3年半ぶりにブログ投稿してみました

最近は相変わらず5ちゃんねる、そしてXやTikTokのコメント欄に書きこんでいます。
なんか言いたいことが溜まってきたので、それをブログにも書いてみました。

私生活としてはリタイアはじめました。
リタイアしてなにをするのか。
リタイアってなにもしないためにするのでは?
経済的に自立して日々生活してます。

久しぶりにブログにアクセスしたら読者4人になってた
ブログってまだ息してるの?

なぜテレビは偏向報道するようになったのか

ネット民は馬鹿でネットで騙され続けているのか?

参院選もあって、最近はテレビでネットはデマが多いから注意しろ、規制しろと、言われている。
ネットが広まった30年前からネットは便所の落書き、デマばかりと言われてきたので、今さらだ。
それでも情報源としてテレビからネットに大きく移っている。
みんなばかでネットで騙され続けているのか?



ジャーナリズムとネットリテラシー

マスコミの人間が、マスコミは情報のファクトチェックをして、正しい情報を流す努力をしている。ネットメディアにそれができるのか?という

マスコミの時代、情報の確かさは発信者に責任があった。
だから裏を取り情報を流す。
ようするにジャーナリズムの倫理。
しかしネットの時代。
誰でも簡単に情報を発信できるようになった。ファクトチェックなんかせずおもしろおかしく情報を流す。
ネットはデマ、ゴミ情報が流れる。
そしてネットでは情報の確かさの責任は受け手にある。
受け手がネットの大量の情報の中からより確かな情報を見つける責任がある。自由である分、自己責任の世界。
ネットリテラシーの倫理。

ネットリテラシーとは、インターネットの情報や事象を正しく理解し、それを適切に判断、運用できる能力を意味する。

 


ネットリテラシーはネット民の常識

<ネットリテラシーの基礎>
・日頃からより確かな情報を発信してるサイト、人を複数確保しておく。
情報を入手したらそこでクロスチェック。
・そもそも正しい情報なんてなくどの情報も発信者の意図が含まれている。
だからクロスチェックの元は異なる考え方、特に自分の考えと異なる場所も含めておく。

 

ネット民は馬鹿ではない。
確かにテレビが警告するように日頃ネットあまり振れないテレビ世代の高齢者はネットの海に溺れるかもしれないが、
ネット世代なら誰でも多かれ少なかれ騙されないように、意識せずともこのようなネットリテラシーを身につけている。

 


ネットリテラシーによりジャーナリズムの偏向報道が明らかになってしまった

このようなネットリテラシーの時代に、クロスチェックする情報に、当然マスコミも含まれる。

テレビ情報だから正しいとはならずに、様々なネットの情報、意見の中の一つとして、テレビ情報は評価される。

たとえばテレビ情報は不思議なことに複数の放送局があってもなぜが同じ意見になることが多い。なにか意図が見えてくる。
ようするに、ネットの多様な意見の中で評価すると偏っている
ようするにネットではマスコミの情報は偏向していることが当たり前になっている
今に始まったことではなくネットの登場で見つかってしまった
ネットリテラシーにより情報は多かれ少なかれどれも偏向していることが当たり前になった

 

たとえば多いマスコミの偏向パターン
・全体的に左に寄っている
・スポンサーなど批判すると都合の悪い組織への配慮が見られる
・マスコミ同士は批判しない、黙殺する
・ネットを敵視しがち

なぜ元NHKアナウンサーたちは参政党に発狂するのか

参政党に発狂するマスコミたち

今回の参院選で突如参政党が躍進した。
マスコミの参政党への反応がなかなかヒステリックリだった。
選挙中にTBS報道特集の参政党へのネガティブキャンペーン偏向報道が訴えられて有名になった。
あからさまではあるがもともとが悪名高い左翼番組なのであんなもんか?

