コンテンツが無料で手に入る時代に人がお金を出してしまうもの 〜Comic Walker(コミックウォーカー)と言う革命〜


(※いつだったかお台場で撮った写真)

コンテンツ自体は無料で手に入る

今日KADOKAWAからComic Walker(コミックウォーカー)と言う新しいWebコミックサイトがオープンしました。無料で200タイトルものマンガが読めると言う恐らくウェブコミックとしては過去最大規模のものです。これは本当にすごい。「革命」と言う言葉が使われていますが海外メディア含めて取り上げられている所を見ると確かに圧倒的です。規模と力の入れようが。

最近だと似たものとして先日マンガボックスと言うアプリがDeNAから出ていてこちらも人気のようですね。CMもやってるらしいですし(TV見ないのでわからず…)。この流れでいくと恐らく色んな会社から「無料で」コミックコンテンツが提供されるような時代になっていくんじゃないかと予想されます。どちらのコミックサイト/アプリもビジネスモデルは明らかではないですが、おそらくはフリーミアム(基本無料で一部有料)な形になっていくのでしょうね。

これっていわゆるケータイゲームの世界と構造が同じじゃないでしょうか。基本プレイ無料でガチャとか連続プレイに課金すると言う。ゲーム業界もコミック業界も、既存メディアでのユーザ人口が減って来たところに歯止めをかけるための一つの方法として新しい形を模索している、と言うことなのだと思います。

そして有料になるのはいつも「時間」

マンガボックス、最初の頃はリリースされた全てのコミックが「いつでも全部読める」状態だったのが最近になって過去のものが消え始めました。他のコミックサイトも同じく「いつも見ているなら最新のコンテンツは無料で読めるよ!」と言う状態であるものの、徐々に古いものは見えなくなっていって、過去に遡りたければ「電子書籍買ってね!」と言うビジネスモデルです。いつもリンクしますがこの記事のような話。

あえて対比するならどちらも時間にお金を出しているものの、ゲームの場合は未来を買って、コミックの場合は過去を買っているような感じかもしれません。

ソーシャルゲームの場合にお金で買っているのは「未来の時間」であり、時間を早めるような効果がある。「何時間待たなくてもいい、やりたい時にすぐ出来る」ことが価値になっているから。それに対してコミックの場合、過去のストーリーを電子書籍で買うと言う行為は「あの時の時間に戻る(読み放題だった1ヶ月前に戻る)」ためにお金を出している感じで、それは「過去の時間」を買っているとでも言えるのかもしれません。

だとすると、ビジネスとしては未来への投資の方がえげつないですね。なぜなら未来は「無限」なので。その無限性こそが重課金ユーザが生まれる理由でしょう。他者との競争心と煽られまくった射幸心の分だけ、そのエネルギーを無限に投資出来る「余地」がある。そこがモデルとしてすごくよく出来ている。逆にそれに対して過去の場合は限界があって。例えばコミックの場合だとサイトに掲載されている分の全てのコミックを買ってしまえばそれで終了ですし、そもそも前提として自分が過去に読んで「おもしろかった」と思って「また読みたい」と思えることが前提ですから、そこはゲームと比べて健全と言うかなんと言うか。(そもそもゲームとコミックのモデルを直接対比するのに無理はありますけど。)

富の再配分としてのフリーミアム

お金があっても無くても、際限無く使ってしまう人がいるのはいつの世も変わらないと思います。が、こういう基本無料で一部の人だけ有料と言うモデルはある意味「富の再配分」なのかもしれない。

  • 普通の多くの人は無料で楽しむ
  • でも一部のお金持ちは高度な楽しみ方をする
  • そしてそこから得たお金でプラットフォームは回る

と言う。ビジネスなのでプラットフォーム側は儲かるようになっていかないと継続性は無いですが、プラットフォームもより儲かるように(維持出来るように)普通の人もお金持ちも楽しみ続けられるものを提供し続けるプロセスが回る、、これは至極真っ当な関係性だと思います。

