近年、「地方移住」という言葉を聞く機会が増えてきた。特に大都市圏に住んでいるビジネスパーソンは、現在の暮らしに満足しているかどうかに関係なく、地方移住を一瞬でも夢想した経験を持つ人が多いのでは? では実際に地方移住を実行に移したとしよう。しかし残酷なことに、その後の暮らしが必ずハッピーなものになるとは限らない。

リモートワーク普及の影響もあり、「地方移住」という言葉が身近になった(画像/ELUTAS/stock.adobe.com)
リモートワーク普及の影響もあり、「地方移住」という言葉が身近になった(画像/ELUTAS/stock.adobe.com)

 リアルな実態を把握するべく頼ったのは、フィンウェル研究所(東京・新宿)の代表を務める野尻哲史氏だ。野尻氏は証券会社や運用会社での豊富な経験を持ち、資産形成・資産活用の啓発活動を20年以上にわたって続けてきた。

 現在は自身が立ち上げた同研究所で資産形成を終えた60代以上向けに、資産の取り崩しや地方都市移住などの啓発活動に取り組んでいる。この記事の読者の中には働き盛りのもっと若い世代もいるだろうが、野尻氏がこれまで見てきた退職世代の地方都市移住の実態を知ることは参考になるはずだ。

 「直近5年は毎年、地方都市移住経験者にアンケートを取っていて、その結果を見ると興味深い傾向がいくつも浮かんできた」と野尻氏。そこから導き出される地方都市移住の成功と失敗を分けるポイントについて触れる前に、まずは人気の移住先を押さえておこう。

 野尻氏によると、アンケートを取る年によって人気順の変動はあるものの、「那覇市、横浜市、京都市、札幌市、福岡市が、毎年、上位に上がってくる」。これらに共通するのは、大都市もしくは観光都市として広く知られる点だ。

広く知られる大都市や観光都市が移住先として候補に挙がる傾向にある。写真は那覇市(画像/masa/stock.adobe.com)
広く知られる大都市や観光都市が移住先として候補に挙がる傾向にある。写真は那覇市(画像/masa/stock.adobe.com)

 では本題に入っていこう。まず素朴な疑問として、地方都市に移住した人はハッピーと感じているのか。

移住者の満足度は何割か

 野尻氏は「ざっくりと言えば、約4分の3は移住して良かったと満足している。一方で、想定していたほど良いと思えなかったという人が残り4分の1程度いる」と説明する。

 では、この2つの結果を大きく分けるポイントは何か。それを把握すれば、地方移住の満足度は高まりやすくなるはずだ。気になるポイントは、いくつか挙げることができる。

 まず1つ目は「移住先の生活コスト」だ。「物価が思ったほど安くなかった」と後悔する人が、実は多い。移住前と同じ金銭感覚で暮らすと、家計は想定外のネガティブな状況になるリスクがあるのだ。

 この実態を踏まえれば、移住後の毎月の家計がどのくらいで着地しそうか、試算は必須だろう。数週間、あるいはせめて数日間は希望の土地に“プチ移住”して日々の暮らしを疑似体験するのが望ましい。近所の食品スーパーやドラッグストアなどを回って買い物をするにつれて、その地の物価水準が大まかに分かってくる。

移住先での生活コスト水準は、事前に把握しておくべきだ(画像/naka/stock.adobe.com)
移住先での生活コスト水準は、事前に把握しておくべきだ(画像/naka/stock.adobe.com)

 人とのつながりに対する自分や家族の要求水準も、改めてきちんと考えておきたい。新たな土地に移り住めば、当然これまで築いてきた人間関係をそっくりそのまま維持するのは難しい。野尻氏は、「地方都市移住者の約2割が、従来の人的ネットワークが弱まった点について不満を覚えている」と指摘する。

 そうした変化に加えて、出会いをきっかけとする新しい土地での人的ネットワークの構築を前向きに受け止めることも求められる。こうした事実は、そもそも地方移住に踏み切るかどうかの判断時も含めて参考になるだろう。

 この移住先の生活コストや人間関係に関連する話として、野尻氏は興味深い話を披露する。「地方都市移住=これまで暮らした土地との縁は切れるという固定観念はいわば誤解であり、地方都市移住の可能性を狭める」というのだ。どういうことか。

“ハイブリッド移住”という選択肢も

 野尻氏が紹介するのは、松山市に移住した人のケース。都内に住んでいたときの家賃は二十数万円だったが、松山市に引っ越しをしたら5万円台になったという。では、浮いたお金をどうしているか。

「この方は10万円を優に超える残りのお金を使って、月に1回、東京や大阪などに出かけて趣味のコンサート鑑賞などを楽しんでいるのだそう。当然、その近くに住んでいるかつての知り合いとご飯を食べよう、酒を飲もうという話にもなる。では、移住する前と後では、一体どちらの方が生活のクオリティーが高いか」

 地方都市へ移住した後も、元の人間関係を緩やかに維持。加えて好きなことも存分に楽しむ。この“ハイブリッド移住”とでもいうべきスタイルの実践は、人生の豊かさについて改めて考えさせられる話ではないだろうか。移住後、倹約に励み、余裕ができたお金でこのケースのようにするやり方もあり得る。

毎月かどうかはさておき、かつて住んでいた土地に足を運び、そこでの人間関係も引き続き楽しむと生活のクオリティーは上がるはずだ(画像/KT/stock.adobe.com)
毎月かどうかはさておき、かつて住んでいた土地に足を運び、そこでの人間関係も引き続き楽しむと生活のクオリティーは上がるはずだ(画像/KT/stock.adobe.com)

 移住先の満足度には、交通の便が与える影響も大きい。例えば市民の“足”として親しまれている市内電車(路面電車)が走る富山市。空港に近い福岡市や先述の松山市。「奈良市は私の個人的な考えだが、この周辺のハブ的存在。大阪市や京都市、そして少し頑張れば名古屋市にも行ける」。こうした都市への移住者は、日々の暮らしの満足度が総じて高い。

 医療体制も含めて、自分の中で譲れない「都市機能」はクリアにしておいた方がいい。例えばこのような交通の便を代表とする利便性か、風光明媚(めいび)か。大小いくつもある条件の中には両立しないものもあるため、すべての条件をかなえる場所は存在しない。

 「求める都市機能が多いほど、人口100万人以上の大都市が応えてくれる。しかし物価は高い。一方で、物価を抑えやすい人口30万人以上100万人未満の中規模都市は、交通の面で課題を残す傾向にあるようだ」

 地方都市移住を検討する際、大抵の場合、「配偶者の実家がある」「大昔に住んでいた」「旅行で何回か訪れた」など、何らかのかたちで「なじみがある土地」を候補に挙げやすい。ただ、それ以外を検討しないで決めるのはもったいない。

 これまでは、大都市圏のマンション住まいなどの場合、住んでいた物件を売ったお金で移住先にあるマンションを買うとお釣りが多く戻ってきやすかった。しかし、最近は地方のマンションも物件価格が高騰していて、そのような状況は望めなくなりつつある。「移住先の選別は、腰を据えて取り組むことが求められる。そうすれば、移住後の満足度を高いものにできるはずだ」

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