 


有働由美子アナの発狂に騒然

ほぼすべての報道番組で参政党へヒステリックな反応をしていたが、
特に面白かったのが元NHKアナウンサーたちの反応だ。
ニュースステーションの大越アナ、Zeroの有働由美子アナなど、普段比較的温厚なイメージの彼らが参政党党首にヒステリックに説教ともいえることを叫んでいた。

ようするにそれぐらい日本ではずっと右派言論がタブー視されてきた。特に真面目なNHKでは右派言論を言うことを禁止されてきたんだろう。
テレビで放送禁止用語を言ったようなパニックだった。

簡単に言えば、日本が世界大戦で敗戦後にテレビは始まった。彼らの大きな使命が二度とこのような戦争が起こらないよう、右派に振れないように権力を監視する。
戦争で悲惨な目にあった人々に寄り添う。

特にNHKでは徹底的に教育されるんだろう。

だから参政党の右派言説に大して、「お前は先の大戦で亡くなった人びと、そして残されて悲しむ人々が見ている前でよくも右派言説を言えるな!」と心の中で絶叫していた

 


やっと世界並みに極右政党が支持され始めた日本

しかしこれも時代の流れだ。戦後80年、多くの人がテレビよりもネットに参加するようになり、
グローバルに触れて知恵をつけて、日本の左曲がりなテレビの偏向報道に疑問を持つようになり、
なぜ世界で当たり前の右派言説を語ることが禁じられてるのかと気づきはじめてしまった。
そしてテレビからの意味不明な左派圧力をうっとうしく感じて、また参政党が堂々と右派言説を主張する姿に新しさを感じるんだろ。
参政党が良い悪い以前に、日本にもやっと世界並みに右派言説が言える時代へと世代交代が始まった。

なぜホリエモンはお笑いがわからないのか

お笑いで笑うには経験が必要

ホリエモンって頭が良くてたくさん本読んだり人から話を聴いたりして勉強してものすごく知識が豊富なんだよな。
でも笑いってどんなに知識を身につけてもわからないんだよ。
体験なんだよ。
極端に言えばどんなに野球の本を読んでもボールは打てないのようなもの。
笑いをたくさん経験しないと面白さを感じられない。
経験知が必要。
ホリエモンは勉強で忙しくてそういう多くの体験が必要な時間のかかる経験知を子供のころから経験せず身につけてない。
だからエンタメ、お笑い音痴。

 


外国人にダウンタウンは面白くない

ホリエモンが1番面白いお笑いというのは、チャップリンみたいなドタバタ喜劇みたいなものらしい。
あれば人間の生理に訴えかけるから子供でも誰でも楽しめるベタな笑い。
それもいいけと、お笑いはベタからメタヘどんどん複雑になってる。
でもそうなると体験がないとわからない。
ダウンタウンが面白いとしても外国人には伝わりにくい。
やはりいろんな日本のお笑いを体験してさらにメタな切り口を見出したのがダウンタウンだから、それまでのお笑いを体験してる必要がある。
だからお笑いは高度になるほど国ごとに違うローカルになる。

他国のお笑いを理解するのはネーティブにならないと難しい。

 


ホリエモンは運動音痴?

知識豊富でもの知りで新しいことも勉強してプライドが高い。そしてエンタメぽい立ち位置にもいる。
でもみんながエンタメ、お笑いで楽しんでるのがわからない。
だから必死に頭で考えてなにが面白いか分析する。でもわからない。
それで最後にこいつら大して面白くないことに楽しめる頭悪いんだに行き着く。

多分ホリエモンは運動をしてる暇などなかったから運動音痴だろう。それとも同じようにお笑い音痴でも良いじゃん。

なぜ自民党は衰退していくしかないのか

連動する世代間対立

これは一時的なものではない。
安倍政権のときからそう。
日本の地殻変動だよ。
世代間対立が生まれている。
そして時間と共に新しい世代へ徐々に移りゆく。

<世代間対立>
テレビ/ネット
高齢者/若者
中道左派/右派
自民党、立憲/新政党
軍縮/軍備強化
緊縮財政/積極財政

 


テレビからネットへ

世代間対立の象徴がよく見るメディアがテレビからネットへ移ってること
テレビが世論を作っていた時代からネットが世論を作る時代へ
古い世代、価値観に疑問を持ち、息苦しくて感じる。

<テレビの特徴>
情報の独占
情報の価値を評価して提示
ジャーナリズム より正確な情報を提供する
反政治権力
左派寄り 戦争の反省

 

<ネットの特徴>
情報の民主化、誰でも発信できる
情報が多様化、デマが多い
ネットリテラシー 自己判断、自己責任
反テレビ テレビの一元的な価値を批判
右派寄り テレビの左派寄りに反発、左派からの揺り戻し

 


