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★芦浜紹介
http://www.ashihama.org/p0.htm
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1963年暮れより、この芦浜に原子力発電所を建設する計画が持ち上がった。芦浜の東側の南島町では当初より一貫してこれに反対しつづけてきた。西側の錦町でも住民投票条例が成立するなど人々がはっきりと反対の意志をもつことが明確になっている。
しかし、今なお、建設計画は破棄されておらず芦浜は悪魔の手のひらにある。
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芦浜は現在も中部電力の所有地であり、立ち入り禁止。
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【参考記事】 120103 反原発町議上村康広氏変死 より
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中部電力が三重県の芦浜に原発を建設する計画に反対してきた中心人物。
恐らくこの人がいなければ既に芦浜原発は建設、稼動していただろう。
地域は反対派、賛成派に分かれ、仲間や兄弟、親戚まで分断させられてしまう状況の中で本当に頑張ってきた。
現在計画は白紙撤回されているが、原発用の土地を中電が持っている限り、再び計画は持ち上がってくるだろうと語っていた。
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三重・芦浜ルポ 「原発を止めた町」で考える
2012/12/1 東京新聞[こちら特報部]
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2012120102000116.html
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脱原発を主張する政党の衆院選公約や要綱を見ると、原発に代わる地域振興策は具体性に乏しい。「美しき故郷」で済まさず、過疎地の崩壊を救う脱原発が求められている。
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金とく「模索 ~原発ができなかった町で~」 投稿者 gataro-clone
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金とく「模索 ~原発ができなかった町で~」http://www.nhk.or.jp/nagoya/kintoku/archives/2012/20120629/index.html
2012年6月29日(金)午後8:00~8:43
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【引用開始】
いま、私たちが直面している「原発をどうすべきか」という問題に示唆を与えてくれる地域があります。三重県の南伊勢町と大紀町にまたがる芦浜です。1963年、中部電力の原発の候補地になって以来、地元は反対派と推進派にわかれて対立を深めました。2000年、住民の同意が得られないために、計画は撤回されました。この地域の人びとは、半世紀にわたって原発を自らの問題として考え続けてきたのです。そしていま、地元では、豊かさとは何かを問う新たな模索が続いています。貴重な証言を交えて、原発ができなかった町を見つめます。
出演者:黒崎めぐみ(NHK名古屋放送局アナウンサー)
<放送で紹介した内容>
芦浜をのぞむ場所へ登る
★黒崎めぐみキャスターが地元の方の案内で 「熊野脇道」と呼ばれる山道を登り、中部電力の原子力発電所が計画されていた芦浜をのぞみます。
※芦浜は現在も中部電力の所有地であり、立ち入り禁止となっています。
番組で紹介した、芦浜を展望するポイントまでの山道は、南伊勢町観光商工課発行の「南伊勢 山歩きガイドブック」に記載されたコースです。
★南伊勢 山歩きガイドブック
町役場などで無料配布 下記HPよりダウンロードできます。
HP http://www.mik2.jp/nature.html (※NHKサイトを離れます)
★南伊勢町観光協会
住所 〒516-0101 三重県度会郡南伊勢町五ヶ所浦3917(町民文化会館1階)
電話番号 TEL 0599-66-1717(午前9時~午後5時) FAX 0599-66-2477
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16-08-2012
【引用終了】
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山本ゆきこ~子どもこそ未来
http://blog.goo.ne.jp/yukiko_1954/e/a7b0c0a1f7ab120cc001d754cde6be25
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【引用開始】
地域振興の切り札として原発計画が浮上し、地域の深刻な対立が続き、署名活動、そして知事の判断で白紙撤回におよんだ記録です。
三重県芦浜町
1966年 中部電力による原発計画が浮上、反対が強く断念
1967年 中部電力浜岡原発計画→71年着工(反対が少なかったため)
1985年 中部電力、町に協力を申し入れ=原発計画の再浮上(*ハマチの暴落)
漁協女性たちのデモ(86年のチェルノブイリ原発事故を受け、運動強まる)
1986年 現町長初当選(当時推進派)
1992年 古和漁協総会 推進派・反対派が半々→推進派逆転 反対派と推進派の対立深刻化
1994年 海洋調査阻止座り込み
1996年 県に反対署名80万筆提出(県民の過半数)
1999年 北川正恭知事、地元への聞き取り
2000.2.22 北川知事、原発立地を巡り地域が37年間割れ続けた苦悩にかんがみ、国策に反対し、原発計画を白紙撤回
(国策に反対する判断が出るとは非常に意外だった)
中部電力は計画を断念
2011.2 中部電力、今後の経営ビジョンに原発計画再再浮上か?!
