応募者159人の中から選抜され、平昌パラリンピックや東京パラリンピックでNHKの障害者キャスターやリポーターを務めた千葉絵里菜さん。脳性まひで3歳から車いす生活を送ってきましたが、初めて障害の壁に直面したのは就職活動のときでした。希望の職種に就けず、どん底に突き落とされたものの、新卒2カ月目で転機が訪れます。NHKに入局早々に挫折を味わい、何度も辞めたいと思ったそうですが、千葉さんを支えた3人とは誰なのでしょうか。つらいことばかりではなく、「自分の考えは間違っていた」とうれしい気づきもたくさんあったと振り返ります。

(上)就活でどん底→NHK 障害者リポーター 挫折からの復活⽀えたのは ←今回はココ
(下)脳性まひと闘い、29歳で出産 「車いすママ」の存在を広めたい

「自分は障害者なんだ」と、就活で初めて障害の壁に直面

 車いすで障害者福祉施設の相談員は無理ですね――。

 「就職活動中にそう言われたとき、『あぁ、自分は障害者なんだ』と、人生で初めて障害の壁に直面しました。将来は障害者をサポートする仕事に就くために、大学では社会福祉を学んでいたのですが、あまりにショックで『もう資格なんて取らなくていいや』と勉強に身が入らなくなってしまって……。

 もちろんこれまでも、悔しい、悲しい思いをたくさん経験してきましたが、体を動かす以外の大抵のことはみんなと条件は同じ。努力次第でできました。そのため、『自分は健常者だ』と思いながら生活してきたんです。でも、社会はそう捉えていないのだと突きつけられた瞬間でした」

 障害者福祉施設の相談員になる夢が遠ざかり、絶望のどん底に突き落とされたのは、NPO法人みんなのポラリスで理事を務める千葉絵里菜さん(30歳)。2歳のときに脳性まひと診断され、3歳から車いす生活に。足の不随意運動や手の硬直によって思い通りに体を動かすことができないため、重度訪問介護という福祉制度を利用している。

「今振り返ると、20代は何にでも挑戦できる心があり、無謀だったなと。年を重ねるにつれていろんな経験をするからこそ怖さが先に出てしまう。今だったらキャスター・リポーターに挑戦していないと思いますね」
「今振り返ると、20代は何にでも挑戦できる心があり、無謀だったなと。年を重ねるにつれていろんな経験をするからこそ怖さが先に出てしまう。今だったらキャスター・リポーターに挑戦していないと思いますね」

 就活でつまずいた千葉さんだが、その後、NHKで平昌パラリンピックや東京パラリンピックの障害者キャスターやリポーターを務めることとなる。NHKで働いた約4年の間に、つらくて何度も「辞める」選択肢が頭をよぎったと振り返る。それでも投げ出さずに最後までやり遂げられたのは、ある3人の存在があったからだった。