インフレで給料があがるのはどの産業か?
アベノミスク、特にインフレ目標をいろいろな人に話していると、若い人がきょとんとしていることがある。筆者が社会人になったのは1980年だが、その年より後の生まれた人だ。
考えてみれば、彼らにとってバブル景気はせいぜい小学生のころで記憶がない。物心がついてから一貫してデフレなので、インフレの経験がまったくないのだ。
その一方、筆者より上の世代は、第二次世界大戦直後の猛烈なインフレの印象が強く、インフレと聞くとハイパーインフレと過剰反応する。このときのインフレ率は年率500%くらいであった。もっとも、このときの物価暴騰は戦争で生産設備が壊滅的な打撃を受けたことによるモノ不足が原因だ(2012年11月26日付け本コラム「「インフレで喜ぶのは資産家だけ」という野田首相は「日銀キッズ」でお勉強したら?「金融政策」が総選挙の争点になったのは、国民にとって福音だ!」参照)。
80年代後半のバブル景気の前に、1970年前半の狂乱物価もあった。1974年のインフレ率は20%くらいだった。この原因は、1973年10月に勃発した第四次中東戦争に端を発した第一次オイルショックによると説明されるが、実は変動相場制移行に伴う国内への過剰流動性の供給が原因である。これは金融引き締めでおさまった。
バブル時代は、実は、一般の財・サービスの価格の上昇率、つまりインフレ率は高くなかった。その一方、当時のバブルは株式・土地の資産市場だけで価格が上昇した。カネが資産市場だけに流れ込んだので、資金規制で潰すべきで、金融政策での対応は必要なかったわけだ。当時、筆者は大蔵省証券局にいて資産市場に目を光らせる担当者であったが、株・土地への取引規制を行い、その結果バブルは収束している。
ところが、70年代の狂乱物価とバブル景気を混同して、日銀が金融引き締めを行ったのは大失敗だ。さらに悪いことに、日銀官僚の無謬性があるので、バブルつぶしの金融引き締めは正しい政策だということが、その後の20年間にも及ぶ金融引き締めを正当化する根拠になってしまっている。世界との比較をすれば、20年間の金融引き締めは間違っていたことが明らかである。詳しくは、1月14日付け本コラム「日銀失敗の原点!株式・土地の資本市場だけが価格上昇するバブル退治に「金融引き締め」は間違っていた」をご覧頂きたい。
この20年間、ほぼデフレなので、アベノミクスで人々のデフレ予想をインフレ予想に転換しても、インフレの世界を思い描けない人が多いのは、やむを得まい。
インフレは経済学の格好の研究対象だ。インフレの社会コストは経済学の教科書でしばしば取り上げられている。アメリカで有名な教科書である「マンキューの経済学」にもでているが、経済学者と一般の人の間に大きな認識ギャップがある。