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門外漢ですみません
本書はオットーマイヤーがあげた行政法の基本原則1 法律の法規創造力2 法律の優位3 法律の留保を、法治国家の産物で、法の支配の原理に支えられた日本国憲法のもとでは不要で害悪をもたらす危険すらあるとする議論だと思う。ただ、すみません。門外漢なんでむちゃくちゃいいますが、以上の原則が確かにオットーの法治主義の解釈に基づくものならまずいですが、通説通り、法の支配の原理から充分に自然に解釈できるのではないかと思います。法の支配の前提を置き、そこから解釈、論理づけして、充分機能しうるなら、この原則をそのまま残しておくことはそんなにおかしな話ではないのではないかと思いました。もし日本国憲法下で法治主義的な解釈に基づき判決が下されたような判例があれば問題だと思います。
1
大衆(努力しない人間)はどのようにして生まれたのか
100de名著でも紹介された本書。そこではリベラル保守を自認する政治学者、中島岳志が解説をつとめた。しかし、私はあの100de名著はあまり満足いかなかった。大衆の反逆のテキストに沿った解説というよりも、リベラルや保守といった政治思想中心の話になってしまったことがとても残念だった。たしかに本書の中では自由主義の記述は見られる。しかし、この本の中心は「大衆」の社会学的描写であって、テキストに沿ってそれを語って欲しかった。最後には西部邁が登場。(もちろん私は中島岳志も西部邁も大好きであるのだが)まるで、オルテガの1冊を中島岳志の思想の表現の場として扱われてしまったことがとても残念だった。それでも大衆の反逆の第1回目の放送はそれなりにテキスト中心の構造になっていたが、その放送もどこか気に食わなかった。そこでの大衆の定義は次のようなものであった。大衆とは「大量の人たち」、「根無し草になってしまった人たち」、「個性を失い群集化した人たち」、そして「平均人、他人と同じだからといって満足する人たち」と定義されていた。確かにオルテガは本書の中でいろいろな言い方をして大衆を定義してくのだが、上で述べられた定義では、大衆の定義として一番大事な部分が抜けてしまっているように私は感じるのである。その部分を含んでいる大衆の定義を引用する。(大衆とは)自分に対してなんらの特別な要求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成の努力をしない人々、つまり風のままに漂う浮標のような人々である。「特別な要求を自分に課さない」「自己完成の努力をしない」これが大衆の心理的特徴の最も大事な部分だと思う。中島が取り上げた定義では確かに「平均人」ならその辺りのことを言えてなくもないが、定義不足をいなめない。さて、この大衆は一体どのようにして生まれてきたのか。これも、しっかりオルテガは述べている。議論を要約しながら述べる。近代( modern)はまさしくモデルmodelのような時代である。というのも、産業革命、市民革命が起き、人々の生が増大した時代だからである。生の増大とは、人を取り巻く環境において多くを選択できるようになったということである。今や、多くの人々がそれまでの時代の人々が手にできなかったものを手にしている。すると、自分は近代という時代に生まれたからこそ、豊かな自由な生活ができている、自足自律した生活ができているのに、その恩を忘れ、あたかもそれが当たり前のようになる。自分は何にも縛られない、経済的にも政治的にも何にも縛られない、人々は他人に耳を貸さない不従順な、自己閉鎖的な人々となる。この自己閉鎖性は他者と比較するということを妨げて、それ自体で満ち足りた、完全な存在だと自分で思っている。自分が完全だと思っている人々は自己懐疑して「本当に完璧なのか?」と考える努力をしない。よって、ここに近代の自分に多くを課さない、努力しない人間が誕生するのである。以上のような文脈で、社会学的意味での大衆は誕生する。にもかかわらず、何度も引き合いに出して申し訳ないが100de名著では視覚的意味での大衆人が産業革命、都市化を中心に生まれたことが映像を用いて取り扱っていたが、大事なのはそこではない気がする。このちくま学芸文庫の最後には、訳者解説部分がある。そこには訳者である神吉敬三の本書の要約部分がある。その要約が本当に素晴らしい。本文を読んでいて分からなくなったら、その要約を読むというふうに進めていけば、多少の苦労はあっても本書を読み進めていくことができるかなあと思います。この本に関しては頼るべきは100de名著ではなく、本書の訳者解説です。
4
現代リベラリズムの原点にして頂点
現代のリベラリズムの原点にして頂点であろう本書。さまざまな解説を読んでいてもなかなかしっくりこないという人は、また新しい解説に手を出すよりも、本書を買うべきだと思う。さまざまな解説書を読んできた人なら、あぁそういうことだったのかと何度も腑に落ちる経験をするはずである。ところどころで出てくるロールズのキーワードが一つの体系のなかで語られていく。リベラリズムの代表的論者である井上達夫は、リベラリズムの中心概念は「正義」である、と語っているが、本書での原理も「正義」である。正義論を読みこの言葉の意味、また正義の構想という言葉を理解したことが大きかったかなと思う。本書の最初の方で「正義」と「正義の諸構想」の違いについて語られている。正義というのは、その概念としては権利と義務を平等に分配することまた社会的連帯連携によって得られた便益を適切に分配すること、これが社会的な意味における正義の定義である。じゃあ正義の構想とは何か。正義の構想とはその正義の概念を解釈したもの。だから正義の構想はその解釈の数に応じてたくさんある。じゃあロールズが提示した正義の構想とは一体何か。それこそ公正としての正義であった。公正とはじゃあどういう意味か。公正というのは平等な条件、要するに原初状態のこと。原初状態と言うのはみんなが無知のベールに覆われているのでみんな社会の事についても知らないし自分が社会の中でどういうポジションにいるのか、また自分がどういう能力を持って生まれてきているのかも知らない。能力っていうのは、例えば知性もそうだし体力のこともいえる。また他にも知らないことがある。それは自分の善の構想、善の構想それ自体の構造は知っているけどじゃあ自分がどんな目的を持っているのかは知らない、まだ選択していない。こういったことを知らない無知のベールに覆われた状態を原初状態と言う。そのような善の構想の構造はよくしっているが目的自体は知らない人格をロールズは道徳的人格と名付ける。もっというと、自分の善の構想は知らないが、自分がこれから選ぶ目的に対して合理的でかつ、正義の感覚を持っている人間のことをロールズは道徳的人格と呼んでいる。つまり無知のベールに覆われた人間は道徳的人格として存在することになる。この道徳的人格による社会契約をロールズは想定している。