにいた時より前のお空の話を絵本として、描いているようです。
胎内記憶とは、赤ちゃんがお母さんのお腹にいた時の話であり、池川明先生という産婦人科の先生が有名です。
池上先生は、お母さんや保育園、幼稚園に協力をあおぎ、3500人の子供たちに聞いたアンケートを基に研究されていらっしゃる方です。胎内記憶を持っている子供は3分の1ぐらいであり、だいたい言葉を発する2~3歳ぐらいの子供たちです。その後4歳ぐらいから記憶が薄れていくようで、大人になったらほとんどの人が覚えていません。まれに覚えている人がいますが、その人たちは霊感がある人たちが多いように思えます。
胎内記憶は、おなかの中にいる時の体験が主なもので、おなかの中は暗いけれど、暖かかったなどと子供たちは話すそうです。そしてそれよりも前の記憶を話していくそうです。
のぶみ氏の絵本では、雲の上のことが描かれています。そこでは、白いひげを生やした神様がいるということや、雲の上に学校があって、生まれた後のことを学習しているそうです。
また大きなモニターがあって、そこにママの候補があるのですが、そのモニターから選んできているそうです。そして生まれる前に記憶を消すような薬を飲んで、虹色の滑り台を滑ってお母さんのおなかに魂として入ると言われます。
この絵本を読むと、絵本なだけに、ただ単に絵空事だろうと思われる方も多いと思われますが、私は真実のことだとすぐに思いました。それには私の体験があるのです。もちろん私は霊感もなく、そんな記憶はないのですが、20年ほど前に教えていた、子供アトリエでその時来ていた子供の一人である、4年生ぐらいの男の子が私に語ってくれた話があるのです。
彼が言うには、生まれる前に雲の上にいたことや、そこは天国的で、女の人たちがコーラスで歌を歌っていたこと、お母さんは6人ぐらいの候補がいてルーレットで選んだこと、エレベーターに乗ってその後、お母さんのお腹に入っていったことなどを話してくれました。
エレベーターに乗る前に知っている子がいたの?と聞くと、今、妹として一緒に生活をしている子がいたことを話してくれました。私はその時「生きがいの創造」として有名な、飯田史彦氏の本を読んでいて、前世のことを子供たちが話ていることなど知っていたので、すぐに彼の話が本当であると思いました。そして、そういう話を分かってくれる人は少ないので、あまり人には話さないほうがいいよ・・といったものです。その当時は、胎内記憶などの言葉もなかったし、霊的なことがタブー視されていたからです。
昔から、胎内記憶を持った子供はいたものです。記憶をなくす薬を飲まなかったのかもしれません。ただ、お母さんたちは、そんな話を聞いても何を馬鹿なことを言っているの?と相手にしなかった人が多いのです。
ただこのような絵本や池上先生の本などから、多くの子に胎内記憶があり、ほとんどの子供がおかあさんを選んできていることが分かります。以前、「親ガチャ」と言われたようにひどい親の元に育った子供が、ガチャポンのように偶然に、ひどい親に当たったという言葉がありました。そうではなく、そういうひどい環境でも立派に生きるように課題を持ってきたにすぎないので、親ガチャなる言葉は存在しないと思ったものです。
2021年が過ぎて風の時代が訪れたと言われ、それまでの物質主義から精神面重視の時代に入ったと言われます。そしてこの胎内記憶のように目に見えないスピリチュアル的なことが公にされてきているのです。これからもどんどん、スピリチュアルなことが公にされてくる時代がやってきたということです。

Posted by りんごリーダー at
12:00
│Comments(0)
日本人は、なぜ癌が多いのか?
