第43章 過去との決別2
両開きの大きな扉を通って謁見の間に入ると、中ではすでにオリヴィア達が控えていた。
扉が開いたことでいっせいに振り返った彼らは、私の姿を認めるとまるで害虫でも見つけたかのように顔をしかめた。
久しぶりに見た村長夫妻の姿は、私が記憶している姿よりもわずかに小さく見えた。
・・・この人達のせいで、父も母も死んでしまった。彼らが父や母を追い詰めなければ、両親は今でも私の隣にいて、微笑みかけてくれていたのだろうか。
そう考えると、言い様のない虚しさが胸を塞いだ。
ゆらぐことのない私の視線を受けて、彼らは戸惑ったように顔を見合わせた。
無理もない。
これまで先に目をそらして俯くのは、いつだって私の方だったのだから。
村長夫妻は、村では見たこともない小奇麗な服を着ていた。
オリヴィアも、まるでどこかの姫のように可愛らしいドレスを身に着けている。
そして私は侍女の服を着ていて、まるでままごとでもしているような気がしておかしかった。
オリヴィアの隣には、身なりの良い中年の男が立っていた。
私を見て首を傾げると、オリヴィアに小声で話しかける。オリヴィアは男に微笑み返すと、男に何事か答えていた。
城でも村でも見たことのない人だった。それにしてはオリヴィアとは親しそうな感じがするけれど・・・。
ここまで私を案内してくれた人はオリヴィア達から少し離れた所で止まると、この場で待つようにと伝えて部屋の脇によけた。
それから少しして、入り口の扉がまた開いた。
まだ他にも、この場に立ち会う人がいるのだろうか?
扉からゆっくりと入ってきた人物の姿に、謁見の間が水を打ったように静かになった。
張り詰めた空気の中、その人は頼りない足取りで私の隣に立った。
「こんにちは、小さき娘よ。・・・大丈夫か?顔色が悪いようだが。」
その人は、あの体の大きなおじいさんだった。
「・・・こんにちは。」
初めてこの人を見たら、誰でも驚いて緊張してしまうだろう。
中身は優しい普通のおじいさんのようなのだが、風貌が異様すぎてみんな引いてしまうのだ。
「おじいさんは、どうしてここに?」
「さてな。呼ばれたから来ただけで、何も知らん。」
そう言って首を傾げるおじいさんに、私も首をかしげた。
「話は後でゆっくりね。ほら、ちゃんと前を向いて待っていなさい。・・・あなたもよ。」
おじいさんの後ろから、長い藍色のローブを着た女性が顔を出した。
確か、ジュリアと呼ばれていた人だ。
挨拶をしようと口を開きかけたとき、奥にある扉の前に立っていた衛兵が手に持っていたベルを大きく鳴らした。
その音に、謁見の間にいた者がいっせいに膝をついた。
私もマーサの言葉を思い出して、急いでみんなと同じ動作をした。
「やれやれ、この体で膝をつくのは一苦労じゃな。」
「あの、私の肩につかまって下さい。」
しゃがみにくそうにしていたおじいさんの手を取って私の肩に置くと、おじいさんは笑みを浮かべてお礼を言った。
いくら陛下の前とはいえ、老体ではずっとこの姿勢は辛いだろう。
椅子でもあればいいのだけれど・・・。
おじいさんが何とか腰を落ち着けた頃、奥の扉が軋む様な音を立てて開かれた。
その奥から、コツコツと複数の足音が聞こえてくる。
シンと静まり返った広間に、足音と衣擦れの音だけが響いた。
「遠いところを、よく来てくれた。グウェイン、お前にもわざわざ足を運んでもらってすまなかったな。」
柔らかだが、威厳に満ちたその声に、冷え切っていた手足がゆっくりと暖かくなっていく気がした。
「もったいなきお言葉、ありがとうございます。」
顔を上げれないので分からないが、答えているのは多分オリヴィアの隣にいた男性だろう。
「こちらの都合で振り回してしまって、申し訳ない。詳細は知っての通りだ。埋め合わせと言ってはなんだが、何か望みがあれば聞こう。何かあるか?」
「全ては陛下のご意思のままに。埋め合わせなど必要ありませぬ。・・・ですが、もしお許し頂けるのであれば一つお願いがございます。」
グウェインと呼ばれた男は少し言いよどんだようだが、すぐに言葉を続けた。
「・・・このオリヴィアを、私の養女に致したく思います。オリヴィアはおそれ多くも竜王陛下の花嫁候補として選ばれるほど、見目麗しく心根の清らかな娘でございます。私の手元でさらに教養をつけさせ、いずれはしかるべき若者の元に嫁がせたいと考えております。ご許可頂けますでしょうか?」
それは、思いもよらない話だった。
考えてみれば、竜王の花嫁候補にまでなった者が、辺境の村に帰って畑を耕して生きるというのは、いかにもおかしかった。
「・・・なるほど、養女にするか。好きにするがいい。だがお前が許可をとる必要があるのは、私ではなく血の繋がった実の親の方だ。」
「は、はい・・・。」
どこか白けた言い方に、グウェインは怯んだように返事を返した。
「それだけか?」
しばらくの沈黙の後、次に声を発したのはオリヴィアだった。
「・・・陛下、ご無礼を承知で、私からぜひお願いがございます。」
鈴のような声が、緊張からかか細く震えていた。
「どうか、私に陛下のお持ちになっているものを・・・陛下を思い出せるよすがをお与えください。どのようなものでもかまいません、どうか・・・。」
哀願するような響きに、胸が痛くなった。
好きな人ともう会えないと思う辛さは、私にも理解できる。だから、オリヴィアの願いはごく自然なものに思えた。
「・・・分かった。出立までに何か見繕っておこう。」
「ありがとう、ございます。」
応えたオリヴィアの声には、涙が含まれていた。
「あなたが連れてきた来たそこの侍女は、城に置いていくといい。何かと問題のある娘なのだろう?私が責任を持って預かろう。」
その言葉に、オリヴィアと村長たちが小さく声を上げた。
これは、あらかじめジルが考えてくれた筋書きだった。
オリヴィアが私を嘘を付く困った娘だと言うのであれば、それを逆手にとってこちらの都合の良いほうに話を持っていこうというのだ。
「で、ですが、あの子は私にとっても妹のようなものなのです。離れて暮らすなんて、考えられません!」
焦ったオリヴィアの声に、私は耳を疑った。
顔も見たくないほど嫌っている私を、何故連れ帰る必要があるのだろう?
