まったく自分に向けられていないツイートに反射的にリプライしてしまったことから(申し訳ない)、コピー・コントロール・ディスク(以下、CCCD)について、我々のアティチュードに対する悪辣なデマが流布されているので、ここに記そうと思いました。
別に放っておけばいいじゃないかと言う人もいるだろうけれど、ノエル・ギャラガーとの逸話よろしく、放っておくと何度でも復活して誇張されてしまいます。こういうときには、スルーしないで直ぐに反論すべきだと俺は考えているんです。俺だけでなく、仲間たちの名誉にも関わることなので、なおさら。
CCCDが導入されようとしていたとき、俺たちはドの付く新人でした。ミでも構いません。「崩壊アンプリファー」という作品をキューンというソニー・ミュージック・エンタテインメント(以下SME)内のレーベルが買い上げて再リリースされ、ファーストアルバムの録音を進めているところでした。当時の俺は26歳。脱サラして音楽の道に賭けてみようとバンド活動に本腰を入れて約2年、「こんなバンド売れない」という下馬評のなか、ようやく見つけてくれたのがキューンのスタッフたちでした(レーベルの争奪戦とは無縁でした。笑)。何者かにはなれるだろうという自信も常に持っていましたが、長い下積み生活を考えると、正直ホッとしました。
当時は、CDなんて自主でもなんでもホイッと出せる現在とは随分状況が違いました。レコード会社の予算で作るCDと自分で焼いたCD−Rでは天と地ほどの差が何もかもについて存在しましたし、今みたいに誰でも自由に世の中に楽曲を発表できて、聞き手もネット上にたくさんいる、という時代ではなかったんです。iTunesストアもまだなかったし、各バンドがYouTubeチャンネルを持ってるなんて夢みたいな世の中でした。自分の楽曲をアップしておける音楽用のSNSも普及してなかったような時代だったんです。
まあ、そういうなか、右往左往しながらメジャーデビューを決めて、すんごいお金なかったですけれど、どうにか音楽だけやっていて良い環境を得ることができて、興奮しながら、戸惑いながら、悔しい思いもしながら、一歩一歩、ファーストアルバムに向けて進んでいるという状況でした。そのファーストシングル、メジャーデビュー盤の頃に巻き起こったのがCCCD問題でした。
あらかじめ書いておくと、この問題については、レコード会社ごとに温度差があります。なので、他社のことについてはよく分からない、伝聞や想像で語るしかない、という状況です(例えば、東芝EMIの音楽家たちはほとんど回避不能だったのではないかとか)。今回、俺は自分の身の回りについて書きます。という文言をここで挿入します。
メジャーデビューシングルがCCCDでリリースされることを巡って、当時のアジカン掲示板にはいろいろな意見が寄せられました。もちろん、反対の意見が多数でした。で、俺たちも同じように疑問を持っていたので、ファンの皆さんからの意見を掲示板やメールで集約しつつ、「リスナーからは反対意見が多く来ている」という旨をスタッフにも伝えたし、何よりよく仕組みと機能が分かっていないソニー独自の「レーベルゲート」という方式についての説明会の開催も求めました。「説明会?笑」という意見もありますが、新人でこのような場を設けてもらったのはアジカンだけでした。憶測だけでなく、どういう意図で作られたものなのか、どういった技術なのか、レーベル側の意見を聞きたいということもありました。
端的に、CCCD導入の問題に対する気づきが遅かったのかもしれません。それこそ、今ほどの体力と知力がバンド側にあったならば、もう少しスマートな方法で解決できた問題なのかもしれません。俺は当時、このような日記を書きました。冒頭の「そいでだ」が青くてヤバいですよね。
そいでだ、いろいろ考えてみた。もうなけなしの脳みそ使って考えてみたのよ。
先に結論から言うと、CCCDは現時点で到底賛成できないということ。
導入するにあたっての考え方とかについては言ってることはわかるし、アーティストの権利を守るというのが前提ということもまっとうな考えなんだけども、やはり、「聴けない」もしくは「不具合が生じる」というハード(プレイヤー)がある以上は、どう考えても時期尚早だと僕は思います。
楽曲を作っている僕らとしてもなるべく多くの人に聴いて欲しいし、また、聴く前にリスナーに多少なりともストレスをあたえてしまう環境というのは非常に残念なのです。
僕らは消費されないような真っ当な音楽を作ることに心血を注いでいます。それが聴いてくれる人に真直ぐに届いて欲しいのです。
そう考えるとやはり、まずは聴く側のハード(プレイヤー)の状況が整い、そして音質のさらなる技術革新を行ったうえでの導入でないと、アーティストにとってもリスナーにとっても幸せなシステム(技術)とは呼べません。
これが僕の現在の考えです。
いろいろ複雑な事情を今回知りましたが、敢えてその部分についてはこの日記では触れません。いちアーティストとして、いったい何が大切かっていうことを思って発言してみました。やっぱり、聴いてくれる人に真直ぐに届けたいですよ、本当に。
その他のいろんな絡み合ってる問題やなんかは、今後日記で少しづつ書いて行きます。
お詫びしないといけないこともあります。
えらそうなことばかり書いたのですが、現行では僕らがシングルを出す場合は残念ながらCCCDとなってしまいます。申し訳ありません。
凄く矛盾してますよね。