2024年06月21日
日本人は今や二人に一人の割合で癌で亡くなられるというデーターがあります。以前日本では、癌になる方が少なく、癌は不治の病と言われ、非常に恐れられていたのですが、今ではがんで亡くなったという方が多くなり、当たり前になりました。それでは、何故癌になる割合が増えたのでしょうか?以前、たばこが癌の原因だと言われ続け、喫煙者がかなり減ったのですが、それに反比例するように癌患者は増えていったのです。なのでたばこが原因ではありませんね。
アメリカも戦後癌患者が増え続けていましたが、今は少なくなっているようです。なぜ減ったのかというと、1970年代後半に上院議員のマクガバンがレポートで、アメリカ人の食生活を見直すように報告されたからです。その報告書は、日本の元禄時代の食生活を参考にされたと言われています。和食は日本人のみならず、外人にも健康にいい食品であったのです。
ところが日本人は反対に戦後、食事が西洋化して、肉食中心、野菜は少なめで、パン食が多くなり病の人たちが増えてしまったようです。
しかも食品添加物においては、アメリカでもせいぜい133種類の認可なのに、日本では約1500種類の添加物認可となってしまっているのです。また遺伝子組み換えのトウモロコシや小麦粉が輸入されていて、スーパーの野菜は農薬まみれであり、食肉に至っては、ホルモン剤など動物薬を大量に投入されています。日本人が食べているものが非常に悪いのです。
それに加え、PFAS(ピーファス)などの有機フッ素化合物も知らず知らずに体内に蓄積されています。フッ素化合物は、テフロン加工のフライパンや、歯磨き粉、または水道水などに含まれています、これらが蓄積すると、脳の中にある松果体という重要なところが石灰化されると言われていましたが、最近それらが癌の原因になっているとも言われてきました。そういう体内に入るものだけではなく、考え方や乱れた生活においても、癌になりやすいものです。頑固な人ほど癌になっているように感じるものです。
癌細胞は誰でも持っていると言われます。そしてその癌は今では治る病気であるとも、言われているのです。いろいろ癌を死滅する方法はありそうですが、一つだけ挙げると、癌は熱に弱く、39,6度以上体温が上がると死滅すると言われます。なので、インフルエンザなどの風邪にかかって高熱が出ると癌細胞も無くなるということです。熱が出るということは悪いことではないのです。そして日本人は平熱が以前より1度ほど低くなっています。日頃の平熱を上げる工夫も必要ですね。
日本人はこのように癌になる人が増えていますが、それらに気を付けようというのではなく、がん保険をかけなければと、思うような人が多いようです。それでは外資系の保険会社や、病院、製薬メーカーを儲けさせているだけで、自分たちの体を気遣うことがあまりないように感じます。それで癌になっても仕方がないと思ってしまうのです。そうではなく、政府に添加物や農薬、フッ素化合物などの規制を求め、自分たちでもそういう食品を撮らないように気を付け、また平熱を上げるよう運動をしたり環境を整えたりするべきなのです。日本人の寿命は長いのですが、病院で寝たきりで過ごすのはやめにしませんか?健康寿命を考えてこその長生きなのです。
アメリカも戦後癌患者が増え続けていましたが、今は少なくなっているようです。なぜ減ったのかというと、1970年代後半に上院議員のマクガバンがレポートで、アメリカ人の食生活を見直すように報告されたからです。その報告書は、日本の元禄時代の食生活を参考にされたと言われています。和食は日本人のみならず、外人にも健康にいい食品であったのです。
ところが日本人は反対に戦後、食事が西洋化して、肉食中心、野菜は少なめで、パン食が多くなり病の人たちが増えてしまったようです。
しかも食品添加物においては、アメリカでもせいぜい133種類の認可なのに、日本では約1500種類の添加物認可となってしまっているのです。また遺伝子組み換えのトウモロコシや小麦粉が輸入されていて、スーパーの野菜は農薬まみれであり、食肉に至っては、ホルモン剤など動物薬を大量に投入されています。日本人が食べているものが非常に悪いのです。
それに加え、PFAS(ピーファス)などの有機フッ素化合物も知らず知らずに体内に蓄積されています。フッ素化合物は、テフロン加工のフライパンや、歯磨き粉、または水道水などに含まれています、これらが蓄積すると、脳の中にある松果体という重要なところが石灰化されると言われていましたが、最近それらが癌の原因になっているとも言われてきました。そういう体内に入るものだけではなく、考え方や乱れた生活においても、癌になりやすいものです。頑固な人ほど癌になっているように感じるものです。