正義の感覚とは何か、諸原理がどのようなものであれ各個人はそれを理解しそれらに基づいて行為するのに必須の能力のことである。じゃあこの社会契約によって導き出される原理は何なのか。効用原理はあり得るのか。ロールズはありえないと言う。なぜなら社会全体は幸福になりますよあなたは不幸不幸かもしれないけどそんな原理に道徳的人格はノーと言うだろう。じゃあ道徳的人格によって導き出される原理とは何かそれが正義の原理である。おおざっぱな2つの原理で言えば1基本的な権利と義務を平等に割り当てることを要求する2社会的経済的な不平等が正義にかなうのはそれらの不平等な結果として全員の便益を補正する場合に限られる。この2つの原理に人々は社会契約するだろう。以上が正義論の大枠である。道徳的人格がどのようにして正義の2原理を導き出すのかもちろん論証されている。全部書く訳にもいかないので興味のある方はぜひ。本書を読む価値はリベラリズムを知ることにもあるがその周辺との論争を知ることにもある。そこでここではリベラルーコミュニタリアン論争にも触れておく。リベラルーコミュニタリアン論争にとって、とても面白いのは、公正としての正義の論理がとても民主的なプロセスだとロールズが主張していることである。というのも人間誰しもこの無知のベールを覆うことができれば、この思考プロセスを得ることができれば、誰しも合理的で正義の感覚を持った道徳的人格になれると言うことである、ということは誰しもこの人間になることができるのであれば誰もがこの原理に賛成すると言うことである。以上のような論理で、ロールズの言った原理は民主的だとロールズは主張するのである。また自らによって決めたルールによって自らを縛ることになるので自律的だともいう。これを批判したのがサンデル。そんな民主的なプロセスを認められるわけがない。なぜなら私たちが本来行う民主主義と言うものは負荷のある自己による民主主義であるからである。負荷ある自己とは環境の中で経験をして出来上がった自己のことである。つまりそこには環境の要素そして文脈的に経験した自己と言うものがそこには存在している。その利害関係を持った人々による民主主義を想定しなければ何も始まらないのではないか。そう主張したのがサンデルであった。確かにサンデルは自由の価値や平等の価値を尊重する。ただそれは環境の中で経験をした負荷ある自己によって認められた善であって、決して善に勝るものとして正義があるんだという主張から導き出された価値ではないということである。これこそサンデルの主張であった。ロールズは学者として、とても広い射程をもって本書を著した。その射程はところどころ私たちの思考を助けるが(私は直感主義に触れているところが面白かった)、射程の広さは読者に混乱を与える。なので、ロールズは序章辺りに丁寧にも、最初はこの章、この章、この章の最初をよんで繋げ本書を捉えてくれと書いてくれてある。ぜひ、専門家だけでなく、学生も本書を手にとって欲しい。
36
若手思想家による良書
「〜の名著50選」のような本はありふれている。何冊か読んだことはあるが、こういう本はめちゃくちゃ読みづらい。いきなり、古典の著者がもっていたハイレベルな問題意識の共有を強いられ、その問題を提示するため、そしてその問題に対して著者がどのように主張したかを示すため、さらに難解な言葉、定義、、、が続く。もちろん、それは大事なことだとは承知している。でも、それを前にした時、多くの読者は絶望感、徒労感を感じたと思う。私はそうだった。本著を書店で見つけた時、この本も今までに出た「〜の名著50選」的な本かなあと思いながら手に取った。私の予想はいい意味で覆された。問題の提示がいい。この本の著者である北畑が、今私たちに起こっているだろう社会的・心理的現象から、各思想家と共通する問題意識を見つけ出してくれているので、無理にこちらが思想家の問題意識を共有しなくても、読者が各章に入り込めるように構成されている。展開もいい。各思想家は原典では、体系的に、幅広い論点に言及しているためしばしば、読者が置いてけぼりをくらうということもあるが、本著は話の展開自体は基本的に著者が行い、重要な定義、論理、結論の場面で原典から、うまく引用してくれているため、気になる問題に対して思想家がどのように考えていたかが一本道でわかる。本を読む際の道しるべとして、その本がそもそもどういう主張をしているのか、を知ることは大変重要であり、この本は今後の読書生活に大いに役立つと思う。ここから先は、少し主観的にこの本の良さを述べる。まず、本のチョイスがいい。私が読んだ本、気になっていた本、読み始めたものの挫折してしまった本などが多くとりあげられていた。リップマンの『世論』、アレントの『全体主義の起源』、ル・ボン『群衆心理』、マイケルポランニーの『暗黙知の次元』、カールポランニーの『大転換』、アダムスミスの『道徳感情論』、、、もうあげればキリがないが、この本のチョイスに感動した。解説の切り口も大変面白く感じた。私は、読んだ本一冊一冊に対して出来る限り要約を作るようにしている。オルテガの『大衆の反逆』もその一冊だ。そこでの私の要約は「現代においてどのようにして努力をしない人間(大衆)が生まれたか」を切り口にまとめてみたが、オルテガ独特の「自由主義」の側面をその要約に組み入れることができず、残念に思っていた。しかし、本著の解説では、「我々が憂鬱になる理由とは何か?」という切り口から、オルテガの「自由主義」の側面にも触れながら解説している。このような解説はとても新しく感じ、感心した。本書の特性上、各章ごとの著者の解説を、さらに私が解説するという野暮なことはしないが、各章全てに通底する「まえがき」から、著者の現代社会に対して多少の毒も含みながら「思想」の重要性について書かれた文章を引用する。これが、また面白い。 最近では読書というと、何か即効性のあるテクニックを知ることだとするトレンドがあります。 たとえば、「ビジネス書」と呼ばれるものがそれで「成功者になるには」…(略)…といったような、聞くだけで虫唾が走るような枕詞とともに「スーツは〇〇を着ろ」…(略)…などと、いい年をした大人が日常の全てを事細かに指示される本を好むのです。 本来は「うるせえな。何でお前に他人の人生のことを事細かに指示されないといけないんだよ」と怒りを持つべきなのに。 そもそも、こういった書籍に出るような「成功者」なる人がすすめるテクニックや行動が、あなたの人生に当てはまるのでしょうか。そして百歩譲ってその通りにやれば成功できるとして、その人物とまったく同じ生活をする人生が楽しいのでしょうか。 ここまでで大半のビジネスパーソンを敵にしたことは間違いありません。ただし、これはあくまで私の主観ですが、多くの人は自ら固有の(ユニークな)人生を歩めたときに、その人生を良いものだったと考えるはずです。逆に、成功者なる人が歩いてきた道をただ機械のようになぞることが「成功」だとは、私は思いません。 自分の人生を自分らしく生きるためには、自ら思考し、選択し、判断する必要があります。 そのサイクルを上手くこなすためには「思想」が大いに必要なのです。私は大いに共感するが、皆さんはどうお考えでしょうか。さて、さらに個人的な話になるが、本著を著した北畑淳也は、どうやら私と同年代(20代)ということで、本著を読み、こんなにもすごい書き手がいることを知り、大変刺激を受けた。「悲痛社」というブログも開設されているということで、少し拝読したがそちらも素晴らしかった。今後さらなる著作を期待しています。
