
(前回から読む)
塩野七生氏が不都合な真実を語った。すると韓国で公敵となった。
全体主義の象徴
前回の「ドン・キホーテは『進撃の巨人』の夢を見るか」に引用されたハンギョレの記事の見出し。なぜ「塩野七生」が入っているのですか。
鈴置:キル・ユンヒョン東京特派員が書いた「塩野七生、あるいは全体主義の誘惑」(5月27日、日本語版)のことですね。
オバマ(Barack Obama)大統領の広島訪問を論じたこの記事は「謝罪要求を口にさせない日本」を批判し「日本は全体主義に向かう」と警告しました。
キル・ユンヒョン特派員によれば「塩野七生」こそが、日本の全体主義を象徴します。だから見出しに入っているのです。
筆者は記事の冒頭で、塩野七生氏の著作を読破したと告白しています。しかし文末では、ソウルに戻ったらそれらの本はすべて片付ける、と書きました。
国の品位の差
どうしてですか。
鈴置:塩野七生氏が朝日新聞のインタビューに答え「無言で静かにオバマ大統領を迎えよう」と語ったからです。
キル・ユンヒョン特派員はこれを「原爆投下に対し謝罪を要求する個人の切実な呼びかけを、国家の品格という名で遮断しようとする全体主義的な日本社会」の一端と見なしたのです。
朝日新聞の「オバマ大統領の迎え方」(5月25日)の塩野七生氏の発言のうち、以下の部分をハンギョレは引用しました。朝日の原文と少し異なりますが、ハンギョレの記事をそのまま引きます。
- 謝罪を求めず、無言で静かに(オバマ大統領を)迎える方が、謝罪を声高に求めるより、断じて品位の高さを強く印象づけることになるのです。
- (韓国と中国は)ヨーロッパを歴訪して『日本は悪いことをしていながら謝罪もしない』と訴え、効果があると考えたのでしょうか。私には、外交感覚の救いようのない欠如にしか見えませんが。
- 日本が原爆投下への謝罪を求めないとしたことの意味は大きいのです。欧米諸国から見れば、同じアジア人なのに、と。国の品位の差を感じ取るかもしれません。
- デモや集会などはいっさいやめて、静かに大人のやり方で迎えてほしい。
前回も話しましたが、韓国では被害者とは「地面を転げ回って大声で泣き叫ぶもの」です。「静かに迎える日本」は韓国人には全体主義国家に見えるのです。
「朝日」に怒るハンギョレ
「韓国は品位がない」と朝日新聞から馬鹿にされたと思ったのでしょうね。
鈴置:そう思います。キル・ユンヒョン記者も「朝日新聞はどうしてこうしたインタビューを現在のこの微妙な時期に載せたのだろうか」と大いに不満を漏らして――怒っています。
韓国語版(5月26日)の記事では「塩野七生」は初めから最後まで呼び捨てです。韓国の公敵に認定されたわけです。ただ、韓国人が「塩野七生」にカチンと来るのはそれだけが理由ではありません。
ハンギョレが引用しなかった塩野氏の発言部分にこそ、韓国にとって不都合な指摘があるのです。朝日の記事から直接引きます。先ほどの引用と少しダブります。
- 少し前に、アジアの二つの強国のトップが、相前後してヨーロッパ諸国を歴訪したことがありました。その際にこのお二人は、訪問先の国々でまるで決まったように、日本は過去に悪事を働いただけではなく謝罪もしないのだ、と非難してまわったのです。
- ところがその成果と言えば、迎えた側の政府は礼儀は守りながらも実際は聞き流しただけ。マスコミに至っては『スルー』で終始したのです。
- 当然ですよね。ヨーロッパは旧植民地帝国の集まりみたいなようなものだから、日本の優に十倍の年月にわたって、旧植民地に言わせれば、悪事を働きつづけた歴史を持っているのです。それでいて、謝罪すべきだなどとは誰も考えない。
- そういう国々を歴訪しながら『日本は悪いことをしていながら謝罪もしないんです』と訴えて、効果があると考えたのでしょうか。私には、外交感覚の救いようのない欠如にしか見えませんが。
植民地に謝罪はしない
なるほど。「欧州各国は植民地支配を謝らない」との説明があって初めて「救いようのない中韓の外交感覚の欠如」が納得できますね。
鈴置:私も初めにハンギョレの記事を読んで、この部分は論理が飛んでいるな、と首を傾げました。そこで朝日の元記事をチェックして、ようやく納得したのです。
肝心なくだりをなぜ、ハンギョレは引用しなかったのでしょうか。