癌細胞は誰でも持っていると言われます。そしてその癌は今では治る病気であるとも、言われているのです。いろいろ癌を死滅する方法はありそうですが、一つだけ挙げると、癌は熱に弱く、39,6度以上体温が上がると死滅すると言われます。なので、インフルエンザなどの風邪にかかって高熱が出ると癌細胞も無くなるということです。熱が出るということは悪いことではないのです。そして日本人は平熱が以前より1度ほど低くなっています。日頃の平熱を上げる工夫も必要ですね。
日本人はこのように癌になる人が増えていますが、それらに気を付けようというのではなく、がん保険をかけなければと、思うような人が多いようです。それでは外資系の保険会社や、病院、製薬メーカーを儲けさせているだけで、自分たちの体を気遣うことがあまりないように感じます。それで癌になっても仕方がないと思ってしまうのです。そうではなく、政府に添加物や農薬、フッ素化合物などの規制を求め、自分たちでもそういう食品を撮らないように気を付け、また平熱を上げるよう運動をしたり環境を整えたりするべきなのです。日本人の寿命は長いのですが、病院で寝たきりで過ごすのはやめにしませんか?健康寿命を考えてこその長生きなのです。
Posted by りんごリーダー at
09:27
│Comments(0)
日本の豊かさとは
2024年06月06日
中東の方たちに、「あなたにとって天国的なところとは?」と尋ねると、「山があり、川があり、緑が豊かなところ」と答えられる方が多いそうです。
山や川があって、緑が多いところは、日本ではないか?と私たちは思うものです。
ということは、日本は中東の方たちにとって天国的なところなんだ・・と思いますね。
ただ、日本に住んでいる私たちはどうかと言えば、夏は暑く、冬は寒いもので、夏になるとかなり蒸し暑く、地震や台風などの災害が多いし、大変な気候のところだと感じるものです。
また病人は多く、自殺者は世界一だし、こんなところが天国的ではないと感じることでしょう。
しかし考えて見てください。以前、高度成長期には中間所得者世帯がほとんどで、皆そこそこ豊かでした。今では、政治的にも悪く、いくら働いても半分ほど税金などで取られます。また外資系の企業で、海外にどんどん資金が流れていき、以前ほどの活気はありません。社会的に落ち込んでいる状態で、貧富の差も激しくなっています。
それでも、食べるものに事欠くような感じでも、野垂れ死ぬ人はいなく、生活保護を受ければ何とか食べていけます。ホームレスが増えたとはいえ、寝るところは何とかあるものです。
中東や、アフリカの貧困地域の人たちのように戦争や飢饉などで食べ物がなく、本当に亡くなっていかれる方がいるものですが、日本は三流国に落ち込んではいるものの、何とか周りの者たちに支えられてやっていけるのです。
山があり、川がある・・それでみどりは豊かなものです。中東が砂漠になっているのは、以前は緑豊かであったものですが、木を伐採し続け、その後、何も植えなかったので、砂漠化し、雨も少なく、水を確保するのも大変なのです。
日本人は、きれい好きが多く、毎日か二日に1度はお風呂に入るもので、それだけ水を多く使っていますが、水道から水が無くなることはありません。また、庭や畑に雑草がたくさん生えて、大変だと思う方も多いと思いますが、草も生えないような場所が砂漠地帯なのです。
日本は木を伐採しても、必ず木を植栽し続けてきました。自分だけが良ければ木を伐採するのみですが、日本人は子や孫、あるいはその子孫たちにも豊かな環境を残そうとしてきたのです。そして里山や奥山などを残して、自然豊かな環境を保ってきたものです。そのように代々自然と人間が共存できるように環境を整えてきたものです。
ところが最近、メガソーラーなど山を切り開いて多くの山地が見るも無残な姿になっています。例えば高森に東京ドーム20個分ぐらいの広大な土地に太陽光パネルが設置されていますが、知っている方はわずかです。環境にやさしいと太陽光エネルギーの推進をされていますが、先ほどのようなところが環境にいいはずがありません。自然の生態系も変わるし、子孫にいい環境を残せるはずがありません。
今までの日本のように、環境に配慮し、人間や動物、あるいは植物にもいい環境を求めなければ、今後日本も砂漠化して、地獄のような場所となるかもしれません。私たち一人一人が未来の日本をよくしていこうという気持ちにならないといけないものです。
