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西念寺 (坂東市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西念寺
所在地 茨城県坂東市辺田355-1
位置 北緯36度01分51.1秒 東経139度54分23.2秒 / 北緯36.030861度 東経139.906444度 / 36.030861; 139.906444座標: 北緯36度01分51.1秒 東経139度54分23.2秒 / 北緯36.030861度 東経139.906444度 / 36.030861; 139.906444
山号 極楽山
院号 聴衆院
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 鎌倉時代前期
開基 西念
文化財 木造阿弥陀如来坐像(茨城県指定有形文化財)、西念寺来迎図板碑(坂東市指定文化財)
公式サイト 真宗大谷派 西念寺
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西念寺(さいねんじ)は、茨城県坂東市にある真宗大谷派寺院

前身「聖徳寺」

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聖徳寺(しょうとくじ)は、下総国猿島郡(現・茨城県坂東市)にあった寺院。当寺の前身である[1][2]

飛鳥時代聖徳太子の開基と伝えられる。平安時代以降は、天台宗に所属していた。天台宗時代最後の住職は円盛であった。円盛は俗名「井上義繁」といい、浄土真宗の高僧西念の弟であった。西念は親鸞の高弟「二十四輩」の一人で、俗名「井上貞親」といい、信濃国(現・長野県)の井上城城主だった井上氏の出身であった。貞親は父の盛長の討死をきっかけに、世の無常を感じ、親鸞に弟子入りして、「西念」を名乗ることになった。円盛は兄の西念を通じて、親鸞の法話を聴き、遂に親鸞に弟子入りして、「信証」を名乗ることになった。そして聖徳寺を浄土真宗の寺にすることになった[1][2]

歴史

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鎌倉時代前期、西念の開基である。西念は武蔵国足立郡野田(現・埼玉県さいたま市緑区上野田)に寺を創建した。これが当寺の起源である[1][2][3]

ところが、建武年間(1334年 - 1336年)に勃発した建武の乱により、野田の西念寺は焼失してしまった。寺の什物は直前に聖徳寺に移された[1][3]

1664年寛文4年)、東本願寺琢如は「西念寺」の消滅を惜しみ、聖徳寺を「西念寺」に改称し、西念ゆかりの寺とした[1][2][3]

文化財

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  • 木造阿弥陀如来坐像(茨城県指定有形文化財 昭和35年12月21日指定)[4]
  • 西念寺来迎図板碑(坂東市指定文化財 平成3年6月1日指定)[5]

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ a b c d e 西念寺真宗教団連合「親鸞聖人を訪ねて」
  2. ^ a b c d 縁起西念寺
  3. ^ a b c プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年、256p
  4. ^ 木造阿弥陀如来坐像茨城県
  5. ^ 市指定文化財坂東市

参考文献

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  • プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年

外部リンク

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