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石毛博史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石毛 博史
IMF BANDITS 富山 投手コーチ #48
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県銚子市
生年月日 (1970-07-13) 1970年7月13日(54歳)
身長
体重
188 cm
93 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1988年 ドラフト外
初出場 1991年4月18日
最終出場 2004年10月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 大阪ゴールドビリケーンズ (2009 - 2010)
  • 06BULLS (2012 - 2017)
  • バンディッツベースボールクラブ
    IMF BANDITS 富山

石毛 博史(いしげ ひろし、1970年7月13日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手投手)、野球指導者。

経歴

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市立銚子高では、2年生の時、1987年夏に行われた千葉大会準決勝に進むが、東海大浦安高に7回コールドで敗退。秋は県大会準優勝したが、関東大会で初戦敗退。

ドラフト会議前には読売ジャイアンツから打診があったが、結局指名はなく内定していた社会人野球住友金属鹿島へ進むことを決意するも、城之内邦雄スカウトから接触があり、1988年オフにドラフト外で巨人に入団。

巨人時代

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の故障があったため、専らリリーフ投手として活躍。東京ドームで行われた1990年ジュニア日本選手権中日ドラゴンズ清水雅治にサヨナラ本塁打を浴びている。1992年宮田征典投手コーチに「故障で長いイニングは持たないが、連投の効く体質を見出され(本人談)」、藤田元司監督に抑え投手としての適性を見出され[1]、123奪三振、防御率1.32の好成績を収める。

1993年には最高速154km/hの荒れ球のストレート(故障で肘が曲がっていることによる)とフォークボールスライダーを武器に当時の球団記録となる30セーブを挙げ、最優秀救援投手のタイトルを獲得。1994年にもリーグ最多の19セーブを挙げる(高津臣吾と同数。最優秀救援投手は8勝19セーブを挙げた高津)。

1993年から1994年にかけて、当時の監督であった長嶋茂雄は、セットアッパー橋本清と共に、勝ちパターンのリリーフコンビとしてこの二人を「勝利の方程式」と呼び、この言葉をマスコミの間に広めた。しかし、石毛自身は、1994年頃から橋本との関係で出番が一定しなくなり、自分の中で張りがなくなってきたと述べている。そして、与四球の増加などから登場時に相手チームのファンから歓声が上がるようになっていた[2]。巨人ファンをハラハラさせながらも、最後は抑えることが多かったため「石毛劇場」と呼ばれていた[3][4]

1994年10月8日に中日ドラゴンズとの最終戦で優勝を決定した試合では(10.8決戦)、先発要員の斎藤雅樹桑田真澄をリリーフ登板させ、この二人でリードを保って逃げ切るという継投がとられた(この当時は、先発投手のリリーフ登板は珍しくなかった)。石毛は登板に備えてブルペンで準備をしたものの、出番はなかった[5]日本シリーズでは西武ライオンズ相手に敵地の第3戦8回裏に登板。自身が招いた無死1・3塁のピンチを無失点で切り抜けて延長戦の末、勝利投手となったものの、最後は桑田のリリーフを仰ぐこととなり「クローザー」としての試合は今シリーズでは皆無だった。それでもこの年は、波乱万丈ながら優勝と日本一に貢献した。

1995年には100セーブポイントを達成するが、前年にも増して救援失敗が目立つようになり、後半はストッパーの座を西山一宇に明け渡す形になった。

1996年、開幕からストッパーの座についていた西山の不調で、変わって石毛と木田優夫がストッパーになったが共に救援失敗が続き、シーズン途中からマリオ・ブリトーが新しいストッパーとして加入すると、リリーフとしての登板機会自体が減っていった。後半なんとか調子を取り戻し日本シリーズでは好投し、自身初となるシリーズ初セーブを記録した。8月20日の横浜戦(東京ドーム)ではリードした八回表の一死から登板し、その裏の打席では西清孝から通算で唯一となるソロ本塁打を打つと、無失点のまま試合終了まで投げ切った。

1997年近鉄バファローズ石井浩郎年俸調停を申請。裁定により同選手の受け入れ先が巨人となったため、1月14日トレード吉岡雄二と共に近鉄へ移籍する事が正式に決まった。

近鉄・阪神時代

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近鉄移籍1年目、チームには絶対的な抑えとして赤堀元之やこの年1億円プレイヤーにもなったセットアッパーの佐野慈紀の存在がおり。この年投手コーチに新任した小林繁の勧めもあり先発転向となる。先発の駒不足もあり開幕二戦目に先発登板するなど期待はされたが、先発投手としてはスタミナがなく更にコントロールに苦しむ点は変わらず、1997年6月10日の対西武戦では先発で先頭打者から5者連続四球で1アウトも取れずに交代となる[3]

