もしもサッカーオタクが10年ぶりにプロ野球を観にいったら | SPORTS PLANET スポーツプラネット

もしもサッカーオタクが10年ぶりにプロ野球を観にいったら

龍星ひかるです。5月8日、Jリーグ恒例となったGW集中決戦最終日、東京ヴェルディはFC岐阜との一戦を私の生まれ故郷でもある岐阜で迎えました。この一戦を勝手にひかるダービーと呼んでる私は東京ヴェルディのサポーターとして参戦。生まれ故郷のチームを愛するチームの一員として一蹴することとなりました。
photo:01


ナイター開催ということで東京への終電はかなりギリギリ。間に合わせるべく母に自動車での送迎を頼んでいたのですが、その時の会話が今回のきっかけとなります。

母にサッカー観戦を勧めてみた



うちの母はどうもサッカーを観に行ってくれようとしない。この日もずいぶんと暇を持て余していたようだったので来ればよかったのにと言ったのだが、「人混みが苦手」だの「客が少ない」だのいろいろと理由をつけて拒む。突き詰めると「疲れるから」という言葉が最後に残った。

なるほど、サッカーと言えばゴール裏で飛び跳ねている熱狂的なサポーター。であるならば(私みたいな)あんなのは一部であると言えば済む。座って観戦しているのが普通なのだと述べてみた。それでも車で行けないから(歩いて30分もしないのに!)だとかなんとか語尾を濁らす。そうこうしているうちに説得をせずして岐阜駅に到着してしまった。以来、母のような人間をサッカーの試合に駆り出す事が私のひとつのテーマとなっている。

おそらく、母はサッカーにあまりいい印象を持っていないのだ。そういえば私も幼い頃に長良川競技場にサッカーを見に連れて行ってもらっていたが、いつも付き添いは父か祖父か、友人の母だった。私の知る限りで母は一度もスタジアムに足を運んでいない。

10年ぶりのプロ野球観戦へ



そうなればホームレスの気持ちはホームレスになって知るべし。母の気持ちを知るには私も同じ様な状況に身を置いてみればいいのだ。私にとってのソレと言えば・・ということで思いついたのが野球だった。誤解がない様に付け加えると、野球が嫌いなのではない。普及の割に全く興味がないというだけだ。野球を見に行けば何かをつかめるかもしれない。何とも不純な理由をつける事で6月3日金曜日、実に10年ぶりに私はプロ野球を観戦しに行った。

ちなみに10年前に観戦したのは名古屋ドームで行われた中日ドラゴンズとヤクルトスワローズの一戦。熱狂的な中日ファンの友人に連れられて岐阜から名古屋まで観戦にいったのを覚えている。

先に断わっておきますが、この記事では野球の話をしません。なぜなら執筆する私が野球について全く分かっていないからです。

初めての東京ドーム



全く予習はしていなかった。あくまでもふらりと立ち寄るというのが今回のスタンスだったので、事前の情報は全くなし。知っている事といえば、この日に東京ドームでナイターゲームがあるということ。あとは東北楽天イーグルスとの試合が行われること。不覚にも今朝のニュースでパ・リーグ勢が強いという話題を耳に残していた程度だ。セパの相性が果たして楽天と巨人の間に成り立つのかは懐疑的ではあったが。

都営三田線の水道橋駅を降りるとまずは当たり前だが東京ドームを目指す。東京ドームシティの敷地内に入ると、見たことがあるドーム球場が見えた。続いてチケットを購入。前売り券の販売所で当日券を要求したのは今はいい思い出となっている。

席は一番安い立ち見席を選択。正確にいうと、バツ印で埋めつくされたチケット一覧を前にして既に選択の余地など無かったのだが。それにしても、座席は無いがトップリーグの試合を1000円で観戦できるのはJリーグには無い魅力か。
photo:02


お試し価格の立見席にて



球場に入ると試合は既に始まっていた。しかし何回の攻防なのかは全くわからない。コンコースを半周するまで電光掲示板は見えなかった。なるほど1000円チケット恐るべし。どうやら4回の裏に到着していたらしい。

入場して早々に夕飯を買ってしまったということもあり、適度に立ち見が出来そうなところを探す。ようやく見つけた場所がなかなか酷かった。
photo:03



なるほど1000円席恐るべし。マウンドは見えたのだが長打が出てもいいところが見えない。たまたまそこが空いていたのも納得というものだ。しかしそういう席でも適性価格で売ってしまうあたりはJリーグでも見習うべきかもしれない。もっとも、席種を増やせばその分の警備が必要になる。この方法は東京読売巨人の予算規模だからこそできる事なのかもしれない。今度からは1700円の席を買おうと心に誓い、回が進むごとに場所を変えた。

値段相応の劣悪な観戦環境ではあった。しかしながらピッチが意外と近く感じたというのが第一印象だった。初めて名古屋ドームで観戦した時が確か2階の外野席だったから、比較して近く感じたのかもしれない。近く感じたとはいえさすがにボールは小さすぎて素人の動体視力では見えない。それでも選手のプレーや仕草ひとつひとつは直接感じられた。

応援で迫力の違い



さてさて、試合の様子など私の素人目線で語っても仕方が無いので気がついたことをひとつだけ。最も興味深かったのは応援団の様子だ。Jリーグの様にレプリカユニフォームを着用して応援するわけではないので遠目では分からなかったが、外野に陣取っていた彼らは意外と多かったらしい。意外とというのは観戦前の偏見と比べてというのもあるが、声量の割に多かったという意外性のほうが強い。

