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2017年03月24日

関係にあった

2017年3月20日、都議会にて豊洲市場の問題に関する百条委員会が開催され、そこで石原元知事に対する質疑が行われた。
 僕はその様をテレビで観た。もちろんリアルタイムではなく、その後の各テレビ局による録画映像だ。だからその際の雰囲気というか空気のようなものをはかることが難しいのだけれど、それでもやはり各質問者、つまりは各都議会議員は石原元都知事の言動に終始押されていたのが明らかだった。いや、もうはっきり書こう。

 格が違う。
 役者が一枚も二枚も上。

 僕は別に石原慎太郎を支持しているわけではない。支持するどころか、どちらかと言えばあまり好きではないタイプの方だ。心情的には質問者である各都議会議員を応援し、当時の豊洲移転に至る具体的な経緯等に関する疑問点などを当時の最大責任者であった石原元都知事に鋭く切り込んで欲しかった。更には、ただでさえ手強いタヌキ親父の石原氏なのだから、そこは相当の覚悟を持ってやって欲しかった。
 しかし実際のやりとりを見るに、これはもう石原元都知事に、いいようにやられたというようにしか僕には見えなかった。その中でも共産党議員は、まだ少なからず石原元都知事にぶつかっていこうという気概のようなものを持っていたように感じたのだが、他の質問者、特に最後に質問に立ったどこかの会派の議員さんなどは、もう完全に石原氏にいいようにあしらわれているようにしか見えなかった。
 確かに一時間という短い時間を各党や各会派で分け合うわけだから、それぞれに与えられた時間が非常に短く、石原氏に対して深く突っ込むにまで至ることが難しい環境下であったことに対しては、同情する余地があると思われるのだけれど、それでも見ていて何だか不甲斐なく思えた。こんな内容では「百条委員会を開いたのは次の選挙で強調できる実績を作りたいため」と言われても仕方がないだろう。せっかくあのような場を設けることができたのだ。各党や各会派は、もっと他に適格者がいなかったのだろうか。その点が僕には非常に残念だった。
 あの百条委員会の結果は、今後の豊洲移転問題にどのような影響を与えるのだろうか。おそらくあの内容では真相解明には程遠いから最大限良いように言っても参考程度にしかならないだろう。僕は東京都民ではないが、それでもあの結果には大いにガッカリである。

 結局、いつの時代もそうだけれど、過去に政治家と官僚がやってきたことの真相が国民の前にきちんと正しく提示されるなんてことはありえないのだろう。基本は「隠蔽」もしくは「改竄」(かいざん)だ。情報開示意識が強まって相応の法律ができても出さないものは何としてでも出さないようにする。覚えていても決して話さない。「記憶にない」と言えば確固たる証拠がない限り、周りはそれ以上どうすることもできないことを熟知しているからだ。それ以前に、もし確固たる証拠のようなものがあったとしたら、どのような手段を使ってでもその隠滅を図るだろう。(個人的に思うことだが、この時代においても僕らの知らない所でそういう点において人の命さえ左右されているのではなかろうか。例えば過去にあった豊田商事会長刺殺事件やオウム真理教村井秀夫刺殺事件なんかは、そういう点で今でも僕には非常に疑わしく思える。また故中川昭一氏や故中川一郎氏、それに故新井将敬氏といった過去の政治家の不可解な死も怪しさを否めない。他にも世間には伝わっていない例が山ほどあると思える。)そして最後には事を自分達の都合のいいものへとすりかえる。それが時の権力や行政を牛耳る者たちの常であることは歴史を顧みれば明白だ。