それについては本当にどうして良いかわからないのですが、やはり届けたい楽曲があるということなのです。音源を全国津々浦々にも届けたくてメジャーに来たわけなのです。ですから、「だったらCD出しません」という結論には到底なれないのです。
自分の意見と現実が一致しないことで心が痛みます。
申し訳ない。
バンドとしても今後、CCCDについていろいろ話し合いをスタッフと持って行きますし、何とかして…という試みも行っていきたいと思います。凄く無力で情けないのですが、アーティストにとってもリスナーにとっても幸せな結果になるように僕らは頑張って行きたいと思っています。
長い文章ですいません。
読んでくれてありがとう。
(原文ママ)
はっきり言えば、デビューシングルの時点でCCCD回避はノーチャンスでした。俺たちは常に「嫌だ」と現場では意思表示していたんです。で、現場のスタッフたちはどうだったか。彼らはサラリーマンですから、なかなか難しい立場でありながら、俺たちの意見には耳を傾けてくれました。アーティスト対レコード会社みたいな二項対立的な状況ではなかったことも、ここに記しておきたい事実です。
その後、SMEは「著作権保護に対して、多くの音楽ユーザーの意識が高まり、一時の混乱期を脱した」「音楽ユーザーが求める音楽パッケージのあるべき姿について慎重な議論を重ね、その結論として、新譜の発売についてレーベルゲートCD仕様の終了を決定した」と発表してCCCDの生産を終了しました。これは、リスナーたちの要求とともに、SMEのなかにも同じ思いのスタッフたちがいて、それぞれの現場で少しずつ意見をくみ上げながら、どうにかこのリスナーとレーベルの間に軋轢を生む技術が撤回されたのだと僕は思っています。もちろん、本の数ミリくらいは、アジカンとしての継続的な意見の伝達が役立ったのではないかと自負しています。
でも、アジカンがCCCDで作品を世の中に出してしまったことは事実です。それについては、当時、本当に胸が張り裂けそうだったし、無力感でいっぱいでした。やっと漕ぎ着けたデビュー作やアルバムを放り投げて、レーベルを出ていくという判断ができませんでした。音楽だけやっていい環境にやっとたどり着いて、希望でいっぱいだったんです。だから、なおさら、悔しかったです。
アルバムに関しては、セカンドアルバムのリリース時はどうなることかと、レーベルをやめなきゃいけない、みたいな気持ちになっていましたけれど(何枚も契約が残っていましたから、その後どうなるかは分かりませんでしたが…)、いろいろな人の思いと偶然も重なって、アジカンのアルバムは一枚もCCCDでリリースされませんでした。ただ、これは本当に、時期が味方したところもありました。それぞれの場所から声をあげてくれたリスナーや、様々な場所で同時多発的に反対の意を唱え続けてくれた音楽家たちに感謝しなければなりません。
その後、俺たちは常々、例えばYouTubeチャンネルの開設だとか、iTunesストアでの取り扱いだとか、様々なことでレーベル側に意見を投げかけてきました。SMEみたいな大きい会社だと、なかなか物事の進む速度が上がらなくてもどかしいのですが、俺たちと近しいことを考えているスタッフや音楽家たちはちゃんといて、遅まきながらも少しずつ、懸案は解決されていると俺は感じています。
これは本当の意味で政治的なことなんです。みんなの大嫌いな、政治的なこと。真正面からブーブー言っても良くならないことが多いなか、粘り強く、いろいろな場所で交渉したり、そういうムードを作ったりして、良くなってきたことでもあるんですね。「レコード会社FxxK!!!」では動かないことなんです。お互いに固まってしまうこともあります。
当時の日記に憤りをぶち撒けなかったのは、「そういうことじゃないよね」とまわりのスタッフに諭されたこともあったからだと記憶しています。いろいろ慎重に資料を読んだり、調べたりしながら、実際に出来上がったシングルの音も聴いたりして、いろいろ悩みながら当時は進んでいたんです。「裏切り者!」というような言葉もあって、傷つきもしましたけれど。
で、本当に、少なくともキューンのスタッフたちは音楽が大好きな人たちの集まりでした。今も、そうだと信じています。俺はいつも興奮して、ああでもないこうでもないと自分の意見を述べてしまいますが、そういう意見をいつも汲んで進んできてくれたし、今でもちゃんと話を聞いてくれます。当たり前だけれど、敵じゃないですから。
ただ、当時、俺たちのシングルにがっかりした人たちには、何度でも謝りたいんです。ごめんなさい、と。
こうして、ゆっくり変えていかないといけないことって、案外多いんじゃないでしょうか。社会のこともそうですよね。CCCDだって、当時のミュージシャンとリスナーに投票権があったら圧倒的多数で否決されたはずです(不買というNO!! を突きつけた方もいますよね)。
投票できること、権利があることはありがたいなと思います。こうした音楽の場で学んだことは、社会を考える上でも役立っています。多くの物事は辛抱強く、粘り強く、交渉しながら進めるしかないということでした。
そもそも発言力がない、決定権がない、という状況になってあたふたしないように(CCCDの問題はそうでした)、注意深くいろいろなことを考えて、これからも進みたいなと思います。声を上げる必要があるときは、もちろん大きな声で訴えかけたいです、手遅れになる前に。
二十代後半の自分が学んだことは、そういうことでした。
ちなみにこの投稿は誰かに向けてのDisではありません。当時同じ思いを抱えていたすべての人たちに愛を込めて、書きました。