山や川があって、緑が多いところは、日本ではないか?と私たちは思うものです。
ということは、日本は中東の方たちにとって天国的なところなんだ・・と思いますね。
ただ、日本に住んでいる私たちはどうかと言えば、夏は暑く、冬は寒いもので、夏になるとかなり蒸し暑く、地震や台風などの災害が多いし、大変な気候のところだと感じるものです。
また病人は多く、自殺者は世界一だし、こんなところが天国的ではないと感じることでしょう。
しかし考えて見てください。以前、高度成長期には中間所得者世帯がほとんどで、皆そこそこ豊かでした。今では、政治的にも悪く、いくら働いても半分ほど税金などで取られます。また外資系の企業で、海外にどんどん資金が流れていき、以前ほどの活気はありません。社会的に落ち込んでいる状態で、貧富の差も激しくなっています。
それでも、食べるものに事欠くような感じでも、野垂れ死ぬ人はいなく、生活保護を受ければ何とか食べていけます。ホームレスが増えたとはいえ、寝るところは何とかあるものです。
中東や、アフリカの貧困地域の人たちのように戦争や飢饉などで食べ物がなく、本当に亡くなっていかれる方がいるものですが、日本は三流国に落ち込んではいるものの、何とか周りの者たちに支えられてやっていけるのです。
山があり、川がある・・それでみどりは豊かなものです。中東が砂漠になっているのは、以前は緑豊かであったものですが、木を伐採し続け、その後、何も植えなかったので、砂漠化し、雨も少なく、水を確保するのも大変なのです。
日本人は、きれい好きが多く、毎日か二日に1度はお風呂に入るもので、それだけ水を多く使っていますが、水道から水が無くなることはありません。また、庭や畑に雑草がたくさん生えて、大変だと思う方も多いと思いますが、草も生えないような場所が砂漠地帯なのです。
日本は木を伐採しても、必ず木を植栽し続けてきました。自分だけが良ければ木を伐採するのみですが、日本人は子や孫、あるいはその子孫たちにも豊かな環境を残そうとしてきたのです。そして里山や奥山などを残して、自然豊かな環境を保ってきたものです。そのように代々自然と人間が共存できるように環境を整えてきたものです。
ところが最近、メガソーラーなど山を切り開いて多くの山地が見るも無残な姿になっています。例えば高森に東京ドーム20個分ぐらいの広大な土地に太陽光パネルが設置されていますが、知っている方はわずかです。環境にやさしいと太陽光エネルギーの推進をされていますが、先ほどのようなところが環境にいいはずがありません。自然の生態系も変わるし、子孫にいい環境を残せるはずがありません。
今までの日本のように、環境に配慮し、人間や動物、あるいは植物にもいい環境を求めなければ、今後日本も砂漠化して、地獄のような場所となるかもしれません。私たち一人一人が未来の日本をよくしていこうという気持ちにならないといけないものです。

Posted by りんごリーダー at
23:29
│Comments(0)
オノマトペの豊かな日本語
2024年05月30日
オノマトペとは、擬音語や擬態語などを合わせたものです。昔、NHKだったと思うのですが、「わんわん、にゃんにゃん言葉」というクイズ番組があり、オノマトペを当てるクイズがありました。クイズ番組になるくらい、オノマトペには多くの言葉が存在しています。
擬音語には、わんわん、にゃんにゃんなどの動物の鳴き声の他に、ゴロゴロや、ガンガンなどの物音なども表します。擬態語は、物事の状態や身振りなど、それらしく表した言葉になります。例えば、ニコニコや、イライラ、キラキラなどがあります。またのろのろや、ずきずき、ワクワクなどもありますね。
このように日本語のオノマトペの特徴は、言葉を二度重ねて使うものが多いものです。
もちろん、ガオーや、コケコッコー、ムッツリ、しっとりなど、一つの言葉もありますが、日本語として重ねて言う言葉は、思いのほか多いのです。私たちは小さいころから使っていて、身近に使うものなので、その言葉を聞くと、音がどうだったのか、どのような状態だったのかよくわかります。例えば、雨の表現で、しとしとだと小雨だと思うし、ザーザーだと大雨だと思うという感じです。そのように知らず知らずのうちに日常で使っているものです。
そして、驚くべきことに、一つのオノマトペでも意味が違う使い方ができるものもあるのです。そのオノマトペの前後の文章でわかります。例えば、ガンガンという言葉は、大きな音がガンガン鳴るという表現で使われますし、ガンガン攻めるというと、スポーツなどの勝敗で使われたりするのです。また頭がガンガンするという使い方だと、ひどい頭痛がしているのだと他人にもわかるものです。日本語ってすごいなと今更ながら感じています。