 百条委員会の様を観て、そんなことなどを含めて色々なことを考えていたのだけれど、それから3日後の2017年3月23日、今度は国会で森友学園の籠池泰典氏に対する証人喚問が行われた。
 僕はこの証人喚問が実施されることが決まった時、籠池氏の身を案じた。これは決して僕が籠池氏を支持しているとかの話ではない。(その点を言うのなら僕は籠池氏はもちろん安倍総理や明恵夫人、及びその他この問題に関わっていたとされる人間の誰をも支持していない。世間の多くの方同様、真相が明らかになることを願っている一市民だ。)僕が籠池氏の身を案じたのは、前述の百条委員会の件で書いたようなことが起こるかも知れない、つまりは籠池氏に余計なことを喋られたら困るというような人や機関等によって、籠池氏の命が危険にさらされてしまようなことが起こりかねないのではないかと危惧したのだ。
 幸いなことに籠池氏は当日、無事に国会に入り証人喚問に対応した。そこで繰り広げられた質疑応答や証言は各メディアで報道されているから、その内容についてはここでは挙げないが、僕には一点だけ気になる点があったから、それをここでは挙げておきたい。
 それは証言した内容に関してではない。僕が気にしたのは、あの場で籠池氏から初めて名前を明かされた何人かの人の「身の安全」だ。籠池氏が話したことがどこまで本当なのかはわからないが、それでも政治家や行政を巻き込んだこの問題は、今までがそうだったし今後もそうだと思うが、関わった人間が発する言葉に、関係していた人間たちが凄まじく敏感に反応する類のものだ。だから中にはやはり彼らに余計なことを喋って欲しくないと思う輩が存在していてもおかしくはない。新たに名前が明かされてしまった人間の身に危険が及ばないとは誰にも言い切れない。だから思うのだ。そういう人たちにもきちんと警護をつけるべきだと。

 この森友学園問題、いったいどんな形で決着が着くのだろう。同じ「証人喚問」で思い出すのはロッキード事件だ。あれは当時の前内閣総理大臣であった田中角栄が受託収賄等の疑いで逮捕されるという前代未聞の事件であったが、他にも当時の運輸政務次官や元運輸大臣、それにCIAと深い関係にあった児玉誉士夫や小佐野賢治といった人物も逮捕され、更には関係者の中から多数の不審死者を出すなどした。まさに第二次世界大戦後の疑獄事件を代表する大事件だった。
 では今回の森友学園問題はどうだろう。ロッキード事件に比べれば確かにスケールは小さい。しかし誰かが不正なことをしたということと、これから何が飛び出してくるかわからないという点では似たようなものだ。今後の成り行き次第では、もしかするとロッキード事件に勝るとも劣らないほどの大事件へと大化けするかも知れない
 だから僕は祈りたい。
 どうか誰一人として、この問題で命を落とされることのないようにと。
 間違っても当事者や関係者の誰かが自殺したり不審な死に方をしたりして「死人に口なし」で、うやむやに終わることになったりしませんようにと。
  

Posted by ぬにねなに  at 16:31Comments(0)

2016年06月17日

印象がなにもない


重い。

なんとなく身体が重い。
眠くてたまらない。

ということを、昨夜も書いて、今日も書きかけたのだけど、ふとした拍子に画面が滑って(まさに滑る感じで)記事が消えてしまった。
いつもは、テキストエディタで書いてから貼り付けるのだけど、昨日も今日も、たいして書くことがないから直接書き込んでいたのだ。たいして書くことないなら書くなって消されたのかもしれない。(だれに?)

とにかく今日は一日だるかった。
お天気のせいなのか、昨日、歩きすぎたせいなのか。(←休まず歩きつづけるのは2時間が限度と悟った)

やるべきことを紙に書いてテーブルの上に置いてチェックしたので、何もしていないわけじゃないのだけど、なーんにもせずにボーッとしていた気がする。大嫌いな一週間分のアイロン掛けも、まるで知らぬ間に終わった感じ。
やった! という印象がなにもない。

好きなことを何もしなかったからかな。

ピンポーン。

夕方、近所に住んでいる夫の知り合いが採りたてのジャガイモを持ってきてくれた。
ぼーっとしていたからインターホンに応えてしまったけれど、居留守をするんだったとほんのり後悔。

紳士はエントランスホールで待っていてくれる。
お化粧してないけど、いっか。眉しかちゃんと書いてないけど、いっか。一応男性だけどいっか。むしろ、男性だからいっか。
ぼーっとエレベーターで運ばれながらもう一度鏡を見る。ぼーっと見ているからか気にならない。

いただいたジャガイモは、泥もきれいに落とされて紙袋の中、
たった今、畑から来ました!
とばかりに、ハツラツとしたいい顔をして並んでいた。

早く寝て、明日はしゃきっとしよう。  

Posted by ぬにねなに  at 15:51Comments(0)apply

2016年01月21日

造形となってい


富樫倫太郎先生による警察小説の新シリーズです。
2016年1月時点でシリーズには本作の他に『生活安全課0係 ヘッドゲーム』が存在しています。

そんな本作ですが、基本「SROシリーズ」の雰囲気が受け継がれており小早川冬彦は新九郎と重なる人物造形となっています。
いや、冬彦の毒舌ぶりを考えると……違うかな!?
ともかく冬彦の毒舌は凄いです。
これだけでも一読の価値あり。

また、冬彦の急な異動にはどうやら彼が書いた「報告書」が関わっている様子。
これがシリーズに影響を与えるのか!?

