今回はちょっとマニアックな話題から入りたい。農薬や肥料、農業機械、飼料などのことを「農業資材」と呼ぶ。これまで比べるのが難しかった複数の業者の農業資材の値段や品質をウェブ上で確かめ、農家がよりよいものを選ぶためのサービスが7月に登場した。ソフトバンク・テクノロジー(東京・新宿)が提供する「AGMIRU(アグミル)」だ。

 サービスが誕生した背景には、自民党の前農林部会長の小泉進次郎氏の存在がある。全国農業協同組合連合会(全農)の事業の見直しで注目を集めた小泉改革には、こういう波及効果もあった。そのことは後述する。

「出会いの場」に徹する

 アグミルを使った取引は次のように進む。まず生産者がどんな資材が欲しいのかを入力し、資材の販売会社が細かい条件をウェブ上で生産者に尋ねる。生産者は質問に答え、販売会社はそれを受けて、どんな資材を提供できるのかを提案する。生産者は複数の提案を吟味し、どこから買うかを決める。

アグミルを使った取引の流れ(画像提供:ソフトバンク・テクノロジー)
アグミルを使った取引の流れ(画像提供:ソフトバンク・テクノロジー)
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 当たり前のサービスのように見えるが、これまでいろんなメーカーや販売会社の資材を見比べ、より有利なものを買うことができる仕組みがなかった農業の世界では画期的。農場を広域展開している法人は、地域や業者によって似たような資材の値段が違うことに気づいているが、新たな調達先を探す努力をして来なかった生産者にとっては活用次第で大きな武器になる。

販路拡大のメリットを訴えるアグミルのイラスト(画像提供:ソフトバンク・テクノロジー)
販路拡大のメリットを訴えるアグミルのイラスト(画像提供:ソフトバンク・テクノロジー)
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 一方、販売側にもメリットはある。まず、資材の新たな売り先の開拓につながる。ウェブを使うので人手を使わず、営業の効率を高めることにも役立つ。とくに最近の若い農家はインターネットで取引することに慣れているので、将来の担い手を発掘するためのきっかけにもなるだろう。

 ソフトバンク・テクノロジーがシステムを作るうえで力を入れたのが、売るほうと買うほうのコミュニケーションを重視したことだ。ナショナルブランドのカメラなら、同じ商品を値段だけで比べ、安いほうを選ぶこともできるだろう。だが農業資材は似ているように見えてもモノによって効能や機能に差があることも多く、それだけにアフターサービスが意味を持つ。

 値段だけを強調し、安い資材に生産者を導くシステムではなく、生産者のリクエストに業者が応える「提案型」の仕組みにしたのも、そうした事情からだ。システムには決済機能を持たせず、ウェブは「出会いの場」に徹し、後は生産者と業者が直接会って商談を進めることも可能にした。試着してみないと、購入を決断しにくい服や靴などと同じだろう。

 サービスを始めてから4カ月たった時点で、登録数は約1800。そのうち資材を売る側は約200で、資材販売店だけでなく、メーカーも含まれている。買う側の1600は農業法人や農家など。農協は資材を調達し、農家に売る役割を反映し、売り買い両方の立場で登録している。

 ここまでがソフトバンク・テクノロジーが新たに始めたサービスであるアグミルの概要だ。その誕生の経緯を理解するために、全農の事業の見直しを材料に、時間をさかのぼる形で小泉改革を点検してみよう。

全農と小泉進次郎氏の約束

 全農は10月末、コメ卸大手の木徳神糧と提携すると発表した。大手外食チェーンやコンビニなどがコメの需要を支えている中で、中・外食企業への販売を強化するのが全農のコメビジネスの最大の課題。そのため、中・外食企業と接点のある木徳と組むことにした。最大手の神明との提携も模索している。

 木徳との提携は、全農が3月末に公表した中期計画に沿った措置だ。計画で全農は、消費者にコメを売る立場にある中・外食企業などへの直接販売を、足元の5割から9割に高めると表明した。「直接」とは言っても、卸を排除することは意味しておらず、全農と卸、中・外食企業の3者が包括的に契約する取引の実現を目指す。その最初の相手が木徳だった。

割高な農業資材の改革をテーマにした小泉進次郎氏
割高な農業資材の改革をテーマにした小泉進次郎氏

 ここまでなら、たんなる民間同士の提携に見えるが、全農が3月末に中期計画を発表した背景には、小泉氏との約束があった。全農改革を最大のテーマに掲げていた小泉氏は昨年11月、全農が自ら改革案をまとめ、政府・与党がその中身をフォローアップすることで全農と合意した。全農が今年3月末に出した中期計画は、両者の合意を踏まえた内容だった。