71
トクヴィルの思想・理論を丁寧に解説
「アメリカのデモクラシー」の序文には次のような文章が出てくる。「境遇の平等の漸次的進展はそれゆえ神の御技であり、確かにその主要な特徴がそこには認められる。すなわち、それは普遍的持続的であり、日ごとに人の力で左右しえぬものとなりつつあり、すべての出来事、すべての人々がその進展に奉仕している」境遇の平等とは本著「トクヴィル」でいうところの「諸条件の平等」と同じものであり、これはデモクラシーの基本的事実であり、最も重要な特徴である。つまり、上の引用は「デモクラシーは神の仕業であり必然である。」と述べているように読める。私はこの序文を読んだ時、あまり良い意味でないショックを受けた。なぜなら、いくらこの本が著名で、デモクラシーに関する洞察が優れているとしても、納得のいく説明もあまりなされないまま、神を持ち出し「デモクラシーは必然だ、歴史の流れだ」というのはあまりに暴論に感じたからである。その後も読み進めたが、やはり、そのことが頭に引っかかりなかなか読み進めることができなかった。しかし、本著「トクヴィル」を読んで「デモクラシーは必然だ」という意味を理解した。その説明は次のようなものである。トクヴィルのいう平等化とは、もちろん代表的な「身分制が崩れる」ということが含まれているのだがそれだけではない。トクヴィルのいう平等化とは身分制が崩れた結果、諸身分を隔てていた壁が破壊され、社会のヒエラルキーは自明のものではなく同じ人類であるという新たな想像力を持った人々が誕生することもさしていた。そのような人々からなる社会をデモクラシー社会とよんだのである。平等化以前の身分制の残るアリストクラシー社会では不平等は当たり前であり不平等があろうとそれはむしろ当然のことであるため、そもそも不平等と認識できない。しかし、新たな想像力を持った人々によるデモクラシー社会では社会の不平等はきわめて鋭敏に意識され、ひとたびこのことを知った個人は、それまで自らが置かれていた従属的な諸関係に対して異議申し立てをするようになる。この異議申し立てに対して、不平等を正当化する特別な理由が必要となるわけだが、それを正当化するだけの十分な理由が、この平等な時代において存在するのだろうか・・・こうして、一度動き始めたデモクラシーは必然となるのである。以上が「デモクラシーは必然だ」の意味である。まさに本著の副題のとおりトクヴィルは「平等と不平等の理論家」だったのである。もちろん、トクヴィルはここで議論を止めることはない。デモクラシーの問題点には「多数者の専制」「ニヒリズム」があること、それにもかかわらず、アメリカでデモクラシーが機能している理由など、を論じているが、ここから先は是非本著を手に取り読んで見てください。これを読んだら「アメリカのデモクラシー」を読んでみたくなる、最高の入門書だと思います。
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解説ではなく古典を読む面白さ
代表的著作は幾多の場面で引用され、読者の目にとまる。ルソーの社会契約論もその一つである。様々な本で解説されていたため私の中ではルソーの議論は明確にイメージできると思っていた。しかし、論理をイメージしてみようとすると、意外とできない自分。また、色々な解釈がされているため、この前読んだ本と違うけど本当はどっちなんだろう、と考えている自分。そこで思い立った時に、一度読んでみようと思い本著を手にとった。さて、読んでみると私のイメージとはところどころ違い驚いた。例えば、この本の核心、一般意志について。私は一般意志は、社会全体の目的のような意味で、かなり抽象的なものだと捉えていたが、実際ルソーはもう少し具体的なものとして捉えていた。引用する。「これまで明らかにされた諸原則から出てくる最初の、そして最も重要な結果は、一般意志のみが公共の福祉という国家設立の目的に従って、国家のもろもろの力を指導できるということである。なぜなら、個々人の特殊な利益の対立が社会の設立を必要としたとしても、その設立を可能にしたのは、この同じ特殊な利益の一致だからである。これらの異なった利益のなかにある共通なものこそ、社会のきずなを形成する。そこで、かりにすべての利益が一致するようななんらかの点が存在しないとすれば、どんな社会も存在することはできないだろう。社会はもっぱらこの共通の利益によって統治されなければならない。」ここの文章を読んだ時になるほど一般意志って共通の利益のことだったんだと気づいた。「自然状態で争いが生まれてしまうのは、結局利害の対立があるからではないか。そこに共通の利益を見出せるからこそ、社会が成立できるのではないか。共通の利益のないところに社会など存在しない。共通の利益、これこそ一般意志である。」ルソーはこう主張しているのかなあと思った。さて、この一般意志はどのように生み出されるのか。これに関しては色々論争があるようで、ロールズはルソーを熟議的理性の源として議論しているが、他の解釈では一般意志の形成時での会話を否定しているという解釈もあるそうでどっちなんだろうと疑問に思っていた。この論争に関して引用。「人民が十分な情報を持って討議する時、もし、市民相互があらかじめなんの打ち合わせもしていなければ、[一般意志との]わずかな差が多く集まって、その結果つねに一般意志が生み出されるから、その結果はつねによいものであろう」上の文は、徒党を組んでしまうと一般意志から遠ざかってしまう、ということを主張する文脈で出てくるのだが、ルソーが否定していたのは、(徒党をくむための)あらかじめの打ち合わせであり、一般意志を形成するための討議は認めているように読める。よって、私が読む限り、一般意志が生みだされ方についての論争はロールズの読みが正しいのではないかなあと思った。以上が私が改めてルソーを読んで、興味深く読んだところだが、他にもたくさん面白さを感じさせてくれた。論理的で納得のいく文章、あまりに進歩的で保守主義ならどう批判するだろうと批判的に読む箇所など、話題は尽きない。ぜひ一読してみてください。私は作田啓一訳で読みました。他の著作でも作田啓一の本に触れたことがあり、日本を代表する社会学者で信頼もあったためです。本文は読みやすく訳注も優れており大変参考になりました。中山元の訳も出ています。中山元さんは日本を代表する哲学者です。彼の訳で社会契約論は読んだことがありませんが、中山元さんはわかりやすい翻訳で有名なのでおそらくそっちも読みやすいかと思います。
5
保守主義を研究する上で欠かせない名著
