前回の山田太一の『岸辺のアルバム』の系譜を引き継ぐホームドラマとして、一九八三年に鎌田敏夫の『金曜日の妻たちへ』が放映された。これは『岸辺のアルバム』と異なり、続編も制作され、『大衆文化事典』(弘文堂、一九九一年)に立項されている。それらは『金曜日の妻たちへ』のテレビ放映の人気、及びその反響と波紋が『岸辺のアルバム』以上だったことをしめしていよう。とはいっても、やはり三十年前の作品であるから、まずはその立項を引いてみる。
『金曜日の妻たちへ』
1983年にいわゆる「金ドラ」枠で放送(TBS系)された連続ドラマ。その後好評に応えるかたちでパート2、副題『男たちよ、元気かい?』(89年)、続いてパート3『恋におちて』と相ついで放映された。従来の連続ドラマステージは下町の老舗とか山手でも戦前からの有名な住宅地域だった。しかしテレビ視聴層の主流は大きく変わり、彼らの大半は郊外かそれに近い集合住宅住いであり、テレビドラマが描く生活環境や現実とはずれていた。『金妻』の舞台は、多摩丘陵から湘南にかけての新興のニュー・タウンである。エステート型とメゾネット型(三層住宅)を散在させ小公園も点在する環境のなかでの若い夫婦たちのライフ・スタイル、それをバックに不倫とよばれる関係を中軸に据えて彼ら数家族の心の揺れを追ったドラマ。登場人物たちは大学時代のクラブ活動などの先輩後輩の関係である。彼らの交流は旧世代の親戚付き合いや近所付き合い以上の濃密さがある。ベビーブーム世代、現代ッ子世代、全共闘世代とよばれ、今では団塊の世代だ。その彼らにとっては祖父母・父母のタテ型家族より、友人などヨコの絆のほうを優先させる。週末の夜は順ぐりで家族ぐるみの食事をし語らう。そのやりとりと、そこから芽生える愛の切実さと不毛さを追う内容(脚本・鎌田敏夫)。新しい中流生活の様式を描くことで時代とも接点をもったドラマ。キンツマ症候群という造語も生まれた。
(『男たちよ、元気かい?』) (『恋におちて)その俳優たちも挙げておこう。物語のコアとなる三組の夫婦を演じたのは、古谷一行といしだあゆみ、竜雷太と小川知子、泉谷しげると佐藤友美である。『岸辺のアルバム』と同様に、残念ながら『金曜日の妻たちへ』も見ていないので、省略せずに引用してみた。ちなみに『岸辺のアルバム』の「浮気」は、『金曜日の妻たちへ』の出現によって「不倫」へと転換され、流行語になったと伝えられている。
この『金曜日の妻たちへ』は『岸辺のアルバム』とは逆のかたちで、鎌田敏夫自身によってシナリオが後にノベライゼーションされている。ここではそのノベライゼーションによって、その「新しい中流生活の様式を描くことで時代とも接点をもったドラマ」をたどってみよう。その前に留意すべきは「テレビ視聴層」の変化にしても、「新しい中流生活」の出現にしても、一九七五年に戦後世代が過半数に達し、日本が戦後世代社会へとシフトし始めていたことで、『金曜日の妻たちへ』の物語の時代はそれから八年後なのである。
その冒頭において、その主たる舞台となる中原夫婦の生活環境が提出されているので、まずはそれを見てみる。
ダイニングキッチンの大きな窓から、西地区のテラスハウスが見えている。
キッチンの見える風景が、久子は大好きだった。緑の多いゆるやかな丘陵に、オレンジ色の屋根の集合住宅が、ゆったりとしたスペースで建ち並んでいる。
久子の家も、窓から見えているのと同じテラスハウスなのだ。
幹線道路をはさんで、ニュー・タウンの広い敷地が、東地区と西地区に分かれていて、久子たちは東地区の方だった。このテラスハウスは4LDKで、三千五百万円だった。四軒のテラスハウスから一棟がなり、二階が玄関で、白い専用階段があり、そこには花の鉢が置かれていた。それは本当に「安い買物」ではなく、貯金と会社からの借金で頭金を払い、残りはローンを組んで購入したものであり、ボーナスはほとんどローンの支払で消えてしまっていた。都内の商社に勤める夫の宏にとって、このニュー・タウンは都心から一時間以上かかるので大変だが、妻や子供たちにとってはまだ秋と冬の半年しか暮らしていないけれど、「ここは天国」だった。一日の時間の流れや季節の移りかわりがはっきり感じられるし、サッカーや野球もできるグランドまであったからだ。
最寄りの駅が田園都市線のたまプラーザ駅であることからすれば、この地域は多摩ニュータウンであり、その中でも一九七〇年代後半から八〇年代前半にかけて新たに開発されたエリアだと見なせよう。多摩ニュータウンの第一次入居開始は七一年で、それに先がけ、六九年に二子玉川高島屋ショッピングセンターが開店している。『金曜日の妻たちへ』に出てくる駅前のショッピングセンターはそれであろうし、本連載57でも既述している。
ただこの『金曜日の妻たちへ』のニュータウンの開発が日本住宅公団なのか、それとも民間資本によるものなのかは言及されていないが、中原家のメゾネット型の集合住宅は『日本住宅公団20年史』(一九七五年)の「標準設計平面図」にも見当たらないので、民間による建設物の可能性が高い。それに周辺には高層マンションや分譲住宅があるとの記述もそのことを裏付けているように思われる。またそれが八〇年代の土地開発と住宅建設の特質でもあったのだ。
