最近の漫画
- 「数学ガール」の漫画版が出ているというので読んでみたらおもしろかった。ピュアだ。原作のほうは、二冊目の「数学ガール / フェルマーの最終定理」をまだ読んでない。
- 「アカギ」をダラダラ読み返し。この数年近代麻雀を読んでないのでわからんけどまだ鷲巣戦やってんのかなあ。やってるんだろうなあ。稀に見る泥沼という気もするが、泥沼を楽しんでいるようなところもあり。
- 相変わらず「孤独のグルメ」を読んでいるのだけど、おっさんの独り言の間とかがリアルなんだよなー。これよりいいのは、いましろたかし「釣れんボーイ」くらいという気がするけど、比較してどっちが良いというのではなくて、それぞれの主人公のキャラクタの違いだよな。
- おれが一番好きな麻雀漫画は「ノーマーク爆牌党」なので、アカギ読んでると読みたくなってくる。となるとダンボール掘りか。
- 湯けむりスナイパーが読みたいので、やはりダンボール掘りだ。
というか読んだことある漫画読み返す癖は、読んだことある本ばっかり読み返すようになってるパターンと同じだからあんまよくないな。しばらく、意識して新しいやつを読むように心掛けてみよう。
最近のゲーム
- ヨツヤはあとでいいから「街」を iPhone 移植してくんないかな。iPhone じゃプレイ人口少ないか。それ以前に容量が。だめだな。残念。
- ヨツヤって、街でいう「花火」シナリオ部分が奈須きのこ氏担当なのだろうか。青虫シナリオ相当だったら、かなりおもしろいことになってる気がするんだけどなあ。
- 自分が気に入らなかったゲームのカートリッジをぶっ壊すのもマジコンを叩くのも、一消費者の心理を背景とするパフォーマンスとしてみれば「そういうひとは居るよね」のレベルだと思うんだが、それがダブルスタンダードだと叩かれるのはー…、「ゲーマーの品格」みたいな話にでもしたいのだろうか。いやゲーマーがどうのじゃなくて、属人性の問題なのかなこれは。じゃあゲーオタ関係ないから、いいか…。
- CD とか DVD メディアのゲームって、10 年後とかハードが死滅しても PC のエミュレータで遊べる、という意味で製品寿命が長いのは実は結構メリットで(←ROM の吸出しに電子工作とか専用パーツ購入みたいな敷居の高いことしなくても、普通に PC のトレイにディスク突っ込んでそのままエミュレータに読み込ませればよくなった、という簡便さが重要)。最近は PS2 ゲーも PC で動くようになったので(考えてみればいまどきの PC は PS3 より速いのだ)、本体が不要になった(とはいえ TF6 は一部ボス戦で処理落ちした、特殊な処理をしてるんだろうか)。携帯機では相変わらず独自形式メディアによって配給されているけど、据え置き機においては前世代にほぼ読み取りのハードウェア的な障害はなくなった。が、今世代から導入されたゲームのダウンロード販売が、ゲームとそれを稼動させる本体を紐付けてしまう機能として働き、再度「買ったゲームの余生再利用」にロックをかける属性をもってしまっており、これはパッケージ販売→ DL 販売移行における消費者側のデメリットのひとつだよなーと思う。
- あと、おれみたいにあんま本数買わずにどっちかっていうと気長に一本を遊ぶようなおっさんオタと違い、とにかくたくさん本数を遊ぶ中高生のゲーオタとかって、買ったゲームをクリアすると速攻売って、別のゲームを買う資金に宛てたりしてるわけなんだよね。買って売るサイクルでどうにか本数を遊ぶ生活を維持しているという。そういうひとにとって、パッケージタイトルは「販売価格 - 速攻売ればかなりキャッシュバックされる」というような額面で受け取られるから、じつはフルプライスでも 2 〜 4000 程度の価格として認識されているのかもしれない。て考えると、DL ゲーって結構安くないと「お買い得感」が出ないのかもなーと思った。
- ラストレムネント CM の「こんな世界…守ってみせる」というコピーには、もうどんな顔すればいいのかわかんなくなった。スクエニ社の頑なさをおれは全然好きではないが、こう徹底されるとリスペクトが生じる…。
- ダージュオブケルベロス CM の「仕方がない、世界を救うとしよう」のあたりでは、まだ苦笑いを浮かべる余裕があった。今は疲れ果ててるのかというと違って、なんかこうポカーンとしてしまってつまらない。世界を守るってのがどういうことなのか想像できない。なにをしたら世界というのが守られるのか。