少し長くなるかもしれないがこの本の要約から。まず保守主義とは思想なのか?(1章)保守主義とは精神的構造関連(要するに思想)の一つである。 伝統主義のような旧来のものを墨守し、更新にたずさわるのを嫌う人間的な心的素質と保守主義は違う。精神的構造関連は、心的素質とは違い、歴史的に構築される。無時間的にあるものでも個々の孤立した個人によって作られたものではなく、担い手の運命や自発性によって生み出され、再生産され、発展させられていったものである。上のように、歴史的であるがゆえに動的(変化するもの)でもある。伝統主義的な現状維持とは違い、場所や時代によって保守主義的行為は変わってくる。しかし、歴史的であるが故にそこには、根本思考が生きており、人は自分をそれに適合させ行為していくため、その保守主義的行為もけっして脈絡なく突飛に打ち出された新しいものではない。じゃあ、保守主義は伝統主義的な要素は取り入れていないのか。いや、まったくそんなことはない。むしろ、保守主義は伝統主義の形態を方法論的に首尾一貫したものに完成させようと努力したものである。次に保守主義はどのようにして生まれたのか?(2章)それは社会が動的(変化していくもの)になることによって誕生する。つまり、近代国家が成立したことにより、民族的な統一へ、国民の国政への参加へ、国家の世界経済の編入へといった過程的変化がはじまるのである。すると国内のある階層の人々はその変化を承認し、またある階層の人々は現状維持を望むといった社会的分化が生じる。最初は無意識的にその分化に関与するがだんだんと意識的になり、根本思考が分裂し、この分裂した根本思考を中心に互いが世界観を作り上げていく。こうして、自由主義と保守主義という2つの思想が誕生したのである。最後に、保守主義とはどのような思想なのか。(3章)まず、自由主義は将来あるべき理想、または規範(原則)という体系といった抽象的なものからの視点で事物・人格・制度をみる思想である。それに対して、保守主義は、今・ここにある事物・人格・制度は過去どのような本質的中核・萌芽を持って、どのような過程でもって存在するに至ったのか、また今ここにある事物・人格・制度からどのような規範(原則)が考えられるかという具体的な物事から思考する視点を持つ。以上のように、本書では保守主義に対する3つの疑問に対するカールマンハイムの主張が述べられている。2つ目の保守主義はどのように生まれたのかへのより具体的な内容は本書の4章で述べられているがここでは省いた。続いて本書の議論の現代性を述べる。一つ例をあげよう。本著で取り上げられている3つの問いの中でも少し異様なのが「保守主義は思想なのか?」である。この問いは保守主義にとっては現代もなお非常に重要である。中野剛志は著書「保守とはなんだろうか」の講演の中で次のような議論をしている。保守主義とは現状維持なのか。いやそうではない。その時々に応じて便宜をはかって、今回はやっていい、やってはいけない、ということをプラグマティックに判断している。つまり現状維持とは違う。じゃあそこには理論はあるのか?つまり、保守主義はそもそも体系化するべきでない「態度としての保守」でしかありえないのか?それとも、そこには理論があって「思想としての保守主義」はあり得るのか?いややはりそれは、「思想としての保守主義」というものはあり得るだろう。なぜなら、いくら態度といっても、常識って?伝統ってなんですか?なぜ保守的な態度がいいのか?と聞かれるし、それに答えるには論理的な説明が必要なわけで、その説明はやはり思想であって、その思想を保守主義と読んでいいのではないか。以上が中野剛志の保守主義は思想なのか?に対する議論だが、上のような中野の議論に似たようなところが本著でも出てくる。1章では保守主義と伝統主義は違うと述べている。伝統主義はただの現状維持だが、保守主義は何が保守主義的な行為かというのはその状況によって異なるのであってただの現状維持ではないという。また3章では、「保守主義者は進歩主義的体系に対抗して一つの体系を打ち立てることを余儀なくされるにせよ・・・反動的になったときだけ、体系的に思考する。」と述べておりこれも中野剛志の議論と近い。以上のように本著は現代の保守主義の議論にも大きな影響を与えており、20世紀初頭に書かれたと言ってもその意義は全く色あせることはない。他にも現代の保守主義の議論のヒントになる部分がたくさんあるので読者に多くの示唆を与えてくれることは間違いない。保守主義を研究するには欠かせない一冊である。やはりKindleでは寂しい。書籍での再版を希望する。
8
より稼ぐ子に育てる方法を手っ取り早く知りたい人に
買って読んでから「あぁそういえば学力の経済学って本あったなぁ」と気づいた。この本は「学力の経済学」をマンガ化したものである。さすがマンガ化されているだけあり本当にすぐ読める。私は2時間とちょっとくらいで読み終わった。私は教育関係者である。この本を読んだ理由は私の中に教育は経済と大きく関係するという視点を欠いていたことである。この本の統計にも出てくるがより学歴の高い人ほど生涯年収は高くなる傾向がある。教育は教育を受ける権利を保障するために分配されるべきサービスであると同時に、他の財の分配を決定する前提条件でもありうるのである。私は後者の視点をあまりに欠いていた。あまり良い言い方ではないかもしれないが、いかにしてより稼ぐ子を育てるか、というのは投資する親にとって重要な問題であるし、その子にとってもやはり重要な問題なのである。一般の家庭が経済的なものも教育に求めていることを教育関係者として強く意識しなければならない、と思いこの本を購入した。さてこの本の中身について。本家学力の経済学をよんでいないのでなんともいえないのであるが、このマンガバージョンは、「いかにして稼げる子を育てるか」をメインテーマにすえ、このテーマに関する日常で思う疑問をいくつかピックアップし、心理学・教育学的な根拠に基づいてそれに答えていく形式になっている。この本の良いところは、その疑問がとても日常的で一般的だが解答の難しい良い問いをピックアップしている点である。例えば、うちの子全然勉強しないんですけどどうすればいいですか?などである。そのため、「へぇ」と学べることが多かった。ただQ&A形式でその質問一つ一つの繋がりは薄いため体系性には欠ける。もう一つ良いところとして、統計とマンガの相性の良さである。統計の結果は文にすると長く分かりづらくなってしまうが絵や図にすると分かりやすいことが多い。この本はマンガのため、心理学・教育学の見知を分かりやすく表現してくれている。将来我が子に経済的なことで辛い思いをして欲しくないのにどう教育したらいいかわからない、という親に手っ取り早く解答を示してくれている、いい本だなぁと思った。教育経済学や本家学力の経済学の超超入門といった感じ。
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待望のカント政治哲学入門書
