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松平定時

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松平定時
松平定時像
時代 江戸時代前期
生誕 寛永12年11月1日1635年12月10日
死没 延宝4年8月19日1676年9月26日
改名 長松、長松丸(幼名)、定時
墓所 東京都江東区白河霊巌寺
官位 従五位下美作守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱
伊予今治藩
氏族 久松松平家定勝
父母 松平定房内藤政長の娘
兄弟 定経定時
側室:嶺頂院殿
定直定陳定昌
養女松平忠周正室
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松平 定時(まつだいら さだとき)は、江戸時代前期の大名伊予国今治藩の第2代藩主。定房系久松松平家2代。官位従五位下美作守

略歴

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初代藩主・松平定房の次男。母は内藤政長の娘。幼名は長松、長松丸。

寛文10年(1670年)に兄・定経が早世したため、同年8月に世子となる。延宝2年(1674年)6月26日、父の隠居で跡を継ぐ。文武を奨励するなどしたが、延宝4年(1676年)8月19日に父の後を追うように死去した。享年42。

跡を次男・定陳が継いだ。墓所は東京都江東区白河霊巌寺

系譜

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