2011.3 東日本大震災
元推進派だった現町長は現在次のように述べています。
「3.11で安全神話は崩れた。芦浜原発ははっきりノーだ。
原発立地のように立派な総合病院はできなかった。そのかわり、町として病院を往復する無料バスを出すことにした。
目立たなくてもきらりと光るまちにしたい。一隅を照らす政治をしたい。」
署名運動を始めた歯科医は
「経済的な豊かさのみを追い求めることはない。そこそこで生きていける状況でよい。原発というものに頼ってしまうと、大もとの部分を忘れてしまう。活性化という言葉より、本来このまちはどういうところだったか真剣に考えていけば答えは見つかる。
★原発立地自治体への交付金に頼ることにより、地域として経済の自立ができなくなります。
国策に対し、地域の主体性・主権を貫いた北川さんは現在、早稲田大学で「地域主権」をテーマに教鞭をとられています。
【引用終了】
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◆反対運動で、原発ができなかった町がある
http://blogs.yahoo.co.jp/mie_okitsu/10104122.html
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【引用開始】
毎週金曜日、原発反対デモが行われている。
10万人を超える人々が反対を表明しているのに、
テレビでも、新聞でも、あまり取り上げられることはない。
この運動が身を結ぶことがあるのだろうか・・・
そんな気持ちにもなっていた。
しかし、反対運動で、原発ができなかった町があったことを知った。
三重県芦浜
・・・画像・略・・・
出所:http://www.ashihama.org/p0.htm
計画が浮上したのは1964年。
地盤が固く、住民が少ない土地として選ばれた。
「原発は完全に安全」というビラが撒かれた。
これまで反対運動が起こることはなく、福井や福島で原発の建設は進められた。
だが、芦浜の漁師達は、「原発は海を汚す」と反対した。
以下は、400隻の漁船を連ねた抗議行動
出所:NHK「三重/芦浜 模索~原発ができなかった町で」
しかし、満場一致で反対派だけだったわけではない。
原発を誘致すれば、原発交付金が支給される。
原発誘致賛成派も多数いて、町は二分された。
中部電力は、出張所を開設し、原発建築へ向けた調査を始めた。
原発推進は国の政策だったため、エネ庁長官だった中曽根康弘が視察に行った。しかし、水をぶっかけられて退散したという逸話が残る。
三重県知事は、原発建設計画は地元に混乱をもたらしているとして、計画中止を発表した。
・・・画像・略・・・
出所:NHK「三重/芦浜 模索~原発ができなかった町で」
芦浜で計画断念が発表された年、浜岡原発が着工された。
芦浜の原発賛成派は、原発交付金が交付された浜岡を視察に行った。
道路はきれいに整備され、立派なスポーツ施設が建設され、大きな市立病院が開設されていた。うらやましかった。
・・・画像・略・・・
出所:NHK「三重/芦浜 模索~原発ができなかった町で」
1985年、日本の経済成長に伴い電力消費量も増え、芦浜原発の計画が再浮上した
今度は、女性達が反対運動を起こした。
1986年、チェルノブイリ事故が発生し、反対運動はますます強固になって行った。
当時反対運動を行っていた人に聞くと、差出人不明のいやがらせの郵便が多数届いたという。さらに、隣近所の人々との間がぎくしゃくし、小学校の同窓会にも行けなかった。挨拶もしなくなった近所の人や、身内もいたという。ひどいときは、冠婚葬祭の知らせも来なかったという。身近な人々の間に、深刻な分断が起こっていたのだ。
1993年、中部電力は、漁協に海洋調査への協力金として2億円を預けたという。
原発推進派は、中電の協力を得て、衰退している漁業を建て直したいと考えていたという。(中電が、漁業発展のためにお金を出すわけがないとは思わなかったのだろうか? 目の前のお金に目が眩んでいただけと今ならわかるでしょう)
しかし、海洋調査開始の日、反対派に加勢する人達が町外からも大勢訪れ、2,000人にも達し、座り込みを行い、実力行使に出た。