リベラル・コミュニタリアン論争は今なお政治哲学の中心テーマの一つであることは間違いないだろう。マイケル・サンデルの「これから正義の話をしよう」以降また、この論争に熱い視線が注がれている。このマイケル・サンデルの本にも紹介されているように、リベラリズムの代表的論者であるロールズの議論はカントの議論に強く影響を受けていた。ただ、「これから正義の話をしよう」では、カントの実践理性批判によって論じられた道徳論・自由論とロールズのリベラリズムの関係性が述べられているだけ。カントの政治哲学についてはほとんど触れられず、ロールズの政治哲学へと急に話が展開するため、カントの政治哲学の主張とロールズとの関係が理解しずらかった。じゃあカントの政治哲学について勉強してみようと思うと、カントの政治哲学に関する本が少ない。あるのは、カントの純粋理性批判や実践理性批判を解説した認識論や道徳論の本ばかり。カントの政治哲学について触れることすら困難だった。しかし、2018年になってようやくカントの政治哲学を解説する本が出版されたこと、大変に意義深い。しかも、入門として幅広い読者に向けて書かれたことも大変喜ばしい。とっても大きな仕事をなさったと感心しています。入門書として書かれているだけあり、カントの論理を分かりやすくおってくれている。しかもそれだけではなく、カントの自由の概念や社会契約論などが他の著名な政治学者とどう違うかも書かれておりこれもカント政治哲学初心者には親切でありがたい。カントの政治哲学を理解したいと思っていた読者にとって待望の書であり、そして、その期待を裏切らない大変良著である。本書の入りだけ要約。この本の副題は「政治における理念とは何か」であるが、まずカントにとって理念はとても重要だった。もしも理念、理想なしに政治行うとどうなるのか。人々は現行の政治の慣れその状態を基準としてしまい、それで満足してしまう。すると、よく考えてみればより良い状態は考えうるはずなのに、人々は動こうとしない。しかも、そのような政治は皆が認めるような理念に基づかず、個人的な信念に基づいているため、その信念をただ強制されているだけになってしまう。だからこそ、理念に基づいた政治が重要だとカントは考えていた。副題にもどろう。じゃあ「政治における理念とは何か」。それこそ「自由」であった。カントは自由という理念を中心とした政治哲学を構想したのである。では、カントの考えていた自由とはいったいどのようなものだったのか。カントは二つの次元での自由を捉えていた。それは徳論における次元と法論おける次元である。本書の言葉を使えば道徳における自由と法的な自由である。徳論の次元の自由つまり、道徳における自由とはただ自然の衝動に身をまかせるのではなく理性の立法する道徳法則に、ただ義務だからという動機のみで従うこと。では、法論の次元における自由、法的な自由とは何か。そもそもカント言う法とは何か。…以上で内容に関する要約は止める。是非とも本書を手に取り実際に読んでみてほしい。
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新自由主義の根本的な問題点も指摘
本書はデフレがどのような現象かということを債務デフレの考え方を中心に説明している。これは本当に素晴らしく久々に読み直したが、流れるような論理の展開、こちらがハッと浮かぶ反論にも見事に答えており、流石としかいいようがない。上のようなデフレ理論、そしてデフレ対策のためのデフレレジームの話は他のレビューでもなされていたので、ここでは、また少し違う点でレビューを書く。この本での標的はインフレレジーム、つまり、新自由主義である。この本には、新自由主義という考え方をインフレ退治するためならば、単純に良いと言えるのかという問題点も書かれている。中野は新自由主義にある根本的な問題点を指摘する。例えば、①新自由主義の核にある市場原理主義を進めることは反民主主義的・非政治化である。なぜなら、民主的にこのお金は必要だから使いましょうという話ではなく、お金の配分を政府ではなく市場にまかせるという話であるからである。②新自由主義は金融資本主義を生み出した。どのようにして生み出されたのか。新自由主義に基づいてFRBは金利を上げた。すると、資金調達が難しくなり、企業は長期的な投資をやめより短期的な投資へと向かった。また、金利上昇により失業者が増え、政府はその社会保障をすることとなり、財政赤字が増えたが、その分を海外からの資金を呼び込みことにより解決した。そして、市場原理主義の延長である効率市場仮説、つまり市場がどこが一番生産性のたかい企業か判断しそこに投資が効率よく配分されるだろうという仮説のもと、金融の自由化がますます進んだ。こうして、新自由主義から金融資本主義が誕生することになる。これは、バブルの温床となり、社会を不安定にするものである。余談ではあるが、②の問題点の指摘はそのままリフレ派つまり、デフレ対策としては金融政策で十分であるとする考え方への批判にもなっている。つまり、金融政策を行ったところで、金融資本主義を助長し、さらなるバブルそして、デフレを招くと批判しているのである。私は経済に疎く金融政策vs.金融政策+財政出動の論争は深入りしないが、リフレ派はこの問題提起にどのように答えるのかなぁと、ふと思った。とにかく、上で中野が指摘したように、新自由主義は常に根本的な問題点を抱え込んでおり、プラグマティックに使っていくこともかなり注意が必要な思想であること我々は忘れてはならない。
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期待するデモクラシー入門書とは違うが名著
正直読みづらい。私はこの一冊を読んで、デモクラシーとは〜であると誰もが納得するような定義ができるようになればいいなぁと思い読み始めたが、それができる状態にはなれなかった。ただ、ここで言われているデモクラシーは、広く平等に政治にかかわることができるようになっている体制のことを指していたように思う。ただ第1章でも述べられているようにデモクラシーは多様な意味でつかわれるし、実際にこの本でも多様な意味で使われているので注意が必要だ。私が興味深く読んだのは第2章から第3章までにかかれている、近代デモクラシーが誕生するまでの歴史に関わる箇所である。そこでは、古代ギリシャのデモクラシー・ローマの共和制からアメリカ建国・フランス革命に至るまでの政治史が描かれているのだが、これが分かりずらい。その理由は、この本は大概が具体的な話から入り、急に結論に至る。しかもその結論の中に「共和主義」などの定義が必要な言葉が出てくるにもかかわらず、明確に定義されていないため、著者の意図がとても読み取りづらい本になっている。ただここで語られている、共和主義からデモクラシーへの変遷(古代ギリシャのデモクラシーは除いて)は大変参考になるので、この本が多くの人に読まれるよう、ポイントだけ記す。 第2章古代ギリシャ人のデモクラシーはどのようにして生まれたのか。それは、個人の自由とか自治とかいう概念によるものではなく、ギリシャ人特有の生き方にあった。