陝西省 (中華民国)
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中華民国 陝西省 | |
← 1911年 - 1949年 → | |
陝西省の位置 | |
簡体字 | 陕西 |
繁体字 | 陝西 |
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拼音 | Shǎnxī |
カタカナ転記 | シャンシー |
国家 | 中華民国 |
行政級別 | 省 |
政府所在地 | 長安県1911-1943 西安市1943-1949 |
成立 | 1911年 |
消滅 | 1949年 |
面積 | |
- 総面積 | 187,691 km² |
人口 |
管轄区域
[編集]東は山西省、湖北省及び河南省、西は甘粛省、南は四川省、北は綏寧省と接していた。
行政沿革
[編集]1911年(宣統3年)10月10日、武昌起義により辛亥革命が勃発すると10月22日、 陝西新軍もこれに呼応し決起、同月25日に秦隴復漢総司令部を組織、長官を大総統とし、下部に軍令、兵馬、軍務等の都督が設置された。11月26日、陝西軍政府が成立、大総統は都督と改称されている。
1912年(民国元年)7月、省行政の民政部門の長官として民政長を設置、1914年(民国3年)5月23日には民政長を巡按使と改称、更に1916年(民国5年)7月6日に省長と改称されている。
1927年(民国16年)6月、国民党鄭州会議により陝西省政府の設置を決定、武漢国民政府に、4月21日の上海クーデター移行は南京国民政府に帰属している。1949年(民国38年)5月20日、中国人民解放軍により西安が「解放」され中華民国は実効支配権を喪失した。
省会
[編集]1943年(民国32年)2月以前は長安県に、それ以降は西安市に設置された。
行政区画
[編集]道制
[編集]中華民国が建国されると清代の各道は廃止されたが、1913年(民国2年)3月、清代の旧道地区に陝中道、陝東道、陝南道、陝西道、陝北道の5道が設置されたが、まもなく陝西中道、陝西南道、陝西北道に改編され、観察使が任命されている。1916年(民国5年)5月、省内は関中道、漢中道、楡林道の3道が設置された。
県級行政区画
[編集]中華人民共和国成立直前の管轄行政区画はの92県2設治局。(50音順)
- 県
- 安康県
- 安塞県
- 安定県
- 渭南県
- 永寿県
- 延安県:清代の膚施県、1937年改称。
- 延川県
- 延長県
- 横山県
- 華県
- 葭県
- 華陰県
- 韓城県
- 甘泉県
- 漢陽県
- 咸陽県
- 宜君県
- 岐山県
- 宜川県
- 涇陽県
- 乾県
- 汧陽県
- 鄠県
- 興平県
- 郃陽県
- 高陵県
- 黄陵県:清代の中部県。1944年6月改称。
- 呉堡県
- 柞水県:1913年2月に孝義県として成立。1914年1月改称。
- 三原県
- 山陽県
- 淳化県
- 栒邑県:清代の三水県。1914年1月改称。
- 洵陽県
- 商県
- 紫陽県
- 城固県
- 商南県
- 神木県
- 綏徳県
- 清澗県
- 西郷県
- 靖辺県
- 石泉県
- 大茘県
- 長安県:清代の長安県及び咸寧県。1914年1月、咸寧県が長安県に統合。
- 長武県
- 盩厔県
- 澄城県
- 朝邑県
- 鎮安県
- 鎮巴県:1913年2月に定遠県として成立。1914年1月改称。
- 鎮平県
- 定辺県
- 潼関県
- 銅川県:清代の銅官県。1946年7月改称。
- 南鄭県
- 寧強県:1913年2月に羌県として成立。1941年3月改称。
- 寧陝県
- 白河県
- 白水県
- 郿県
- 鄜県
- 武功県
- 府谷県
- 仏坪県
- 扶風県
- 富平県
- 邠県
- 米脂県
- 平民県:1929年2月、朝邑県及び華陰県の一部に新設。
- 平利県
- 沔県
- 保安県
- 鳳県
- 宝鶏県
- 褒城県
- 鳳翔県
- 蒲城県
- 楡林県
- 洋県
- 耀県
- 洛川県
- 雒南県
- 嵐皋県:1913年2月に磚坪県として成立。1917年5月改称。
- 藍田県
- 略陽県
- 留壩県
- 臨潼県
- 麟遊県
- 隴県
- 醴泉県
- 設治局
- 黄竜設治局:1941年7月設置。
行政督察区
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脚注
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関連項目
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