日本の民主主義は「コメ騒動」から始まった――。「食」にこだわる一方、 政治意識の薄かった日本人は今、「食の志向」が政治意識に結びつく時代に直面しているとライターの速水健郎氏は指摘する。エコで安全な食を追い求める人々と、メガ牛丼やコンビニ弁当を愛する人々。両者の間にある政治的分断とは。

速水 健朗(はやみず・けんろう)
1973年生まれ。ライター、編集者。専門分野はメディア論、都市論、ショッピングモール研究など。著書に『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)、『1995年』(ちくま新書)など。(写真:都築 雅人)

速水さんの近著『フード左翼とフード右翼』(朝日新書)では、日本人の食のスタイルが実は政治意識と結びついているという、非常に新鮮な視点を提供されています。そもそも日本人の政治観をグルーピングするのはかなり難しいと思うのですが、反響はどうですか。

速水:ネットでの反応は早かったです。しかも最初は、反発に近い反応が多かったですね。食の志向で右翼とか左翼とか分類するなんて乱暴じゃないかと。このことがよく表してると思うんですけど、日本人って右とか左とか、リベラルとか保守とか分けられることにすごく嫌悪感を持つんですね。言霊信仰の民族というのもあるのか、レッテル張りを嫌がるんですよ。政治的に自分がどっちの立場にいるかということを表明したがらない。

 実際には、これまでは自分の意見を表明するよりも隠す方にメリットが大きかったからだと思います。それと、基本的にはあまり政治的判断をしなくても自然選択的に物事が決まってきたせいなんでしょうね。55年体制が終わって既に長いんですが。誰もが関心を持つ政治問題って、だいたいが汚職とかカネの問題、政治家が信用できるとかできないといった問題だった。

 ところがそうじゃない問題が最近になって生まれてきました。それがエネルギー問題や原発、それからTPP(環太平洋経済連携協定)などですね。どっちかに決めないといけない時代になっている。そんな時代には、自分の立場はどっちか、または利益がどちらにあるのかを表明する必要があるんだと思います。その上で、まずはマッピングしてみる。本書は、食においてそれをやってみようという試みなんです。

まず、フード左翼とフード右翼を簡単に定義すると?

速水:「フード左翼」はこの本の中で作った言葉で、紙幅も割いて書いてありますので一言では説明しづらいんですが、食に関しての“理想主義者”といえます。例えば、イタリアで生まれた「スローフード」という地元の食材を伝統的な手法で調理して食べる運動が、マクドナルドへの反対運動を通して「反グローバリズム」という左派運動として広がっていきました。「スローフード」は地域主義という保守運動でありながらも、現代の左派運動の代表的なものなんですね。なので、地域主義、地産地消、自然派食品などにこだわる人々を左に置いて「フード左翼」と定義しました。対して「フード右翼」は現実主義者に相当します。第一義には、グローバルな食の流通や、産業化された食のユーザーということになります。

 日本人はこと「食」に関することになって初めて、政治的に問題を認識してきた歴史があると思うんです。例えば大正デモクラシー運動の発端はコメ騒動だった。そこから日本の民主主義が始まってると考えると、面白い国ですよね。
 現在のTPPの問題でも、金額的には一番大したことのない農業分野の、中でもコメの部分が一番クローズアップされています。1993年の冷害の年には外国産のコメの輸入解禁で、世論が沸騰しました。やっぱりコメなど食べ物のことになると日本人は怒ったり、政治問題だと認識したりするんです。

食による思想の違いが家族を分断した「震災離婚」

例えばかつて言われてきたのは、日本は消費の選択肢がたくさんあって、欧米のような格差や社会的階級による消費特性もさほどなく、1DKのアパートに住んでポルシェに乗る人だってあり得る、みたいな話でした。ところが、「食の志向」を切り口にすると、そんなモザイク的な人はいなくて、きれいにマッピングがされてしまう。これは目からウロコでした。一人の消費者の中で「有機野菜好きで人工添加物は拒否」と「ジャンクフードやコンビニ弁当を愛用」って共存できないですよね。

速水:はい、それは共存し得ないと思いますね。

マクロビオティックを実践しながらハンバーガーも食べる、という人は恐らくいないので、必ずどこかにマッピングされて自分の立ち位置が定まってくると。

速水:基本的に、僕らは消費によってどちらの立場も選べるんですよね。ジャンクフードか、自然食か。だからこそ、どこで買うか、どこで何を食べるかというのが政治性を持ってしまうのが現代なんだと思います。そして、何を食べるかということは、理詰めで考える政治志向よりももっと生理的ですよね。これは自分の口に入れられないとか、これには高いカネは払えないとか、ストレートに自分の主張が反映するからこそ政治的だと思うんです。

 これまで日本人の家族の中で政治的な分断が起きることってあり得なかったでしょう。例えば夫が自民党支持で妻が社民党支持でも、特に支障なくうまくやってこれたと思うんです。ところが、原発事故以降、食品の放射能汚染への懸念を巡る震災離婚が雑誌などで取り上げられましたが、政治的な主張が生活を一緒に営めないレベルまで家族を分断してしまうような状況が、実は生まれているわけです。

「食」と結びついているからこそ、そこまで行ってしまうわけですね。

速水:エネルギー問題というよりは、それに派生する食の問題になっているというのが興味深いですね。

 ベジタリアンやビーガン(絶対菜食主義者。一切の動物性の栄養や素材を拒否する)のように自然食にこだわる人、あるいはらでぃっしゅぼーや、オイシックス、大地を守る会のような自然派の宅配サービスを利用する人たちは震災後に増えているんです。さらに、日本でも東京にいると恵比寿や六本木、青山などで、有機農法をしている農家が農産品を直接販売するファーマーズマーケットがよく開かれています。これはロンドンやサンフランシスコなどでは当たり前になっている直販形態ですが、そういうものを知らない人は全く知らない。

 一方ではこの数年、メガマックとか大盛り牛丼、あるいはラーメン二郎というボリュームの多いラーメンを好む「ジロリアン」など、食に関するブームは相変わらずあります。この両者に二分されているような状況です。産業化した食への反発から、地産地消を守って新しい流通を消費によって作ろうとしている人たちがいる半面、メガフードやコンビニ弁当やジャンクフードを好む「フード右翼」的な人たちもいる。ただ、フード右翼が悪いかというとそうではないんです。食が安くなるというのは貧困をなくし、食の民主化を進めるということでもありますから。

 対してフード左翼は富裕層に偏ったところがあります。ベジタリアンとか、あるいはオイシックスのユーザーなどは都市住民のアッパーミドル層が中心です。

 本の中で取り上げたエピソードですが、2011年に盛り上がった「ウォール街を占拠せよ」運動では、「自分たちは(貧しい側の)99パーセントだ」という主張が行われました。しかし、彼らは占拠しながら割とリッチな食事を取っていたんですね。なぜなら全米の有機農家が彼らを支援したり、世界中から彼らにニューヨークのレストランの出前を届けるという差し入れがあったからです。彼らは全世界規模で見ると、裕福な側の1パーセントなんですよ。よっぽど、その食糧はソマリアに送るべきだったと思います。

 左翼は貧困をなくす側にいるべきなのに、その逆になっている。この矛盾は、フード左翼というよりも、現代の左翼の矛盾そのものになっていると思います。先進国が、このまま有機農法を進めると世界の飢餓は、さらに進行しますし。世界を例にとっても、食の問題が今後も重要な政治問題になっていくのは間違いない。

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