この時期、上記の巨人からのトレードのことや先発転向失敗をひきずり続けリリーフでも結果が出せず、石毛自身は「今の自分は自分じゃない」と思い続けていたという[6]2001年シーズンは25試合に登板しリーグ優勝に貢献するも、2002年シーズンは2試合の登板に終わり、10月2日戦力外通告を受ける。

10月28日阪神タイガースにテスト入団[7]2003年は中継ぎのキーマンとして活躍。同年チームが優勝したことで、所属全球団で優勝を経験する。球速こそ若干落ちてはいたものの、本来適任だったリリーフにて往年のスタイルを彷彿とさせる投球を見せ、日本シリーズでも登板を果たすなど復活劇を見せる。 日本シリーズに出場したことで石毛は平成の巨人と平成の阪神の両方で日本シリーズに参加した初めての選手となった。 このように所属球団全てが優勝を経験しているため、マスコミから「石毛は優勝請負人である」と報じられたが、石毛はその報道に対し「自分は『優勝請負人』では畏れ多い、『優勝見届け人』ぐらいですよ」と話している[8]

2005年、昔故障した肘などの状態が悪化、看板としていた球威、キレが急速に衰えてしまう。本人は既に引退を決意していたところ、シーズン終了後の10月5日に戦力外通告を受け、同日に現役引退を表明する。

大阪ゴールドビリケーンズ

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引退後は柴田佳主也と共に大阪市内のスポーツ用品店に勤務していたが、2009年関西独立リーグ大阪ゴールドビリケーンズ投手コーチに就任(大阪はシーズン終了後、三重スリーアローズとともにジャパン・フューチャーベースボールリーグを結成)。2010年6月に大阪所属の選手8人が野球賭博に関与していたとして解雇され、翌7月に石毛は現役に復帰した[9]。9月28日の香川オリーブガイナーズ戦(リーグが四国・九州アイランドリーグとの間で実施していた定期交流戦)で勝利投手となる[10]。大阪ゴールドビリケーンズが同年限りで解散したため、このときの現役復帰は約3ヶ月で終了。

06BULLS

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2011年7月22日、香川オリーブガイナーズ主催で中学3年生を対象とした「香川オリーブガイナーズベースボールアカデミー」の監督に就任することが発表された[11]

2012年からは、06BULLS(当初は関西独立リーグ (初代)、2014年よりBASEBALL FIRST LEAGUE→関西独立リーグ (2代目))のコーチを務める。

2016年10月7日、06BULLSからコーチ兼任で投手として選手登録され、6年ぶりに現役復帰した[12]。10月11日の姫路GoToWORLD戦に登板し、打者13人と対戦して被安打4、奪三振2、与四球1の内容で失点2(自責点1)であった[13]

2017年は、開幕時点では選手登録されていなかった[14]

06退団後

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2018年には富山県のバンディッツヤングという少年野球チームの指導者となる[7]。バンディッツヤングでは2012年からコーチなどを務めていた[15]。2018年10月に、バンディッツヤングの上位のクラブチームであるバンディッツベースボールクラブ(2021年より企業登録チーム・IMF BANDITS 富山)監督に就任することが決定した[15]。同月に妻と大阪から富山に移住した[16]。2019年の報道ではチームの練習に参加しており、球速は130km/hは出ると記されている[16]。その後、コーチ登録に変更されている。

2020年6月27日、古巣の巨人とOBスカウトとして契約を締結。富山エリアの有望選手の情報を巨人に提供する役割を担う[17]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1991 巨人 23 0 0 0 0 0 1 1 -- .000 163 38.2 28 1 20 0 3 43 4 0 13 13 3.03 1.24
1992 52 0 0 0 0 5 3 16 -- .625 357 88.1 47 5 51 5 2 123 6 0 16 13 1.32 1.11
1993 48 0 0 0 0 6 5 30 -- .545 279 67.0 43 4 37 2 0 85 2 0 23 22 2.96 1.19
1994 45 0 0 0 0 5 4 19 -- .556 221 51.2 43 5 28 0 1 53 2 0 18 18 3.14 1.37
1995 38 0 0 0 0 4 3 11 -- .571 213 48.2 40 7 34 4 1 40 1 1 23 22 4.07 1.52
1996 23 0 0 0 0 4 1 3 -- .800 154 33.1 32 4 24 2 0 28 4 0 15 13 3.51 1.68
1997 近鉄 18 13 0 0 0 4 3 0 -- .571 303 68.1 61 6 49 0 0 41 3 0 36 32 4.21 1.61
1998 8 4 0 0 0 0 1 0 -- .000 97 18.2 24 1 19 0 0 9 2 0 16 15 7.23 2.30
1999 28 1 0 0 0 0 2 0 -- .000 232 50.2 48 4 32 2 0 50 5 0 27 23 4.09 1.58
2000 46 0 0 0 0 2 4 1 -- .333 274 62.1 48 6 36 3 3 74 3 0 28 25 3.61 1.35
2001 25 0 0 0 0 3 1 2 -- .750 129 30.1 27 8 13 0 1 28 0 0 17 17 5.04 1.32
2002 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 10 2.0 4 1 0 0 0 0 0 0 2 2 9.00 2.00
2003 阪神 17 0 0 0 0 1 1 0 -- .500 75 19.1 9 4 9 0 0 19 2 0 8 7 3.26 0.93
2004 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 7 1.0 4 0 0 0 0 1 0 0 4 0 0.00 4.00
通算:14年 375 18 0 0 0 34 29 83 -- .540 2514 580.1 458 56 352 18 11 594 34 1 246 222 3.44 1.40
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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表彰