さらに、プロローグとエピローグでは「SROシリーズ」でもお馴染みのあの人の名が!?
きっと「SROシリーズ」ファンの方も満足出来るのでは!?

ドラマ版と比較してもいろいろと差異がありますね。
特に原作だと男性だった寺田がドラマ版では女性に変更されています。
こういった比較もまた本作を楽しむ要素ではないでしょうか。

ちなみにネタバレあらすじは大幅に改変しています。
興味のある方は本作それ自体を読むことをオススメします!!  

Posted by ぬにねなに  at 17:06Comments(0)decline

2015年11月18日

集金される事に


11/18今朝明日へのことば、NPO法人キッズドア理事長渡辺由美子さんのトークを聞いた。

工業大学出身で、2000年先輩夫の仕事の関係で、二人の息子とともに家族で英国に暮らし、当時、小学一年生の長男は、英語がわからず優纖美容、小学校の授業が理解できず同級生の保護者がボランティアで勉強をみてくれた。学校は教材費を寄付でまかない外国人家庭や貧しい家庭の子どもたちも分け隔てなく、地域と学校と父母が連携し、協力して育てる社会のしくみに感動したと。

公教育が国の資金に大きく依存する日本と違い、英国では、民間企業が学校をサポートする仕組みが出来上がっていて地元の大手スーパーでは、購入金額に応じて付与されるポイントを物理課程
、消費者が学校に寄付できるキャンペーンを実施するなど、営利企業の販促活動と社会貢献が、うまくかみ合っている事に感銘した。

1年後、帰国し、息子が教育にこんなにもお金がかかるのかとイギリスの学校で集金されたのは、年間で500円の遠足代だけで、日本では給食、教材費、写真代、修学旅行等、様々な場面で集金される事に驚きました。

その頃、日本の子どもの貧困がメディアで取り上げられDream beauty pro 脫毛、経済的に苦しい家庭の子どもたちの存在を知り、年間一人あたり112万円以下で暮らす「貧困」の子どもの割合は15.7%、一人親家庭の子どもの貧困率は51%で、OECD加盟国の中で最悪という数字でした。

日本でも、社会と子どもをつなぐ仕組みをつくりたいそんな問題意識を抱き、2007年、キッズドアを設立しました。

子どもの貧困をなくしたい!生まれてきた環境や、災害によって子どもたちの将来の夢や希望に不平等が生じる社会はおかしいと私たちは考えます。貧困などの困難な環境にある子どもたちにも、公平なチャンスを与えるために、私たちは活動しています。

いろいろ子供への支援の結果、中学生の受験に役立つ学習塾を無料で、富裕の方の使用していない離れを借りて、学生などボランテイアで、寄付などで運営し、ともに活動しているという。一人っ子が母の帰宅すまで、九九もわからない子などを全員高校合格させているという。あっぱれな方でした!

  

Posted by ぬにねなに  at 15:19Comments(0)wallet

2015年09月11日

意味を与えられ


この家は、どこか可怪(おか)しい。転居したばかりの部屋で、何かが畳を擦る音が聞こえ、背後には気配が……。だから、人が居着かないのか。何の変哲もないマン鑽石能量水ションで起きる怪異現象を調べるうち 、ある因縁が浮かび上がる。かつて、ここでむかえた最期とは。怨みを伴う死は「穢(けが)れ」となり、感染は拡大するというのだが――山本周五郎賞受賞、戦慄の傑作ドキュメンタリー・ホラー長編!

