誰もが社名やそのサービスを知りながら、全体像がつかみにくい企業。記者が抱いていたイメージはそうしたものだった。日経ビジネス10月16日号の企業研究「リクルートホールディングス 創造への破壊は続く」では、2018年3月期に売上高2兆円を突破する勢いで成長を続ける同社について詳報した。積極的なM&A(合併・買収)を通じてグローバル化を推進する一方、新たなビジネスの芽を生み出し続けようとする内なるエネルギーの源泉や今後の展望、創業期から育まれてきた企業文化に迫った。

 日経ビジネスオンラインでの連動企画の1回目は、創業者である故・江副浩正氏について取り上げる。時代の寵児として賞賛されながら、1988年に発覚した「リクルート事件」で表舞台から姿を消した著名起業家だ。今回、記者はリクルートホールディングスの現社長である峰岸真澄氏をはじめ、多くの役員、現場社員、OBまで多くの関係者を取材。全ての人に、「江副氏のDNAとはどのようなものか」と問うた。その答えから、リクルートの競争力の源を解き明かそうと試みた。

 直接会って話を聞いてみたかった――。記者が今回の一連の取材を通じ、江副浩正氏に対して抱いた感想だ。一方、リクルートホールディングスの現役社員の中にも、こんな思いを持っている人は少なくないのではないか。リクルート事件をきっかけに江副氏が経営から退いたのは1988年。2013年2月に死去してからまもなく5年になる。江副氏を直接知る現役社員は、もうほとんどいない。

 それでも、今回取材を進めるうち、江副氏のDNAは確実に、脈々と受け継がれていると強く感じた。事件の影響などもあり、社員研修など公式に目に見える形でその言葉や考え方を学ぶ機会があるわけではない。むしろ、リクルートという会社の“血肉”に入り込み、経営陣の意思決定や、現場社員の日々の業務の中に息づいているからこそのDNAなのだ。

1988年、リクルート事件に関して国会の証人喚問に応じる江副浩正氏。会社に功罪両面の遺産を残した(写真:Fujifotos/アフロ)
1988年、リクルート事件に関して国会の証人喚問に応じる江副浩正氏。会社に功罪両面の遺産を残した(写真:Fujifotos/アフロ)

 東京大学教育学部に在学中、19歳で東大新聞の広告営業を経験した江副氏が、リクルートの前身である「大学新聞広告社」を立ち上げたのは1960年。米国の大学で配布されていた就職情報のガイドブックを参考に、62年に今も続くビジネスモデルの根幹となる求人情報誌『企業への招待』を刊行した。

 それまで企業の採用情報の公開は限定的で、就職は推薦や縁故で決まることも多かった。それを一覧できる広告として広く一般に公開。学生が自分の意志で就職先を選び、挑戦することができるようにする。こうしたコンセプトのもと生み出された企業への招待は反響を呼び、学生と企業との架け橋となった。

 この成功をもとに、江副氏は「情報」によって社会に新しい価値をもたらすビジネスを、幅広く手がけていくことになる。住宅情報、進学情報、人材派遣情報、中古車情報――。1970〜80年代には数々の情報誌を立ち上げ、一躍脚光を浴びることになる。本社を東京・銀座の一等地に構え、リクルート自体も売り上げや人員を急速に拡大させていった。

 「例えばアルバイト社員のアイデアでも、素晴らしい意見であればどんどん取り入れるのが江副さんだった」。リクルートの元常務執行役員、竹原啓二氏は江副氏の経営者としての特徴をこう語る。さらに、「フェアな考え方や情報を全社で共有し、競争しながら信頼しあえる組織を作ろうと常に考えていたように思う」と振り返る。

リクルートの元常務執行役員、竹原啓二氏は成長期に江副浩正氏を支えた(写真:陶山 勉)
リクルートの元常務執行役員、竹原啓二氏は成長期に江副浩正氏を支えた(写真:陶山 勉)

 「戦後を代表するベンチャー起業家」。そんな賞賛を集めていた江副氏の名声が、一転して地に堕ちる事件が88年に発覚する。今も「戦後最大の企業犯罪」とも呼ばれる贈収賄事件「リクルート事件」である。政財官を巻き込んで12人が立件、起訴され全員の有罪が確定。時の竹下内閣が倒れるきっかけともなった。

 リクルート事件は、江副氏らがリクルート子会社の不動産会社リクルートコスモス(現コスモスイニシア)の未公開株を、有力政治家や官僚らに大量に譲渡したとされる。発覚後に相談役に退いていた江副氏は、88年12月には相談役も辞任。89年2月に贈賄側の首魁として逮捕され、03年に有罪判決が確定した。

社内で受け継がれる「江副資料」

 江副氏は生前、一部の著作を除き、公の場で事件について語ることはほとんどなかった。さらに、92年には所有するリクルートの株式をダイエーに売却。経営に関わることは二度となかった。一方、リクルートに残された経営幹部や現場の社員はダイエーの傘下で再建への道を歩み、組織・風土改革を進めながら新たなサービスを次々に生み出していった。

 リクルート社内での江副氏の個人的な影響力は、事件後においてはほとんど残らなかったといえるだろう。それでも、「江副さんの言葉は、ずっと受け継がれている」。こう明かすのは、リクルートライフスタイル・ビューティ営業統括部の川島崇氏だ。

 08年入社の川島氏は、仕事に行き詰まった時などに、江副氏が新入社員に向けたメッセージや当時の会議で使った資料などを先輩にもらい、励まされてきたという。こうした関連資料は社内に全部で20ページ程度伝わっているとされるが、川島氏は「あと3ページ分ぐらい足りないので、どこかにないか探している」と笑う。

