第45章 過去との決別4
「・・・あんな連中など、庇ってやらずとも良かったのに。」
「まあ、そう言うな。」
ジルの言葉に振り返ると、思ったよりもすぐ近くにジルの金色の目があった。
私と目が合うと、金色の目が心配そうに細められる。
「・・・すまないが、しばらく二人だけにしてくれないか。」
ジルがそう言うと、謁見の間にいた衛兵達は戸惑った様子で頭を下げ、退室していった。
ジュリアさんがまた何か呪文のようなものを唱えると、おじいさんは出てきたときとは逆に、吸い込まれるように土の中に戻っていった。
完全に中に入ると、土は形を変え、元の人型に戻った。
「小さき娘よ、気分が落ち着いたらまた会おう。今度はもっと楽しい話をしような。では竜王よ、用向きがあればいつでも呼んでくだされ。」
「失礼致します、陛下。」
おじいさんとジュリアさんは短く挨拶をすると、ゆっくりとした足取りで謁見の間を出て行った。
二人が出て行くと、広間には私とジルだけが残った。
「・・・フィリス、大丈夫だ。お前は何も間違ってはいない。」
ジルは人型に戻ると、冷たい私の頬を暖めるように包み込んだ。
「でも、お母さんとお父さんは、あの人たちのせいで死んだのに・・・それなのに、私はっ・・・。」
「それが、人間というものだ。憎むだけ、愛するだけで済むならどれほど簡単に生きられるか・・・。彼らを庇った事を両親に申し訳ないと思っているのなら、それは間違ってると思う。」
「・・・どうして?」
「フィリスの両親は、ちゃんとフィリスを愛していた。きっと、フィリスが元気で、幸せに生きてくれる事だけを願っていたはずだ。恨みや、憎しみを持って生きて欲しいとは思わなかっただろう。」
元気で、幸せに・・・。
「今だから言うが、俺はオリヴィアへの罰として彼女の声を奪うつもりでいた。」
何でも無い事のようにさらりと言われたその言葉に、私は驚いた。
「口から出る言葉が偽りばかりなら声など不要だし、むしろ有害だ。ただフィリスが反対してきたら、もう少し軽い罰にしようと考えていた。・・・それを言いだす前にあんな事になってしまったけど。」
あんな事とは、オリヴィアが反論しようとした時の事だろう。
公の場であんな風に竜王に対して口答えをするなんて、普段のオリヴィアであればとても考えられない事だ。
それだけ、追い詰められていたのだろう。
「あの村は、もう長く病んでいた。それにフィリスが気付けば、単純にオリヴィアに罪を与える事に疑問を持つだろうと思っていた。元々そういう性格なんだろうが、オリヴィアがあそこまで増長したのは、彼女を諌める大人が一人もいなかったせいだからな。・・・それに彼女は、フィリスが唯一心を開いていた相手だ。オリヴィアがフィリスの事をどう思っていたとしても、フィリスがオリヴィアに持っていた気持は嘘じゃない。ちゃんと、本物だった。そうだろう?」
それに頷くと同時に、涙が頬を伝っていった。
いろんな気持ちがゴチャゴチャになって、頭がパンクしそうだった。
そんな私を、ジルはそっと抱き寄せて頭を自分の体に押し付けた。
「気がすむまで泣けばいい。ここには、俺しかいない。」
優しく宥める様に背中を何度も撫でられて、私は子供のように声を上げて泣いた。
心にある重苦しい塊のような何かが、涙と一緒に溶けてなくなればいいのに・・・。
どれくらいそうしていたのか、やっと落ち着いてきた私は泣いてグチャグチャになっているであろう顔をジルから離した。
まだ頭の中は整理できていないけど、気持はずいぶんと軽くなった。
「・・・ごめんなさい。」
泣き過ぎて枯れた声で謝ると、ジルは首を傾げた。
「服、汚しちゃって・・・それにこんな時間まで・・・。」
足元に差し込む光は、既に夕焼けの色が混じっていた。
謁見の間に入ったのはお昼過ぎだ。
忙しい身だろうに、私が泣いてしまったせいでずいぶん長い時間拘束してしまった。
「そんな事、気にするな。服なんかいくらでも代えがある。それに・・・いや、何でもない。とにかく、何も謝る事はない。」
途中真剣な表情で何か言いかけたジルは、苦笑して言葉を濁すと私から体を離した。
「・・・そろそろ戻るか?」
頷くと、ジルは私の肩を抱いて歩き出した。
「ジル、出口あっちだよ?」
ジルが向かったのは、ジルが出てきた奥の扉だった。
みんな正面の扉から出て行ったのだから、私もあっちから出て行かなくてはいけないんじゃないだろうか?
