芸人使い捨て問題
一昨年、レイザーラモンHG。今年、小島よしお
かたや「フォ〜」、かたや「はぁい、オッパピー」。同志社大学に早稲田大学。革パンに海パン。どっちも腰振り系。ご存知の通り、レイザーラモン君はすでに消えていない(もちろんどこかで活躍しているのだとは思うけれど、とりあえずテレビでの露出はほとんどない)。
一年後の小島よしお君はどうなっているだろうか。
さかのぼれば波田陽区、ダンディ坂野がいた。いわゆる一発芸人と呼ばれる人たちだ。確かに初めてみた時はおもしろい。新鮮である。しかし、同じ芸しかない。だから、当然いつかは飽きられてしまう。とはいえ、まだ少しでもその芸で笑いを取れる間はおそらく、テレビ局のプロデューサーが同じ一発芸を続けることを強要する。気がついたら、誰も笑ってくれない。相手にしてもらえない。そして消えていく。
使い捨てである。
見どころのありそうな若手芸人をじっくり育てる時間を惜しむ。育てても売れるかどうかわからない若手に時間をかけるよりも、一発で終わることが見えていても「とりあえず売れそうな」芸人を使う。クールにビジネスと割り切るなら、この判断は間違っていないのだろう。
しかし、時間をかけて育てられていない一発芸人のお笑いは、決して長続きもしない。価値創造とは本来、時間のかかるものだ。時間をかけるから価値が生まれるともいえる(もちろんただ時間をかけさえすれば、必ず価値が創造されるという意味ではありません)。
時間を費やすということは、その人の人生の貴重な時間を使うということだ。限られた命ある時間を何かに集中するからこそ、そこに価値が生まれる。
一昨年M-1でグランプリを取ったチュートリアルなどがまさに、時間をかけて笑いの質を高めてきた典型ではないだろうか。チュートリアルのM-1初参戦は2001年だ。以来、常連とは言わないまでも決勝までは何回かたどり着いている。過去のDVDを見ると、一昨年までの深化(誤植じゃないですよ)ぶりがよくわかる。最初の頃は下手やもん、はっきり言って。ところがこの二年ぐらいで笑いの質が明らかに深まっているのだ。話芸、つまりテンポの持っていき方、間の取り方などもこなれてきていることもよくわかる。
その結果が2006年度決勝での史上初の完全優勝として結実した。時間をかけて稽古し、ネタを練り上げたことが笑いの深化につながったのだと思う。
時間をかければ、たいていのことは上達するのだ。武道も同じである。だからといって気の抜けた稽古をいくらしたところで上達にはつながらない。自分が今できる最高レベルをしっかりと把握して、そのほんの少しだけ先のレベルにチャレンジする。オーバーロードである。
育てるのも同じだと思う。
丹念に時間をかけて、いつも今より少しきついレベルの課題を与える。そのためにはいつも相手の成長度合いをきちんと量っておいてあげなければならない。面倒くさいし、根気もいる。でも、そうやって育ててあげれば、やる気のある人ならきっと伸びる。
一発芸人だって、少なくとも一つはバカ受けする芸を創りだせたわけだから本当なら違う芸もできるのではないだろうか。ただ、その一発の芸がとりあえず受けてしまうために、他の芸を研鑽する時間を与えてもらえない。だから使い捨てにされる。彼らこそ犠牲者だし、気の毒な存在なのかもしれない。
その意味ではあえて『あるある探検隊」を封印して地道に漫才道で鍛錬に励んでいるレギュラーがいま、どんな芸を見せているのか。この先、どんな漫才師になっていくのか。とても興味深い。
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昨日のI/O
In:
『それは京都ではじまった/黒田正子』
Out:
メルマガ最新号よりのマーケティングヒント
「トレーサビリティに注目」
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「Wiiは何が違うのか」
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昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター
・基本稽古(組手立ちから)
・ミット稽古