ゲームはガチャや「時間制限ライフ」の仕組みによりビジネスを成立させることが出来ました。ではコミックの場合はどうなんだろう。やはりモチベーションを考えても「過去に対する投資」の力はソーシャルゲームのそれに比べて弱い。ソーシャルゲームで「くそおおお!」と思いながら勢いで課金することはあっても、過去の本の電子書籍を買う時に「くそおおお!」とは多分ならないから。買う理由は「もう一度読みたい」なので、多くの場合は一部のコレクターや熱心なファン、でしょうか。であれば基本無料で楽しめる枠を作った分だけ市場としては減少してしまうように思えてしまってならない。

そしてみんなが同じコンテンツの出所にお金を払う世界に戻るのか

しかしすごく可能性を感じるのは、一年後、二年後にコンテンツの供給元が巨大なコミックサイトのようなものに集約されていった時「少しお金を払うだけで全部手に入るなら払ってもいいや」となり得るところです。1万人が月に1万円払う(=1億円)ではなく、100万人が月に100円払う、と言うような。みんなが当然使っているようなモノであるのなら。

例えばかつてはどこの世帯でも「新聞」を取っていたわけじゃないですか。それって「情報がそこにしか無かったから」「当然みんな何か読むよねと言う空気」とか、いくつも理由があった気がします。ところで新聞のデータ、以下を見たらまだユーザいっぱいいるんですね。。驚いた。

マンガやゲームは別に「必需品」ではないですが、いずれもその文化が誕生して以来ユーザ数はさほど減っていないのではないでしょうか。ゲームに至ってはスマホやDSが普及して拡大している気すらします。少なくともいま30才の自分からすると、トータルの人口は周囲を見渡しても減っているような気はしません。

「ニュース」の価値が今のようにみんな「ネットで見れればいいや」となった背景には「みんなその程度しか望んでなかった」のか、「その程度で満足するようになってしまった」のか、他にも理由がいっぱいある気はしますけど、作るコストと「程度」が相関するものな気がします。一方エンターテイメントコンテンツと言うものはお金を出す出さない選ぶ選ばないと言うのは、基本的には程度問題ではないんじゃないでしょうか。「タダだけどそこそこ面白いコンテンツ」には多分惹き付けられなくて(無料のエンターテイメントコンテンツなんて無数にあるのに)、みんなコミックでわざわざOne Piece進撃の巨人も買っちゃうわけだし映画も見に行くわけじゃないですか。それは「有料だけど超面白いコンテンツ」が選ばれている一つの証拠だと思います。


結局何が言いたいかと言うと「圧倒的に面白いコンテンツを提供し続けると言うなら、その媒体にお金は払われるだろう」と言うことだけです。コミックとか絵とか、エンターテイメントコンテンツは多分誰かが簡単に代替可能なものではないような気がする。例えば1000タイトルのマンガが月額1000円で(100円で?10000円で?)家族でみんな読み放題なんです!これだけあればみんなたのしめます!!と言うようになるなら、払うんじゃないですかね。個別のマンガに対する課金とかでは無くて、Huluみたいな感じで。例えばワンピースとか初版で400万部とか売ってるってことはそれだけ捌けるわけじゃないですか。ワンピと進撃の巨人も含めて月額1000円で新しいもの出たら全部読めるんです!だったら1000万世帯が月に1000円(=100億円)払う、って十分あるような気がする(今の業界の売上規模とコスト構造分かんないからこんな規模でいいのかは不明だけど)。


繰り返しますがコミックウォーカーはやっぱ現時点で圧倒的にイケてると思うのは、量が色んなものを癒してくれると思うからです。これだけあれば多くの人の「お金払ってもいいかなライン」を超えられる可能性がある気がする。そしてガンダムエヴァもカラーで読めるってこれはほんとすごいことだよなー。今後も楽しみでしょうがないのです。

ゲームとマンガと言う自分自身の二大趣味がいよいよ無料の世界になってきて、エンターテイメントを享受する側としてはすごく楽しいです。せっかくだからそれらの良い未来に関わっていくような仕事をしていきたいなぁ、と改めて思うのでした。まる。