上位の批判的レビュー
5つ星のうち1.0演出が本当に酷い。歴代ゴジラの中で一番の駄作かもしれない。
2024年5月5日に日本でレビュー済み
勘違いしている人が多いけど、
シン・ゴジラが海外で受けない理由は、派手さや凶暴さが足りないからではない。
シナリオや人間の心理描写が薄っぺらいからだ。
人と人の繋がりや感情変化の描写が手抜きだからウケないのだ。
海外の観客は繊細で、日本人みたいに大雑把じゃない。
怪獣が暴れて、自衛隊の兵器が出れば喜ぶのは子供ぐらいだ。
もともと歴代のシリアス路線のゴジラ作品は、生活を破壊された人々の悔しさや悲しみ、危険を顧みず取材するマスコミ、現場で指揮を執る自衛官、様々な人間の心理が描かれている。
しかしシン・ゴジラでは人間模様の描写が全くない。エキストラが逃げ惑うシーンがオマケ程度にあるだけで、子供を庇う母親も出てこないし、はぐれた家族を探す男も出てこない。負傷者さえ出てこない。
これのどこが大災害をオマージュした作品なのか?
3.11では、津波から命からがら逃げた人、家が濁流に流された人々のリアルな姿がYoutubeやSNSで配信され、世界中の人が心を傷めた。当時のニュースや一般人がスマホで撮影した動画のほうが、遥かに人間の心理を深く抉っている。
たとえこれが政府関係者に焦点を当てた作品だとしても、一般市民の描写が手抜きでは話にならない。助けを待つ人々がいるからこそ、政府省庁や自衛隊組織上層部の責任の大きさが伝わるし、会話にも緊張感が生まれる。
足りないのは市民の描写だけではない。
主人公のひととなりを説明するエピソードも無い。
・内閣官房副長官 矢口蘭堂
・内閣総理大臣補佐官 赤坂秀樹
・米国大統領特使 カヨコ・アン・パタースン
彼らがにどんな過去があり、なぜその役職に就いているのか?
どんな性格でどんな経験があり、どんな長所と短所があるのか?
ゴジラとの戦いを通して何を悩み、何を手に入れるのか?
主要な人物でさえ、内面を全く掘り下げることなく事務的に処理が進んでいく。
これでは誰にも感情移入できないし、先の展開に不安感や期待感を抱いて感情を揺さぶられることもない。
観た人の殆どは、彼ら3人の役割も役名も頭に入っていないだろう。役者である長谷川博己、竹野内豊、石原さとみとしか覚えてないはずだ。その時点で、観る人をストーリーに没入させることができない、学芸会レベルの映画ということになる。
実際、いろいろな人に感想を聞いたが、「石原さとみが~」と言う人はいても、「カヨコが~」などと話す人はいなかった。他の日本映画同様、ただ有名な役者が動いてる姿を楽しむだけのプロモーション作品だ。
そもそも石原さとみ扮するカヨコ・アン・パタースン。
エヴァンゲリオンじゃあるまいし、こんな人がこの現場にいるわけがないだろう。
SF映画は、まず怪獣が暴れているという非現実的な状況を、現実に起こっているかのように観客に錯覚させるのが重要だ。ところがこの作品では、ゴジラ以前に、人間のほうが非現実的な二次元キャラだ。これじゃ話にならない。ストーリーに没入したくても、学芸会を見せられている現実に引き戻される。
酷い演出は石原さとみだけではない。
首相を始め政府要人たちの描写も幼稚すぎる。ワイドショーでしか政治を知らない人が想像したような、何の役に立っているのかわからない老人たち。庵野秀明の幼稚な政治観がよくわかる。
時折登場人物が呟く、皮肉交じりのセリフも、庵野の薄っぺらい思想が見え隠れして気持ち悪い。
いったい政治家を何だと思っているのか?これほど人間の活躍が見えないコジラ映画は今まで無かった。
そして演出も酷い。
明らかに手抜き。
例えば映画序盤、ゴジラが東京湾に現れた時の一般人が驚くセリフは酷い棒読みだった。全体を通して、1回のセリフが異常に長すぎたり、会話の息が合っていなかったり、言い回しが不自然なシーンが多く、そのたびにストーリーへの没入を邪魔される。
庵野秀明はアニメばかり観てるから、不自然さが理解できないのか?
観客の多くは演技力なんて気にしてないから手を抜いたのか?
リアリティが無いだけならまだいい。
映画はリアリティが全てではない。
俳優の個性や演技や名ゼリフを楽しむのも映画の醍醐味だ。
ところが、いつも素晴らしい演技をする名優たちが、この映画では与えられた台本を間違えずにしゃべっているだけで、個性や人間味が全く引き出せていない。これほど記憶に残らない大杉蓮や國村隼は無い。
自分が出ている作品を見て、いい演技できたと胸を張れるキャストはいるのか?
庵野秀明のWikipediaには「人間のエゴや醜さをえぐり出す心理描写、細部にこだわったメカ造型、大胆な映像演出を得意とする。」とある。どの辺が心理描写が得意なのか理解できない。
個人的には、シナリオの平坦さも気になる。
形態変化するゴジラが気持ち悪いと批判されているが、問題は気持ち悪さではない。
形態変化したからなんだというのだ?
なにも感情に訴えてくる展開がないじゃないか。
そもそもこの映画にゴジラは必要なのか?
東日本大震災では、福島第一原発への自衛隊ヘリによる空中からの放水中、突然の水素ガス爆発。
国民を不安と絶望を与えた。現実の災害でさえ予測できないトラブルに見舞われるのに、ゴジラはあっさり無力化に成功してしまう。
本来、一筋縄ではいかない人知を超えたタフさを発揮するのがコジラであり、そこに満身創痍で挑む人間のドラマだ。
竹野内豊も石原さとみも徹夜で体力を消耗した様子も無い。
重責から解放された達成感も見えない。
エンディングの二人の会話はまるで他人事。あんなに感情の起伏が乏しい日系アメリカ人がいるのか?