「こっちの方が人目につきにくい。泣きはらした顔をジロジロ観察されるのは嫌だろう?」
確かに、それは恥ずかしい。
ジルと一緒に扉を出ると、すぐそこにガントさんが立っていた。
ガントさんは私を見ると痛ましそうに顔を歪めた。
「後を頼めるか?」
「はい、陛下。」
ジルは私の肩から手を離して、私の方に向き直った。
「彼らの処分が決まったら、すぐに伝えるようにするよ。ゆっくりと休んでくれ。」
頷いて、私はガントさんとその場を後にした。
ガントさんは時折心配そうに私を振り返ったけど、何も聞いては来なかった。
それが、私にはありがたかった。
「・・・あの、このあたりでもう大丈夫です。ありがとうございました。」
見慣れた場所まで来て、私は足を止めた。
ここまでくれば、もう迷う事もないだろう。
「いや、部屋まで送ろう。勝手に途中で戻っては、陛下に叱られてしまう。」
私と一緒に足を止めたガントさんは、そう言ってまたすぐに歩き出した。
本当に律儀な人だ。それとも、忠実というのだろうか。
とにかくそう言われて頑なに断る必要もないので、結局部屋の前まで送ってもらった。
「では、これで失礼する。」
ガントさんは短くそう言って、すぐに来た道を戻って行った。
一人になると、途端に気が抜けて体がすごく重くなったように感じた。
マーサが綺麗に整えてくれた髪を解いて、ベッドに横になる。
目を閉じると、色んな事が頭の中に浮かんでは消えていく。
オリヴィアの笑顔と恐怖に歪んだ顔、祖母の困ったような顔や、村人達の嘲るような笑い声。
それらは無数のざわめきとなって、いつしか夢の中へと消えていった。
目が覚めると、部屋の中はかなり薄暗かった。
真っ暗というわけではないから、夜中というわけではないようだ。
ベッドに横になってから、いつの間にかうたた寝をしてしまっていたようだった。
どれくらい寝てしまったのだろう?
確かめようと体を起こして、すぐ目の前に立つ人影に気付いて固まった。
「・・・ジル?」
もしかして、まだ夢でも見ているのだろうか?
そう思ってそっと声をかけてみると、ジルは微笑んで私の顔を覗き込んだ。
「だいぶ顔色も戻ったな。」
はっきりと声が聞こえた。どうやら、夢ではないようだ。
ジルは水差しからコップに水を入れると、私に差し出した。
「ありがとう。」
喉が渇いていたのか、一気に飲み干してしまった。
コップを置こうとして、ベッドの脇にある小さな棚の上に、袋に入ったクッキーが置いてあるのを見つけた。
「俺が来る前に、マーサが来て置いていったみたいだ。」
ジルは私に一枚の紙を差し出すと、手のひら上に光の玉を出して手元を照らしてくれた。
それはマーサが書いてくれたものらしく、よく寝てるから起こさなかったという事と、もしお腹が空いたら食べて欲しいといった内容の事が書かれていた。
すぐにお礼を言いに行こうとベッドを降りると、ジルに止められた。
「さすがに、まだ寝てるだろう。」
その言葉に首を傾げると、ジルは不思議そうな顔をして、すぐに納得したようにああ、と声をあげた。
「今、夜明け前だよ。」
「夜明け前?」
・・・まさか、そんなに寝ていたとは思わなかった。
言われてみれば確かに体もずいぶん軽くなったし、目のはれぼったさもかなりましになったような気がする。
「ジルは、いつからここに?」
もしかして、私が起きるのをずっと待っていてくれたのだろうか?
私の言葉には答えず、ジルは窓を開いた。
「・・・フィリス、少し出かけないか?」
「今から?」
「そう、今からだよ。」
ジルは悪戯っぽく笑って、私に手を差し出した。