その結果、小さな町だけの問題ではなくなり、三重県全体の問題へと発展した。
半年で80万人の原発反対署名を集めた。80万人とは、当時の三重県民の有権者の過半数に達した。
当時の北川三重県知事は、国策に反対する決定は下さないだろうと見られていたが、「白紙に戻すべき」という決断をくだし、中電も芦浜原発計画の撤回を発表した。
2000年のことだった。
・・・画像・略・・・
出所:NHK「三重/芦浜 模索~原発ができなかった町で」
住民もよく頑張ったが、住民の声を真摯に聞いてくれる知事がいてくれてよかったと思う。福島の不幸は、佐藤栄佐久知事が、こういう事態が起こらないよう社会的に抹殺されたことにもあると思う。
【引用終了】
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◆三重・芦浜ルポ 「原発を止めた町」で考える(東京新聞:こちら特報部)
http://www.asyura2.com/12/genpatu29/msg/134.html
投稿者 みょん日時 2012 年 12 月 01 日 09:10:33: 7lOHRJeYvJalE
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【引用開始】
総選挙・脱原発も過疎対策は素通り 三重・芦浜ルポ 「原発を止めた町」で考える
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2012120102000116.html
2012年12月1日 東京新聞[こちら特報部] (牧)
衆院選では多くの政党が脱原発を掲げるが、原発に代わる地域振興策の議論は不十分だ。原発立地の大半は止まらぬ過疎化に対抗するため、原発に頼らざるを得ない面もあった。三重県の中部電力芦浜原発計画は40年近くに及ぶ反対、推進両派の衝突の末、約十年前に頓挫した。福島原発事故を目の当たりにした住民らは「造らなくて良かった」と安堵(あんど)するが、地域の衰退に手をこまねいている。(佐藤圭)
◆賛否で二分 後遺症も
「平凡な毎日がいかに幸せかを痛感している。推進派は『原発マネーで町が潤う』と宣伝していたが、大事故が起これば生活が破壊される。町の人たちは『あんたが反対してくれたおかげだ』と感謝してくれる」
芦浜原発計画に反対した三重県大紀町の元紀勢町議西村高芳さん(65)は、経営する理髪店の店先でこう力説した。
芦浜は旧紀勢町(現大紀町)と旧南島町(現南伊勢町)にまたがる小さななぎさだ。中部電力は1963年、三重県南部の熊野灘沿岸に原発を建設する計画を公表。その翌年、芦浜が候補地に決まった。
漁業者らが激しい反対闘争を繰り広げた旧南島町とは対照的に、旧紀勢町は当初から推進姿勢を前面に打ち出した。
西村さんは88年の旧紀勢町議選で見事トップ当選を果たした。当時の状況を「推進色が強い町と言われていたが、お客さんと話していると本音では反対の人が少なくなかった」と振り返る。
反対運動は旧南島町の闘争本部が96年、県民81万人の反対署名を当時の北川正恭知事(68)らに提出したところでピークを迎える。県の要請で中電が現地での立地推進活動を休止する「冷却期間」を経て、2000年2月、北川知事が計画の白紙撤回を表明。これを受けて中電は建設を断念した。
計画断念を見届けた西村さんは00年7月、町議を引退。だが、実際には3.11の直前まで火種はくすぶり続けた。
中電は11年2月、新たな原発建設を目指す経営ビジョンを発表。計画地は示さなかったが、芦浜原発計画の再燃が取り沙汰された。中電が芦浜の土地を保有していたからだ。だが、それも福島原発事故で消滅した。
西村さんは「中電は3.11の1年ほど前から、町の人たちを原発視察旅行に盛んに誘うようになっていた。少し風が吹けば、計画が再び一気に燃え上がりそうな雰囲気だった。一度染み付いたタカリ体質はなかなか消えない」と指摘した。
◆脱過疎あっての脱原発
紀勢町は「原発推進の町」だっただけに、今も原発に未練を残す人たちはいる。