川島崇氏は、エアレジを活用して顧客企業の業績改善をサポート(写真:陶山 勉)
川島崇氏は、エアレジを活用して顧客企業の業績改善をサポート(写真:陶山 勉)

 川島氏は小売店や飲食店を対象にした、POS(販売時点情報管理)レジサービス「エアレジ」を活用。担当する栃木県の居酒屋チェーンの注文率や売上構成比などのデータを分析し、メニューの組み合わせや接客の改善などを通じて客単価を高める成果をサポートした。「担当する企業の近くに引っ越すぐらい、クライアントのことはなんでも理解するつもりでいる」と川島氏。こうした営業担当者の仕事に対する姿勢は、江副時代からリクルートの事業を支える強固な“足腰”であり続けている。

 さらに若い世代にも、江副DNAについて聞いてみた。14年に入社したリクルートホールディングス次世代事業開発室の西沢眞璃奈氏は、「正直、江副さんがどういう方かはよく分かっていない。それでも、自分なりに考えると、独自の社風や社員の行動にそのDNAはあるのかなと思ったりもする」と語る。

 それは、ビジネスの準備における仮説検証について、まず徹底的に顧客企業やサービスの利用者について突き詰めて考え、「憑依」することだという。「サービスの対象になる人のライフスタイル、例えば朝何時に起きて、どんな食事をとって、どれぐらいお金に余裕があるか。そうしたポイントから多くの情報を集めてビジネスモデルを組み立てる。ものすごく利用者に入り込む考え方をしているのがリクルートの文化だと思う」(西沢氏)

 西沢氏はこうした考え方や姿勢を、具体的な新規事業の開発につなげた。スマートフォンやタブレットで薬局に服薬・健康に関する相談をできる「すこやくトーク」だ。同サービスは17年度の「グッドデザイン賞」も受賞。全国に約5万8000店もある薬局と人々を身近につなぐサービスとして高い評価を受けた。

 江副DNAが脈々と流れることを象徴するのが、本誌記事でも紹介した言葉や制度だ。社内で合言葉のように交わされる「おまえはどうしたいの?」「ちょっといいですか?」というやり取り、「FORUM」などの大規模な表彰制度、新規事業開発のコンテスト「リクルートベンチャーズ」――。

西沢眞璃奈氏(左)と麻生要一氏は、社内の新規事業開発を促進する役割を担う(写真:竹井 俊晴)
西沢眞璃奈氏(左)と麻生要一氏は、社内の新規事業開発を促進する役割を担う(写真:竹井 俊晴)

 麻生要一・新規事業開発室長(取材時点、現在は戦略企画室)はこう語る。「創業時代から培ってきた強力な企業カルチャーや組織運営手法は時代に合わせて言葉を変えながら、今も息づいている。それは江副さんへのリスペクトというより、事業はそうやって作り出すという“信仰”のようなものではないか」

長年続いたリクルート事件の“後遺症”

 次回以降の記事で紹介していく役員陣へのインタビューでも、江副氏や彼が残した「遺産」に対する敬意は強く伝わってきた。人材派遣事業を統括する本原仁志・常務執行役員は、「オープンで透明度の高い企業風土でないと、いい事業は育たない。リクルートがリクルートであり続ける原点を作ったのは江副さん。本当に、ああなりたいと思うような人だった」と話す。

 ここまで取り上げてきた、江副氏の経営者としての力量とDNAについては、紛れもなく今もリクルートの屋台骨となっている「功績」といえるだろう。だが、負の遺産だと指摘できる部分も存在している。

 その一つは、いうまでもなくリクルート事件の“後遺症”だ。政財官を巻き込んだ疑獄事件によりリクルートは社会的に大きな批判を集め、その後は近年に至るまで表立った業界活動や、政界との接触などを控えてきた。今も中高年世代以上には、リクルートに対してマイナスイメージを持つ人も少なくない。

 リクルートホールディングスは14年10月に東証一部に株式を上場。非上場だった時以上に、コンプライアンスの徹底やガバナンスのあり方には厳しい視線が注がれる。同社のホームページでは、経営理念の紹介にあたってリクルート事件の概要と、その反省をもとにどのように理念を制定したかについて細かく紹介されている。事件当時、総務部長の任にあった前出の竹原啓二氏は、「我々は結果的に、社会から生かしてもらった。そのことを忘れてはならない」と指摘する。

 そして、ある意味でそれ以上に重要なのが、江副氏が生み出したビジネスモデルを発展させながら、この先にそれを乗り越えるグローバル企業としての「勝ち筋」を見つけ出すことだ。

 リクルートOBで評論家の常見陽平氏は、「江副モデルの呪縛というのはいまだにあると思うし、フェイスブックやツイッターを凌駕する新サービスが、今のリクルートから生まれてくるというイメージは正直なところない」と苦言を呈する。リクルートが海外での事業展開を強化し、世界の大手IT(情報技術)企業と肩を並べて競争していく姿勢を鮮明にしている以上、競争のステージを一変させるような革新を起こせるかどうかは、同社の将来を左右するといっても過言ではない。

 リクルートホールディングスの峰岸真澄社長は本誌のインタビューで、江副氏についてこう表現した。「リクルートという会社が輝けば輝くほど、創業者である江副さんは注目され続ける。それはとても大事なことだと思う」。輝きを増し続けられるかどうか。まさに現経営陣や現場の社員の挑戦にかかっている。

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

初割実施中