鈴置:分かりません。長くなるから入れなかったか、あるいは韓国にとって不都合な真実であるからか――。
いずれにせよ、この「植民地支配への謝罪」は、韓国にとってオバマ広島訪問のもう1つの戦略目標だったのです。
初めはオバマ大統領の訪問――つまり被爆者への追悼に反対していた韓国メディアも、阻止できないと見ると今度は「韓国人被爆者にも謝罪しろ」「韓国人の慰霊碑にも行け」と言い出しました。
その際、韓国メディアは「韓国人被爆者は植民地の人間で、被曝と合わせ二重の被害者であった」ことを理由に掲げたのです。
オバマに日本を叱ってもらう
5月27日にオバマ大統領が献花した慰霊碑は、すべての被爆者を悼むものです。別段「日本人専用」と書いてあるわけではありません。韓国人慰霊碑にも行かせるには理屈が要ると考えたのでしょう。
朝鮮日報の「広島に行くオバマ大統領へ」(5月16日、韓国語版)。金秀恵(キム・スヘ)東京特派員は以下のように書きました。
- 朝鮮の人々は植民地支配と原爆で2回、苦痛を受けました。その苦痛に何とおっしゃるのか、広島で見守りたいと思います。
「植民地支配」はオバマ大統領を韓国人慰霊碑に行かせる理由付けで使われました。が、次第に「オバマ大統領に日本の植民地支配を叱らせ、その不当さを認めてもらう」のも目的となったのです。
新たな対日攻撃カード
「植民地カード」ですね。
鈴置:その通りです。「植民地カード」を磨こう、との意見が韓国で高まっています。もちろん、日本に対し外交的に優位な立場を得るためです。
安倍晋三首相が2015年8月14日に「戦後70年談話」を発表しました。韓国政府はこの談話に植民地支配に対する謝罪を盛り込ませ、新たな外交カードを作ろうとしました。
しかし、日本政府にスルリとかわされてしまいました(「『韓国外し』に乗り出した安倍政権」参照)。
この直後、韓国の元外交官、趙世暎(チョ・セヨン)東西大学特任教授がハフィントンポスト韓国語版に「安倍談話、交戦国と植民地は異なるという優越意識」(2015年8月20日)を寄せました。
これは翻訳され「安倍首相の『戦後70年談話』に潜む『植民地』への優越感」(2015年8月21日)の見出しで日本語版に載りました。「植民地カード」関連部分は以下です。
飼い犬に手をかまれた
- 安倍談話は戦後70年にあたって全世界を対象としたので、日韓関係への影響は限定的だった。しかし、将来、日韓首脳会談をする場合、当然ながら、韓国への植民地支配に対する安倍首相の反省と謝罪が焦点となるだろう。
- もちろん安倍首相は、いまだ菅談話の存在すら正式に口にしたことがないほど抵抗感が強い。しかし、先に紹介したように菅談話は、植民地支配の歴史認識の中で最も進展したものであり、閣議の議決を経た日本政府の公式見解であるため、日本に対して堂々と継承を要求しなければならない。
- 一つ残念な点は、菅談話の存在が韓国内であまり注目されていないことだ。韓国がまず、菅談話の成果を守ろうとしなければ、安倍政権は村山談話の鮮明性を後退させたように、菅談話にも同じことを試みるだろう。
2010年8月10日、菅直人首相(当時)は「内閣総理大臣談話」を発表し、韓国に対し植民地支配を謝罪しました。
趙世暎特任教授は菅談話をもっと活用し、日本に対する外交的武器とすべきだ、と韓国人に訴えたのです。
ことに2015年末の「合意」で「慰安婦カード」が使いにくくなっている(「掌返しで『朴槿恵の親中』を批判する韓国紙」)。今こそ「植民地カード」の出番なのです。
というのに、韓国人が「日本の良心」と持ちあげてきた朝日新聞が「植民地支配を謝罪する欧州の国なんてないぞ」と本当のことを書いてしまった。韓国人とすれば、飼い犬に手をかまれた感じでしょう。
見損なっていた「朝日」
朝日はなぜ、韓国から怒られるようなインタビュー記事を載せたのでしょうか。
鈴置:聞き手の刀祢館正明編集委員が、編集後記に当たる「取材を終えて」で以下のように書いています。
- てっきり「謝罪を求めないなんて、日本はだらしない」と語ると思っていた。そんな予想は大はずれ。
塩野七生氏を見損なっていたのです。
(次回に続く)

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