第1話:転生王女様はキテレツ王女様
「この場を以て宣言する。私はユフィリア・マゼンタとの婚約を破棄すると!」
パレッティア王国には王族や貴族、将来有望な平民が通う学院が存在している。
その名もパレッティア国立貴族学院。他国からの留学生も招き、小さな社会を形成した社交界の縮図とも言える場所だ。
勿論、学び舎としての意義もある。そこに身分は問わずとお題目は掲げているが、その差を気にせずにはいられない。
身分ではなく実力での評価を。そうする事で研鑽を促すという目的があっても、身分はやはり強い影響力を持っている。
身分が高い者には人が集まり、身分が低い者はそんな身分が高い者に取り入らなければならない。取り入るのに失敗し、学院内での居場所を失うなどよくあることだ。
かといって親が子供の争いに介入すれば新たな諍いに発展する恐れもあり、学院は閉鎖的になっているのは誰もが知っていることだった。
そんな貴族学院は今日、めでたき日を迎えていた。間もなく卒業を迎える卒業生達の最後の試験が終わり、その成績と今までの努力を称え合う祝いのパーティーが開かれていたからだ。
楽団による優美な音楽が奏でられ、社交へと勤しむ生徒たち。煌びやかなパーティーは様々な思惑を孕みながらも、表向きは絢爛豪華な一時を楽しむ場であった。……そう、その筈だった。
そして、場面は開幕の宣言に戻る。
高らかに宣言を告げたのは、パレッティア王国の王位継承権第一位を有する王太子、アルガルド・ボナ・パレッティア。
その口から紡がれた宣言は婚約破棄を知らしめるものだ。煌びやかなパーティの場は瞬く間に祝いの場から弾劾の場へと変貌してしまった。
一方で、婚約破棄を告げられた少女、ユフィリア・マゼンタは目を見開き、しかし声を出さずに唇を噛みしめていた。その瞳は、自分よりも高い位置に立つアルガルドへと向けられていた。
ユフィリアはパレッティア王国でも有力貴族の筆頭と言われるマゼンタ公爵家の令嬢で、とても気品に溢れた美しい少女だった。
長く伸ばした白銀色の髪を揺らし、ピンク色の瞳は強い意志を秘めている。その意志の強そうな瞳は時として鋭さを感じる事があるが、それが欠点へと繋がるかと言われればそうでもない。
むしろ、その鋭利さこそが彼女の魅力と言えた。王太子の婚約者、つまりは次期王妃として見るならば、威厳溢れるその姿に思いを寄せる者は間違いなくいた事だろう。
しかし、そんな未来に陰りが生じようとしていた。だが、今になって始まった話ではない。アルガルドとユフィリアの対立は学院では有名な話であったからだ。
アルガルドはパレッティア王国の次期国王となる身であり、教養を身につける他に有力な貴族と縁を結ぶことを親である国王に望まれていた。
そんな彼の横に並ぶのは、ユフィリア。国を率いる次世代の代表として二人は周囲の視線を集めていた。
二人が仲違いを始めたのは、一人の男爵令嬢が二人の間に入るようになってからだ。
その男爵令嬢の名は、レイニ・シアン。彼女は今、アルガルドの隣に支えられるようにして立ち尽くしていた。
「……アルガルド様。何故、婚約の破棄を?」
ゆっくりと、決して言葉が震えぬようにとユフィリアが問いを投げかける。固く握られた拳は今にも皮膚を裂いて血を流してしまいそうな程に力が込められている。
アルガルドは底冷えするような冷たい視線をユフィリアへと送り、問いに答えた。
「貴様は我が婚約者に相応しくないと判断した。貴様がレイニ・シアンへ行った非道の数々、よもや言い逃れはすまい!」
レイニは大人しそうな見た目をしていて、とても愛くるしい。艶を含んだ黒髪に、潤んだ灰色の目は庇護欲を駆り立てる。
今にも震えて崩れ落ちそうな彼女は、鋭く意志を貫かんとするユフィリアとは対極と言えた。それこそがこの事態が巻き起こった発端とも言える。
元々、政略結婚であったアルガルドとユフィリアの関係は国の為の義務という連帯感によって成り立っていたものであった。
そして、二人は彼等の関係はそこまで止まっていて、その先に進むことはなかった。
そこに現れたユフィリアと対極な魅力を放つレイニ。
彼女は容易くアルガルドの心を射止めたらしい。アルガルドの他にも、レイニの射止めた男性がいて、彼女は学園では一際噂される存在だった。
