僕は結城さんのことが好きなんだなぁ
僕は結城浩さんのことが好きなんだなぁ。彼の書いた「文章を書く心がけ」は自分が執筆をするときにも何度もお世話になった。彼の日記などに時々かいま見える「読者によりよいものを届けよう」という真摯な態度には好感を感じる。以前の僕は宗教と名の付くものが全て嫌いだったのだが、敬虔なクリスチャンである彼の日記を読んでいるうちに、その嫌悪感が軽減した。結局のところ、どんな集団にもいい人もいればわるい人もいるということなんだ。
では、わるい人に対してどう対処するのがよいのか。1601年生まれの哲学者バルタザール・グラシアンはこう言っている。
人の中傷は無視せよ。黙殺で答えることが賢明だ。身の潔白を明かそうとしてペンの力に訴えてはいけない。書かれたものはいつまでも残るから敵を懲らしめるどころかその名を留める手助けをしている。忘却に勝る復讐はない。
なるほどね。400年も経つけども、人間の社会はあんまり変わっていないんだなぁ。
人生の時間は有限で、貴重な資源だ。だから「自分の人生にとって有益かどうか」は「客観的に正しいかどうか」よりも有益な判断基準になる。すべての本を読んで良し悪しを判定することはできない。ある人の今までの振る舞いから、僕が「この人はいい人だ」と判断する場合、そこには「信頼」という目に見えない資源が生まれる。
例えば、住井英二郎さんの関数型言語に関する解説には、僕が関数型言語を学ぶ過程で何度か出会っており、(気を悪くしたらごめんなさい)かならずしもわかりやすい文章ではないけども、概念を正しく伝えようという真摯さが感じられた。その経験から、やっぱり住井さんに対しても正の信頼が生まれている。
一方、そういう信頼の蓄積のない人が新しく現れ、例えば僕にとってあんまり良い物に見えない文章をブログに書いていたりとか、それらの僕が信頼を持つ相手に対して暴言を吐いたりしていると、彼は僕からの負の信頼を蓄積することになる。そして僕は「自分で精査して正しいかどうかを判定する必要性がある」と感じたもの以外に関しては、自分が正の信頼を置く人の意見を信じ、負の信頼を置く人の意見を無視する。僕の人生は有限で貴重な資源だからね。
こういう考え方を権威主義と呼ぶのか、それとも実績主義と呼ぶのか、そういうラベル付けの議論は僕の人生にとって有益ではない。僕にとってはこの考え方は哲学の一分野である「プラグマティズム」だ。
さて、この記事はなんのために書かれたのか。「有益だと思う概念を広く伝えることで、多くの人にメリットを享受してほしい」と肯定的に捉える人もるだろうし、「氏は自著を宣伝しているだけ」というような否定的な捉え方をする人もいるだろう。いっそここで言い切ってしまおう。このエントリーは自著を宣伝するための書かれたのだ!(どどーん)
拙著「コーディングを支える技術」は色々な言語の文法が、一体どういう問題を解決したくて生まれてきたのか、言語設計者の問題意識を考えたり、複数の異なる設計判断をした言語を比較することで、何か一つのやり方が唯一正しいのではなく、目的に応じて適切な設計が変わることを学んだりする本であり、プログラミング言語自体ではなくその生まれてきたストーリーを読みたい人にはうってつけの本である。10件のカスタマーレビューのうち、星5が4件、星4が5件、星3が1件で、星2と星1は一つもないという評価を頂いている。素晴らしい。(自画自賛)
実はこの本は、企画段階では0章に哲学と経営学の章があった。しかし初っ端からあんまり抽象度の高い話をして読者を置いてきぼりにするのは良くないと判断して削った。その後、ページ余白を埋めるためのコラムが必要だという話になった時に、その章の一部が再利用された。このコラムが予想以上に好評で、ぜひもっと読みたいという読者の意見を受けてWeb+DB Pressの特別記事として書かれたのが「エンジニアの学び方」だ。いまはWebで読める。
この記事の好評を受けて連載が開始されたのがサイボウズ式の「続・エンジニアの学び方」だ。編集部の事情で4ヶ月お休みを頂いていたが、来週からまた連載が再開される予定だ。
また、この特別記事の内容を発展させて、筆者はPyCon JP 2014で基調講演をした。この基調講演は若干抽象度が高すぎた感がある。そこで、もっと具体的な話に落としこんでみようという連載が、先日発売されたWEB+DB PRESS Vol.86から始まった。「視点を変えてみよう」というタイトルだ。経営学的な視点をふんだんに盛り込んだ記事を技術雑誌に載せるというチャレンジングな実験だ。どういう反響が返ってくるのか楽しみにしている。
よーし、ひと通り自著の宣伝が終わったぞ!あなたが私を信頼するかどうかは、あなたの自由にすればよい。