私は以前、子供アトリエで、その子供たちにキラキラ、ザーザーやぱちぱち、それからバサバサなどのオノマトペのイメージする絵をラフに描かせたことがあります。
キラキラだとお星さまを描く子が多かったもので、ザーザーだと雨を描いたり、水道の水を描いたりしていました。そして一人の男の子が、バサバサのイメージ表現で、なんとペガサス(羽の生えた神馬)を描いていたのです。ペガサスは、現実には存在せず、空想の動物であると言われています。ペガサスという生き物が絵本や童話などで読んで知っている子は多いと思いますが、その羽を動かす音がそんなだとは、普通思いつかないものです。ペガサスに実際に乗らないとわかることはありません。夢の中でペガサスに乗ったのでしょうか?またはあの世でペガサスに乗っていたのでしょうか?その子はちょっと変わった子(多分いろんなものがわかる霊感の鋭い子)だったので、そういうことが体験としてあったのも不思議ではありません。
オノマトペのイメージ画でちょっと変わった子がいたという話をしました。
話を変えると、外人さんたちには、このわんわん、にゃんにゃん言葉の多い日本語はかなり難しいようです。それでも今、日本に興味のある方たちが増えてきているので、日本語を学び、日本語の上手な外人さんたちが増えてきました。方言で話す外人さんもいらっしゃいますね。
そしてこのオノマトペに限らず、日本語は語彙が多くいろんな表現で表され、本当に優れた言葉だな~と感じるこのごろです。
擬音語には、わんわん、にゃんにゃんなどの動物の鳴き声の他に、ゴロゴロや、ガンガンなどの物音なども表します。擬態語は、物事の状態や身振りなど、それらしく表した言葉になります。例えば、ニコニコや、イライラ、キラキラなどがあります。またのろのろや、ずきずき、ワクワクなどもありますね。
このように日本語のオノマトペの特徴は、言葉を二度重ねて使うものが多いものです。
もちろん、ガオーや、コケコッコー、ムッツリ、しっとりなど、一つの言葉もありますが、日本語として重ねて言う言葉は、思いのほか多いのです。私たちは小さいころから使っていて、身近に使うものなので、その言葉を聞くと、音がどうだったのか、どのような状態だったのかよくわかります。例えば、雨の表現で、しとしとだと小雨だと思うし、ザーザーだと大雨だと思うという感じです。そのように知らず知らずのうちに日常で使っているものです。
そして、驚くべきことに、一つのオノマトペでも意味が違う使い方ができるものもあるのです。そのオノマトペの前後の文章でわかります。例えば、ガンガンという言葉は、大きな音がガンガン鳴るという表現で使われますし、ガンガン攻めるというと、スポーツなどの勝敗で使われたりするのです。また頭がガンガンするという使い方だと、ひどい頭痛がしているのだと他人にもわかるものです。日本語ってすごいなと今更ながら感じています。
私は以前、子供アトリエで、その子供たちにキラキラ、ザーザーやぱちぱち、それからバサバサなどのオノマトペのイメージする絵をラフに描かせたことがあります。
キラキラだとお星さまを描く子が多かったもので、ザーザーだと雨を描いたり、水道の水を描いたりしていました。そして一人の男の子が、バサバサのイメージ表現で、なんとペガサス(羽の生えた神馬)を描いていたのです。ペガサスは、現実には存在せず、空想の動物であると言われています。ペガサスという生き物が絵本や童話などで読んで知っている子は多いと思いますが、その羽を動かす音がそんなだとは、普通思いつかないものです。ペガサスに実際に乗らないとわかることはありません。夢の中でペガサスに乗ったのでしょうか?またはあの世でペガサスに乗っていたのでしょうか?その子はちょっと変わった子(多分いろんなものがわかる霊感の鋭い子)だったので、そういうことが体験としてあったのも不思議ではありません。
オノマトペのイメージ画でちょっと変わった子がいたという話をしました。
話を変えると、外人さんたちには、このわんわん、にゃんにゃん言葉の多い日本語はかなり難しいようです。それでも今、日本に興味のある方たちが増えてきているので、日本語を学び、日本語の上手な外人さんたちが増えてきました。方言で話す外人さんもいらっしゃいますね。
そしてこのオノマトペに限らず、日本語は語彙が多くいろんな表現で表され、本当に優れた言葉だな~と感じるこのごろです。

Posted by りんごリーダー at
15:22
│Comments(0)