『伊勢神宮と日本美』著:井上章一
恐竜たちと伊勢神宮
恐竜図鑑に、おさないころは心をうばわれた。ステゴサウルスやティラノサウルスの姿に、胸をおどらせたことがある。そういう想い出のある人は、すくなくないだろう。私も、人なみに、恐竜がらみの絵本などを、読みふけったものである。
だが、そこそこに科学がわかってくると、それらの恐竜図をうたがうようにもなる。恐竜たちは、大昔に絶滅した。今はひとつも生きのこっていない。現代人がうかがえるのは、化石となった骨だけである。そんな骨から、どうしてあの姿形がえがけるのか、と。
まあ、全体的なかまえは、骨がそろえばおしはかれよう。しかし、皮膚の色は、そういうわけにもいかない。赤いのか青いのか、それとも他の色か。骨からは外皮の様子が、うかがえない。なのに、図鑑はそれぞれの恐竜に、なんらかの色をあてがっている。いったい、あの色は誰がどうやってきめたのか。そんな疑問を、少年なりにいだきだしたのである。
まだある。ある恐竜には、ウロコがあったかもしれない。羽根のはえているやつだって、いただろう。こいつには羽根があった、こいつにウロコはない。とまあ、そういった見きわめは、何にもとづいて下されたのか。そこも、いぶかしく思えてきた。
文献学的な才覚があれば、恐竜図鑑をかたっぱしからあつめてみただろう。古いのから新しいのまで。あるいは、日本のそれのみならず、諸外国の本も。
そして、見くらべるわけだ。どの本とどの本は、ステゴサウルスの色が同じになっている。ある年代の図鑑から、ブロントサウルスの皮膚が派手になってきた、等々と。ひょっとしたら、そこからは古生物学の学界地図が、見えてくるかもしれない。
ざんねんながら、そういう分析法に目ざめたのは、ずっとあとになってからである。恐竜にたいする私の興味は、その前にきえてなくなった。今は、この手法で古生物学にメスをいれる意欲が、わいてこない。
そのかわりに、考古学がらみの建築復元を、このごろはおいかけている。
考古学の発掘現場では、太古の建物跡がしばしば見つけられる。また、それがどういう恰好をしていたのかも、よくえがきだされてきた。建築の復元図が、学者によってひねりだされたりもする。それだけにとどまらず、原寸大の復元建築がこしらえられることも、ないではない。
しかし、日本列島の発掘現場にのこっているのは、有史以前のそれだと、柱の穴だけである。あと、竪穴住居の場合は、地下へほりこんだ床の跡が、ほりだされる。それが関の山であろう。
節ひとつない檜材で20年ごとに建て替えられてきた伊勢神宮。その清浄で質素で力強い姿は、日本人の魂の原風景である。伊勢神宮こそが、「日本古来」の建築の原型であるとの主張がなされてきた。明治以降、国家神道となったことにより、その言説はますます強くなった。現代でさえ、古代住居の復元時に伊勢神宮にその形を求めることもある。江戸から現代に書かれた資料を徹底的に読みとき、神宮の本当の姿を解明する。