枇杷島橋駅
枇杷島橋駅 | |
---|---|
ホーム | |
びわじまばし BIWAJIMABASHI | |
所在地 | 愛知県西春日井郡西枇杷島町下小田井 |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
811人/日(降車客含まず) -1940年[1]- |
開業年月日 | 1912年(大正元年)3月29日 |
廃止年月日 | 1949年(昭和24年)8月1日 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | 名古屋本線 |
キロ程 | 71.3 km(豊橋起点) |
◄東枇杷島 (0.6 km) (0.9 km) 二ツ杁*1► | |
所属路線 | 犬山線 |
キロ程 | 0.0 km(枇杷島橋起点) |
(1.5 km) 下小田井*2► | |
*1 この間に(貨)西枇杷島駅あり(0.3km先)。 *2 この間に下砂杁信号場あり(0.2km先)。 |
枇杷島橋駅(びわじまばしえき)は、愛知県西春日井郡西枇杷島町下小田井[2](現、愛知県清須市西枇杷島町橋詰)にあった、名鉄名古屋本線・犬山線の駅(廃駅)。現在の枇杷島分岐点である。
本項では前身の枇杷島停留所(びわじまていりゅうじょ)、および同停留所付近に後年仮設された東枇杷島信号所(ひがしびわじましんごうじょ)についても記述する。
歴史
[編集]名古屋電気鉄道による郡部線建設の一環で庄内川橋梁が架けられ、それまで庄内川東岸にあった枇杷島線の終点・枇杷島停留所から延長された際、対岸の西詰に開設された駅である[3]。
駅の廃止後はそのままの線路配置で枇杷島分岐点となったが、庄内川橋梁の上流側への架替に伴い現在の線形に変更された[4]。
年表
[編集]- 1910年(明治43年)
- 1911年(明治44年)2月:庄内川橋梁建設開始[6]。
- 1912年(明治45年)
- 1914年(大正3年)1月23日:津島線枇杷島橋駅 - 新津島駅間開業。分岐駅となる[10][11]。
- 1921年(大正10年)7月1日:路線譲渡により(旧)名古屋鉄道の駅となる[12]。
- 1930年(昭和5年)9月5日:社名改称により名岐鉄道の駅となる[13]。
- 1935年(昭和10年)
- 1938年(昭和13年)5月6日:昨年より建設が開始された新名古屋 - 枇杷島橋間新線(笹島線)のうち、笹島起点1.9 km地点 - 新旧分岐地点(東枇杷島信号所)間の建設が着手される[17]。
- 1941年(昭和16年)
- 1948年(昭和23年)5月16日:豊橋駅 - 新岐阜駅間を名古屋本線とし東西直通運転開始。これにより名古屋本線と犬山線の駅となる[24]。
- 1949年(昭和24年)8月1日:廃止。枇杷島分岐点となる。代替として西枇杷島駅の旅客営業を再開し、枇杷島分岐点および下砂杁信号場は西枇杷島駅構内となる[25]。
駅構造
[編集]2面2線の相対式ホームだった。現在の枇杷島分岐点は名古屋本線・犬山線とで両開き分岐となっているが、枇杷島橋駅は名古屋本線が直線で、犬山線が分岐する形となっていた[4]。
駅と庄内川橋梁との間は急勾配区間(40 ‰)が存在した。駅自体も分岐点や川岸の踏切に挟まれて拡張余地がほとんどなく、電車が大型化してもホームを延長できなかった[4]。そのため、手狭な枇杷島橋駅を廃止して西枇杷島駅を復活させる措置を取らざるを得なかった[4]。
配線図
[編集]↑ 名岐線 新名古屋方面 | ||
→ 名岐線 新岐阜・ 清洲・ 津島方面 |
||
↓ 犬山線 東一宮・犬山方面 | ||
凡例 出典:[26] |
利用状況
[編集]『愛知県統計書』によると、年間乗降人員および荷物取扱量は以下の通りである。
年度 | 乗車人員(人) | 降車人員(人) | 発送貨物 | 到着貨物 | 出典 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
小手荷物(斤) | 貨物 (噸) | 小手荷物(斤) | 貨物 (噸) | ||||
1914年度 | 176,989 | 174,790 | 25,345 | 1,444 | ? | ? | [27] |
1915年度 | 152,975 | 151,586 | 24,993 | 1,099 | ? | ? | [28] |
1916年度 | 155,874 | 152,276 | 30,526 | ? | ? | [29] | |
1917年度 | 181,637 | 176,257 | 38,821 | [30] | |||
1918年度 | 206,304 | 192,583 | 34,445 | [31] | |||
1919年度 | 238,172 | 210,138 | 32,896 | ? | ? | [32] | |
1920年度 | 281,795 | 262,241 | 30,489 | ? | [33] | ||
1921年度 | 269,923 | 253,444 | 753,233 | 20,820 | ? | [34] | |
1922年度 | 309,524 | 290,819 | 16,812 | [35] |
年度 | 乗車人員(人) | 降車人員(人) | 発送貨物 | 到着貨物 | 出典 | |
---|---|---|---|---|---|---|
小手荷物(斤) | 貨物 (噸) | 貨物 (噸) | ||||
1923年度 | 296,676 | 275,200 | 14,893 | [36] | ||
1924年度 | 309,500 | 288,699 | 14,971 | [37] | ||
1925年度 | 289,977 | 269,806 | 15,417 | [38] | ||
1926年度 | n/a | [39] | ||||
1927年度 | 278,525 | 255,739 | 20,320 | [40] | ||
1928年度 | 258,830 | 237,621 | 15,065 | [41] | ||
1929年度 | 267,094 | 244,861 | 15,896 | 4,029 | 1,201 | [42] |
1930年度 | 244,670 | 299,275 | 15,780 | [43] |
年度 | 乗車人員(人) | 降車人員(人) | 発送貨物 | 到着貨物 | 出典 | |
---|---|---|---|---|---|---|
小手荷物(瓩) | 貨物 (瓲) | 貨物 (瓲) | ||||
1931年度 | 197,833 | 183,762 | 8,715 | [44] | ||
1932年度 | 197,354 | 183,865 | 6,394 | [45] | ||
1933年度 | 187,259 | 167,580 | 6,394 | [46] | ||
1934年度 | 186,991 | 171,632 | 8,147 | [47] | ||
1935年度 | 161,422 | 152,520 | ? | [48] | ||
1936年度 | 237,531 | 206,151 | ? | [49] | ||
1937年度 | 225,360 | 208,486 | ? | [50] | ||
1938年度 | 231,772 | 210,793 | ? | [51] | ||
1939年度 | 261,418 | 198,641 | ? | [52] | ||
1940年度 | 296,307 | 259,822 | ? | [1] |
枇杷島停留所
[編集]枇杷島線は名古屋電気鉄道初の新設軌道路線であり、その終点として庄内川東岸に枇杷島停留所が1910年(明治43年)5月6日に開設された[53]。具体的な位置は不明で、現在の名古屋市立枇杷島小学校付近にあったと推定されている[3]。
