ウズベキスタンといえば、日本人にはサマルカンドが有名かもしれない。実は首都はサマルカンドではなくタシケントである。
イスタンブールへ行くため、乗り継ぎでタシケントで一泊した。ほとんど寝ただけなのだけど。
そんな数時間の滞在の中で見た、タシケントの地下鉄の駅がソ連建築の意匠を大いに残していて、これが豪奢かつスタイリッシュでたまらなくよかった。共産圏の文化の美学、先進性を感じざるを得ないのである。
旅行される方がいればこちらのブログがとても参考になります。
【地下鉄】麗しきタシケントメトロの世界/Toshkent Metro Gallery
アブドゥラ・コディリ駅(ABDULLA QODIRY)
どうですか、タシケントの地下鉄駅よくないですか……? 柱が幾何学的に空間を切っていてランプの装飾性が高くてうつくしい。ちょっと薄暗いのも雰囲気があってよい。
ちなみにタシケントでは、最近まで地下鉄の撮影は禁止だったらしい。閉鎖的な国だと公的な施設は撮影禁止になりがちである。一度だけ不機嫌そうなウズベク女性駅員にジロジロ見られたものの、特に苦言を呈されることはなかった。
冒険心がくすぐられる。
ポドムゾル駅(BODOMZOR)
こちらは楕円形の天井で六角形のシンボルが壁を飾っている。水色と金の色合いがまたいいのですね。
ランプが天井を向いていて、間接照明のように構内を照らしている。なんとも可愛らしい。
びっくりしたことには、某駅で、鉄オタと思われる日本人が〜線に参りますのは、〜直通〜駅でございますといった感じで駅員シミュレーションプレイをしていたことである。日本語で、である。そのキレたるや中川家と同等といったかんじで、腕がシュパッと空を切るのだ。急に今、実は有楽町駅あたりにいるような気がしたりした。
日本でたまに見かける光景ではあるのだけど、まさかウズベキスタンに来て、駅員シミュレーションプレイに遭遇するとは。Twitterでフォローしている鉄オタの人が、モンゴルの奥地に鉄道を見に行ったりしていたことを思い出す。鉄オタの世界進出はかなり進んでいるようである。
金に見えたのは丸いタイルだったようだ。なんともおしゃれだ。
ノブザ駅(Novza)
こちらも楕円形の天井をした駅。同じく六角形の電灯が埋め込まれている。なぜ六角形が多いのだろう。
今回の一時滞在では、この駅から歩いて20分くらいのゲストハウスに泊まった。なぜそのゲストハウスにしたかというと、ただ単に安かったからである。booking.comで安い順でソートしてでてきた二三番目のゲストハウスだ。
部屋に入ってみると、(ゲストハウスなので当然相部屋)陽気な黒人の兄さんたち5人が酒を飲み騒いでいて、ドンドンドンタカタカタカドンという低音ビートが規則的に刻まれ続けていた。あまりにうるさいので盛大に舌打ちをしたりしてみたのだけど、低音のドラムンベースの前では、全くの無意味だった。まあ、どうせ2時くらいには寝るだろうと思っていた。たしかに、ビートは2時くらいに刻まれ終わった。しかし、陽気な兄さんたちは朝の4時まで騒ぎ続けていたのだった……
安い宿にしてしまったのだから自分が悪い。
コスモナウトラル駅(KOSMONAVTLAR)
字の通り、宇宙的な駅である。タシケント出身の宇宙飛行士ウラジミール・ジャニベコフに敬意を評して作られたらしい。青が印象的で、天井の中央には天の川を模したガラスが通っている。
この頃にはすっかりタシケントの駅の魅力に取り憑かれていた。
様々な宇宙飛行士が壁に埋め込まれている。かの有名なガガーリンもいたらしいのだけど、撮り損ねてしまった。(もしくはキリル文字が読めていない可能性)
女性宇宙飛行士もいた。
この透き通ったガラスの柱がまたいいですね。
電車の中はシンプルな感じである。広告が少ないのがよい。日本の電車は広告が多すぎである。
他にも柱が美しかった駅が。
ユーヌス・ラジャビィ駅(YUNUS RAJABIY)
冠のような形をしている。
ミナール駅(MONOR)
こちらは結晶のよう。
ミング・オリク駅(MING O’RIK)
長い柱で、天井が高い。シャンデリアがオールドスクールでかっこいい。
アリシェール・ナヴォイ駅(ALISHER NAVOIY)
宮殿かのようなすばらしい構造をしている。天井が高くて開放感がある。毎日こんな駅で乗り降りできたら気持ちいいだろうなと思う。タシケントで一箇所地下鉄を見たい!というのであれば、ここを見るとテンションが上がるのであはないかと思う。
青みがかったモスクのようなドーム状の天井。 凝っていますね……いいですね……タシケントの駅はどれもこれもよくて無限に写真を撮ってしまう。 いいですね……とつぶやいてしまう。
核戦争が起こったりして、地上に何も残っていない、なんてことになったりして、そんな世界で、ぽつんと地下にこんな建築物が静かに眠っている、そんなシーンをふと想像してしまうのでした。