それとも、持ち帰って退屈しのぎにまた私をいたぶるつもりなのだろうか・・・。
「親もいないのであれば、なおさらちゃんとした環境に置いてやった方がいいだろう。あなたが本当にこの子の事を考えるのであれば、分かってやりなさい。」
「・・・おそれながら陛下、もしよろしければあの娘も私が預かり、教育を受けさせるように致しますが・・・。オリヴィアがこの様に別れを哀しんでおりますので・・・。」
オロオロとグウェインが助け舟を出した所で、耳を裂くような哄笑が広間に響き渡った。
鼓膜に直接響くような、声のような音のような笑いに驚いて、つい顔を上げて隣に座るおじいさんの方を見た。
「これはこれは、大変失礼を致しました。ご無礼をお許しくだされ、竜王陛下。」
「いや、かまわない。」
「この娘には教育など必要ありませぬ。むしろ必要なのはそこの泣きまねをしている娘でございましょう。」
その言葉に、村長夫妻とグウェインが色めきたった。
「オリヴィアよ、もうフィリスを解放してやれ。好きに生きさせてやれ。」
「な、なんだお前は!お前に娘の何が分かるというんだ!」
我慢できなくなったのか、村長が怒りの声を上げた。
「何が?・・・わしは何でも知っておる。あの村の事なら、何でもな。お前達は恥ずかしくないのか?こんななんの力もない、本来なら守るべき者であるこの子から親も家も取り上げて、人並みの生活も、与えられるべき愛情も何もかも奪い取って、そうまでしてもなお満足せぬのか。」
凄みを帯びた表情と声に、オリヴィアたちは竦み上がった。
「・・・何の話だ?」
村長は額を床にこすりつけるように頭を下げると、震える声を絞り出した。
「わ、私達は何も・・・あの娘の親は、勝手に立ち入り禁止の廃坑に行って死んだのです。私達は何も知りません。」
「忘れたとは言わせんぞ。フィオーネがいくら泣いて頼んでも、お前は捜索隊を出さなかった。フィオーネはどれほど無念だったか・・・。愛する男の生死も分からず、幼い娘を一人残して逝くことはさぞ辛かったであろうよ。お前に分かるか?分かるのなら、知らぬなどと簡単に言えるはずがない。」
おじいさんの言葉に、胸が熱くなって目に溜まった涙がこぼれそうになる。
それを目立たないように拭って、私はおじいさんの服の袖をぎゅっとつかんだ。
嬉しかった。
こんなにも母の事を思ってくれている人がいて、ただ嬉しかった。
「怖れながら陛下、あのような風貌のご老人は私の領内では見かけたことがないのですが、もしよろしければご紹介頂けますでしょうか?」
「それはそうだろう。グウェイン、ほとんどの人間は彼を見たことなどないはずだ。・・・ジュリア。」
「はい、陛下。・・・おじょうさん、少しだけ離れてくれるかしら。」
ジュリアさんは私をおじいさんから離すと、口の中でもごもごと何かを唱えだした。
おじいさんの足元を中心に光の輪が現れたと思うと、突然おじいさんの体がボロリと崩れだした。
いくつもの悲鳴が響く中、私も驚いて後ろに座り込んでしまった。
ただの土くれとなった塊の上に、ぼんやりと霧のような人影が立ち昇った。
「これが、彼の本来の姿だ。この者はダーナの地に住む地霊の一人で、思うところがあって、ここまで来てもらった。・・・すまないな、土人形の中は住みにくかろう。」
「いえ、普段は言葉を交わさぬ人間ともこうして会話ができて、それなりに楽しんでおります。」
音のような声が答えた。
「地霊は魔力のない人間には見えぬし、声も聞こえない。こうして魔術で姿を縛るか、なにか依り代に入れば普通の人間とも話せるが・・・。」
誰もが竜王を前に跪くことも忘れて、初めて目にする地霊という存在をまじまじと見つめていた。
「彼をここに呼んだのは、この場でお前達にただしたい事があったからだ。・・・さあ、話してくれ。お前が・・・お前達が見てきた現し世のありのままの姿を・・・。」
霧のような人影はゆらりと動いて礼をすると、独特の声で話し出した。