で、「江戸しぐさの正体」への突っ込みがひと通り終わった所で、感想というかアレなんだけど、「道徳教育における偽史」という点からすると、「稲むらの火」だの「ハールレムの英雄」だの、“実は創作”な話は結構昔から使われてはいるのだよな、とか。
— 小熊善之 (@0guma) August 26, 2014
そもそも寓話説話の類って殆どが創作じゃね?と……。ただ、「江戸しぐさ」はそういった単純な説話の域からは外れ、オカルトの領域に突っ込んでおりますが。
— 小熊善之 (@0guma) August 26, 2014
道徳教育に寓話説話を用いる一環として、「江戸しぐさ」を用いるのは方法論としてはあり得なくもないかな、と。(「創作である」前提で)
確か水からの伝言の問題でも「いい話なんだからフィクションとしてなら道徳教育で用いて良いのでは」という話はあった気がする。
「江戸しぐさ」や「水からの伝言」は「史実」や「科学」であるところが重要なので、フィクションであるとして導入するのは大変というかかなりムリがあるんじゃないかなと思うんだけれど、道徳教育や、あるいは教育一般においてフィクション・事実性をどう取り扱うのかっていう研究はどれぐらいあるのかな(たとえば道徳教育においてそういう「創作」の位置づけはどうなっているのか、とか)。国語教育も関わる問題のような気もするけど、国語だと「作品」としての枠が強いから意外とそういう問題からは自由でいられるのかなと思ったり。調べ学習なんかとも関連して、「事実」をどう扱うかってのは結構重要な問題としてあるんじゃないかと思うんだけれど、どうなんでしょう。
追記(2015/02/20):関連エントリ
水からの伝言については、何度か批判の記事を書いています。ご参考まで。
「水からの伝言」に言語学の立場から反論する - 思索の海