つまり、彼らは、市民となってポリスへ貢献することで、人々の記憶に残り永遠の命・半神半人になれると信じていた。その貢献の仕方こそ、新たな制度をつくること、軍によってポリスを守ることだった。ここに、そういう生き方ができる、奴隷でない男が市民となりデモクラシーが誕生した。第2章の途中から第3章古代ローマから中世、17世紀中葉のイギリスは共和主義(とりあえずここでは、市民による自治を理想とした考え方としておく。そのため、他国からの占領や君主や貴族の専制を嫌う。)の時代。この共和主義には2つの側面がある。例えば、共和制ローマのころ、よりローマを強くするため貴族は市民を思い通りに動かしたい、という現実主義と市民たちの自分達を守ってくれた法を守る・広めるため戦おうとする愛国主義の側面があったし、マキャベリは価値観と利害をめぐる緊張と紛争を巧みに、適切に処理するとことが大切だといいながら、国家は民衆の間で価値の合意が作り出されたものでの統治が大切だとも言う。17世紀中葉のイギリスでも自律した個人による共同体の自治という意味での共和主義は根強く、自然権を主張したロックですら、資産とは他人の意志に依存しない、自律を達成するための最小限の所有のことだと考えており、市民であることの条件として、お金を持っていることは大切な要素だった。第3章の後半近代になると、アメリカではリベラルデモクラシー(ここではこの言葉は使われていない)が誕生する。もともと資産を持っている人しか市民ではないと考える共和主義が優勢だったが、憲法制定会議あたりから憲法や連邦制などにより個人的自由を大切にしながらトマスジェファーソン的な思想により選挙権を広く与える体制つまり、リベラルデモクラシーが誕生する。また、フランスではルソーの「①僭主制・階級制社会の人為的取決めから解放されて初めて人間は自然に、自由になれる」「②自然の、もともとの人間はみな一般を意志する能力があるので、利己心を捨てれば共通の合意が得られる」という考え方をもとに、君主制をなくすために全員で武器をとり新しい社会をみんなで作り直すというフランス的デモクラシーが生まれる。以上が2章から3章のおおよその主張や結論である。4章以降の、トクヴィル解釈も参考になった。リベラルデモクラシーであるアメリカをみた時、全体主義を心配したというふうに読むよりも、協同の政治的行為に無関心になることを心配したと読む方が適切だという解釈である。これは、現代のリベラル・コミニュニタリアン論争にまでつながる大事な論点であった。正直ここから先の近代デモクラシーの条件等は他のレビューでも紹介されていたダールの本の方が分かりやすくていいかなぁとおもっています。慣れない書き方、定義不足で本当に読むのに時間のかかる本でしたが、優れた本は往々にしてそういうことはあります。バーナードクリックという著名な政治学者が書いたならなおさらです。ぜひ根気強く行ったり来たりしながら、読んでみて下さい。
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橋爪大三郎が読者を政治へと導く
この本は、政治を教える学校の先生、政治を行う政治家が、政治についてよく分かってない現状を憂いて書かれたそうだ。学校の先生の理解不足を憂いているだけあり、教科書的な狙いで書かれたのだろう。前書きには中学生でも楽しく読めると書いてある。が、実際には中学生にはちょっと厳しいだろう。ただ、橋爪大三郎という有名な社会学者の、中学生に語りかけるような平穏な論理に大変好感を覚えた。さて、内容であるが、この本の素晴らしさは、一つ一つの重要なワードを易しくて且つ短い文で定義しているという点です。特に重要な言葉は、わざわざ「定義」という行をもうけて定義を明確にしています。そのようにしてくれているのは流石に最初の何ページですが、定義を疎かにしない姿勢は常にこの一冊の本の中に見られます。では、政治の哲学というタイトルで、政治への無知を憂いたこの本で政治はどのように定義されているのか。「〔定義〕政治とは、人々を拘束することがらを、決めることである。」これは、人々を拘束する秩序はどのようなものが善いのか?や、どのような決め方が望ましいのか?といったとても重要な論点に繋がっており且つ、分かりやすい。とてもいい定義だと思った。論理展開も素晴らしい。高校や中学の教科書のように政治・経済というように分け、政治の入門の話をしようとするとどうしても、政府とは、社会契約論とは、憲法とは、といったような話から始めてしまう。しかし、この本では、いきなり市場の話から始める。その市場で交換する個々人から契約なしに税をとる政府という流れで、政府の暴力性を明らかにし、そこから、ホッブズの「リバイアサン」へと続いていく。軍隊の保有などよりも、実際に「奪っている」という点が明確になっていて、確かに分かりやすく感心した。しかし、論理展開を重視するために、細かな違いについては触れられていない。例えば社会契約論の解説も契約・合意という点が強く強調され、ホッブズ、ロック、ルソーの違いには触れられていない。ただこれは、ものたりなさを感じてしまう読者もいると思うし、政治の急所を抑えることのできる素晴らしい書き方だとも思う読者もいると思う。私は後者であった。タイトルの政治の哲学の「哲学」の部分、イデオロギーにも触れてあって良かった。もちろん内容的に政治哲学に関係する部分も多いのだが、ここで言われている哲学とは考え方のことのようで、つまりはイデオロギーである。この本では、あくまで入門的ではあるがイデオロギーの対立についても大いに触れられており、マッピングやvs.といった形で分かりやすく描かれている。しかし、あくまで大雑把になので、この点に関しても政治学を勉強してきたものにとってはものたりないかもしれません。本当に政治の基本について書かれているので、政治について何も知らないけど、ここから知りたいという方にオススメです。また、色々勉強してきたという人にも①定義が参考になる②論理の整理ができる③著者の含蓄のある書きっぷりを楽しめる④所々批判的によめる、という点でオススメです。
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幸福論の諸説を整理した良書