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記録

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初記録
その他の記録

独立リーグでの投手成績

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W
H
I
P
2010 大阪 14 0 1 0 1 1.000 59 14.2 12 1 2 0 17 1 0 3 2 1.23 0.95
2016 06 1 0 0 0 0 ---- 13 2.1 4 0 1 0 2 0 0 2 1 3.86 2.14
JFBL通算:1年 14 0 1 0 1 1.000 59 14.2 12 1 2 0 17 1 0 3 2 1.23 0.95
BFL通算:1年 1 0 0 0 0 ---- 13 2.1 4 0 1 0 2 0 0 2 1 3.86 2.14

背番号

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  • 93 (1989年 - 1990年)
  • 59 (1991年 - 1994年)
  • 24 (1995年 - 1996年)
  • 17 (1997年 - 2002年)
  • 48 (2003年 - 2005年、2009年 - 2010年、2012年 - 2017年)

脚注

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  1. ^ 矢崎『元・巨人』144頁
  2. ^ 矢崎『元・巨人』149頁 - 152頁
  3. ^ a b 近鉄・石毛博史、先頭打者から5連続四球(1997年6月10日)
  4. ^ 走者を賑わしても三振を奪ってしのぐ!? 1990年代「自作自演型」投手ランキング
  5. ^ 鷲田2013年p.p.196~197、202、225
  6. ^ 矢崎『元・巨人』166頁 - 168頁、258頁
  7. ^ a b “石毛博史、ドラフト外の肖像#3 突然のトレード&阪神テスト入団「野球馬鹿は、プロ野球で通じない」”. ベースボールチャンネル. (2018年8月15日). https://news.livedoor.com/article/detail/15165325/ 2020年1月1日閲覧。 
  8. ^ 「ピッチャー石毛」投げないはずが、長嶋監督のいつものクセで緊急登板 勝利の方程式ストッパー石毛博史氏インタ
  9. ^ 野球の花道第17回 - SPORTS COMMUNICATIONS(2010年8月24日。執筆は監督の村上隆行
  10. ^ 2010-09-28 香川OG vs 大阪GV - 四国アイランドリーグplus
  11. ^ ガイナーズアカデミー新監督に石毛氏”. 四国新聞 (2011年7月23日). 2011年11月25日閲覧。
  12. ^ 【公示】06BULLS 登録内容変更- BASEBALL FIRST LEAGUお知らせ(2016年10月7日)
  13. ^ 石毛博史 (PDF) - B.F.L2016年シーズン投手成績
  14. ^ 06BULLS 支配下登録者名簿 (PDF) - BASEBALL FIRST LEAGUE(2017年3月21日)
  15. ^ a b “社会人野球 バンディッツBC 石毛博史さん監督就任 巨人などで活躍 /富山”. 毎日新聞. (2018年10月13日). https://mainichi.jp/ama-baseball/articles/20181013/ddl/k16/050/289000c 2020年1月1日閲覧。 
  16. ^ a b “元巨人・石毛監督が初陣飾る 都市対抗野球一次予選”. 富山新聞. (2019年5月18日). https://toyama.hokkoku.co.jp/subpage/T20190518203.htm 2020年1月1日閲覧。 
  17. ^ 読売巨人軍OBスカウトとの契約締結について”. 読売ジャイアンツ (2020年6月27日). 2020年9月19日閲覧。

参考資料

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  • 矢崎良一『元・巨人: ジャイアンツを去るということ /』ザ・マサダ、1999年。ISBN 491597779X 
  • 鷲田康『10.8巨人vs.中日史上最高の決戦』文藝春秋、2013年。ISBN 9784163756400 

関連項目

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外部リンク

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