しかも、レイニは男爵の娘だ。どう考えてもアルガルドの地位に見合う者ではない。そうとなればユフィリアも口を出さざるを得ない。
それが元々、あまり進展していなかったユフィリアとアルガルドの距離を更に開かせることとなった。
自他共に厳しく律するユフィリアのレイニに対する態度は硬化を見せる一方であり、そんなユフィリアに対するアルガルドの態度も刺々しくなっていく。
更には、そこにレイニに惹かれた他の貴族子息、レイニに嫉妬する貴族令嬢達の思惑も絡んで捩れ曲がっていく。
彼等の関係は最早、修復不可能な程までに断裂した。それがこの騒ぎが起きるまでの一連の流れである。
はっきり言って、ユフィリアにアルガルドに対する恋慕の情はなかった。
互いに国を背負っていく連帯感、使命感は彼女の胸にあった。だからこそ同志と言う認識の方が強かった。共に支え、生きて行くには十分。ユフィリアは彼女なりにアルガルドの事を思っていた。
それがいつか恋に、愛に変われば良い。次に国を担う者として自分を高め、婚約者であるアルガルドの背を押し、支える事こそが自分が出来る事だとユフィリアは思っていた。
だから婚約破棄に関してはそこまでショックは受けていなかった。ユフィリアがショックを受けていたのはアルガルドの振る舞いそのものにだった。
「非道の数々、と言われても心当たりがございません。それにアルガルド様、この話は陛下に了承を頂いているのですか?」
「父上には後で承諾を頂く」
「何故、親が定めた婚約を貴方の一存で解消などと……! ご自分が何をなさっているのか理解されているのですか!?」
それは不味いだろう、と。信じられないという思いでユフィリアは叫んだ。
望まぬ婚約だと言われればユフィリアも否定はしない。これは政略結婚なのだから。
だからこそ親同士の思惑があった婚約をアルガルドの一存だけで破棄する事など出来る筈もないのだ。
更に言えば、二人の婚約は国王からマゼンタ公爵家へと求められたものであり、立場としてはアルガルド側が持ち込んだ婚約話になる。
その他諸々の事情を鑑みてもアルガルドの宣言は問題点しかない。
「父上にも母上にも文句は言わせない! 私は、私の意志で己の道を定める!」
「それは守るべき節度があってこその話です! お考え直しくださいませ、アルガルド様! よもやそこまで盲目になられましたか!?」
「言うに事を欠いて盲目だと!? 盲目は貴様だと知れ、ユフィリア! 王妃の地位欲しさに目を覆う所業を繰り返す貴様に王妃の資格などない!」
「ですから、心当たりなど……!」
「レイニに対する過度なイジメ、所持品の盗難や損害、更には暗殺の企て! その全ては貴様が糸を引いている事は調べが付いているのだ!」
「我等が証言します。普段からレイニ嬢に対する彼女の悪行の数々は我等が目にしました!」
アルガルドの横に並ぶように男達が並んだ。並んだ誰もが力を有する高名な貴族の息子達だった。同時にレイニに寄り添っていた取り巻きである事もユフィリアは知っていた。
ユフィリアは正直に言えば男性から煙たがれていた。それは彼女の成績の優秀さにあった。学業も、魔法も、下手をすれば武術でさえも。
護身術として武芸を嗜んでいたユフィリアの実力は有名であり、そこに魔法を加える事で国有数の実力者として名を馳せていた。
己を強く律し続けていたユフィリアは傍目から見ると愛想が薄く、その自尊心溢れる彼女の振るまいは羨望と嫉妬を招いた。
だからユフィリアは一部の生徒から恐れられ、遠ざけられていた。
しかし、次期王妃として模範となるべく厳しく育てられたユフィリアはその強かさで環境に耐えることが出来た。
だからこそ、ユフィリアは他者から向けられる感情に疎かった。それ故に他者への配慮に欠けていたと言わざるを得なかった。
故にユフィリアは動揺してしまう。アルガルドの他にも自らを弾劾しようと現れた者たちの存在に。
正義は自分にある筈なのに、何故、と。
「今までの行いを悔い、レイニへと謝罪せよ! ユフィリア・マゼンタ!」
何を謝罪すると言うのか。わからない、ユフィリアには何が間違いなのかすらもわからなくなっていた。こんな経験は初めてだった。
訂正を求め、抗議しなければならない。なのに、ユフィリアの喉は引き攣ったように声を出せなくなっていた。