ともかくこわい作品だった。
この作品については、その一語に尽きるだろう。
ホラー小説として生理的なこわさに訴えかけてくる点が目を見張る作品である自選組合


小野不由美をモデルにしたと思われる作家を語り手としたドキュメンタリースタイルの作品である。
家の中で畳をするような音が聞こえるマンションの一室。その部屋の住民は、そのうち、そこで異様な黒い何かを目撃するようになる。
作家は、その音について調べて行くうちに似たような現象が同じマンションや、近くのアパートで見られることを発見していく。そういう話である。

異様な状況が、次々とつながっていく様は清邁自由行 、得体の知れないだけに不気味である。そういった描写はすばらしい。

特に音に訴えてくるっていうのがこわい。
ちょっとした変な音ってのは家の中に住んでいれば聞こえるだけに、そこにこわい意味を与えられるとよけいにこわく感じる。

おかげで家の中で、ちょっとでも音が聞こえたら、真っ先に『残穢』を思い出すようになってしまった。
そう読み手の想像力をゆさぶるだけでも、本作は及第点の作品だろう。

そのほかにも赤ん坊が壁から出てくる描写や、黒い人影が見えるところなどはこわくてたまらない。
作家のところにかかってくる謎の電話も、理解できないだけに、不気味さを煽りたててくる。
そんな不可思議な現象が続く中、作家たちは、マンションが建つ周辺の過去を暴きたてて行く。
その過程に見えてくる風景の忌まわしさは何とも言えず、怖ろしい。

とは言え、それも最後の方では、中途半端な形で終わってしまった感はある。
だがそれは、不気味な現象とは、どう受けとめるかの問題だということを示しているのかもしれない。

ともあれ、生理的感覚に訴える描写は見事だった。
ストーリーテリングも抜群で、食い入るように読み進められる。見事なホラー小説である。
  

Posted by ぬにねなに  at 12:12Comments(0)apply

2015年07月11日

盛んに訴え続


生活に必要なお金を求めるのならばまだ判ります。でも、それには「同情されても大金が欲しい」という気持ちが見えますね。もし、成功していたら、億円単位のお金が入ったわけですから。「同情されて」は自分の心を売る行為である事は本人も判らないはずはなかったと思います歐亞美創醫學集團。つまり、お金中心の価値観が根にあるわけで、この問題は同情や障碍者問題を大きく越えるわけです。日本も越えて、19世紀以降の世界の人々の価値観の問題にまで発展します。極めて大きい問題です。欧米はともかく、東アジアにくくって、価値観の問題を見ていきましょう靜脈曲張
日本、韓国・朝鮮、中国と封建制が長く続きましたが、反面、特に庶民層には「心」を重んじる価値観が深くあり、親や先生も子供に「心を育てる教育」をずっと続けてきました。心の大切さとか、どんなに貧乏しても心を失わなければ、難しい状況はしのげるとか。「心」は本当は大事なものだし、心をしっかり持てば、自分なりにしっかりした生き方もできるわけです。本当は、心=生き方であり、自立でしょう。でも、近代化で、西洋から資本主義が入ってきて、お金で人々は序列関係みたいな事が自然に作られ、親や先生の教育もいつの間にか、心からお金に変わりました。無意識的に子供たちにお金中心の価値観を教えるようになったわけです能量水 詐騙。その結果、まず、日本がお金中心の価値観になり、金権政治にもなりました。次いで、韓国と中国が後を追っているわけです。
日本の場合、1950年代から80年代に掛けて、障碍者運動家たちは暮らせるだけの障碍福祉年金運動はしながらも、「お金中心の資本主義社会はおかしい。一番大切な『心』が失われ、その結果、助け合いもできなくなり、障碍を持つ人たちは切り捨てられるのではないか」と世間に盛んに訴え続けたものです。
でも、21世紀になり、かつての障碍者運動からは考えられない価値観の障碍者が偽ベートーヴェンになった。何でしょうね。僕もよく判りません。近年の事件では、東日本大震災の次に僕にとって印象的な事件です。
「心」ですが、東アジアで語り継がれてきたように、本当はものすごいパワーがあるし、本心に従えば、それで個人的にも幸福になれるわけです。幸福な結婚も可能だし、人々が心に目覚めれば、日本も、東アジアも、世界も幸福な地球になれるわけですが、いつの間にか、世界の人々は心を忘れてしまったわけです。もったいないと思います。
「心」がある事をかみしめて、そのありがたみを再発見しましょう。
  

Posted by ぬにねなに  at 13:48Comments(0)huerini

2015年06月12日

自分らは職責を





土門は、全員に撤収を命じた。藤川は反対はしなかった。どのみち、もう一時間もすれば辺りは明るくなる。行方不明者たちが生きているとは激光脫毛價錢思えないので、あとは道路が再開してから、捜索隊を半日ばかり入れてお茶を濁すこ

