DSM-5 ドラフトについて

ueyamakzk2010-10-28

各章冒頭の「抄録」が公開されていますが(参照)、一般向けの解説本を何冊も読むより、これ一冊を念入りに調べたほうが何倍も有益だと思います。
DSM-5」が英語で出るのが2013年、日本語で読めるまでにまだ3年以上かかるはずです。 それに、仕上がったブツを見るより、診断基準の制作過程で医師がどこで揉めているか、現行の「DSM-IV」と比較しながら論じた本書は、精神医療サービスの受益者や関係者が、ぜひとも目撃しておくべきシーンのように思います*2

参照1】 【参照2】 【参照3

以下、気になったところをごく一部分だけ引用してみます(参考のためのハイパーリンクや引用部分の強調、補注や段落分けなどは、引用者が勝手に行なったものです)


同書 p.1006 より:

 DSM が目指すところの分類・診断体系とは、現代医学のそれと同じように、精神障害についても病態生理学(pathophysiology)に基づいた科学的な病因論的診断体系を確立することである。 分類・診断の根拠として、科学的エビデンスに基づくと明言し、その上での臨床的有用性を目指すとしている。
 しかしながら、病因が明らかで「疾患単位(disease entity)」として確立されている精神障害は器質性精神障害のみであり参照)、統合失調症をはじめとする主たる精神障害は病因が不明なため、症候群(syndrome)あるいは類型(type,Typus)としてまとめられた「臨床単位(clinical entity)」でしかないDSM のみならず、精神医学の診断体系は、これまでのところ「疾患単位」と「臨床単位」という異質なカテゴリーが混在している状態となっており、科学的な診断基準の確立にはほど遠い

 Kraepelin, E. 自身も目指したように「疾患単位」としての統合失調症の確立を目指して生物学的研究が盛んに進められてきたが、未だに疾患特異性の高いバイオロジカル・マーカーは得られておらず参照)、今のところ、やむを得ず症候学に基づいた「臨床単位」としての診断基準に留まっている。 (抄録では「DSM-5ドラフトにおけるschizophreniaの診断基準改訂の論点」が該当箇所)



同書 pp.991-2 より:

 いままで各 Work Group*3でどのようなことが話し合われてきたかは、正式のモノグラフ(参照)や、APA年会などにおける総論的な議論のみしか公にされていなかった。 どのような障害が新しく加わるかなどは秘密事項であったらしく、ほとんど Work Group の外に漏れてくることがなかった。 それぞれの Work Group のメンバーは守秘義務の厳しい契約の下に働いていたらしい。 Task Force*4はこれを、途中で審議内容が漏れると経済的な問題を含んださまざまな利益の衝突が生じるためと述べていた。
 DSM-III や DSM-IV の成立にそれぞれ主導的な役割を果たした Spitzer, RFrances, A らはこのDSM-5への改訂からは完全に外され、蚊帳の外に置かれていたらしい。 両者は多くの医学雑誌に投書して、その秘密主義を批判していた。 ここにDSM-5ドラフトが発表されるや、Frances, A は診断基準の記述の曖昧さ(いかに彼らが読み間違えのない明晰な文章にしようと苦心したかが縷々述べられている)、危険性と利益比の分析のないこと、法医学的な評価のないこと、過大な費用のかかったこと、ICDとの十分なすり合わせのないこと、などを痛烈に批判し、今後 field trial*5はとうてい予定通りに進むはずはないとまで述べている。 ディメンジョン評価の尺度は煩雑で臨床場面で使えるようなものではないともいう。 (抄録では「DSM-5ドラフトの概観─ディメンジョン評価という新しい診断アプローチの提唱」が該当箇所)


同書 p.1049 より:

 DSM-IV の作成にも携わった現代米国精神医学の立役者の一人である Andreasen は「DSMは、精神科臨床実践に対し非人間化の作用(dehumanizing impact)を及ぼした。 精神医学において中心となる手段である患者の病歴および生活史を聴取することがなされなくなり、DSMのチェックリストで事足れりとされてしまうことがしばしばである」と警鐘を鳴らした。 今回のドラフトにおける圧巻と言ってよいパーソナリティの章は、DSM-IV があまりに皮相的で安直であったことの反省に根ざしているとみることができる。 (抄録では「DSM-5ドラフトにおける「パーソナリティとパーソナリティ障害」」が該当箇所)


DSM-5 に向けた研究過程を記した『DSM-V研究行動計画』(原書2002年8月、邦訳2008年7月公刊)DSM-V研究行動計画では、「人格障碍と関係障碍(Personality Disorders and Relational Disorders)」と題された章が74ページにも及び(邦訳)、そこには次のように記されていました。

 本章の焦点は (1)人格障碍のカテゴリカルな診断法とその I 軸障碍との関係の欠落、および (2)関係障碍診断の不備 の二点である。 この二つは現行 DSM-IV の最大の空白である。 DSM-IV の担当者たちは、この診断体系の欠陥が人格障碍と関係障碍にあることは自覚していたけれども、この難点を補填できるためには大改訂が必要であるとみられ、そのためには当時の臨床経験にもとづくデータベースでは不足であった。 (p.145)

 「DSM-IV-TR の診断法はカテゴリカルな観点からのものである。すなわち《人格障碍》とは質的に判然とした臨床症候群であるというものである」(DSM-IV-TRより)。 しかし、画然たる診断カテゴリーであるというこの仮定の妥当性には疑問が持ち上がっている。 それは相異なる方法を用いたさまざまな研究からの説得力がある疑問の声である。 正常人格機能と人格障碍との間には質的な区別がありそうにみえない。 また、それぞれの人格障碍間にも質的区別がありそうに思えない。 (p.147)

 人格障碍の診断で最も多いものは何と「特定不能の人格障碍」という屑籠的診断である! (p.147)



「特定不能の人格障碍 Personality Disorder Not Otherwise Specified」はなくなり(参照)、
大きな期待が寄せられていた「関係障碍」については、「自己と対人関係」の構成要因に分解されたようなのですが(参照)、これについてはエントリーを改めます。



【参照】



togetter1ch0m先生とDSM-5ドラフトをお勉強」より:

 DSMのお勉強は大事だと思うがこんな風に「名称」とか「分類」は変遷するので,やっぱ診断基準とは別だてとして精神病理学的なことがらを学んでおくことはたいそう意味があることだなと思ったりなんかして。




*1:医師のかたから情報をいただきました(ありがとうございます)。 DSM は第五版から、ローマ数字(時計の文字盤みたいな「IV」など)をやめて、アラビア数字にするみたいですね。

*2:たとえば今お世話になっている精神科医にこの特集の話を振ってみる、というのはどうでしょうか。

*3:分科会、作業部会

*4:任務のために編成された組織

*5:実地試用

*6:クリストファー・レーン(Christopher Lane)著、『乱造される心の病