推進派だった元漁業の谷口世紀さん(70)は「原発ができれば、雇用が確保できたし、関連の交付金で町おこしもできた。推進、反対両派の対立による人心の荒廃はあったが、町の将来を考えれば、原発誘致はやむにやまれない選択だった」と、自分に言い聞かせる。
旧紀勢町地区の人口は現在、原発計画撤回時の2000年から1,000人減の約3,800人。基幹産業の漁業はじり貧だ。
谷口さんは「どの過疎地でも活性化の決め手はない。(旧紀勢町の)現状は深刻だ。親世代が亡くなれば、そのまま空き家になる。数十年後には地域が消滅してしまうのではないか」と嘆く。
原発を推進しようとした親の背中を見て育った世代は、地域の現状をどう考えているのか。
旧紀勢町の伝統行事保存に取り組む地元女性グループ代表の西村元美さん(56)は「原発計画があったころは、中電が祭りなどの行事に寄付していた。だから今も地域のために無償で汗を流そうという人が少ない。原発に反対した人は私たちの活動を『中電からお金が出ているのではないか』と警戒する」と”原発後遺症”の深刻さを語る。
とはいえ、09年にスタートしたグループの活動は着実に実績を積み上げている。昔の伝承や風習を1話につき1枚で表現した紙芝居は既に35枚。郷土食を振る舞う週末限定のレストランは3年目を迎えた。
西村さんは「伝統行事や郷土食を子どもたちに伝えていきたい。子どもたちが郷土に誇りを持てなければ、未来はない。町おこしは簡単ではないが、私たちが頑張るしかない」と話した。
[白紙撤回した北川元知事]
かつて芦浜原発計画を白紙撤回した元三重県知事の北川正恭・早稲田大大学院教授に聞いた。
─なぜ白紙撤回表明に踏み切ったのか。
「(建設計画が浮上して以来)37年間、『ゴールなきマラソン』が延々と続いていた。いくら推進しても、立地は難しい状況だった。知事には新規立地に関する権限はないが、地域を統括する責任がある。考え抜いた末に『白紙』という結論にたどり着いた」
─中部電力が要請を受け入れるとの確証はあったのか。
「政治感覚としか言いようがない。要請を拒否されれば、ピエロになるだけだ。結果は期待した通りだった」
─旧紀勢町では過疎化に歯止めがかからない。
「反対、推進両派とも原発問題が生活そのものになっていた。(原発に代わる)地域振興策は簡単な問題ではない。芦浜は工業化社会から取り残され、町や住民の気持ちも国頼みだった。白紙撤回表明後、地域のお宝探しを一生懸命やったが、私の知事時代には実を結ぶことはなかった」
─芦浜に限らず、過疎対策の切り札はなかなか見つからない。
「地方も、国を造り替える気概を持たなければならない。補助金頼みの風潮はかなり残っているが、過疎が進んでいる地域ほど危機感を持っている。時間はかかるかもしれないが、活性化のきっかけをつかんだ地域は少なくない」
─衆院選では原発問題が大きな争点になっているが、立地地域のあり方についてはほとんど話題にならない。
「脱原発を実現するのであれば、新エネルギーの普及策や地域振興策なども煮詰めておかなければならない。感覚的に脱原発を叫んでも、上滑りするだけだ。もっと真剣に考えてほしい」
[衆院選各党公約 地域振興 具体性乏しく]
今回の総選挙で脱原発を主張する政党の衆院選公約や要綱を見ると、原発に代わる地域振興策は具体性に乏しい。
民主党は「地産地消の再生可能エネルギーを広め、地域に産業と雇用を創出」と触れているのみ。日本未来の党は「再生可能エネルギーの普及で地域産業を育成し雇用を拡大」、共産党も「再生可能エネルギーへの転換で日本経済と産業の新たな可能性を開く」との表現にとどまっている。
公明党は「雇用調整助成金を積極的に活用し、廃炉に伴う地域支援制度を検討」、社民党は「立地地域支援のための立法を行い、国が責任を持って地域振興と雇用対策を進める」と、法整備の方向性だけを示している。
[デスクメモ]
駆け出しは芦浜と目と鼻の先の熊野灘沿岸の尾鷲支局だった。地元では工業は育たず、漁業や林業も不振。過疎一直線だった。選挙のたび地域振興が語られ、原発や自衛隊基地の誘致話が浮かんでは消えた。それから四半世紀。「美しき故郷」で済まさず、過疎地の崩壊を救う脱原発が求められている。(牧)
【引用終了】
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