中原宏は三十八歳の商社マンで、大学時代はラグビー部員、妻の久子は短大を出て、地味な会社に勤めて結婚し、小学四年と一年の男の子が二人いる。拙著『〈郊外〉の誕生と死』において、郊外生活者のたどる典型的回路が「木賃アパート→団地→マイホーム」であると指摘しておいたが、中原夫婦もまたそのようにして現在の住居に至っている。
それらの様々な設定を考えると、『金曜日の妻たちへ』は、十年後の『岸辺のアルバム』であり、こちらには写真のアルバムこそ出てこないけれど、物語のベースには七〇年代の記憶のアルバムが埋めこまれている。その物語のトポスは多摩川の内側ならぬ向こう側のニュータウン、主たる登場人物は戦前生まれではなく、戦後生まれに他ならず、所謂「団塊の世代」が郊外と結婚の物語を演じることになる。八〇年代とはそのような時代に他ならなかった。
中原家を取り巻く二組の夫婦もやはり同世代である。村越隆正は四十歳の外車販売会社の社長、妻の英子は元スチュワーデスで、久子の短大の同級生で十歳の娘がいて、近くの土地つき一戸建てを購入して住んでいる。田村東彦は三十四歳の区役所勤めの公務員、年上の妻の真弓は三十八歳のイラストレーターで、中原夫婦とは同じ団地住まいの友人だったことから、このニュータウンへも一緒に越してきていた。
そのような関係を通じて、これらの夫婦と家族は休日にはいつも集まって食事をしたり飲んだりして、それがもう十年も続いていた。その中心となる中原家のダイニングテーブルは十人も座れる「コミュニティテーブル」で、そこが「中原家の社交場」でもあった。それは『岸辺のアルバム』にはまったく見られなかった光景だし、もはや郊外の主婦の孤独は追放され、戦後生まれの世代による新しい郊外のコミュニティのかたちがまずは提出されていることになる。当たり前のようにジーンズ姿でワインが飲まれ、ビートルズや全共闘のことが語られる。したがって「中原家の社交場」とは、従来の親兄弟、親類、会社の人間といったメンバーで構成されておらず、世代とライフスタイルを共有する友人たちによって担われ、それが十年間も続いてきたのである。「すごい事なのよ、十年間こうやってワイワイやってこれたの」。
かつてはどの家にも子供はおらず、中原の団地の狭い部屋で日本酒の二級とサントリーの白を飲み、安いステレオでビートルズの「イエスタディ」や「ミシェル」などの切ない曲を聞いたものだった。だが今の「食卓の上も窓の外の風景も、あの頃から比べると、はるかにぜいたくになっている」。この述懐は七〇年代後半から八〇年代前半にかけての消費社会の成熟がもたらした豊かさでもあり、それによって家族の第三次産業化とエンターテインメント化も促されたようにも思える。そのようなファクターをベースとする家族がニューファミリーと命名されたといっていい。あるいはその後に立ち上がってくるシェアハウスなるコンセプトも、このような疑似家族のイメージに起源を持っているのかもしれない。
しかし久子のもらす「もともとは他人だもの、夫婦だって。(中略)この世には、大勢の男と女がいるわけでしょ。その中で一人だけを選んで、小さな屋根の下で死ぬまで一緒に暮らして……切ないと言えば、そっちの方が切ないわよ」という言葉をきっかけのようにして、「中原家の社交場」にも波紋と亀裂がもたらされ、顕在化していく。
それはニューファミリーと疑似家族にとって、世代や環境を異にする他者というべき二人の女性の侵入と攪乱を介して進行する。若いモデルの玲子は「泥棒猫」のように隆正の愛人になり、英子を離婚へと至らせる。もう一人のOLの佳代は『金曜日の妻たちへ』にあって、明らかにファム・ファタルとして、宏を誘惑し、籠絡に掛かる一方で、宏のラグビー部の後輩の神谷も翻弄する。それは「いつもゾロゾロくっついて……お友達ごっこでもしているつもりなんですか、いい年をして……」という彼女の言葉に表象される、「中原家の社交場」を崩壊させたいという意志に基づくものだ。玲子と異なり、「普通の女じゃない」佳代のプロフィルは明確にされず、物語の中で絶えず異物、もしくはストレンジャーのように存在している。彼女は新しい共同体としての郊外の「コミュニティテーブル」につくことを、あらかじめ拒まれた存在のように描かれている。
だが玲子にしても、佳代にしても、彼女たちもまた久子や英子や真弓の分身であるかもしれないのだ。隆正は玲子と再婚し、彼女は新しい妻や母として、英子の代わりを務める。離婚した英子は佳代の代わりのように、宏と関係を持つ。それらは「中原家の社交場」の鏡像なのであろうし、それを直視できない英子はフランスへと旅立っていく。そして『金曜日の妻たちへ』のクロージングは「ダイニングに宏と久子の二人きりになった」という一文で閉められている。それは郊外の「コミュニティテーブル」の困難さを暗示しているようにも思える。
一九三四年生まれの山田太一が『岸辺のアルバム』で、自らと同年の主人公と近代家族の悲劇的終末とその再生の行方を描いたことに対し、三七年生まれの鎌田は同世代ではなく、戦後生まれで消費社会を生きることになった主人公たちと現代家族をテーマとしたことになる。それゆえにテラスハウスを舞台とする『金曜日の妻たちへ』は、必然的に現代家族のクリティックも含めたパロディの色彩を帯びて提出されたと見なすこともできよう。