戦後の日本は一九七〇年代半ばに至る三十年の過程で、近代から現代への転換がなされ、戦前からの農耕社会、高度成長期における工業社会、オイルショック以後の消費社会へとシフトしていった。それに伴い、家族のイメージも近代家族から現代家族へと変容していったことを、本連載でも小島信夫『抱擁家族』、山田太一『岸辺のアルバム』、鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』、近藤ようこ『ルームメイツ』、黒岩重吾現代家族』などに見てきた。
今回は一九七〇年代前半における消費社会化が家族にどのような影響を及ぼしたのかを考えてみたい。それが本間洋平の『家族ゲーム』のひとつのテーマのように思えるからだ。あらためて拙著『〈郊外〉の誕生と死』所収の七〇年代前半の新たな社会状況を確認してみると、『家族ゲーム』と通底する事柄がいくつも見えている。それらを挙げれば、日本住宅公団の供給住宅五十万戸突破に示される団地生活の普及と郊外化、自動車が輸送業においてトップに躍進したり、銀座や新宿歩行者天国に反映される車社会化、大学生は百七十万人で、大学進学率30%、高校進学率90%を超える高学歴化、コミックやゲームなどのサブカルチャーの台頭などである。コンビニ、ファーストフード、ファミレスもこの時代に出現したことも付け加えておこう。
『家族ゲーム』には出てこないにしても、それらの事柄と『家族ゲーム』との関係、その舞台が団地、父親が営んでいる小さな自動車整備工場、大学生の家庭教師と息子の高校受験、タイトルに表象されている物語の展開に照応している。そうしたファクターが埋めこまれた『家族ゲーム』は「ゲーム」という言葉に明らかなように、消費社会の物語としての家族を浮かび上がらせ、これまでの家族のイメージのディテールを異化することにつながっていく。その触媒となるのは従来と異なる家庭教師の存在で、それゆえに『家族ゲーム』は一九八一年に第五回すばる文学賞を受賞し、八三年には森田芳光によって脚色、映画化され、松田優作、伊丹十三、由紀さおりなどによって演じられた。その特異なホームドラマ映像に、「キネマ旬報ベスト1」を始めとする多くの賞が与えられたのである。
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『家族ゲーム』の舞台の団地は「夜とともにそれぞれの部屋は人間でいっぱいになり、朝とともに彼らを吐き出し、団地は日々脹らんだり萎んだりするコンクリートのポンプである。人々はそのなかで、一日一日を消化するために生きている」。この「コンクリートのポンプ」という団地のメタファーは反復して使用され、この物語によって来たるべきところ、もしくは家族というパラダイムを暗示しているかのようだ。
『家族ゲーム』は高校二年の兄の慎一=「ぼく」の視点から語られ、家族の住む団地の一室も次のように説明されている。
ぼくらは居間を通り抜け台所にはいって行った。ここはぼくらの部屋と居間、それに台所があるだけだ。ぼくらの部屋より狭い居間には、父の趣味で買われた安っぽいソファがあり、父と母はその傍で寝起きしている。ぼくらがこの団地に引越してきたのは、父が小さな自動車整備工場を持ったのと、ほとんど時を同じくしている。弟が生まれたのも、ここに来てすぐである。
この記述から判断すると、この家族が暮らしているのは所謂2DKで、日本住宅公団が一九六〇年から七〇年代前半にかけて二十五万戸という最も多く供給したものだと見なせよう。そしてまた弟の年齢から推測すれば、家族がこの団地に引越してきたのは六〇年代半ばのはずだ。これも前述の拙著において、戦後の郊外文学の発生は六七年の安部公房の『燃えつきた地図』(新潮文庫)を嚆矢とし、これもまず団地の風景から始まっていることを指摘しておいた。それに加えて、「そっくり同じ人生の整理棚が、何百世帯並んでいよう」と、それぞれに見分けられる「ガラスの額縁」つきの「自分の家族たちの肖像画」があるとの記述がなされていたことも。