枇杷島線および建設中の郡部線(一宮線・犬山線・津島線)は当初軌道条例による特許を受けていたが、軽便鉄道法の施行により同法に準拠した方が得策との判断から、1912年(明治45年)3月には軽便鉄道法の免許を取得した[54]。これにより枇杷島橋駅の開業日も軽便鉄道法の適用を受けた1912年(明治45年)3月29日となっているが[2]、この時点では庄内川橋梁が未完成であり、依然として庄内川東岸の枇杷島停留所が終点であった。
庄内川橋梁は同年6月に完成し、8月には一宮線と犬山線が開通した[8]。枇杷島線は一宮線の一部となり、哩程変更や駅名改称が行われた[9]。これにより庄内川西岸(橋梁西詰)に枇杷島橋駅が設置されたが、同駅と東枇杷島駅との間に駅はなく[9]、枇杷島停留所があった庄内川東岸(橋梁東詰)に駅は設置されなかった。
東枇杷島信号所
[編集]枇杷島停留所があった庄内川橋梁東詰付近は押切町駅方面の旧線と新名古屋駅(現・名鉄名古屋駅)方面の新線(笹島線)とが分岐する地点にもなり、東枇杷島信号所と称された。信号所には新旧線の分岐と短い側線が設けられ、1941年(昭和16年)8月11日の終電後に実施された新旧路線切り替えをもってその役目を終えた[3]。
現行路線に隣接して残る単線コンクリート橋は東枇杷島信号所の側線跡である[55]。
隣の駅
[編集]- 名古屋鉄道
- 名古屋本線
- 犬山線
脚注
[編集]- ^ a b 『愛知県統計書. 昭和15年 第1編 土地、戸口、其他』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 『鉄道停車場一覧. 昭和12年10月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d e 沢田 1986, p. 98.
- ^ a b c d 沢田 1986, p. 106.
- ^ a b 名古屋鉄道 1961, p. 728.
- ^ 名古屋鉄道 1961, p. 52.
- ^ 「軽便鉄道指定」『官報』1912年3月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 名古屋鉄道 1961, p. 730.
- ^ a b c 「軽便鉄道運輸開始並停車場名称、哩程変更」『官報』1912年9月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」 1914年1月30日
- ^ 名古屋鉄道 1961, p. 732.
- ^ 名古屋鉄道 1961, p. 740.
- ^ 名古屋鉄道 1961, p. 754.
- ^ 名古屋鉄道 1994, p. 956.
- ^ 沢田 1986, p. 103.
- ^ 名古屋鉄道 1961, p. 760.
- ^ 名古屋鉄道 1961, p. 762.
- ^ 名古屋鉄道 1994, p. 195.
- ^ 名古屋鉄道 1961, p. 234.
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1941年8月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 名古屋鉄道 1994, p. 964.
- ^ a b 沢田 1986, p. 104.
- ^ 名古屋鉄道 1994, p. 744.
- ^ 名古屋鉄道 1961, p. 776.
- ^ 名古屋鉄道 1961, p. 778.
- ^ 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 上巻』、アルファベータブックス、2019年、p.180、ISBN 978-4865988475
- ^ 『愛知県統計書. 大正3年』軽便鉄道ノ四、軽便鉄道ノ六(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 大正4年』軽便鉄道ノ四、軽便鉄道ノ六(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 大正5年』軽便鉄道ノ四、軽便鉄道ノ六(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 大正6年』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 大正7年』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 大正8年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 大正9年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 大正10年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 大正11年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 大正12年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 大正13年』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 大正14年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 大正15年・昭和元年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和2年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和3年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和4年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和5年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和6年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和7年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和8年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和9年 第1編 土地、戸口、其他』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和10年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和11年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和12年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和13年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和14年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 名古屋鉄道 1994, p. 52.
- ^ 名古屋鉄道 1994, p. 80.
- ^ 沢田 1986, p. 105.
参考文献
[編集]- 名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会(編)『名古屋鉄道社史』名古屋鉄道、1961年。
- 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年。
- 沢田幸雄「廃止された線路をたずねて 押切町 - 枇杷島橋間と柳橋乗入れ」『鉄道ピクトリアル』第473巻、電気車研究会、1986年12月。