色んな幸福論を読んできた。しかし、どれもなんか違う。どの本も基本的に「どうすれば幸福になれるのか」が書いてあって、「幸福とは何か」については自説を最初に述べただけ。本当に「幸福とは何か」について真面目に概念整理してある入門書は、日本ではほとんどない状況である。しかし、本書はまさしくタイトルどおり幸福になることを目的とした本ではなく、幸福について知ることを目的とした本である。本書では「幸福とは何か」ということを説明する陣営を3つに分類し、その解説に重点を置いています。①快楽説ー幸福とは快い心理状態のことだ。例えばベンサムやミルの功利主義など。②欲求実現説ー幸福とは本人が望んでいる事態が実現することだ。例えば、目的が実現するという一般的な幸福論や、ロールズの完全情報での欲求の実現を幸福と考える説など。③客観リスト説ー幸福を構成する客観的要素が存在する。例えば健康、理性、道徳性、豊かな人間関係など。この3つの概念整理は森村進が自ら行なったものではなく、イギリスの哲学者デレフ・パーフィットの分類法を基にしたものだそうだが、それを法哲学者として有名な著者が解説しているというのも本書が優れているポイントだろう。また、この分類法は知識人の間ではかなり広まっていて前提のようになっているようだが、だからこそあまり一般には紹介されてないらしい。その仕事をやったこともこの本の価値を高めている。議論の進め方は各説の長所と論拠が述べられ、そのあとその説に対する反論・批判が述べられ、その反論・批判に各説はどう再反論するのか、また、どう修正を加えるのかという進め方になっている。各説は反論・再反論・修正によってさらに分化し、議論がつかみづらくなっていくので、メモをとりながら読むといいとおもいます。新書でページ数が少ないため、論理の飛躍だと感じた所も少しありましたが、自分やさまざまな哲学者が考える幸福論は思想的にどこに位置するのか、ということが分かる良い一冊です。最近でた幸福論のなかでダントツに手に入りやすくて、ダントツに面白いです。
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入門書として偏りすぎている
ナショナリズム入門というタイトルにもかかわらず、前提があまりにもひどい。第1章 ネイションの作り方の章は次のような文で始まる。ナショナリズムを理解するために、まずはネイションの作り方を考えてみます。ネイションがなければ、ナショナリズムもないからです。正直このような前提で話を進められては困る。ここには、ナショナリズムに先行してネイションがあるという前提がある。確かにネイションがナショナリズムに先行する例はある。アントニー・スミスの「ナショナリズムとは何か?」にも「私はナショナリズムに先立つネイションが若干のケースではありうるのではないか・・・」と述べている。しかし、あくまでネイションがナショナリズムに先立つのは若干であり、全てのネイションがそうであるかのような前提は読者に誤解を与える。一般の政治学を勉強していない人々はネイションは古代の昔から恒久的に存続してきたと考える。日本史という言い方も日本というネイションがずっとあったかのように思わせる。実際このような見方をする政治学者も存在する。が、実際のところかなり微妙で、ネイションは近代以降出来たという近代主義という見方も強く学術界ではむしろこちらの方が優勢である。そしてこの近代主義の考え方はエリートによるナショナリズム的運動によってネイションが出来たと考える。例えばゲルナー。どのようにネイションが生まれたか説明するとき、近代になると産業社会が生まれ、流動的で読み書き出来る大量な労働者が必要となり、それぞれの共同体毎で使われていた言語を統一した形で集団教育する必要がエリートに生まれそのエリート達によってネイションは作られた、と説明する。この場合エリートのナショナリズムがネイションに先行しており、上で述べた前提と大きく異なる。おそらく、著者は重々承知でこのような書き方をしたと思うが、ナショナリズム入門というタイトルを見て買った読者を満足させる本では決してないと思う。また、これを読んだからナショナリズムを理解したと思ってもらっても困る。
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自由という概念の整理に重点を置いた良書
本書の目的は自由論の代表的な論者の一人であるジョングレイが序文に、わかりやすく述べてくれている。1つ目、自由という概念の分類。リベラリズムの代表的な論者、ロールズは自由の概念は形式的に解明され合意が存在するとのべているが、決してそんなことはない。各時代、著者ごとで「自由」が意味する事柄は異なっているため、その分類をすること。2つ目、その異なる自由観は、それぞれどのような人間観・社会観から導き出されているのか理解すること。3つ目、その異なる自由観はどのような政治形態を擁護するのか。つまり、各自由観から導き出される、自由の価値、人間的善は憲法や裁判制度などに対してどのような処方箋をだすのか理解すること。以上3つが、この本の目的であり、章毎作者は違うが、おおよそこれに沿ってかかれている。書店で見つけ、分厚く値段も高いので、買おうか悩んだが、訳文が素晴らしく、意外とスラスラ読める。内容は専門的で、政治学を勉強していない者には厳しいかもしれないが、多少勉強している者なら、そこまで難しい論理のつながりも出てこず分かりやすく解説されていた。頭の中に漠然とあった哲学者の自由論を整理する良い機会となった。とても、良い本に巡り会えて幸運だったなぁと思う。最後に章立て 序論1章 古代ギリシアにおける自由2章 ホッブズ3章 スピノザ4章 ロック5章 ルソー6章 カント7章 フィヒテ8章 ヘーゲル9章 J.S.ミル10章 マルクス11章 T.H.グリーン12章 ハイエク13章 オークショット14章 バーリン15章 アーレント16章 ロールズ17章 ハーバマス
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難解だが、それでもあくまで入門書
章立てとして、「1章 概念 」「2章 イデオロギー」でナショナリズムについて語るのに重要な概念であるナショナリズム・ネイション・エトニーなどを定義し、「3章 パラダイム」で、どのようにしてナショナリズムやネイションが起こったか、に関するいくつかの解釈について整理し、「4章 理論」「5章 歴史」で様々な解釈の論争について触れ、「6章 将来展望」で、ネイションやナショナリズムの行方について述べる、というものになっています。難解です。しかし、あくまで、ナショナリズムの入門書として出版されました。なので「ナショナリズムとは」「ネイションとは」という定義をするまでにも、様々な知識人の主張から核となる部分をとりあげ、慎重に定義しています。また、入門書として作られた本であるため、1.2章までは筆者の主張が読み取りづらいですが、3章以降徐々に彼の主張が書かれ始め、漸く5章で明確になります。彼のこの本での主張を大雑把に要約すると、次のようなものです。一般的に、ネイションは近代以降エリートによるナショナリズムに基づく運動によって誕生した(近代主義)とみなされる。しかし、どうだろう。確かに多くのネイションは近代以降にエリートによるナショナリズム的運動によって出来たが、そのナショナリズムの運動が広がるためには、ナショナリズム的主張に共鳴する民族(エトニー)的基盤である、象徴や神話や伝統などが共有されてないとダメだよね。つまり、ネイションの誕生には近代以前の民族としての積み重ねも重要な役割を果たしたし、民族としての積み重ねに大衆も携わったわけで、ネイションを作ったのはエリートだけではない。彼は自分のような上の立場をエスノ象徴主義と名付けています。ネイションって何だろう、ナショナリズムって何だろう、そしていつ出来たんだろう、こんな疑問に、答えてくれるとても良い本かなぁ、と思います。しかし、同時に、この一冊で全てカバー出来るほど甘くないなぁ、とも感じます。複数のナショナリズムの概論の本の中では優秀な一冊、そんな印象です。最後にネイションという言葉。捉えずらい概念ですが、とりあえず「国民」と訳しながら読むことをお勧めします。決して「国家」と訳さないように。「国家」は基本的にステイトの訳なのでご注意下さい。
