マネジメント、トリアージとドラッカー
ケーキ
「かわいそうなぞう」はなぜ「かわいそう」か
別に誰を批判というわけではなく、これらを読んでふと思いついたことですが。
fuku33さんのエントリにhokusyuさんがナチズムを持ち出してきて、確かにいきなりの飛躍のように思えるのですが、考えてみるとそもそもfuku33さんの教えておられる経営学、創始者はかのピーター・ドラッカー。
そしてドラッカーのキャリアはナチズムへの批判と分析から始まっていたりするのです。
- 作者: P・F・ドラッカー,上田惇生
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2007/11/16
- メディア: 単行本
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それがマネジメント、近代経営学の始まりなのです。
例えばこの本にこうあります。
われわれは、直ちに第三の道を見つけなければならない。現在の経済社会の基礎を前提にしつつ、新しい自由で平等な脱経済社会を見つけ、発展させなければならない。
経済そのものは、完全雇用をはじめとする非経済的な目的に従属させるべきであることを明確にしておく必要がある。
社会政策というものは、経済的費用を伴わざるをえないとの認識をもつことによって、初めてその社会的な効果を犠牲との比較において評価することができる。そのとき初めて、それらの社会政策が経済にとってもよいことであるかのごとき態度をとることもなくなる。
経済や経営はあくまでも社会のための「手段」であり、社会福祉政策にコストがかかるのは当然である、と。
すなわち、「経済にとって負担であるから社会政策を削る」というのは、ドラッカーのいう「マネジメント」の真逆をやっていることになるのです。それは「経営」ではないのです。むしろ「反経営」なんです。
で、fuku33さんが教えることになった学生さんたちのことを考えますと、現代日本の福祉業界というのはまさにその「反経営」が国家的にまかり通っている分野であって、最初っからマネジメントが崩壊しているわけです。
そんなところに一兵卒としてこれから送り込まれる人たちに対して何か言おうとすると、「トリアージ」が出てくるのも分からなくはありません。「緊急事態」の中に飛びこまざるを得ないんですから。
ただやっぱり、それは「マネジメント」でもなく「経営」でもないと思うのです。
これを「マネジメント」といってしまうと、本来の「マネジメント」を崩壊させた者を免責してしまう上、現場の人々を「自己責任教」に引きずりこんでしまいます。
「トリアージ」のような事態を引き起こさないことがドラッカーのいう「マネジメント」のはずです。福祉の現場で圧倒的にリソースが足らない、それ自体が決定的な「マネジメントの失敗」なのであって、そもそも経営学はそういう事態を防ぐためにあるのです*1。
だからfuku33さんが本当にぶっちゃけたとすれば、「福祉業界は国のマネジメントが大失敗してるから、現場の人は未来のためになんとか生き残ることを考えて」というべきなんでしょう。ただまあ、これから、という学生にそれは言えないわけで。そういう意識が「トリアージ」になっちゃったのかなと想像します。
ドラッカーの創始した「経営学」は単なる儲けの帝王学でもなく、経済合理性の追求でもありません。日本ではそういう部分だけが薄っぺらに切り取られて使われることが多いですが、もし氏が生きていたら失望の極みでしょうね。
ビジネスのドラッカーしか知らない方は是非、上記のような「社会のマネジメント」を語るドラッカーを読んでみてください。「経営学」の本当の奥深さ、素晴らしさを体感できると思います。