とになるだろう。そしてまた神隠し谷の伝説に新たな一頁が加わるのだ。
 自然現象で説明できることばかりで、地元には迷惑だろうが、何となくこの森は、人を寄せ付けない雰囲気がある。このまま伝説に守られて人を寄せ付けない方が良いだろうと思った。きっと役場が、「ガス多発地帯に付き立ち

入り禁止」の立て札でも立てるだろう。自分らは職責を果たした、と土門は思った。
 稜線に沿う急な坂道を下り始める。二〇〇メートルほど戻った所で、土門は突然、悪寒に見舞われた。背筋が凍り付くような悪寒に囚われ、ウッ!? と肌膚老化呻きながら立ち止まった。辺りをゆっくりと見渡す。すると、右翼側の谷底で

、何かが光っていた。それはあまりにも弱々しい光だったが、消えることもなく土門の視界に留まり続けた。最初は獣の瞳がマグライトに反射しただけかと思ったが、違った。その眼は一つしかなかった。
 次の瞬間、それが何であるかが閃いた。文字盤だ!……。バックライトに照らされて緑色に輝く腕時計の文字盤に違いなかった。
「止まれ! あれを見ろ!」
 だが、土門がそう言った瞬間、その輝きはふいに消えた。まるで電池が突然切れたみたいに、消えてなくなった。漆黒の闇が広がるだけだ。
「くそ、消えた!?……。誰か見たか? 腕時計の文字盤に違いない! 誰か生存者が、シグナルを送ろうとしていたんだ」
 だが、それを目撃した者は、土門以外には一人もいなかった。
「俺は信じるよ、あんたのセンスを。ただ問題は、あそこはガスの溜まり場ということだ。防毒マスクは効果ないぞ。酸素ボンベを背負わないと」
 土門は、ただちに散開した部隊から、水中任務で使用するエマージェンシー・ボンベを回収した。
 消防団が持っていた酸素ボンベも二本あるが、こちらは生存者救出のために取っておく必要があった。
「四名選抜する。キャッスル、フィッシュ、ボーンズの三名と俺だ。水中と違い、皮膚呼吸でもガスを吸飲することになる。気を抜くなよ」
 土門は、自分のザックを部下に預けて身軽になった。消防団のボンベをそれぞれフィッシュとボーンズが背負う。
 藤川が、「何も指揮官自らが突っ込むことはないだろうに……」と呆れ顔で言った。
「俺しか見てない。きっとあれば、私への合図ですよ。助けてくれという」
 土門は左手にガス検知器を持った。それぞれ単縦陣で、二五メートルの距離を持って前進する。先頭の一人が倒れたら、速やかにボンベを装着して、それを救出して引き揚げるという作戦で行くことにした。正直、生存者がいる

かどうかは半信半疑だったが、シグナルを発した人間がいることは確かだ。
 土門は、右手にマグライト二本を持って谷底へと降り始めた。硫黄臭が鼻を突く。検知器が反応してピピッと、軽度の警報を発し始めた。
 やがてピー! という連続音に変わる。ここから先は、三分以内に酸素ボンベを着用するか、撤収するかせよ、という警告だ。
 土門は、「ボンベ着用!」と後方に合図して、自らもボンベをくわえた。この呼吸の度合いだと、ボンベが持つのはほんの七分だろう。三分で現場に到着、四分で帰らねばならない。
 腕時計の文字盤があれば、マグライトの光に反射するはずだ。やがて後方の三名が到着する。あちこちにマグライトの光を投げかけると、腕時計は見つからなかったが、折り重なるように倒れる人間を発見できた。男一人に女二

人。酷い格好だ。髪は乱れ、服はあちこち裂けている。てっきり死んでいるかと思ったが、小柄な女が激しく咳き込んだ。
「生きている! 生きているぞ!」
 酸素ボンベをあてがう。すでに四分が経過していた。脱出ルートへ戻るのは無理だった。安全なルートを探さなきゃならない。周囲を見渡していると、ま科技護膚たもや、文字盤が緑色に光った。それは一瞬のことで、土門一人しか気付