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天才パスカルが人間の不完全性・可謬性を描く
人間は考える葦である。あまりに有名なこの文を我々はどのように解釈すべきなのか。この本の素晴らしい点は巻末にパンセに対する小林秀雄のエッセイが載せられていることである。そこには次のように記されている。パスカルは、人間はあたかも脆弱な葦が考えるように考えねばならぬと言ったのである。人間に考えるという能力があるお陰で、人間が葦でなくなるはずがない。従って、考えを進めて行くにつれて、人間がだんだん葦ではなくなってくるような気がしてくる、そういう考えは全く不正であり、愚鈍である、パスカルはそう言ったのだ。つまり小林秀雄は、人間の不完全性、可謬性の洒落として、この文をとらえたのである。このくだりだけでない。他にも、いかに人間が間違えやすい生き物か、ということをありありと私達の前に提示してくれている。天才パスカルが人間の不完全性・可謬性を描くという逆説を味わってみては。
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自由論と決定論(宿命論)の矛盾の中での生き方
この本で私は自由論と決定論(宿命論)の対立を知りました。決定論は私達にとって馴染み深い原因と結果の論理を延長する。因果の論理でいえば、私が今文章をうっているのも何か原因があって、その原因もさらに前の原因に遡ることができ、どんどん遡れば宇宙の始まりまで遡れる。つまり、私が今何をするかを私が決めているわけではなくとうの昔から決まっている。この論理を決定論という。ここに自由論との衝突が生じる。ここでの自由論とは自分が決めた目的に向かって精一杯生きることを自由とする論理である。だが、もし決定論が正しいのであれば、私が今自由意思で決めたと思った行為は実は因果でやらされただけなのではないか・・・ここで福田恆存は自由論と決定論にまたがるような独自の幸福論を提示する。彼は後悔しない生き方こそ、幸福な生き方だと提示する。個人は目的を定めそれに向かって精一杯生きる。それで成功をおさめればそれは幸福だし、もし失敗しても、自分は精一杯やったんだからそこに後悔はない。言葉を変えれば、宿命を引き受けることができる。成功しても失敗しても後悔してないのだから、幸福ではないか。要約すると、このような幸福論である。私がこの本を読んだのはもうずいぶん前になるが、哲学的で倫理的で文学的なこの本は、今も私を方向づけている。福田恆存本人が言うように、この本の核は3・4・5章である。自我について・宿命について・自由について、この3つの章だけでも読んでもらいたい。あと終章の快楽と幸福の章も読んでみてください。
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デューイの思想と教育論に触れられる最高の入門書
少し長くなるかもしれないが、この本のおおよその要約をまず記す。デューイの主張経験を基礎とした教育をしよう。なぜなら、伝統的教育ではあまりに子供の経験と知識にギャップが大きすぎてしまう。そもそも人間は民主的なものを好むのに、伝統的教育では押し付けだ。また、個人の目的も見てあげてないでしょ。じゃあ経験を中心に教育をするんだけど、伝統的教育がダメだからといって、何にも計画せずに子供の自由に任せて経験させる教育(進歩主義的教育)もダメだ。だって経験を中心に教育することはとても難しいのに、それが無計画ではせっかくの経験が教育的じゃないものに終わってしまう。では、教育的な経験と教育的じゃない経験の基準ってなんだろう。それは経験の連続性の原理から導ける。今の経験は過去やった経験からヒントを得て行動するね。これから先も人は今の経験をヒントに未来を生きる。だから教育的な経験は、将来、善い方向に子供たちを導く経験のことなんだ。よって、教師はよく子供たちに共感しながら、今子供たちが行なっている経験が善い経験か悪い経験か判断することが大事だよ。教師は成熟した経験を持っているんだから。『でも、それって結局押し付けがましくない?』と言われるかもしれないが、とんでもない。これは人が自由を獲得していくのにとても重要なんだ。じゃあ自由とは何かといことになる。人々が客観的条件のなかで経験し、何か欲求を引き起こして衝動的に行動してしまうこと、やりたいことすぐやること、それは自由とは言えない。知性によって思考され(観察され、解釈され、判断された)、自制された行動こそ自由なのだ。思考により欲望を目的にすることこそ自由なんだ。教師の役割は、子供に欲求が生まれたことを見逃さず、それをチャンスにして欲求を目的にするために、観察・解釈・判断の思考の方法を成長させることだ。以上がこの本の要約である。あとがきも含め162頁と短いが、デューイの思想のエッセンスが詰まった大変素晴らしい本である。デューイ=子供中心主義というイメージが強く、進歩主義・リベラルな知識人によって語られることが多いが、この本を読んで印象が変わった。最近コミュニタリアニズムの代表的な論者であるマイケル・サンデルがデューイを引いて論じているように日本でも教育会、リベラルという枠を超えて広く読まれるべきだと思う。
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門外漢でも進化がわかる
私は政治学に興味があるものだが、進化論は政治学にも多大な影響を与えており、進化論がわからないと政治学もわからない。そこで進化論に関する本を読んできたが、いまいちしっくりこない。しかし、この本の、第2章以降を読んだ時、進化論がスッと理解できた。私たちが大きな犬を作ろうと思ったとき、大きな犬と大きな犬を交配させる。それと同じように、自然環境に適した生き物が生き残り、その生き物同士が交配すると、また環境に適した生き物が生まれる可能性が高くなる。こうしてより洗練された生き物だけが生き残る。私たちは様々な生き物が生き残るために意図して様々な工夫をしている、と考えがちだが、そうではない。進化の結果意図せず、洗練された生き物(あたかもデザインさたかのような生き物)が生き残っていく。これこそ進化である。拙い要約で、申し訳ないが政治学専攻のものにも進化の本質を見せてくれた、この本に感謝したい。また、進化論がいまいち分からないという人にも是非お勧めしたい一冊である。
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