オールド世代の既得権益

ネットで若い世代が知恵をつけて、なおかつ発信力を持ってしまった。
それにオールド世代は恐怖を持ってなんと既得権益を守ろうとしてる。

 
<オールド世代の既得権益
オールド世代  優遇を受けてきた世代
オールドメディア  世論を作ってきた
オールド政党  自民党与党の様々な団体との権益、立憲野党の批判するだけの楽なポジション
オールド思想  左翼。もはや自分たちの経典となった平和憲法をなんとしても守る

 


自民党からの右派離れ

安倍政権は右寄りで、マスコミとも対立してむしろ若い世代の支持が高かった。
しかし安倍さん亡き後、岸田、石破で、自民党内の安倍派含め右寄りを徹底的に排除した。
その時に暗黙に左寄りの力を借りた。
今回の左派が石破政権の延命を訴えるのも、その後の高市右派政権の誕生を避けるためだ。
左派は自分たちは国民に人気なく政権をとれないのことがわかっているから、自民党内の右派を潰すように岸田、石破を支援してきた。
このために自民党の右派よりの支持者たちは国民民主や参政党に流れて、選挙で負け続けた。
そして自民党はオールド世代の代表になってしまった。

 


既得権益の権力団体に支配された自民党

また岸田、石破が左派の力を借りて政権を維持し、オールド世代の代表になったのは、自民党財務省を代表とする各権力団体との既得権益を守るためだ。
あるいは権力団体との既得権益を持つ属議員の支持を取り付けて、自民党内での権力を強固にするため。

第2次安倍政権は権力が内閣に集中して強い基盤を作った。そのために権力団体に対して意見が言えた。しかし安倍政権後に権力団体は安倍政権での反省を踏まえて政権への影響力を強化した。

また自民党内の権力基盤の弱い岸田、石破政権は自らの権力基盤を強化するためにそれを利用した。

そのために政権内は各権力団体がそれぞれの利益を求めて誘導して国民はなおざり。その結果、選挙に負け与党としての自民党が危機に瀕している。

しかしもはや自民党に権力団体にものを言い立て直す力が残っていない。

仮に高市右派政権が誕生しても、自民党内の既得権益を守る力に対抗することは難しいだろう。
自民党はなるべくしてオールド政党を選び、衰退していく。

なぜ日本人のコロナ対応だけが法よりも同調圧力なのか

コロナ対応のさまざま

 

世界的にはほぼ西洋人タイプか中国人タイプになる。なんで唯一日本人だけが変わってるのか。

<西洋タイプ>

憲法の非常事態に基づいた行動制限法、違反したら逮捕。要請したって守るわけない。法律を制限しても暴動起こして反発する

<中国タイプ>

要請なんて絶対無視。法律でも守るか怪しい。だから共産主義権力で、厳しく逮捕、拘束、罰金、資格剥奪。法律に則っているかも怪しい圧力。

<韓国>

一番日本に近くで世間圧が働く。でもあそこも国家権力が強くて法律はしっかり作って守らないものは行動をネットで公開されるとか見せしめやってたね

<日本>

なんか緩いコロナ関連の法律作ったけど使ってないだろう。国家圧力も別にない。なのに世界で一番コロナ対策を行われた。同調圧力と言われる。同調圧力だけで国を左右する国

 

社会系倫理と世間系倫理

 

日本には、社会系倫理と世間系倫理があると言うこと。社会系はようするにこれ法律に基づく法治、ある程度世界標準。

では世間系はなにか?コロナで、日本は欠陥憲法のために非常事態宣言が出せなかった

法的な拘束力持つ私見規制が出せなくて、緊急事態宣言と言う、お願いベースしか出せなかった。

でも日本人は世界一のコロナ体制を取れた。みんなマスクして、外出自粛した。なぜか?世間系倫理が働いたから。同調圧力と言われたけど、その大元は世間系倫理。世間のために、世間が求めるから。

たとえばモリカケさくらの安倍叩き。あれば社会系倫理では問題がない。なにも法に触れてない。かつてのロッキード事件のように明らかに賄賂をもらってたら裁かれるがそれがないのは野党も認めるところ。忖度を禁じる法はない

でもあれたのは世間系倫理。そう野党は法的に問題ないことはわかって、世間系倫理に訴えた。忖度と言う言葉は世間系倫理用語。

面白いのは左翼は本来世間系倫理を認めず社会系倫理、すなわに法を重視する立場なのに世間系倫理使って世間を訴えて同調圧力を促した。そこまでやってなんとしても安倍叩きをしたかった。

