栗林三郎
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栗林 三郎(くりばやし さぶろう、1907年(明治40年)1月5日[1][2] - 2001年(平成13年)2月24日[1][2])は、昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員。米価引上げと出稼ぎ農家の労働条件改善に尽力し「米と出稼ぎの栗林」と称された[1]。
経歴
[編集]北海道出身[1][2][注 1]。1922年(大正11年)江別尋常高等小学校を卒業した[1][2][3]。
大曲町会議員を経て、秋田県議会議員に選出され2期在任[1][2]。日本社会党秋田県連合会書記長、全日本農民組合中央常任執行委員、同米価対策特別委員長などを務めた[1][2][3]。
1955年(昭和30年)2月の第27回衆議院議員総選挙に秋田県第2区から左派社会党公認で出馬したが落選[4]。1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙に社会党公認で出馬して初当選[1][3][4]。以後、1967年(昭和42年)1月の第31回総選挙まで再選された[5]。第32回、第33回総選挙には出馬せず[6]、1976年(昭和51年)12月の第34回総選挙で再選され[6]、衆議院議員に通算5期在任した[1][2][3]。この間、社会党中央執行委員、同党秋田県連合会執行委員長、全日本農民組合秋田県連合会執行委員長、米価審議会委員などを務めた[1][3]。1972年(昭和47年)大曲信用金庫(のち秋田ふれあい信用金庫)理事に就任し、その後、理事長となった[1][2]。
1964年(昭和39年)第1回全国出稼ぎ者大会を開催し、1970年(昭和45年)全国出稼組合連合会を結成して初代会長に就任し、その後、同名誉会長となった[1][2]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』233頁では秋田県。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『現代物故者事典 2000~2002』日外アソシエーツ株式会社、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。