バイフォビアってどういうの?
- 世の中には異性愛者と同性愛者しかいないと思っている。
- 年若いバイのアイデンティティを、“本当の”レズビアン/ゲイ/ヘテロ アイデンティティにいたる前に“あんなふうに”アイデンティファイしたのだ、と理解し支持している。
- バイが自分と“反対の”性別の相手とカップルになるとヘテロにアイデンティファイするだろう、と思っている。
- バイ男性がAIDS/HIVとその他のSTD(性感染症)をヘテロに広めている、と信じている。
- バイのひとたちは優柔不断だ、と思っている。
- バイのひとは私の性的ファンタジーや好奇心を満たしてくれるにちがいない、と思っている。
- バイはバイではないものとして“パス”しようとしている、と思っている。
- バイのひとたちは自らの可視性と権利について遠慮がなさすぎで厚かましい、と感じている。
- 仲睦まじいカップルが、二人とも女性ならレズビアン、男性同士ならゲイ、男女の組み合わせならヘテロであると自動的に見なす。
- バイのひとたちは、“異性愛者の側面”についてはヘテロの事業機関から奉仕、情報、教育を受け、“同性愛者の側面”ではゲイと/あるいはレズビアンの事業機関に行くのだろうと予想する。
- バイセクシュアルはいいとこ取りをしたいのだ、と思っている。
- バイの女性がaIDS/HIVとその他の性感染症をレズビアンに広めているのだ、と信じている。
- “段階”“時期”“混乱している”“日和見主義者”“バイセクシュアル”“優柔不断”“スイッチヒッター”という言葉を侮蔑または非難の言葉として使う。
- バイセクシュアルは“反対の”性別のパートナーとだけ関係を築く、と考える。
- バイのひとを見ると、かれらの全体的な人物像よりもむしろセクシュアリティについて無意識に考える。
- バイセクシュアルは自分のセクシュアリティが混乱している、と信じている。
- バイセクシュアルがもし選択を迫られたら、“異性愛者”カップルが浴する社会的利益を獲得するために、“反対の”性別のひととカップルになることを選ぶはず、と思っている。
- 自分がバイセクシュアルだとアイデンティファイされることへの恐怖から、バイフォビックな意見やジョークに立ち向かわない。
- バイセクシュアルとは“便利”を意味すると思い込んでいる。
- レズビアンとゲイのひとたちが権利を勝ち取ったとき、バイのひとたちも権利を獲得するだろう、と思っている。
- バイの友人に同性の恋人がいるときだけゲイかレズビアンになって恋人に関する話を聞く。
- バイは本当のゲイ/レズビアンではなく、また本当のヘテロでもないので信用できない、と思う。
- だれかがバイを名乗るのは、それが“おしゃれ”だから、と思っている。
- “同性”とカップルになれば、バイはゲイかレズビアンにアイデンティファイすると思っている。
- バイの活動家と組織の主催者はバイの問題(すなわち、AIDS/HIV、暴力、基本的人権、権利闘争、軍隊、同性婚、子どもの養育権、養子縁組など)を最小限にとどめ、“レズビアンと/あるいはゲイ”の問題の可視性を優先するはずだ、と思っている。
- 自分がバイだと思われたくないので、バイセクシュアルと仲良くしていると友だちに言ったり、バイセクシュアルのグループと活動したりするのを避ける。
ソースはこちら。
なお、このリストへの付随コメントとして、すでにいくつも出回っているコピペは以下。
わたしはホモフォビアよりバイフォビアのほうが嫌いです。というのも、(1)わたしはそれをより個人的なものとして受けており、(2)しばしばほかのLGTQのひとたちから起こるものだからです。コミュニティのなかでお互いにサポートしあえないなら、わたしたちはいったいだれを頼ればいい?
たぶん、出どころはここ。
いずれも超適当な意訳なので、信用できない場合はご自分で訳しなおしてみてください。