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テレンス コンラン
CONRAN SHOP JAPAN LTD.

テレンス・コンランが88年の生涯で残したもの

携わったプロジェクトが多岐にわたるテレンス・コンラン。彼がイギリスのデザイン史に与えた影響を、デザイン史研究者の津田塾大学・菅靖子教授に解説してもらった。

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「ハビタ」に「ザ・コンランショップ」、レストラン革命、都市再生、デザイン・ミュージアム、さらにはナイト爵位まで。デザイン界の巨匠、サー・テレンス・コンランを語る言葉は多岐に及ぶ。コンランは幅広い分野に足跡を残したが、津田塾大学の菅靖子教授は、その姿勢には一貫して「『人に届けたい』という思いがありました」と指摘する。「エル・デコ」2024年12月号より

閉塞感の漂うイギリスでカラフルな家具店が成功

テレンス・コンラン ハビタ habitat

イギリスには「生活のなかの芸術」を目指したウィリアム・モリスによるアーツ・アンド・クラフツ運動があったが、「どれほど美しくても、一般の人が手にできないものに意味はない。コンランにとって、それは至上命題でした」と菅教授は言う。この課題をクリアしたのがインテリアショップ、「ハビタ」だった。

1号店は1964年、ロンドンのフルハム・ロードにオープン。「当時のイギリスは経済難で、閉塞感が漂っていました。そのような中、明るい店舗をつくり、各国から集めた色彩豊かな商品をそろえて、それを手頃な価格で人々に届けた功績は大きいです」。「ハビタ」は成功を収めて国内外に出店。1973年にはハビタ跡地に「ザ・コンランショップ」1号店が誕生する。

<写真>当時の家具店に満足できず、「ハビタ」をオープン。豊富な商品を強調した明るい店舗と手頃な価格設定で成功を収めた。写真は70~80年代のカタログ。

信条は、Plain Simple Useful

バートン・コート自邸 テレンス・コンラン
Photo: David Garcia / Courtesy of the Conran family

この頃から、 コンランは自らのデザインに対する信条を「Plain, Simple, Useful」と表現するようになる。「“素朴”という意味を持つ“Plain”の語が、いかにもコンランらしい。肩肘張らず『人々が心地よく過ごしている姿を見ていたい』という考え方ですね」と菅教授。これは、レストラン事業にも通底する。

<写真>バートン・コート自邸内の仕事部屋、2004年撮影

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外食産業を一変させたレストラン革命

テレンス・コンラン
Photo: Alex Pareas, Courtesy of Conran and Partners / Courtesy of the Conran family

1953年にフランスを訪れ、日常生活、とりわけ“食”と豊かな関係性を築く必要性を痛感したコンランは、同年に「スープ・キッチン」をオープン。1987年にはミシュラン社のキャラクターをモチーフにしたインテリアと、後に“モダン・ブリティッシュ”と称される料理が評判を呼ぶ「ビバンダム」を開き、この成功を受けてレストラン事業を拡大していく。「コンランは当時、悪評高かったイギリスの外食産業を一変させました」

<写真>コンランが手掛けたレストラン「ブルーバード」。1997年開店。フランスの食をヒントに、心地よいインテリアと食材にこだわったレストランを、主に90年代からオープン。その数は50軒を超えた。

悲願を果たしたデザイン・ミュージアム

テレンス・コンラン デザイン・ミュージアム
Getty Images

活動の範囲を広げていくコンランにとって、一つの到達点がデザイン・ミュージアムの設立だった。同時代の産業デザインを常設するミュージアムを、という構想は、20世紀初頭に英国産業美術協会によって一度実現されたものの短命に終わった。コンランはこの悲願を果たすべく、コンラン財団を設立。ヴィクトリア&アルバート博物館を拠点とした“ボイラーハウス・プロジェクト”を足がかりに本格的なミュージアムの設立を目指し、1989年、テムズ川沿いにデザイン・ミュージアムを完成させる(2016年に移転)。これがプロトタイプとなり、各国に同様のミュージアムがつくられたと菅教授はその重要性に着目する。

さらにコンランの活躍は日本にも知れ渡り、1994年には「ザ・コンランショップ」が上陸。新宿にオープンした1号店に続き福岡店や丸の内店も開店。当時インテリアブームが起きていた日本においてもコンランの存在感を強めていった。

<写真>同時代に製造されている産業デザインを常設するミュージアムの設立を目指し、自身が再開発を進めていたテムズ川沿いのバトラーズ・ワーフに開館。2016年に現在のケンジントンへ移転オープン。

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テレンス・コンラン
CONRAN SHOP JAPAN LTD.

2003年から8年間、コンランはロイヤル・カレッジ・オブ・アートの学長を務め、自ら築いてきたものを次世代に伝えるべく、教育に携わる。「歴史は人がつくると言いますが、これほどまでに多彩な事業をこの規模で実現できたのは、テレンス・コンランだから。社会を動かす力を持っていたデザイナーです」と菅教授。コンランの「人に届けたい」という強い思いが、日常的にデザインを取り入れて楽しむ、現代のライフスタイルにつながっている。

<写真>コンランブルーと呼ばれる、ブルーのシャツを身にまとったテレンス・コンラン。2006年撮影。


テレンス・コンラン
1931年イギリス・サリー州生まれ。セントラル・スクール・オブ・アーツ&クラフツ卒業後、コンラン・ファブリックスの設立等を経て、インテリアショップの「ハビタ」や「ザ・コンランショップ」をスタート。その他、レストラン事業や都市再生を含む幅広い事業を手掛ける。1989年、ロンドンにデザイン・ミュージアムを開館。1983年ナイト爵位を得る。2020年没。

菅 靖子(監修者)
デザイン史家、津田塾大学教授。ロイヤル・カレッジ・オブ・アート博士課程修了、ロイヤル・ソサイエティ・オブ・アーツのフェロー。著書に『イギリスの社会とデザイン——モリスとモダニズムの政治学』。『テレンス・コンラン モダン・ブリテンをデザインする』展ではシンポジウムを行った。

『エル・デコ』2024年12月号

エルデコ12月号
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