左翼は、社会系倫理を重視する立場、世間系倫理という曖昧で日本ローカルなものはできるだけなくす立場。保守、右派は、当然法治国家なので社会系倫理がベースだか世間系倫理も大切にする立場。

日本人はコロナでわかるようになんだかんだ言って世間系倫理を重視している。頭では社会系倫理が大切とわかっていても。だから自民党が安心する。自民党を支持すると言うよりも、心が安心する。

 

世間と社会

 

いまでは世間はすっかりマイナスイメージ。社会は民主的で平等なのに対して、世間は曖昧で古くて抑圧的で薄情。しかし世間が生まれた江戸時代は世間は良いイメージだった。「渡る世間に鬼はなし」世間は公平で弱者も救われる。さらにとても倫理的な意味を持つ。世間には恥じないように生きることが大切なことであった。

それがネガティブに変わるのはまさに明治にソサエティ翻訳語として社会が生まれて西洋的倫理を持つことで対比として世間は貶められた。

世間とはもともと仏教は用語で世界のこと。すなわち日本人が世間的と言うとき、日本人は世間という仏教的な倫理が作用する世界を生きてる。それは江戸時代の長い平安の中で成熟した。

 

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 要するに、西鶴が(永代蔵で)いうには、この世にある願いは、人の命をのぞけば、金銀の力でかなわないことはない。夢のような願いはすてて、近道にそれぞれの家業をはげむがよろしい。人のしあわせは、堅実な生活ぶりにある。つねに油断してはならない。ことに「世間」の道徳を第一として、神仏をまつるべきである。これが、わが国の風俗というものだ、ということである。

そもそも商売は、町人にとって生涯の仕事であり、親子代々に伝える家業であった。西鶴は、自分と家業との関係において、家業にはげみ、諸事倹約をまもるこの必要性を説くいっぽう、<家業>と<世間>との関係において、「世間」の道徳にしたがうことの必要性を説いているのである。

・・・西鶴の作品には、「世間」を道徳基準のよりどころとするような表現がなんと多いことであろうか。たとえば「世間並に夜をふかざす、人よりはやく朝起して、其家の商売をゆだんなく、たとへつかみ取りありとも、家業の外の買置物をする事なかれ」、というふうにである。P60-66

 

「世間体」の構造社会心理史への試み 井上忠司 講談社学術文庫 ISBN:406159852X

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西洋の歴史、哲学を語られるとき、キリスト教と切ってはきれないことは常識だ。しかし日本人を語るとき仏教との関係が語られることが少ないのは何故だろうか。日本人を分析するときでさえ、西洋哲学や、西洋心理学で語られるのはほんとに滑稽だ。そしてほんとに多くの日本人分析の滑稽本が作られて来た。簡単には西洋中心主義のドグマに捉えられた日本人。明治時代以降いまにいたるまで。

しかし本質は決して乗っ取られてはいない。国難となれば作動するのは世間倫理。そして世界で最も日本人に批判的な民族は日本人。ここに仏教の無我が流れている。そして同調圧力の源泉。その否おいて決して満足せず止まらず、勤勉に進み続ける。

 

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大乗仏教の根本原理を「即非の論理」と呼んでいる・・・例えば、「世界は即ち世界に非ず、是世界なり」、また「微塵は即ち微塵に非ず、是を微塵と名づく」等である。これを一般的な形式に引き直すと、「甲は甲であると言うのは、− 甲は甲でない、故に甲である」という方式になる。・・・肯定が否定で、否定が肯定だということになり、普通の論理ではとうてい承認され得ない非合理であり、常識外れも甚だしいと言わなければならない。それにも拘わらずこの即非の論理が、仏教的思惟の根本なのである。

仏教では、物の本然、物の真実或いは物の「在りのまま」の存在を「如」或いは「如々」と呼んでいる。即非の論理は、定立(肯定)されている概念をいったん否定し、この否定を経てもう一般肯定に戻ったときに初めて、その概念に対応するところの物が真実にとらえられると言うのである。

 

「日本的霊性」 鈴木大拙 ISBN:4003332318 P257-258

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なぜいまのコロナ対応は贅沢品なのか

今日の感染者数という謎の指標


コロナはすっかり1日に発見された感染者数が最も重要な指標になった。世界各地で免疫検査されて統計的に住民の数十パーセント、百万人規模が感染していると公表されてる。日本だけが例外とは考えにくく発症していない人も合わせて少なくとも数十万人単位で感染していると考えられる。すると1日に発見される感染者数はたまたまそのときに検査で見つかった人の数でしかない。