かなかった。  

Posted by ぬにねなに  at 13:12Comments(0)huerini

2015年06月08日

天使は人間と鳥の


噂は、わたしが着くより早く下宿に伝わり、夕食の席で、下宿人らから〈天使出産〉の一部始終を話すように求められた。下宿人らによると、この町では〈異種出産〉は珍しくはないが、天使が生まれたのははじめてだそうだ。彼らの興味は、天使が卵生《らんせい》ではなかったことだ。わたしは彼らからなんども生まれた状態を訊《たず》ねられた。
「ええ。翅《はね》を折りたたんだ状態で生ま甩頭髮れましたよ。濡れておりましたけど、すぐに乾きましたよ」
 分類学的にいうと、天使は人間と鳥の異種融合だそうだ。むろん、あまり役にたたない議論であることは認める。しかし、キリスト教美術では夥《おびただ》しい天使が描かれている。むろん、翼は天界に属するモノのシンボルだということぐらいは、わたしだって知っている。しかし、進化の過程で翼を得た哺乳類《ほにゅうるい》がいなかったとは言い切れない。馬は翼を得てペガサスとなり、人類は天に昇って天使となったのだ。
 そんな議論をしていると、5号室の住人が食堂に顔を出した。退役軍人の名村昌治《なむらまさはる》で、在籍中は憲兵だったと自称しているが、真偽はわからない。席についた姿は、いかにも制服の権化《ごんげ》と言った感じで、しかし、酒の飲みすぎか血圧が高いのか赤ら顔であった。
 一同、白けた感じだが、わたしは一度声をかけ兒童健康てやり、血圧検査に来させたほうがいいと思った。
 旧憲兵は、
「諸君、天使誕生の祝いに繰り出そうではありませんか」
 と、切り出す。
「いいねえ」
「溝口先生の就職祝いもある」
「いいねえ、わが町へ来た新人歓迎会だ」
「どこへ?」
「われわれの店は〈雀蜂〉と決まっておる」
「むろん、あなたが天使を取り上げた当事者だから、先生のおごりですぞ」
「そんなの、困りますよ」
「赤ん坊が最初に見たのが先生だから、あんたが父親だ。婦長が教えてくれましたぞ。ガラスの保育器の中の赤ん坊の天使は、先生に向かって盛んに笑いかけたっていうじゃありませんか。これこそ、先生がパパだって証拠だ」
「たしかに、とってもかわいいですよ。なんたってエンジェルですからね。でも、身に覚えのない容疑で父親にされては困りますよ」
「いや、証拠はあります。先生が、夜ごと、三階の彼女と交信していることは、下宿のみんなが知っているよ」
 そんな根も葉もないことを……ひどい連中だ。が、
「もっとも下宿の三階に残っておるのは、〈花嫁〉の骸骨《がいこつ》だがね、あそこは時空的に隣の風呂屋に通じておる。従って、〈花嫁〉は風呂屋の煙突兒童餐椅から昇天して空にたなびきますんじゃ」
 ——とにかく、一同はカフェ〈雀蜂〉へ繰り出す。
 お仕着せ姿のドアボーイの磯村が、一行を迎える。一歩入ると中の光はピンク一色。はなはだ扇情的《せんじょうてき》である。
「弱ったなあ」
 と、尻込みするわたしを、連中は、無理矢理、円環状に配置された席の正面に座らせた。
 気が付くと人数が増えている。名村が次々と紹介する。
「ええ。坂下の寺の住職、猫寺|法印《ほういん》でございます。ええ、先生のことはフサからうかがっております」
「ええ。同じく坂下の葬儀屋で人足をしております樹下三平《きのしたさんぺい》でござんす」
「わたしは、デパート宅配人の天馬一途《てんばいちず》です」
「ええ、名村憲兵殿の従卒、花木栄治《はなきえいじ》」
 まだ一人足りないと思ったら、
「ええ。遅くなりました。もうお目にかかりましたが、坂下交番の警官、紺屋|二郎《じろう》です」
 これで、わたしを除く〈この作品の主役たち九人の独身者〉が揃ったことになる。
  

Posted by ぬにねなに  at 16:37Comments(0)

2015年05月15日

ウチでは行ったこ


「本人には了承を得た。 殿下を家で預かりたい」
 星来の話は 渡りに船だった。
 渡りに船ではあるんだけれど、なんかつまんない。
 面白くない……寂しい? のかなあ。
 二人が並ぶと、それはもう絵に描いたような美男美女で、
 文句のつけようが無いのが気に入らない。
 あれっ、これって、もしかしてヤキモチ……かなあ。
 だったら、たぶん初体験かも。
 ……どっち。
 …………私ってば、どっちに嫉妬したんだろう。