このような『燃えつきた地図』の団地とその生活者に関する言及を思い起こすと、『家族ゲーム』もまた団地におけるそれぞれの「自分の家族たちの肖像画」にして、その十数年後の物語のようにも読める。安部がそこで描いていた乳母車の中の赤ん坊が成長し、中高生になった時代の物語が『家族ゲーム』であるかもしれないのだ。
この家族は父と母、「ぼく」と中学三年の弟の茂之の四人である。だが二人の息子たちと異なり、父と母の名前は明かされず、名字も定かではない。兄の「ぼく」は成績もよく、進学校のa高に進み、エリート校のA大をめざし、両親もそれを望んでいる。その兄に比べ、弟はできが悪く、苛められっ子で、高校入試を控えているのに、とりわけ英語の成績がよくない。「兄は、できがいいのに、弟には、困ったもんだ」と父はいう。といって父も十六歳から親方のもとで修業を積みと語り、読んでいるのは講談本であるし、また母も「古めかしい文学全集」が「娘時代の輝く履歴書」だったけれど、学歴を有しているようではない。だが兄弟は「労働の大切さ」よりも「学歴の大切さ」を説く両親の言葉の中で育てられていた。
だから両親は弟の成績を上げるために、これまで五人の家庭教師をつけてきたが、何の効果もなく、そこで六人目が選ばれ、新しい家庭教師がやってきたのである。彼の名前は吉本で、「乞食みてえ」な天然「アフロヘアー」に「張った頬骨と肩幅から、上下のジーンズの上からでも、彼の躰の骨格を充分に想像」できた。しかも彼は「Z大学へ七年、いって」いて、「親が泣いてるだろう」といわれる落ちこぼれ大学生といっていい立場にあるらしい。先に引用した場面は彼を含めた五人が、一緒に夕食をするために台所の食卓につこうとするところである。
新しい家庭教師の吉本は明らかに郊外の団地におけるストレンジャーとして設定され、四人の家族の中にこれまでと異なる「ゲーム」をもたらそうとしているかのようだ。しかしこの物語において、「吉本」という固有名は会話の中で十回ほど使われるだけで。地の文ではすべてがただ「家庭教師」となっていて、それは郊外の団地「家族」とストレンジャーの「家庭教師」による「ゲーム」を象徴しているように思える。その「ゲーム」は「春」から始まり、「再び春」に至る五つの章と季節にわたって展開されていく。
家庭教師への父の提案はまったく即物的で、「のろま野郎」の弟のこれまでの英語の最高点が二十六点だったから、それが六十点になれば五万円、さらに十点上がるごとに二万円を出すというものだった。かくして兄は述懐する。
家庭教師が来てから、ぼくは二人のやり取りを、ゲームを観るように楽しんでいる。
これまでの弟の苦しくなると逃げ出すという方法は、新しい家庭教師に通用しなかったのである。
確かに今度の家庭教師は、今までの人たちとは違う。これまでの家庭教師は弟のこの戦術と抵抗に、すべて為すべき手段を覆されてしまった。一人だけ殴ろうとした者がいたが、母に見られ、それ以後腫物に触るようにしか取扱うことができなかった。しかし、今度の家庭教師は、ぼくやあるいは両親でさえ無視しているようなところがあった。
その新しい家庭教師は弟を怒鳴り、殴り、しごくのだ。それでいて一緒にゲームをしたり、教えながら昼寝をしたりする。また次のように告白する。自分も子供の頃、勉強ができなかったので、Z大学しかいけなかった。「はははは、馬鹿野郎、お前もこうなりたくなかったら、勉強しろよ」と。そうした家庭教師の態度に弟は親しみを覚え始め、勉強に励むようになる。どうやら弟は「学校の勉強なんて、頭の良し悪しとは無関係ですから」という家庭教師の影響を受け、父母の彼への偏見から解放されつつあったのである。なお同時代的な事柄を付け加えておけば、スパルタ教育で有名な戸塚ヨットスクールのしごき事件が問題になったのは八三年、学校でのいじめ問題が深刻化してきたのは八五年で、いずれも『家族ゲーム』の刊行後であり、まだ大きな社会的事件となっていなかった。したがってこの物語と両者の関係はほとんどないと考えていいだろう。
