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渡辺浩太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡辺浩太郎
わたなべ こうたろう
生年月日 1904年2月17日
出生地 日本の旗 日本新潟県中蒲原郡石山村(現新潟市東区)
没年月日 (1994-11-28) 1994年11月28日(90歳没)
出身校 慶應義塾大学政治科卒業
前職 石山村職員

当選回数 4回
在任期間 1959年5月2日 - 1975年5月1日


石山村会議員
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渡辺 浩太郎(わたなべ こうたろう、1904年明治37年)2月17日[1] - 1994年平成6年)11月28日[1])は、日本の政治家新潟市長全国市長会会長。

経歴

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新潟県中蒲原郡石山村中野山(現新潟市東区中野山)で生まれる[2]新潟県立新潟中学校を経て、1927年慶應義塾大学政治科を卒業[1][2]

卒業後に帰郷し、1929年に石山村助役に就任[1][1]。その後、同村会議員を務め、1943年、同村が新潟市と合併後に新潟市議会議員(就任時は新潟市会議員)となり、この間、同議長を三期務めた[1][1]

1959年5月2日、新潟市長に就任し、1975年5月1日まで市長を連続4期務めた[1][1]新潟大火新潟地震からの復興、地盤沈下問題への対応、ガルベストン市(アメリカ合衆国テキサス州)・ハバロフスク市(ソビエト連邦)との姉妹都市提携、スポーツ音楽都市宣言などを推進した[1][1]。また、1972年から3年間全国市長会会長を務めた[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『現代物故者事典 1994~1996』628頁。
  2. ^ a b 『日本の歴代市長 第2巻』51頁。

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
  • 『現代物故者事典 1994~1996』日外アソシエーツ株式会社、1997年。