バーニング社長・周防郁雄氏が初めて語る「芸能界と私」

あの「移籍騒動」からサザンのことまで

マスコミの前には決して姿を見せなかった重鎮が、週刊現代とノンフィクションライター・田崎健太氏の取材に口を開いた。彼の仕事と人生には、さまざまな噂話がつきまとう。2時間にわたって語った真相は、そのまま芸能界の「歴史」だった。

(*連載【ザ・芸能界】過去の記事はこちらから http://gendai.ismedia.jp/list/author/kentatazaki

「バーニング」の名の由来

芸能界に限らず、訳知り顔の「事情通」の話は疑ったほうがいい。

例えば、芸能界には「ドン」がおり、全てを仕切っていて、刃向かうことは出来ない――という類いだ。そういう人に限って、「ドン」には会ったことがなかったりする。

そうした噂話で常に名前が挙がるのが、バーニングプロダクション社長の周防郁雄(75歳)である。彼はどのような人物で、なぜ「ドン」と呼ばれるようになったのか。

そこで今回、バーニングプロダクションに質問状を送ると、会ってもいいと答えが返ってきた。週刊誌はもちろん、彼がメディアの取材に応じるのはほぼ初めてのことだ。

なぜぼくの取材を受けたのか。後述するが、それには理由があった。

彼は仕立てのいいグレーのスーツを着て、待ち合わせ場所の都内のホテルに現れた。その落ち着いた様は週末を利用して孫たちにご馳走するためホテルへやって来たという風情だった。彼は「こういうのは慣れていなくて緊張するね」と笑って呟くと席についた。

 

歴史を語る周防氏

周防がまず芸能界で働いたのは、新栄プロダクションという演歌専門のプロダクションだった。

新栄プロは、'58年に設立された、浪花節専門プロダクション「西川興行社」を前身としている。その後、浪曲師だった村田英雄が『無法松の一生』で演歌歌手としてデビューしたのに合わせて新栄プロと改名した。

「新栄の(西川幸男)社長の家に住み込んで、村田さん、バンドと一緒に年間100日ぐらいは地方をドサ回りしていました。マネージャーの下について仕事を覚えるわけです。給料も安かったですが、自分で車を運転して荷物を運んだり、サイン色紙を売ったり、とにかく何でもやった」

村田は、'61年11月発売の『王将』が100万枚を売り上げるヒットとなり、人気歌手の仲間入りをすることになった。さらに翌年には北島三郎がデビューし『なみだ船』で人気を博した。こうした歌手の面倒を見るのが周防の仕事だった。

その後、ホリプロダクションを経て、'71年10月にバーニングプロダクションを設立する。

「(当時、バーニングに所属していた歌手の)本郷直樹さんのデビュー曲『燃える恋人』からバーニングという名前を取ったという噂があるようですが、事実と違います。『燃える恋人』の発売のほうが後でした。藤圭子さんを担当していたあるディレクターの方が、バーニングという名前を考えてくださったんです」

TBSの音楽プロデューサー・渡辺正文を主人公とした、作家・なかにし礼の小説『世界は俺が回してる』に、当時の周防の姿が描かれている。

〈9月の初めには(※筆者注・ペドロ&カプリシャス『別れの朝』の)テスト盤ができあがった。「おい、周防、ちょっとこの曲聞いてみてくんないか」

音楽分室に来ていたバーニングプロダクション社長の周防をつかまえて正文は言った。バーニングプロの野路由紀子の『私が生まれて育ったところ』が(※筆者注・渡辺のプロデュースする音楽番組)『ロッテ歌のアルバム』の「今月の歌」になっているくらいだから、周防は正文を敬愛してやまない。

聞くなり、周防は、

「こんないい曲、めったにあるもんじゃないすよ。俺にも手伝わせてくださいよ。金なんかいらないから」〉

郷ひろみ「移籍」の真相

実際に、周防はバーニングプロダクション立ち上げ前後に『別れの朝』のプロモーションを無償で手伝っている。しかし、この時の経緯は、少し小説と違っている。

「渡辺さんがぼくに『別れの朝』を聞かせて、お前が(プロモーションを)やってくれ』と言った。

ぼくは、曲を聴いたときに『これは売れる』と直感しました。ただ、プロモーションには当然、少なからぬ経費が掛かる。すると渡辺さんは『お前はこの曲を売って、男になるんだ』と言う。

なるほどな、と思って、必死でお金を集めました。結果的に、大変な借金を作ってこの曲を売ることになりました。うちは1円も貰っていません。『男になりたい』という思いだけだったんです」

「男」とは、芸能界で認められる一人前の人間を意味する。芸能界の実力者を借金を作ってまで助けることは、この世界で仕事をしていく上でのいわば「通過儀礼」だった。

今回、周防が取材を受けたのは、そうした生き方を貫いてきたにもかかわらず、あまりに曲解、誤解されていることが我慢ならなかったから――特に、ぼくが送った質問のうち、少なくとも2点を明確に正しておきたいと考えたからだという。

ひとつ目は、「郷ひろみ」について、である。

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