小6で"覚醒"
灘(なだ)中学に行きたいとは、自分から両親に言いました。小学6年生の夏のことです。動機は、テニスであの錦織圭(にしこりけい)クン(現プロテニスプレイヤー)に負けたこと。僕は当時テニスにすべてを賭けていたのですが、小6で臨んだ全国大会で2歳年下の錦織クンに惨敗した。
1年前は彼と対戦して勝ったりしたのですが、その年は1ポイントもとれないくらい、まったく歯が立たなかった。天才ってほんとにいるんだ、と思い知らされました。
それで次は勉強でトップを目指すしかない、と決意したのです。
灘中に合格すると、そのまま灘高、東大法学部と進みました。自分で言うのもなんですが、いうなれば"エリートの保守本流"を進んだ。ところが東大在学中に大きな挫折を味わって、アメリカに逃げたんです。でもそこで生まれ変わった。
こう語るのは株式会社ミログ代表取締役の城口洋平(きぐちようへい)氏。弱冠22歳のイケメンIT社長だ。世界でも就職人気ナンバーワンの米グーグルの内定を蹴ったという噂については、「ノーコメント」とのことだったが、そんな伝説が流されるくらい、いまIT業界では注目されている存在だ。
学生8人でミログを設立したのが'09年4月。昨年7月には増資を受けて資本金1億円となり、セキュリティソフトなどを収益の柱として単月黒字を達成した。社員45名、平均年齢28歳。今後が大注目のベンチャー企業を率いる若き総帥が、「これまで」と「これから」を赤裸々に語った。
灘中を目指したのは、灘中には勉学の天才がたくさんいるはずで、彼らと同じ時間を過ごすことが大切だと思ったからです。
父にもそう言って口説きました。父は、自分と同じ公立の中高から慶応大学というコースを進んでほしいと思っていたようですが、「そうか、頑張れ」の一言で認めてくれました。
そこで神戸の学習塾が主催する灘中受験生のためのオープン模試を、友達と一緒に受けに行ったんです。
模試は練習と本番の2回あったのですが、練習の成績は僕が400人中399位で、友達が400位。成績は皆の前で発表され、手を挙げなければならない。もう悔しくて悔しくて、その場で号泣しました。