人は何のために生きているのか。
先日友人と食事をしている時のこと。基本的にいつも下らない話ばかりしている間柄なのだが、その日は少しばかり真面目な話をしていた。友人が真剣な顔をしながら
「俺は生きているのではなく、死んでいないだけだ」
と語り始めたからだ。彼はちょっとしたボタンの掛け違いで不幸が連続してしまったタイプで、私個人としては誠実に頑張っている男だと思うのだが、本人は思うところもあるのだろう。そんな彼は
「俺が死なないのは生きたいからじゃなくて、死にたくないからだ」
とも言っていた。彼は人生に迷っているのである。
「自分は何のために生きているのか」
その回答を明確にできる人間は少ない。
私も何のために生きているのかと問われたら、どんなに頭を捻っても膝を打つような回答はできやしないと思う。直接生産性のあることもしていないし、消費を繰り返して益の見えない生活を送ってばかりいるのだから。
人間とはそもそも何のために生きているのだろう。
「人生とは、すなわち困難である。」昔どこかでそんな言葉を聞いた。人生は確かに楽しいことと比べたら困難の割合が強い。言ってしまえば困難の中にあるほんの些細な余暇を楽しいことと捉えているのである。そんな中なぜ皆歯を食いしばって生きているのか。
生物として子孫を残すため?じゃあこれから結婚するつもりも、子供を作るつもりもない人はどうなのか。今を楽しむことを続ける?成し遂げたいものを達成する?自分が生きた証を残す?分からない、判然としない。
楽をするために今困難なことをすると言いきった人がいる。楽になるために今頑張って、一生困らないお金を得ようとしている人がいる。当然の思考だし、私も近しいことをやっているが
その先には何があるのだろう。「楽」を求め続けた結果、獲得した念願の先に一体何があるのだろう。今懸命に働いている意味は何だ、そこで貯めたお金の意味は何だ。今自分には守るべき人も、守るべきものもないからそういう発想になるのだろうか。
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もっとも明確な理由や意味がないと生きていけないわけじゃない。きっとこのままだって地球は勝手に回るし、変わらず太陽も昇るのだ。しかしただ何となく、その疑問に対して自分なりに折り合いをつけたいと思った。
「それを探すことこそが生きること」みたいな哲学的なことを言われたら叶わないけれど。
人間は千差万別だ。常に困難を求めて戦い、命を削りながら生き抜く人がいる。その一方で私のように怠惰に身を任せてのうのうと生きている人間もいるのである。
私より先を生きている人たちは自分の人生に対し、そして生きる意味について今一体どんな景色を見ているのだろう。「そんなことがふと気になった」という、そんなただの日記。
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多分週末で疲れているのだろう、それとも家の暖房が壊れて死にかけるくらい寒いからだろうか。気を紛らわせるためこんな事を急に書いてしまった。
外をふと見ると犬が雪道を元気にはしゃぎまわっている。将来私がどんな風に"生きる意味"を見出しどんな人間になるか全く分からないが、取り敢えず今は犬になりたい。そう思っているワン。