エステサロンをオープンも女性専用風俗と間違われて…
その後は正社員として働きながらも、表情筋マッサージの資格を取り、キャリー1つで全国各地を飛び回り、美容のセミナー講師をしていたそうだ。
「お客さんはそこそこ入っていたのですが、所属していた協会の理事と意見が合わなくて喧嘩して辞めることになったんです。バンドでずっとリーダーだったからか、間違っていることに対して『それはおかしいです』とか『こうした方がお客さまのためですよ』とか生意気にも意見しちゃって。実際にセミナーのお客さんがいたので、余計に我慢できなくて」
この頃、ちょうど元バンドマンとしてではなく美容家として認知が上がってきたところだった。
「セミナーで来られた方に座学や実技を教えることは楽しかったので、今度は自分がお客さんを直接キレイする場所をつくろう!と思い、協会を辞めたその日にエステサロンを開くことを決めました」
そして、芸能プロの仕事を辞め、バンド時代の貯金を「エステ開業のために全部使った」という。
「仕事をやめて時間があったので、1年近くみっちりエステと経営のことを学校や講座に行って学びました」
そして今の店舗を見つけて、店員を雇わずにひとりでエステサロンをスタートさせたヒィロさん。そのバイタリティは相当のものだ。
「全然いい物件がなくて、正直みつかるまで時間がかかりました。今の物件は元々エステ向きじゃなかったのですが、大家さんが僕の経歴を理解してくれたので『こういうエステサロンにしたいのでフルリフォームさせてください』と伝えたら『ヒィロ君ならいいよ』と了承してもらいました。店の改装費用にそれなりにお金がかかったので、ここで貯金はすっからかんになりました」
だが満を辞してオープンしたのに関わらず、“元V系バンドマンのエステ” は「怖い」「怪しい」と、予想よりもイマイチの客足で「女性専用風俗と間違われてしまうこともあった」そうだ。
「まるで“ネットでは人気なのに、ライブに人が全然入っていないバンド”のようで辛かったです(苦笑)。ただ、お客さんが来てもこなくても固定費はかかるので『1年以内に“予約が取れない店”にしよう!』と目標は立てていました」
エステサロン専用のSNSを作ったり、お客さまに口コミを書いてもらえるように毎回お願いして、週5〜6日予約があれば朝から晩まで施術をした。
「とにかくお客さまに尽くそう!と。施術時間ギリギリまで、時間が過ぎても次の予約まで余裕があれば、満足いただけるまでやってました。朝から夜までは一般のお客さま、夜から夜中は友達のバンドマンを施術して、感想をSNSに書いてもらったり」
その努力の甲斐があって、DearLilyはOPEN半年で予約の取れない店になった。そして次の段階に移る。ヒィロさんは「予約の取れない店にしたあとに化粧品を作る、と決めていたんです」と話す。
「お店は予約の枠が決まっているから、これ以上は伸ばせない。だから、お店に来れる方はエステで、お店に来れない方々をキレイにするために化粧品を作ろう、と。化粧品メーカーとして会社も作りました。エステサロンって全国に何千店もある。ぶっちゃけ国家資格じゃないから誰でもやろうと思えばできるんです。でも、予約の取れないエステサロンは簡単には出来ないし、そのエステサロンが作った化粧品には他にない価値がある、と思っています」