西念寺 (坂東市)
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西念寺 | |
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所在地 | 茨城県坂東市辺田355-1 |
位置 | 北緯36度01分51.1秒 東経139度54分23.2秒 / 北緯36.030861度 東経139.906444度座標: 北緯36度01分51.1秒 東経139度54分23.2秒 / 北緯36.030861度 東経139.906444度 |
山号 | 極楽山 |
院号 | 聴衆院 |
宗派 | 真宗大谷派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 鎌倉時代前期 |
開基 | 西念 |
文化財 | 木造阿弥陀如来坐像(茨城県指定有形文化財)、西念寺来迎図板碑(坂東市指定文化財) |
公式サイト | 真宗大谷派 西念寺 |
西念寺(さいねんじ)は、茨城県坂東市にある真宗大谷派の寺院。
前身「聖徳寺」
[編集]聖徳寺(しょうとくじ)は、下総国猿島郡(現・茨城県坂東市)にあった寺院。当寺の前身である[1][2]。
飛鳥時代、聖徳太子の開基と伝えられる。平安時代以降は、天台宗に所属していた。天台宗時代最後の住職は円盛であった。円盛は俗名「井上義繁」といい、浄土真宗の高僧西念の弟であった。西念は親鸞の高弟「二十四輩」の一人で、俗名「井上貞親」といい、信濃国(現・長野県)の井上城の城主だった井上氏の出身であった。貞親は父の盛長の討死をきっかけに、世の無常を感じ、親鸞に弟子入りして、「西念」を名乗ることになった。円盛は兄の西念を通じて、親鸞の法話を聴き、遂に親鸞に弟子入りして、「信証」を名乗ることになった。そして聖徳寺を浄土真宗の寺にすることになった[1][2]。
歴史
[編集]鎌倉時代前期、西念の開基である。西念は武蔵国足立郡野田(現・埼玉県さいたま市緑区上野田)に寺を創建した。これが当寺の起源である[1][2][3]。
ところが、建武年間(1334年 - 1336年)に勃発した建武の乱により、野田の西念寺は焼失してしまった。寺の什物は直前に聖徳寺に移された[1][3]。
1664年(寛文4年)、東本願寺の琢如は「西念寺」の消滅を惜しみ、聖徳寺を「西念寺」に改称し、西念ゆかりの寺とした[1][2][3]。
文化財
[編集]交通アクセス
[編集]- 路線バス辺田三叉路停留所より徒歩2分。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年