なにがスクラップアンドビルドだ?意識高い系サラリーマン並に薄っぺらい。
一体何を感じ取れば良いのか、全く分からない。
もちろん、歴代ゴジラにはもっとチープな作品も沢山ある。
しかし、だからといってこの作品が良いことにならない。日本のSF映画の代表作として評価していいレベルではなく、「いつものヤツ」でしかない。
日本では監督やキャストが豪華で、宣伝や広告にカネをかければ、内容が浅くてもウケる。そのような「いつものヤツ」で満足している人には、いつも通りの楽しい映画かもしれない。
しかし、私にとっては日本映画の悪い部分を全部詰め込んだ作品でしかない。
セリフも演出もストーリーも、もっと詰めることができるのに「こんな風に撮っておけば観客動員できるでしょ?」という意識の低さ。それを煮詰めて飲まされたような気分だ。
製作費13億円かけた作品にしてはあまりにも手抜き。中身スカスカ。これで合格点を与えていたら、どんどん韓国にも中国にも置いて行かれる。
実際、TBSが海外進出を目指して制作した『VIVANT』は海外で大コケ。
回収できないほどの大赤字になった。
海外の映画やドラマは人間の心理描写も遥かに繊細。
脚本も照明も音響も手抜きが無い。
プリズンブレイク、ブレイキングバッド、イカゲーム、ペーパーハウスコリアなど、重厚で質の高い作品を観ていて目が肥えている人々に、VIVANTみたいな安っぽいドラマがウケるわけが無い。俳優の知名度にやプロモーションに予算を割いたり、海外ロケや俳優や爆発に金をかけたりしても、学芸会じゃ意味が無いとわからないのだろうか。
恥ずかしいと思わないのだろうか?
昔は日本にも、海外で評価される作品は多かった。
例えば日本を代表する映画監督である黒澤明は、リアリティを追求した深い人間性の探求と、強烈な映像美で、観る者を引き込み、世界中の映画ファンやクリエイターに影響を与えた。
もちろん今で素晴らしい映画はあるが、映画を総合芸術として作品の完成度を追求するのは、低予算の映画ばかり。語り継がれる名作も、海外で評価されるのも、低予算の作品ばかり。
巨額の製作費を投じた大作は俳優やプロモーションにばかり金をかけて内容が酷くなるし、観客動員数が多いほど、観るに値しない。こんなバカな話あるだろうか?
観客動員数を増やすにはクオリティなんて要らない。映画ファンより芸能人ファンを集めたほうが早い。しかし、だからといって、こんな酷い作品ばかり見せられていれば、観る人のレベルはさらに低くなるし、クリエイターの意識も低くなる。
もっと真面目に映画を撮ろうと思ったら、シン・ゴジラの出来でOKを出すわけがない。素人目にもわかる明らかな手抜きB級映画だ。
この映画が面白かったと言う人も、棒読みや不自然な演出に気づいているはずだが、こんなもんだろうと妥協して、好意的に楽しんでいるのだと思う。しかし、この作品は低予算のB級サメ映画ではなく、製作費13億円の大作であることを考えて欲しい。ハリウッドでは低予算だが、日本では比較的予算を投じた超大作。棒読みのシーンなどひとつも無いのが当たり前だ。
明らかに改善点がたくさんあるのに、全く批判せずに良い所だけ観てヨイショしていたら、ずっとこの悪循環が続くことになる。
アジアや欧州の映画に比べ、日本の実写映画や実写ドラマが低レベルなのは今に始まったことではないし、いつもなら批判レビューなどせずにスルーしていた。面白かった作品ではなく、つまらなかった作品の批評に時間を費やすほど無益なことは無い。
しかし、シン・ゴジラに関しては、私が子供の頃から好きだったゴジラを汚されたことが許せなかった。この映画によって、私の好きだったゴジラシリーズは終ったと絶望した。子供の頃の私を虜にしたゴジラの可愛さと無慈悲さ、大人達の頼もしさ、自衛隊の勇敢さ。
幼い私が感じた感動を、現代のゴジラを通して子供たちと共有できない寂しさと憤りを抑えることができなかった。
過去形なのは、『ゴジラ-1.0』に救われたからだ。
『ゴジラ-1.0』は歴代のゴジラシリーズのどの作品よりもゴジラらしい、洗練された作品だった。子供が観ても大人が観ても楽しめるし、観る年齢によって受け取る情報も多様だ。これが映画であり、これがゴジラだ。
『ゴジラ-1.0』は製作費10〜15億円。シン・ゴジラとほぼ同じ予算で制作されているが、シーンの多様さも戦艦や兵器の描写も、人間一人一人の描写や演出も、全てにおいてシン・ゴジラを上回る重厚さ。
アナログとデジタルを融合した、創造的かつ独創的な手法で制作されている。ハリウッド映画と比べれば超低予算だが、製作コストを遥かに上回る完成度。
「派手で迫力があるから海外でもウケた」とか言う意見を目にするが、バカ言っちゃいけない。ただの怪獣パニック映画がアカデミー賞視覚効果賞れる取るわけないだろ。ET、エイリアン、タイタニック、マトリックスなど、歴史残る名作しか受賞できない賞だ。
斬新な映像表現以前に、シナリオ、人間模様の描写、余韻、全てにおいて手抜きが無いから海外でもウケたし、アカデミー賞にノミネートされたのだ。
シン・ゴジラみたいな学芸会映画には無縁の世界だ。