ざっと観た感じ、巨人の応援団はおそらく同じ首都を代表するFC東京と人数は変わらない。しかしFC東京戦で感じるほどの声の圧迫感は全く感じなかった。FC東京どころか常時約5000人ほどの動員でやっととなっている東京ヴェルディより迫力がない。なんとも拍子抜けてしまったというのが正直な感想だった。

photo:04



ところが回が進むにつれてこの緩い応援こそがプロ野球の魅力なのだと気がついたのだが、それは後ほど。

ひとつだけと言っておきながらもうひとつ気がついたことを挙げる。それは試合中にも関わらず席を立つ人の多さだ。ピッチでは死闘が繰り広げられているのにも関わらず、内野席の観客の動きが絶えることがない。おかげでビールの売り子さんはかなり忙しそうに動き回っていた。

試合中に歩きまわるのはサッカーの会場ではなかなか目にできない光景である。サッカーの試合中に頻繁に立って移動しようものならあまり良くない視線を集めることもある。ビールの売り子さんが試合中にカップを掲げて通路を通ろうものなら苦情が入ってもおかしくないだろう。

熱いサッカー、緩い野球



読売新聞の広告のコピーを思い出した。「サッカーはサポーター、野球はファン。ファンって響き結構いいよね。」当時はサッカーファンとして踏み台にされた事に対して単純に怒りを覚えていたが、よく考えればよくできた文句だ。私が今回感じた言葉で書き換えれば、「サッカーは熱く、野球は緩い」となる。熱さがなく「サポート」を強要させない緩さこそがプロ野球観戦の真髄と私はみた。それは試合時間が長い点や、毎日のように試合が組まれているという点が理由になるのだろう。

サッカーは違う。試合時間が45分の2セットと野球に比べて短い。攻守もめまぐるしく変わるため、応援も状況に応じて変える必要がある。声を張って応援するサポーター以外の観客にも一切目を離させない節がある。

いろいろと合点がいった。やはり野球とサッカーは対局にあるスポーツだ。母が言った「サッカーは疲れる」の真意は一時も目を離させない雰囲気の事を指していたのかもしれない。そして、平日のナイターにも関わらず多くの人が訪れていたのは、この緩さがあるからではないだろうか。試合の途中から訪れても許される。試合の途中に忙しくしても許される。応援も強要される雰囲気が全くない。この緩さはサッカーでは実現しにくい。

合わないものは合わない



7回が終了したところで帰路につく事にした。理由はただひとつ、退屈だったのだ。人生の大半を使ってサッカーのスピード感を体に染み込ませてしまったので、ほとんどプレーが止まっている野球は集中して見てられなかった。しかし今思えば集中して観る必要など全くなかったのかもしれない。それこそビールとおつまみを用意して、いっそのこと読書でもしながら眺めていればよかったのだ。

そのスポーツにはそのスポーツの見所があるように、観戦の仕方にもスポーツ毎に個性がある。以前、アイスホッケーを初めて観戦に行って面白かったと述べたが、それはアイスホッケーの観戦の仕方とサッカーの観戦の仕方が似ていたからと思う。だからルールも技術も全く分からないアイスホッケーを私は受け入れることができたのかもしれない。

さて、本題に戻って母をどうすれば説得できるか。ここまで話題を展開しておいて何だが、説得はすべきではないのかもしれない。母は「サッカーは疲れる」と言った。これは母がサッカーは集中を必要とするスポーツだと知っているからだ。私に野球観戦が合わなかったように、母にサッカー観戦が合うことはないのだろう。

母にサッカーは必要がなかった



そういえばGWに帰省したとき、母は父と石川遼のプレーを観に近くのゴルフ場に観戦にいったというエピソードを楽しそうに話していた。家から徒歩30分しないサッカー会場は遠いとケチをつけるのに、ゴルフの会場はタクシーを使ってまでして乗り付けている。気がつけば家のキティちゃんグッズは石川遼によって侵食されており、食事の際も石川遼の視線を感じながらとっていた。勘弁してほしいと思いつつも、母にとってそれでいいのだ。

サッカーが答えである必要はない。野球が答えである必要もない。母の答えがたまたまゴルフだったというだけであり、私が母に押し付けようとしたサッカーは「ゴルフ」という形で既にあったのだ。母にいかにサッカーを見せるかという課題は何とも斜め方向の展開で結論づけるとなった。

スポーツ界全体で手を取り合う必要



スポーツにもっと目を向けてもらうためにはひとつのスポーツでは手が届かないところが生まれる。サッカーは嫌いで野球も好きになれないからとスポーツから遠ざけてしまうのは非常にもったいない話。ひとつの競技が発展するのではなく選択肢を増やすことこそが大切だと感じた。

例えば、サッカーが肌に合わなければ野球を、それも肌に合わなければバスケやバレーを観戦に行けるだけの選択肢を各地域に用意すればいいのだ。母は私が気がつかないところで「ゴルフ」を選択していた。10年ぶりにプロ野球を観戦した結果、スポーツ界全体が手を取る必要があるのだとより強く感じることとなった。

余談



ところで、東京ドームは電力25%カットで試合を開催しているそうではないか。私はこのことに途中まで気がつかなかった。よく見たら照明は所々ついておらず、客席は若干暗い。売店にあるメニューのパネルもほぼすべての照明が切ってあった。このことに途中まで気がつかないほどに東京じゅうの照明が自粛されていると実感した。早く光光と明かり照らしても許される、あの頃の日常が戻ってくることを願うばかりだ。
photo:05

photo:06


また、文中で巨人の応援団について触れたが、東北楽天の応援団も平日にかかわらず多く訪れていた。生活が苦しいであろう仙台からわざわざ訪れて試合を盛り上げてくれたことに心から感謝しなければならない。