しかしそういう話しを専門家も、政府も、マスコミもしない。今日の感染者数だけが語られる。すでに何十万人規模が感染して、死亡者が百人単位ということは致死率はインフルエンザと同等かそれより低い。インフルエンザは毎年何百万人単位で感染して数千人以上の死者がでる。

このようなことは当然知っているだろうが語らない。自粛だ、緊急事態宣言だ、ここまで国家レベルで盛り上げて、いまさら実はインフルより軽いウィルスでしたと、言うことはできないんだろう。じゃあ、この大騒ぎの責任は誰がとるんだと。ここまで来たら、国難であることで押し切るしかない。マスコミも、専門家も、政府も暗黙の合意ができてるんだろう。

さらには多くの国民も暗示にかかってる。このバニックになった状態で、いまさらインフルエンザよりも軽かったと言われても受け入れられないだろう。コロナはインフルより未知でなにが起こるかわからないと洗脳された心は安易に事実を受け入れられない。くしくも戦争前の日本に似ていると言った人がいた。現代では戦争は軍部が悪かったと言い訳をしているが一番後押しをしたのは国民だ。みんなやる気満々だった。


なにが守られてなにが犠牲になっているのか。


死者500人、8割が高齢者。これらの人たちを守るために、おそらく何十万人単位の雇用が危険にさらされている。つぶれた会社、失業は簡単に回復せず、特にその影響は今後も尾を引き、何百万人規模で影響を受けるだろう。

目先心配なのは中小企業だ。2カ月収入がない。でも従業員への給料、家賃、投資への返済と支出は変わらずある。政府の補助がどこまで機能してるのか。

正社員も安心してられない。いまだに日本ではサービス残業など過重労働が問題だと思っている人がいるが、実際は企業は従業員の残業を減らしたがっている。日本は一人当たりの生産性が低いことが有名だが、その一つの要因が企業が抱える過剰な労働力だ。日本は労働組合が強く風土的に正社員をやめさせにくい。さらに日本人は仕事に自らのアイデンティティを求めるために仕事好きで管理しないとどんどん残業する。このために生産物に対して労働コストが高く生産性が低くなる。

国難とされるコロナ対応での企業業績の悪化はこのような慣例を変える可能性がある。コロナ対応を口実に解雇しやすくなる?さらに社外活動の抑制、テレワークなどで仕事が制限され、従業員が仕事から切り離されている。それでも会社が回ることで、本当に必要な仕事は何か、必要な人数は何人か、選別が行われる。

いまのコロナ対策を続ける意味があるとすれば、死者の規模が日本と二桁違うとはいえ、欧米がコロナ対策をしてるのに日本だけしないのは格好がつかない、遅れた国と言われる、収まったときに日本はコロナ放置国家として観光客もこなくなる、オリンピックも開けなくなる。そしてなにより日本で経済活動を続けようにも経済はグローバルだから世界がこの状態じゃやりようがない。なら対外的に見栄え良くする方がよい。政府としてはこの当たりが一番の本音かもしれない。


コロナ対応という贅沢品


こんな前例が作られると今後はどうなるのか。インフルは毎年何千人規模で死者が出る。これから同じような恐怖となるのか。コロナはインフルと同じで絶滅されないだろう。ずっと一定数広がり続ける。コロナ後、人びとは恐怖を生きるのか。こんなことを続けていれば経済的危機がやってきて多くの人の生活が脅かされるだろうから、その時にはじめて、コロナの恐怖と実生活の貧困とのバランスを理解するんだろう。

いまのコロナ対応は簡単に言えば贅沢品だ。豊かさ、経済的な余裕の中で、安心して恐怖することができる。真に貧困が蔓延すればこんな贅沢なことを言ってられない。それより生きなければならない。マスクがないというのと良くわからない。30分もあれば自分で作れるだろう。ネールに何時間もかけてるんだから。

街はほんと穏やかだ。ニュースやネットでのヒステリックが嘘のようだ。こんなに穏やかな街の空気は初めてかもしれない。家族連れが多くてなんかみんな仲良く見える。他の人と会えないし家族で助け合うみたいになってるのか。家族という単位が復活してる感じ。心なしか父親が頼もしく見えるしすごく穏やかにみえる。歴史的な日本の休息と言う感じがする。