救助要請1割デマ、急行先は無人…ネットと防災の新局面
被災30年目、復興見えたか(3)
電話回線でつながるパソコン(PC)通信「ニフティサーブ」で1995年1月17日午後1時、地震情報を交信する掲示板が立ち上がった。被災地・神戸から東へ400キロメートル。東京大大学院生の福田充(現日本大教授)は同日夜、下宿先の東京で食い入るようにモニターを見つめた。
未明の阪神大震災は日本全土を震撼(しんかん)させた。当時福田の専攻はメディア学。欧米の企業人や研究者は当たり前のように電子メールで交...
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