大きめのスウェットに2つ結びのヘアスタイル、どこにでもいそうな今どきの若い女性という印象のカン・ギュリさん(仮名/20代前半)は2023年10月まで北朝鮮で暮らしていた。

カン・ギュリさん(仮名/20代前半):
生きるために食べているのか、食べるために生きているのか分からなかった。人生の意味を見つけることが難しかった。

カン・ギュリさん(仮名/20代前半)
カン・ギュリさん(仮名/20代前半)
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北朝鮮から韓国へ木造船で脱出したカンさんの口から語られる北朝鮮の今。1時間半に及ぶインタビューで見えてきたのは“民心”を恐れる金正恩(キム・ジョンウン)総書記の姿だった。

木造船で決死の脱出劇 越境直前に北朝鮮の警備艇が…。

2023年10月、韓国北東の沖合で、地元の漁師が1隻の木造船を見つけた。北朝鮮からたどり着いたという長さ7.5メートルの小さな船、中には男女4人が乗っていた。そのうちの1人がカン・ギュリ(仮名)さんだ。

カンさんが乗っていた木造船
カンさんが乗っていた木造船

カン・ギュリさん(仮名/20代前半):
死ぬ瞬間が来たんだなと。本当に死ななければならないと思うと、すごく悲しかった。

まさに決死の脱出劇だった。

北朝鮮でホタテ貝を捕る船を経営していたカンさん、母とおば、そして船員の男性1人を連れて脱北を試みた。

決行は夜、エンジン付きの木造船に燃料100キロと水、食料を積み、母とおばは船底にある収納スペースに隠れた。

船のエンジンをかけると、港の警備の責任者がやってきて「どこに行くのか」と問いかけた。カンさんが笑みを繕い「あした船を出さなくてはいけないから、別のふ頭に移動させる」と答えると、警備の責任者は「先に言ってくれないと」と言い、その場を立ち去り、無事に出港することができた。

「私が韓国に行くということを考えもしなかったのだろう」カンさんはそう振り返る。

丸1日がたった夜10時半、海上の北方限界線(NLL)に差しかかったところで北朝鮮の警備艇に見つかった。警備艇は、カンさんたちの船より大きく、速度も速い。

死を覚悟したカンさんだったが、その日は波が荒れていため、幸いにも警備艇は追跡を諦めた。

北朝鮮の港を出発してから44時間、夜明けの対岸にアパートの光が見えた。「安堵の息が出た。これが韓国なんだ」カンさんたちの決死の脱出は成功した。

中国製テレビで見た“韓国ドラマ”に憧れて

脱北から約1年、カンさんはソウル市内で母親と暮らしながら、大学に進学するための勉強をしている。

北朝鮮ではホタテ貝漁を営んでいたカンさん、母親は民間治療を行う仕事をしていて、北朝鮮の中では恵まれた生活を送れていたと言うが、なぜ脱北を決意したのだろうか。

カン・ギュリさん(仮名/20代前半):
統制をたくさん受けた。自分の好みを選ぶ自由があるのに、それをできないようにするからすごくストレスを受けた。髪型も変なものではないのに、「韓国式だ、傀儡(かいらい)式だ」と言われた。

インタビューに応じるカンさん(2024年12月)
インタビューに応じるカンさん(2024年12月)

カンさんが育った北朝鮮の海辺の地域では、中国製のテレビを使うと簡単に韓国のテレビ番組が映ったという。

子どもの頃からたくさんの韓国ドラマに接した。「冬のソナタ」に「梨泰院クラス」などドラマを通して、韓国社会を知るたびに憧れはどんどん強くなり、「こんな世の中で一度でも生きてみたい」と思うようになった。

一方で、北朝鮮当局の取り締まりは厳しかったようだ。道を歩くたびに警察に呼び止められ、髪型や服装について指摘され「サムジヨンに送るぞ」などと脅された。

サムジヨンは金正恩総書記の肝いりで開発が進む地域で、肉体労働の強制を示唆していた。そのときは、賄賂を渡すことで見逃してもらっていたという。

カン・ギュリさん(仮名/20代前半):
北朝鮮では、言論の自由もなく、旅行の自由もなく、着る自由もない。韓国ドラマを見たから銃殺されるのはおかしい。

“統制と分断”強める北朝鮮 韓国映画見た22歳男性を公開処刑 

2024年6月、韓国の統一省が脱北者141人の証言などに基づき公表した報告書によると、2022年に北朝鮮の南西部の地域で、韓国映画などを見た22歳の男性が公開処刑された。男性は、韓国映画3本と歌70曲を視聴し、7人にこれらを渡したとされている。

2021年にも同様の処刑が確認されているという。北朝鮮は2020年に「反動思想文化排撃法」を制定し、韓国ドラマなどの視聴を禁じ、流通させた場合には最高で死刑とした。

また、2023年には「平壌文化語保護法」を制定し「アッパ(お父さん)」など“韓国式”の話し方を処罰の対象とするなど、住民への統制を強めている。

さらに、北朝鮮は韓国との分断も進めている。

北朝鮮軍による道路の爆破(韓国軍提供 2024年10月)
北朝鮮軍による道路の爆破(韓国軍提供 2024年10月)

金総書記は2024年1月の最高人民会議で「韓国を“第一の敵対国”と位置付け憲法を改正すべき」と表明し、「統一いう概念自体を完全に除去しなければならない。約80年間の南北の関係に終止符を打つ」と宣言。10月には韓国とつながる道路と鉄道を爆破した。

北朝鮮は、現地メディアを通して「戦争抑止のための自衛的措置」と強調したが、韓国政府は「脱北を防ぐための措置」とみている。

式典に出席した金総書記(2024年12月 朝鮮中央通信)
式典に出席した金総書記(2024年12月 朝鮮中央通信)

“統制と分断”を進める北朝鮮について、2023年10月に脱北したカン・ギュリさんは次のように話す。

カン・ギュリさん(仮名/20代前半):
結局、私たち若い世代を一番怖がっているのではないだろうか。

金総書記が恐れる“民心” 新型コロナきっかけに不満高まる

民主主義を求めて、北朝鮮から韓国へやってきたカンさん。

その韓国で、“非常戒厳”を目の当たりにし、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の弾劾を求め連日のように抗議活動を続けた人たちの姿に感じることがあったという。

カン・ギュリさん(仮名/20代前半):
いつかは北朝鮮の人たちにも、あのように協力して必ず自由を取り戻してほしい。北朝鮮の住民たちが今、経験している苦痛がよく分かるので、とてもとても悲しい。

カンさんによると北朝鮮当局に対する不満は若い世代にとどまらず、年配の人たちの間にも広がっているという。その背景にあるのが、コロナ禍で冷え込んだ深刻な経済状況だ。

カン・ギュリさん(仮名/20代前半):
新型コロナの時に経済が底をついたことを住民は知った。「針1本も生産できない国がどこにあるのか」と悔しがっていた。

北朝鮮当局が核兵器などの開発を進める一方で、住民たちの暮らしは窮状に陥っていた。

(執筆:FNNソウル支局 濱田洋平(テレビ西日本))

濱田洋平
濱田洋平

「FNNソウル支局特派員。1988年熊本県生まれ。テレビ西日本で福岡県警キャップ・行政キャップなどを担当、報道番組「福岡NEWSファイルCUBE」のディレクターとして新型コロナにおける医療問題や旧統一教会などを取材。2024年8月から現職。」