 二人の間で すでに話はついていたようで、
 特に反対する理由<牛熊證風險も無く、その日のうちに宿替えになった。
 母さんは がっかりした。
 帰宅した父さんも、火梛が出て行ったと知ると、
 あからさまに がっかりした。
 やっぱり これで良かったんだろう。

 翌日、大学に火梛は姿を見せなかった。
 心配になって、星来に尋ねると、
「殿下は 一人でお出かけになった」
 なんでもないことのように、あっさりと答える。
「ええーっ、大丈夫なのかなあ」
「うん、迷子札と地図と、余っていたもらい物の交通券を持たせた。
 念のために発信機も付けておいたから 大丈夫だろ」
 なるほど万全だ。
 それでも心配がなくならない。
 いつの間に こんな心配性になっていたんだろう。

「ユン、明日の夜は予定があるのか」
「無いよ」
「では 一緒に食事に行かないか。
 親父の知り合いに招待されているのだが、兄貴に急な出張が入った。
 婆さまも 風邪気味で行けない。
 取り消すのは もったいないから、ユンを誘ったらどうだ と親父が言っている。
 火梛も連れていこうと思っている」

「私が行っても良いのかなあ」
「気の置けない人の招待だ。 かまわん。
 世話をした御礼だcorporate apartmentというから、大きな顔でご馳走になればいい。
 飯綱(いづな)瑞祥庵 とかいう料亭だそうだ」
「聞いたことがある。 有名だよね」
「そうか、ウチでは行ったことが無い。
 生平(きびら)瑞祥庵は 老舗だから知っているが」
「飯綱って方も有名みたいよ。 雑誌に載っていた。
 行く、行く。
 あっ、正装しなくちゃ駄目かなあ」
「そんなことは無い。 普通でいい」  

Posted by ぬにねなに  at 12:26Comments(0)

2015年05月12日

一直線にひた走





やがて第二次世界大戦でインドは英国の桎から解き放たれて独立する。
その新しい独立インドの制憲議Amway傳銷会で、首相に就任したネールが記念すべき大
演説をぶち、ガンジーを絶賛した時、ガンジーのために特設された席にガンジ
ーの姿は見られなかった。 その時、ガンジーはカルカッタの貧民街で、ヒンズ
ー教徒が手をつないで、仲良く兄弟のように暮らすべく、説得していた。
 英国からのインドが独立時、ガンジーは宗教の対立を越えて「全体のインド」
独立の理想を追い求めていた。 だが、回教徒連盟を率いるジンナーは、あく
までもインドと分離して、宗教国家パキスタンをつくることに熱中した。 やがて、
その分離独立が決定的になるにつれて、全インドにヒンズー教徒との衝突が起
こり、その衝突は暴風のようにインド中を荒れ狂った。
  「一つのインド」 の理想を捨てず、両教徒の融和を説いて歩くガンジーが、
双方の過激派から激しい敵意を安利傳銷持たれたのは当然の成り行きだった。 絶えず
つけ狙われ、たびたび、手製爆弾をなげつけられながら、不思議にも命をながら
えたガンジーだったが、最後は凶弾に倒れてしまった。

 犯人はヒンズー教右派団体に所属する青年だった。 青年はガンジーの熱烈な
崇拝者を装って近ずき、いきなりピストルをぬくと、至近距離からつずけて三発発射
した。 第二弾を受けた時、ガンジーは 「おお 神よ」 とつぶやいて、こと切れた。
 死に顔にはいつもの柔和な微笑がうかんでいたという。
 議会の特別席に坐り、称賛の拍手に包まれる身でありながら、貧民街でひたすら
「統一インド」 の説教をつずけていたガンジー。
 「インド独立の父」 として、最蟲草高の栄誉を受け、安楽椅子に憩いの日々を送れる
身が、巷で死の危険にさらされているガンジー・・・。
 最後の最後まで 「青春」 を、一直線にひた走り、「青春」 の中でこと切れ
ていったガンジー。
 実に魅力的な存在ではないか。  

Posted by ぬにねなに  at 10:58Comments(0)