野間谷村
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のまだにむら 野間谷村 | |
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廃止日 | 1954年3月25日 |
廃止理由 |
新設合併 多可郡野間谷村・加西郡大和村 → 多可郡八千代村 |
現在の自治体 | 多可町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 兵庫県 |
郡 | 多可郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,948人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 多可郡中町、松井庄村、加西郡大和村、芳田村、神崎郡瀬加村、粟賀村、越知谷村 |
野間谷村役場 | |
所在地 | 兵庫県多可郡野間谷村 |
座標 | 北緯35度00分20秒 東経134度54分25秒 / 北緯35.00544度 東経134.90689度座標: 北緯35度00分20秒 東経134度54分25秒 / 北緯35.00544度 東経134.90689度 |
ウィキプロジェクト |
野間谷村(のまだにむら)は、兵庫県多可郡にあった村。現在の多可町八千代区(大和を除く)にあたる。
「敬老の日」提唱の地とされている。
地理
[編集]- 山岳:笠形山
- 河川:野間川、仕出原川
歴史
[編集]1889年、町村制施行に伴い発足。
1947年9月15日、村主催の敬老会を開いたのが、国民の祝日「敬老の日」のはじまりとされている[1][2]。「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という趣旨で[1]、提唱したのは当時村長であった門脇政夫(1911年 - 2010年)らであった[2]。当日には、村中の55歳以上の人々が自動三輪車での送迎を受け、公会堂で食事と播州歌舞伎によるもてなしを受けたという[2]。この「としよりの日」は1950年には兵庫県全域で行われるようになり、1966年に敬老の日として国民の祝日となった。八千代公民館には「敬老の日提唱の地」の石碑が立つ[2]。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、貴船村・天船村・豊谷村・大屋村の区域をもって発足。
- 1954年(昭和29年)3月25日 - 加西郡大和村と新設合併して多可郡八千代村が発足。同日野間谷村廃止。
脚注
[編集]- ^ a b “9月15日 敬老の日”. なるほど統計学園. 総務省統計局. 2016年9月15日閲覧。
- ^ a b c d “日本一の酒米「山田錦」と日本一の手漉き和紙「杉原紙」そして「敬老の日」発祥の地”. 全国町村会 2010年2月21日閲覧。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 28 兵庫県