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体罰自殺のお話が続きますが。
よく「昔の子供達はケンカをしたから、どのぐらいで殴っていいかの力加減を知っている、だが、今の子供はそれを知らないからダメだ」という、年配の人の意見を聞きます。 ・・・殴る行為など一生経験のない人間の方がまともだよ・・・ これには2つ意味があって、まず、他人を殴らない、逆に殴られる一方だったいじめられっ子の方が、平気で他者を殴るガキ大将より、よほどマシな人間だ、ということ。 もう一つは暴力慣れをした人間は「たかが殴ったぐらいで・・・」と、暴力を軽く扱う。でも、実際はそういうことになれていない人間が世の中はほとんど。一回の暴力がトラウマになる人だっています。 特に今回の事件では、その教師は自殺した生徒を日常的に顔がはれ上がるほどビンタしていたとのこと。しかも、他の部員もいる目の前で。 教師を擁護する意見の中に「組織にはいわゆる叱られ役、という存在が必要。その人間を厳しく叱る事によって組織全体の引き締めを行う役割がある。今回のケースはその生徒がたまたまそういう役回りだったのであろう」と・・・ ふざけるな! それは「クラスにはかならずいじめられ役というのが必要だ、その子がいじめられる事で他の生徒がいじめられずに済む安全弁みたいなものだ」と言っているのと変わらないじゃないか! 結局、教育と称した暴力を日常的に行う人間にとって、相手の本当の痛みなどまったく感じないのでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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