誰からも理解されず、言葉が通らない。そんな時でも己が正しいと信じて振る舞えば結果はついてくると。けれど、現実はそうならない。
いつだって自分に不利な事はあった。自らを陥れようとする悪意に立ち向かった事だって初めてではない。
けれど、違うのだ。彼等に悪意は感じられない。ただ、己の信念に沿っているとしか思えない。
だからこそ、尚更に理解出来ない。足下が崩れ落ちそうな現実の前にふらつき、膝をつきそうになった。そう、まるで許しを求めて跪くように。
――……そんな時、ユフィリアは奇妙な音を聞いた。
「……ん?」
その音に気付いたのはユフィリアだけではなかった。アルガルドも訝しげに耳を澄ませ、その音の発生源であるパーティー会場の窓へと視線を向けた。
それは、風を勢いよく裂いて突っ込んできそうな音というか、それに混じって聞こえて来る誰かの悲鳴というか。
「ァァァアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!?!?!?」
――否、悲鳴そのものだった。
窓が勢い良く粉砕された。何かがその勢いを殺さぬまま突っ込んできて、丁度ユフィリアとアルガルドの間を勢いよく転がっていく。
弾劾の空気は塗り替えられ、窓の付近から逃れた者も含めて、誰もが呆気に取られながら転がってきた何かに視線を奪われていた。
「いたたた……ちょっと余所見しただけで制御失敗とか、まだまだ研究が足りないわね」
硝子の破片を払って立ち上がるのは、活力に満ち溢れた美しい少女。
煤で汚れた顔ですら彼女の気品を穢す事は出来ない。その瞳は薄緑色、どこか間の抜けたような愛嬌を感じさせる。
そして、その髪の色に誰もが息を呑む。それはアルガルドと同じく、王族の証明とも言える白金色だったからだ。
箒のような器具を拾い上げて観察している少女に対して、真っ先に反応を示したのはアルガルドだった。
彼女を指さして、小刻みに震えている。何か言おうとしても、上手く言葉になっていないのが実にもどかしそうだ。
そんなアルガルドに気付いたのか、騒ぎの少女は気安げに片手を上げた。
「あれ、アルくん! お邪魔しちゃった?」
「姉上ェッ!!」
どこまでも場に似付かわしくない、パレッティア王国きっての〝問題児〟の称号を欲しいままにする王女、アニスフィア・ウィン・パレッティアは爽やかに微笑んだ。
パレッティア王国にはある〝王女〟がいる。
〝パレッティア王国史最強の問題児〟、〝王国一の変人奇人〟、〝パレッティア王族の煮詰めたアク〟、そんな様々な称号で呼ばれる王女。それがアニスフィア・ウィン・パレッティアである。
彼女が行う奇行の数々は月日を重ねる毎にネズミ算式で増えていき、今となっては彼女が起こす騒ぎは、またアニスフィア王女の仕業か、と言われる程だ。
曰く、空を飛ぶ為に風を利用して自分を吹っ飛ばして城壁にめり込んだ。
曰く、“風呂”を作るといって湯を沸かそうとして全身火傷を負った。
曰く、王都から新たに道を開拓する際に襲ってきた魔物を1人で壊滅させた。
曰く、結婚したくないからという理由で王の心が折れるまで奇行を繰り返した。
叩けば出てくる埃のように奇行の逸話の数々を持つ、正に〝キテレツ王女〟。
馬鹿と天才は紙一重を行く唯我独尊の奇人だった。
そして、それとは別に彼女を言い表す言葉がある。
〝誰よりも魔法を愛し、魔法に愛されなかった天才〟。
この世界では王族や貴族が当たり前に使える魔法を使えない王女であり、魔法を使えないからこそ〝魔法科学〟、略称〝魔学〟を編み出した第一人者であった。
* * *
(――これは不味い状況なのでは?)
私、アニスフィア・ウィン・パレッティアは考える。
目の前には着飾った貴族の子息、子女と思わしき子達がいっぱいいる。私に向けられる視線は奇異の視線そのものだ。
これは久しぶりの大失態かもしれない。ちょっと飛行魔道具の夜間飛行のテストに出て、星が掴めそうなんてロマンチックな事を考えてたら窓に突っ込んだとか、それは許されないアレなんじゃないかな?
拾い上げた飛行用魔道具である〝魔女箒〟の調子を確かめて見るけれど、うん、壊れてはいない。これが壊れてたら泣きを見ていた所だった。
これならまだ私の評判以外に傷ついたものはない! よし、問題なし!