 ではなぜ小泉氏は全農改革をテーマにしたのか。発端は、小泉氏が農林部会長に就いてすぐに出した「農政新時代」というペーパーにある。補助金の見直しから輸出の強化まで総花的に改革メニューをちりばめたこのペーパーの中で、小泉氏が当初から「ここが一番大事だ」と強調していたのが、国際的に割高との批判が多い農産物資材にメスを入れることだった。

 肥料や農薬や田植え機の値段に注文をつけることは、圧倒的な発信力を誇る政治家の着目点としてはあまりにマニアックに見えた。だが、論議が進む中で巨大な標的が浮かびあがった。農家との間に立ち、資材流通を担っているのは農協であり、その上部組織は全農。資材価格を突破口に、全農に幅広い分野で改革を迫ったのが小泉改革の本質だった。

政治と民間の線引き

 木徳神糧との提携にいたるコメ流通の改革はその成果の1つ。一方で論議の出発点にあった資材問題に話を戻せば、政治調整が必要な全農改革と違い、役所が主導して粛々と進めることのできるテーマもあった。それがアグミルだ。アグミルを運営しているのは民間企業のソフトバンク・テクノロジーだが、システムの立ち上げは農林水産省が補助金で支援した。

 全農改革とアグミルで重要なのは、政治による支援や要求と民間のビジネス活動との線引きだ。全農改革は表向き小泉氏が背中を押したが、その先は民間の立場の全農が競争の中で自ら実現すべき仕事だ。

 同じようにアグミルも、システムの開発は補助金で支援したが、いかに使い勝手のいいサービスにしていくかは今後の課題になる。その意味で、触れておくべき一点がある。アグミルは、匿名による登録を認めているのだ。

 資材の値段やアフターサービスの中身で突っ込んだやり取りするうえで、匿名性は当然ながら障害になる。まず資材を売る側からすれば、様々な情報を開示しても、やり取りをしている相手が十分に支払い能力のある農家かどうかがわからない。農家の立場にたてば、資材の販売会社が信頼できる相手かどうかわからないとも言えるが、これは大きな問題ではない。匿名を希望している登録者のほとんどが買う側の農家だからだ。

なぜ匿名なのか

 そこでもう一度、資材を売る側の事情を考えると、もっと大きな問題が浮かびあがる。匿名の相手が、本当に資材を買いたいと思っている農家かどうかわからないのだ。ライバルの資材会社の提案内容を探るため、同業他社が農家を装って注文を出す可能性を排除できないのだ。アフターサービスも含めて商品価値が決まる資材の世界で、提案内容はノウハウそのものとなる。

 ネット社会によくある匿名性のリスクとも言えるが、それを生む背景は農家、というより農村の側にある。自分の名前を出して業者をてんびんにかけることをためらう農家が少なくないから、匿名の登録を認めざるをえなくなった。いつも資材を買っている農協や業者以外に調達先を探そうとしていることが知られたとき、農協や業者はどんな反応を示すか。そのことを心配する農家の心理的な負担を軽くするために認めたのが、匿名での登録だ。

 「農場を広域展開している法人は、地域や業者によって似たような資材の値段が違うことに気づいている」と先に書いた。アグミルがなくても、先進的な農業法人や農協は複数の業者を見比べて競わせ、資材を有利に調達するよう努力してきた。彼らはそうやって経営効率を高めようとしていることを、周囲に隠していない。そういう法人や農協がアグミルを活用することで、より条件のいい調達先を見つけるのはそう難しくないだろう。

 問題は、その手前にいる農家や農業法人だ。彼らがたんなる生産者から経営者へと歩を進めるうえで、アグミルはきっと役に立つ。そのためには、実名で商談を進めることを阻む「村の論理」を乗り越え、「顔の見える農家」になることが条件になる。そういう流れが加速して初めて、アグミルはサービスの真価を発揮する。

新たな農の生きる道とは
コメをやめる勇気

兼業農家の急減、止まらない高齢化――。再生のために減反廃止、農協改革などの農政転換が図られているが、コメを前提としていては問題解決は不可能だ。新たな農業の生きる道を、日経ビジネスオンライン『ニッポン農業生き残りのヒント』著者が正面から問う。

日本経済新聞出版社刊 2015年1月16日発売

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