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お寺に時々鳥居がありますけどどうしてですか?
又何で相撲の土俵があるのですか?

A 回答 (6件)

本地垂迹という考え方があります。

日本の上は仏が衆生救済のために撮る顕現であるという考え方で。神から見たら仏は本地仏、仏から見たら神の姿は垂迹神ということになります。例を挙げれば本地仏としての大日如来は垂迹神としては天照大神、あるいは大黒天と大国主命などがあります。
これは仏教が神道同化する過程での理論づけですが、神道側からは神本仏迹説という、神が先で仏が仏迹として現れるという考え方です。

いずれにしても、神道と仏教が葛藤を繰り返しながら同化習合してゆく際の理論的バックボーンになりました。江戸末までは常識の範囲でしたが、明治期の神仏分離で一気に廃れました。

相撲は娯楽であると同時に、社寺の集金手段としての勧進相撲の伝統があります。現代の相撲の家元である熊本の吉田司家(現在は断絶状態)には、神殿と土俵があります。800年近く、ここで横綱や立行司の認証が行われました。
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国が建立した寺院の中では最古の四天王寺。

寺院の入り口に巨大な鳥居があります。


それから、JR天王寺駅から四天王寺に行く途中に堀越神社があります
https://www.youtube.com/watch?v=uYlb_NTPsAE
この堀越神社は四天王寺七宮の一つです
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9 …

 仏教が入ってきて広まってゆく聖徳太子の時代、神社に祀られている神々が仏教寺院を守護する役割をになっていたんですね。
 仏教が日本で浸透してゆく時期から神道と仏教は一体だったんですね。

 神社と相撲の関わりについては次のサイトで分かりやすく解説されてますよ。
https://rekilabo.com/sumo/
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● 江戸時代の終わりまでは、お寺も神社も一緒でした。

これを、神仏混淆(こんこう。常用漢字で無いので「混交」とも書く)と言います。または、神仏習合とも言います。

神仏混淆
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%A5%9E%E4%B …

神仏習合
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%A5%9E%E4%B …


● 明治政府は、「神仏分離令(神仏判然令)」という神社と仏閣を分ける宗教政策を発令しました。
これを明治時代の旧藩などは、明治政府の心証イメージを悪くしないようにと、仏閣(お寺)を取り壊し始めました。これを「廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)と言います。

神仏分離令
https://adeac.jp/hirosaki-lib/text-list/d100030/ …

廃仏毀釈
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E4%BB%8F …


● 旧藩が官軍側(天皇側)ならば、お寺の取り交わしは多少あったらしいし、また、徹底的な取り交わしでないので、旧藩などが官軍側なら、だいぶお寺も残っているようです、
その様な旧藩に、仏閣(お寺)を徹底的に取り交わしにならなかもしれないし、また、お寺にも鳥居があるのでしょうね。

徳川方に付いた旧藩の中には、明治政府の心証を良くしようとして、仏閣(お寺)を徹底的に取り壊したため、現在も仏閣(お寺)がほとんどない、府県や市町村が存在します。
ご自分の府県や市町村で、お寺が無いととか少ないと感じる府県・市町村は、旧藩は徳川方だったかもしれません。

廃仏毀釈で仏閣の取り壊しが激しかった市町村
https://www.google.com/search?q=%E5%BB%83%E4%BB% …

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> 又何で相撲の土俵があるのですか?

土俵が有るのは、神社ですか? お寺ですか?

神社に有るならば、相撲は「神事」だからです。

お寺に有るのは、前述の通りお寺も神社も一緒だった名残です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2024/11/15 12:53

お寺に鳥居があるのは、次のような理由が考えられます。



神仏習合の名残、 神様の歓喜天を祭っている。

神仏習合とは、6世紀に大陸から伝わってきた仏教と融合した信仰スタイルです。
お寺に鳥居がある場合は、神様の歓喜天を祭っている可能性もあります。

歓喜天は古代インドの神で、後に仏教を守護する役目を果たすようになりました。

神社仏閣に相撲の土俵がある場合があります。

これは、相撲がもともと神事だった名残で、現代の相撲にも神事に準じた作法が数多く残っています。

奈良時代以降、宮中で相撲が行われるようになったのは、日本各地でその年の農作物の収穫を占う儀式として相撲が盛んに開催され、これを宮中での五穀豊穣、天下泰平を祈念する神事として発展させたことが原点であると考えられています。

以上AIのコピペですがね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2024/11/15 08:25

有名な愛知県の豊川稲荷も正式名は「豊川閣妙厳寺」と言います。


明治以前は寺も神社も同じだったんです。

相撲は江戸時代には「神事」でした。
神に捧げるものだから神社に土俵があっていいんです。
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今の神仏分離した寺社仏閣は、明治政府が神道国教化のために神仏判然令により強制的に行ったもので、江戸以前は神仏習合していたのです。


150年程度で人は都合の悪い歴史を改変し忘れてしまうのです。
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