改めて会場を見てみると、弟のアルくんがいた。あの子、私の事を苦手にしてるから悪い事をしちゃったなぁ。
(あれ、でもなんでアルくん、私が知らない子を抱き締めてるのかしら?)
アルくんの婚約者の筈のご令嬢は、何故かアルくんが見下ろす位置にいるし。んん? これ、どういう状況?
「ちょっとアルくん、ユフィリア嬢がいるのに別の女性を侍らせてるの?」
「……ッ、貴方には関係ない!」
怒ってらっしゃる。いや、怒るだろうけどさ、そりゃ。でも、一歩後ろに引いて警戒するのは怯えてるようにも見えちゃう。
うん、昔に色々と巻き込んでトラウマになってるだろうし、それは仕方ない。でも、それとこれとは別の話でしょう。
私が〝王族として出来損ない〟なのは良いとして、次期国王ともあろうものが次期王妃の婚約者の傍にいないのはどういう事なのか。
「えぇと、ユフィリア嬢? これはどういう事? あれ、妾候補とか何か?」
アルくんから視線を移して呆気取られていたユフィリア嬢へと問いかけて見る。すると、途端に表情を翳らせて視線を落としてしまった。
「? どうしたの?」
「いえ、その……」
あれ、ユフィリア嬢までどうしたの? この子は大人にも物怖じせずに意見を言える強い子で、将来の王妃として立派だなぁ、って思ってたのに。
なのに今にも泣きそうというか、あれ、もしかして実際に泣いてた? そんなに私がいきなり窓をぶち破ってきたのが怖かった?
いや、なんか違う。この立ち位置と状況、なんか記憶がちりちりとするような……?
「あぁ、成る程。言いがかりでもつけられて婚約破棄でもされたの?」
「――ッ!?」
何故、と言うようにユフィリア嬢が視線を上げる。その瞳は驚きで揺れていて、普段は鉄仮面をつけたように変わらない表情が変化してしまっている。
(……えぇ? どうしてさ。〝前世〟ではそういう〝お話〟があったのは知ってたけど……)
婚約破棄って、現実でも起きるような事なの? 世界はいつだって奇妙だなぁ。私が言うのもなんだけど。
「状況を見る限り、なんかユフィリア嬢が孤立してる感じかな?」
「え、あの、なんで」
「うーん……よし、決めた!」
女の子、虐めるの良くない。
どっちに正義があるのかわからないけれど、とりあえず喧嘩は両成敗としよう。
それなら味方が見られないユフィリア嬢を庇っておこう。後でどっちが正しいのかわかるでしょ。
「ユフィリア嬢、行こう。私が攫ってあげる」
「……は?」
「ユフィリア嬢は私に攫われるので、なんの責任もなし! さぁ、行こう、すぐに行こう! という訳で、アルくん! この話は私が持ち帰らせて貰うわ! 後で家族会議ね!」
ユフィリア嬢に近づいて、肩に担ぐように抱える。ごめんね、本当は攫うならお姫様抱っこなんかが良いんだろうけど、今は片手が塞がれると私が何も出来なくなっちゃうからね!
「え、あの――」
「待て、姉上――」
「――あばよ、アルくぅん!」
気分は大怪盗。見せ付けるように笑みを浮かべて、ユフィリア嬢を抱えながら窓に向かって走る。
私がぶち破った窓から宙に身を投げ出せば、一気に体が重力に引かれて落ちていく。するとユフィリア嬢が元気に悲鳴を上げた。
「ぃ―――いやぁぁぁああああああああッッ!?!?」
「アッハッハッハッ! 楽しいノーバンジージャンプ! 空の旅へようこそ!」
片手に持った〝魔女箒〟に魔力を注いで、そのまま迫ってきた地を舐めるようにして上昇していく。
ユフィリア嬢は相変わらず悲鳴を上げているけれど、とりあえず今は無視! このまま父上のところに訪問と行きましょうか!
* * *
〝魔法に愛されなかった王女〟。
王族や貴族の誰でも得意、不得意はあっても使える魔法をまったく使えなかった彼女はそう言われた。
だけど、それでも彼女は魔法を愛した。そして彼女が行き着いたのは〝魔法と同じような効果を、或いはそれを越える魔法の道具〟を生み出す事。
これは後の歴史で様々な偉業と奇行の数々を残した王女の伝説、その一幕である。