そのようにして新しい季節を迎える毎に、弟の成績は上がっていく。何と英語は六十四点で、家庭教師は賞金五万円を手にすることができる点数に至った。彼は金を貯め、一年に一度ぐらい旅に出るのだ。「ぼく」たちの世代のバックパッカー旅行の模範となるであろう沢木耕太郎の『深夜特急』が刊行されるのは九〇年代半ばのことであり、まだそれは「ぼく」には考えられないシルクロードやアフリカへの「パック旅行でない単独の無計画な旅」だったし、彼が団地に暮らす「家族」にとって、家庭教師であると同時にその価値観を揺さぶるストレンジャーだったことを告げている。また彼が一貫して弟に求めているのは「自分のことは自分で発言し自分で行なう」ことなのだ。
しかし成績が上がったにもかかわらず、弟は自ら志望校をc高からb高へと変更できず、家庭教師自らが「ぼく」と一緒に中学校の職員室に乗りこみ、「私は、沼田の親の代理」だと名乗り、そこで初めて家族の名字が明かされ、弟をしごいた上で志望校を変えさせる。このような東映やくざ映画の殴り込みの道行にも似た体験と、家庭教師の「親の代理」だとの発言は兄弟にひとつのトラウマを与えたようなのだ。さらに家庭教師の呟いた弟が「外側」に出られないという言葉を聞くに及んで、それは兄の「ぼく」もそうだと思うのだ。そうした
中でも弟はc高から変更したb高に合格することができた。父はいう。「よく頑張ったもんだ。兄はだらしないけど、お前は立派なもんだ」と。そして役目を終えた家庭教師は去っていった。
父の言葉に示されているように、兄弟の立場は逆転してしまっていた。「ぼく」は書店で万引をしたり、バイクに乗ったかつての同級生を殴ったり、また家庭教師が去ってからは本格的な登校拒否になってしまった。それは弟も同様で、a高を受け直すという口実でやはり学校を休むようになった。
その兄弟のありさまに父は激高し、母はうろたえ、家庭教師に電話をする。「(……)吉本さんの言うことなら、訊いてくれると、思うのですが、……」。それに対して、電話を代わった「ぼく」に家庭教師は答えるのだ。
「ああ、やっぱりね、おれ、何とかしてあげたいけど、一時的に強制しても、同じことなんだなあ。……結局、家庭という枠のなかでね、それぞれの人たちが、互いに作用し合って、生きてきて、その結果、茂之君が今のように育ってきたわけだから。(中略)
まわりの生活環境自体を変えてしまうこと、難しいことだけどね。……そうじゃない限り、今後も、こういうパターンを、繰り返していくんだろうね」
時代と社会構造は変わっても、「家族」=「家庭という枠」を新たに編成していくことの困難さが語られている。それは家庭教師がいうように「まわりの生活環境自体を変えてしまうこと」が「難しい」からだ。
さてここからは『家族ゲーム』に関する私の仮説を述べてみよう。この家庭教師の名前が「吉本さん」であることは意図的で、吉本隆明をモデルとしているのではないだろうか。その容姿についての「張った頬骨と肩幅から(中略)彼の躰の骨格を十分に想像することができる」といった記述は、まさに吉本の風貌や身体を彷彿させる。それ以外のことは異なっているにしても、家庭教師が茂之に要求する「自分のことは自分で発言し行なう」は吉本の「自立」とまったく重なっている。そして兄弟が「外側」に出られないとする視点は、団地というトポスがもたらす共同幻想、家庭という対幻想の領域から自己幻想へとうまく抜け出すことができない消費社会における子供たちのアポリアをほのめかしているようにも思える。
このように読んでみると、本間の『家族ゲーム』は吉本の『共同幻想論』をベースにしたファミリーロマンスのようにも映ってくるし、ふと「物質的な基礎が発達すれば発達するほど、人間の幻想領域というものはかえって逆行したがるというような矛盾した構造ももちうる」という『共同幻想論』の「序」の一節が思い出されてしまう。ちなみに『共同幻想論』が角川文庫化されたのは、『家族ゲーム』の出版と同年の一九八二年であった。
(河出書房新社)(角川文庫)