Number PLUS MoreBACK NUMBER
「え? そのペースで行くわけ?」駒大・大八木監督も驚愕…24年前の箱根駅伝“学生最強エース”との紫紺対決に挑んだ闘将ランナー「超無謀な大激走」
posted2025/01/03 11:00
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
フォート・キシモト
近年は往路に主力ランナーを固めるチームがほとんどだが、かつては復路にエース格を置くチームも多かった。中でも“逆転の順大”と“復路の駒大”と呼ばれた2校が、箱根路で最も熾烈な優勝争いを繰り広げたのが2001年のこと。最終盤で起きた2度の首位交代のウラには、はたしてどんな秘話があったのだろうか。《全3回の1回目/つづきを読む》(初出:Number PLUS/2013年12月2日発売 肩書などはすべて当時)
無謀に思えた。
駒澤大学の高橋正仁は、襷を受けとると鬼神のごとき表情で、まるでラストスパートのような激走を見せた。
「最初の方は下り坂が続くので、行けるところまで突っ込んでやろうと思っていました」
ADVERTISEMENT
自滅行為にも映ったが「自分ではそんなに速いとは思っていなかったんですよ」とさらり。「それに、つぶれても無名の選手なので、誰も気にしないと思って」
現在、母校の陸上競技部コーチを務める正仁は、現役時代よりもだいぶ恰幅がよくなっていたものの、何事にも動じそうにない据わった目は昔のままだった。
駒大と順大がマッチレース…「紫紺対決」の時代
「変な自信だけはありましたね」
紫紺対決――。そんな言葉を耳にしはじめたのは、1999年の箱根駅伝で古豪の順天堂大学が10年振り9回目の優勝を飾り、翌年に新鋭の駒大が初優勝してからだった。
以降、01年は順大、02年は駒大と、その4年間はタイトルを交互に分け合い、敗れた方はいずれも2位に食い込んだ。つまり、99年から02年はあたかも順大と駒大のマッチレースの様相を呈していたわけだ。
この対決は、日本陸上界を代表する名指導者で順大の黄金期を築いた澤木啓祐に、駒大を率いてこれからのし上がろうとする大八木弘明が挑む――そういう構図も内包していた。