見川鯛山
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見川 鯛山(みかわ たいざん、1916年11月22日 - 2005年8月5日)は、日本の医師、作家。本名は見川 泰山。栃木県安蘇郡植野村(現・佐野市)出身。
概要
[編集]昭和医学専門学校卒業後、栃木県那須郡那須村(現・那須町)に見川医院を開設、60年以上にわたって地域医療に従事する傍ら、那須の風土に根ざした短編小説や随筆を14冊執筆した[1]。製薬会社のPR誌に連載した作品などをまとめた「山医者シリーズ」が有名。獅子文六に師事した[2]。
2男2女の4人の子供がおり、長男は見川医院の院長を引き継いでいる[3]。次女はイラストレーターの米倉万美で[4][5]、2004年7月に地元佐野市のギャラリー酒蔵楽で「見川鯛山&米倉万美父娘展」を開催した[6]。また、孫(次女の息子)は元MEN'S NON-NOモデルで映像作家の米倉強太で[7]、2019年にモデル・タレントのラブリと結婚を発表した[8]。
著書
[編集]- 『田舎医者』(角川書店、1964年)(毎日新聞社、1974年)(集英社文庫、1980年)
- 『医者ともあろうものが・・・』(毎日新聞社、1973年)(集英社文庫、1981年)
- 『続・医者ともあろうものが・・・』(毎日新聞社、1973年)(集英社文庫、1983年)
- 『本日も休診』(毎日新聞社、1974年)(集英社文庫、1984年)
- 『また本日も休診』(毎日新聞社、1976年)(集英社文庫、1987年)
- 『山医者のうた』(毎日新聞社、1979年)(集英社文庫、1989年)
- 『スキー万歳』(平凡社、1979年)
- 『山医者の茶飲み話』(毎日新聞社、1982年)
- 『山医者のちょっと一服』(毎日新聞社、1985年)(集英社文庫、1991年)
- 『山医者がんばる』(毎日新聞社、1988年)
- 『山医者健在なり』(毎日新聞社、1993年)
- 『山医者の読みグスリ』(毎日新聞社、2001年)
- 『山医者の毒にもクスリにもならない話』(ドリーム舎、2003年)
- 『山医者のちょっとは薬になる話』(『見川鯛山、これにて断筆』、フーガブックス、2004年)
テレビドラマ
[編集]ラジオドラマ
[編集]舞台
[編集]脚注
[編集]- ^ 読売新聞・平成17年8月9日記事 見川鯛山氏(みかわたいざん、本名・泰山=たいざん=作家) 5日、心筋こうそくで死去
- ^ 福本信子『獅子文六先生の応接室』241-2p
- ^ “「穏やかに最期を」実現 那須に末期がん患者ら受け入れる高齢者住宅”. 産経ニュース. (2015年12月4日) 2020年3月2日閲覧。
- ^ “冬の満月「忘れちゃだめだよ」父の感性継ぐ 米倉万美さん”. イザ!. (2014年1月12日) 2019年11月29日閲覧。
- ^ “我が街この人 vol.52”. まいぷれ[大田原市]. 2020年3月2日閲覧。
- ^ “2004/7/23(金)~7/27(火) 見川鯛山&米倉万美父娘展”. 第一酒造 - 開華 - 酒蔵 楽 ギャラリー. 2019年11月29日閲覧。
- ^ “メンズノンノモデルを卒業! 山下涼平と米倉強太の、これから”. MEN'S NON-NO WEB. p. 2 (2015年12月30日). 2019年11月29日閲覧。
- ^ “ラブリ、映像作家の米倉強太氏と結婚「ありのままの私で居させてくれる人」”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2019年11月28日) 2019年11月28日閲覧。
- ^ “田舎医者 - ドラマ詳細データ”. テレビドラマデータベース. 2015年6月25日閲覧。
- ^ “天山先生本日も多忙 - ドラマ詳細データ”. テレビドラマデータベース. 2015年6月25日閲覧。
外部リンク
[編集]- 那須黒磯温泉 旅館/かんすい苑 覚楽 直筆の手紙を掲載している。